第十七話 護栄渾身の窮追

文字数 6,678文字

 蛍宮の軍事最高責任者である玲章は罪人の送迎で地下牢へ出入りすることはまずない。雑事は全て部下が行っている。
 何しろ天藍の護衛が最優先で、それよりも守るべき相手などいないのだ。
 それでも今日ばかりは地下牢へ罪人を迎えにいかなくてはならなかった。皇女という高貴な身分を考慮しこちらも高位の官が出向くべきだろう、という護栄の提案で玲章が送迎をすることになったのだが――

「お前まで来なくていいんだぞ、護栄」
「いいえ。正しい判決を下すには愛憐姫の一挙一動を確認しなくては」
「判決なあ……」

 一見正しいように聞こえるが、玲章にはいじめに向かういじめっこのように見えた。
 護栄は味方であれば勝利の女神ですらひれ伏すだろうほどに頼りになるが、敵に回せば死神のような存在だ。大小問わず、天藍を害する者には容赦がない。それは皇女などという身分程度では屈服させることなどできはしない。
 だが相手は腐っても皇女だ。必要以上に追い詰めないでくれよ――と心の中では祈ったが口には出さなかった。何しろ護栄は既に勝ち誇ったように微笑んでいる。これに苦言を呈するなど自滅しにいくようなものだ。
 この護栄と戦わなくてはならない皇女が不憫でならない。せめて挨拶と相伴くらいは丁寧にしてやろうと思ったが、それをするよりも素早く護栄が愛憐に声をかけてしまった。 

「出なさい。これより明恭国第一皇女愛憐の裁判へ向かう」
「まあ! それが一国の皇女に対する言葉遣いですの!?」
「この状況でも皇女としての矜持を失わない心根は称賛に価しますね」
「こんなことをしてただで済むと思ってるの。明恭の軍が動けばこんな国三日と経たずに終わるわ」
「それは私三人分の軍師を得てからにしたほうがいいですよ。さあ、出て下さい」

 三日というのは護栄が蛍宮先代皇を討つのに要した日数だ。その護栄がいる国を護衛と同等の日数で落とすのなら、当然それを超える軍師が必要だ。
 確かに明恭の軍は蛍宮の三倍はあるが、それでも中立を保っている理由すらこの皇女様は知らないのだろう。
 だいたい牢に居座っても良いことなどないだろうに、愛憐は自ら立ち上がろうとはしない。皇女ともなれば相伴も無しに起立すらしないのだろう。
 だが護栄が前面に立った今、玲章は皇女に手を差し伸べる気にはなれなかった。それでも何とか助け船を出したのは愛憐の側近を務める青年だ。

「護栄殿。せめて随伴をお許しください」
「罪人にそれは許可されません。皇女であっても規則は規則」
「で、ですが裁判はこれからです。まだ罪人と確定が言い渡されたわけでは」
「御璽を犯した時点で罪人と確定しています。今回の裁判は罪の是非を問うのではなく、余罪の検証を行うものです」

 そんな、と青年は項垂れた。それと同時に玲章はそうなんだ、と相伴を提案しなくてよかったと安堵した。こちらから規則に反することを許すようなものだ。そこに付け込まれたら玲章まで火の粉を浴びるだろう。
 冷や汗を流すと、ちらりと護栄が視線を寄越した。にこりと微笑み、しかし纏う空気は冷たい。

「玲章殿は口を開かず手を動かさず送迎だけお願いします」
「……承知しました」

 相伴しようとした無知さも見抜かれていた。何も分かってないのだから歩く以外のことをするな――ということだろう。

「牢にいても構いませんよ。ただし裁判を放棄とみなし、弁明の余地なしで余罪も確定となります」
「余罪!? なによ余罪って!!」
「何を今更。立珂殿への傷害罪、及び侮辱罪と名誉棄損あたりですね」
「馬鹿言わないでよ! どうして私があんな子のために!」
「あんな子ですか。しかし立珂殿は天藍様の来賓。来賓への侮辱は天藍様への侮辱罪になりますが」
「姫様! 従って下さい! これ以上は不利になるだけです!」

 護栄は正論で相手の感情を逆撫でし不利になる発言を誘発させることである。
 日常会話であれば単なる嫌な奴だが、政治的な場面においては国の意思として記録され場合によっては敵国と断定される。そして敗北した後は罪状が突きつけられ、何かしらの罰を受けることになる。
 これがまさに今の愛憐姫だ。政治を理解しないが政治的権限を持つ者は格好の餌食なのだ。
 ついに愛憐は自ら立ち上がったが、わざと護栄に体当たりをし、許可されていないにもかかわらず側近に手を引かせた。
 玲章は呆れ果てたが、その横で護栄はにやりと笑っていた。なにしろ護栄の部下が後ろで『過度の不従順。無許可で規則に反する行動を取り、その際に故意の衝突』と記録している。
 そして愛憐は移動中も罪状に文句をつけ、裁判の場に着いてからからは殿下に対面するのだから着替えさせろだの風呂を用意しろだのと罪人としてはあり得ないことばかりを叫んだ。そしてこの発言の全てが護栄により記録されている。
 第一皇女の発言であるならば国の意思とみなされ、撤回するのなら皇女より高位の者からの謝罪が必要となる。つまり明恭の皇王を揺さぶる武器となるのだ。
 玲章には国ごと護栄に取って食われる明恭の未来が見えていた。

「では明恭国第一皇女愛憐の余罪裁判を開始します。立珂殿への暴挙暴言を現場にいた全員に確認してまいりました」

 護栄は手元に数枚の紙を持っていた。それを裁判の場にいる全員に配るとつらつらと読み上げる。

「ひとつ。立珂殿は薄珂殿に依存し努力を怠っているという事実無根の罵詈雑言。侮辱罪」

「ひとつ。存在するだけで殿下を困らせるという事実無根の罵詈雑言。侮辱罪」

「ひとつ。何もせず遊び惚けているという事実無根の罵詈雑言。名誉棄損」

「ひとつ。侍女に業務を怠らせているという罪の捏造。侮辱罪、および名誉棄損」

「ひとつ。立珂殿の私物を破壊。器物破損罪」

「最後、暴行による傷害罪。以上です」

 しん、と静寂が訪れた。
 愛憐をはぽかんと口を開け、側近の面々は顔を真っ青にして震えている。
 はっきり言えば玲章にもよく分からなかった。この聞き取りは護栄の部下が行い、それには玲章も立ち会ったのだが聞く限り子供の口喧嘩に近い。傷害に関しては間違いなく愛憐が原因だが、その他の言い合いが侮辱罪として取り上げられるのだろうか。
 愛憐は呆れ果てて何よそれとこぼした。それは罪人が罪を否認したとしてさらに不利となるだろうが、正直を言えば玲章も同意見だった。

(だがまあ、護栄が言うなら何かあるんだろう)

 国を三日で落とした男の考えなど分かるわけがない。
 当時は玲章も傍にいたが、護栄の指揮の意味はついぞ一度も分からなかった。分からないまま指示通りに行動したらいつの間にか天藍が討伐を完了していたのだ。
 この国で護栄の発言に「何よそれ」と言えば、質問に答えるという正当な形で何倍にもなって返って来ることを玲章はよく分かっていた。

「大袈裟よ。傷害って、少し血を流した程度でしょうに」
「なんと! 明恭では多少の傷害は許容されるのですか! そんな恐ろしい国だったとは……!」

 なんともわざとらしい演技だ。
 だがこう言われたら愛憐の側は反論せざるを得ない。

「皇女の認識不足による無礼をお許しください! 明恭は決してそのような国ではございません!」
「認識不足? まさか傷害が悪事だと認識できないほど暴行が日常化しているのですか?」
「なにが悪事よ! 甘やかされてばかりの自堕落じゃやっていけませんわよ!」
「ほお。明恭は甘やかされている者は暴行して良い国なのですか? なるほど、だから傷害は悪ではないと……」
「そ、そのようなことはございません! 姫様! お止め下さい!」
「いいえ、もっとお教えください。これは輸出入契約の更新を見直す必要がありそうです」

 そんな、と側近はただ謝罪の言葉を並べ続けた。
 それも当然記録はされているが『側近より謝罪あり。傷害の実行犯である皇女から謝罪は無し』と書かれた。

「呆れたものね。少年一人のために裁判なんて、さすが少年狂いだわ」
「少年狂いとはどのような意味でしょうか」
「何を今さら。天藍様はお好みの少年のみを取り立て侍らせていらっしゃるのでしょう? だからこんな馬鹿な裁判をなさるのよ」
「ほお。それは具体的に誰のことでしょう」
「薄珂と立珂と、それに下働きは全員そうなのでしょう!」
「なるほど。では確認ですが、明恭国第一皇女として『蛍宮皇太子は己の性癖に該当する者ばかりを優遇し、不適切な裁判を実施した』というご判断をなさったということですね」
「そうよ!」
「そうですか」

 護栄の目がきらりと光った。

「罪状の追加です。人道的立場から孤児を保護した殿下への名誉棄損」
「承知しました」
「は!?」
「薄珂殿と立珂殿は世界的に指名手配されていた象獣人金剛に襲われ、なおかつ逮捕に貢献した方々。下働きの子供は遠征先で保護をした孤児で、その自立支援に尽くされただけのこと。もちろん中には成人も女性もいます。それを皇女ともあろう方が蔑むとは……」
「な、何言って」
「姫様! お止めください!」

 これを狙ってたのか、と玲章は感心した。
 立珂は来賓だからそれに対する余罪検証は当然だ。だがどれをみても最終的には子供の口喧嘩と処理されそうな範疇だった。
 しかし裁判という公的な場で皇太子を馬鹿にしたらそれは余罪などではなく独立した罪になる。感情的になりやすい皇女を揺さぶるくらい護栄にとっては朝飯前だ。
 同時にここまで発言をしていなかった天藍が立ち上がった。

「たしかに立珂は大切な少年ですが、その理由は彼の仕事にあります。なぜ立珂が来賓となったかご存知ですか?」
「殿下が囲っているんでしょう」
「いいえ。個人的な感情で置いているわけではありません」

 天藍は一枚の羽根を取り出した。
 一般的な有翼人の羽根とは比較にならないほど大きく美しいそれは、この宮廷に居れば誰もが知る立珂の羽根だ。
 そして――

「立珂は私が専属契約を結んだ有翼人。あなたの御父上が独占を望まれたのは立珂の羽根です」
「……え?」
「まさか使節団代表がご存知無いとは思いませんでした。どうりで酷い扱いをなさるわけだ」

 明恭が蛍宮に固執するのは有翼人の羽根の輸入が目的だった。
 北部に位置する明恭の冬は厳しい。特に最北は極寒で、冬は凍死と隣り合わせだ。これを乗り越えるために、高い保温力と強度を誇る有翼人の羽根が必要不可欠となっている。
 つまり一般的な羽根より何倍も大きい立珂の羽根は、費用を惜しまず確保したい明恭の命を繋ぐ商品なのだ。

「宮廷専属医孔雀。立珂の容体は」
「外傷で命に別状はございません。ですが精神的な衝撃が強かったようで羽が濁り、商品にすることは不可能です」
「羽が濁る? 何ですのそれは」
「有翼人は心を病むと羽が黒くなり死に至ることもあります。立珂殿は今まさにその状態です」
「な、何ですって? 聞いたことないわよそんなの」
「回復の兆しは?」
「兄君薄珂殿の愛情深い介護により回復をみせています。ですが侍女が作った服を破かれたことに大層心を痛めておいでとのこと。これには立珂殿付きの宮廷侍女、美星が同行したことで落ち着いているようです」
「侍女の作った服? 何よそんなの。来賓ともあろう者が庶民の手作りを纏うなんてみっともない」
「立珂が大切にしているのは物ではなく侍女の愛情です。そんなことも分かりませんか」
「民を愛さぬ国に我が国民の羽根を提供することはできません。やはり輸出入の継続は難しそうですね」

 護栄はちらりと視線を向けた。その先は死の可能性に目を白黒させる愛憐ではなく、政治事情を理解する側近だった。
 視線がぶつかったと同時に側近はその場に土下座をした。

「申し訳ございません! すぐに先遣隊を送り迎えを寄越させます! 適切な人材で使節団を再構成いたしますので、それまでのひと月は我らを拘留頂くことでお許しください!」
「ちょ、ちょっと! 何言ってるの! ひと月も拘留ですって!?」
「そうですよ。ひと月も拘留する必要はありません」
「そうよ! 馬鹿なことを」
「本日夜に明恭へ向かう貨物船がございます。それを利用しご帰国ください」
「……は?」

 護栄は驚きと怒りで目をひん剥く皇女へにこりと微笑んだ。
 姫でなくとも貨物船で帰れなんてそれこそ侮辱と言われてもいいだろうが、今回は状況が違う。これは暗に、罪を不問にしてやるからさっさと帰れ、と言っているのだ。
 それを理解した側近は再び土下座をした。

「有難う御座います! すぐに出立の用意を致します!」
「馬鹿言わないで! 一般の、それも貨物船ですって!? そんな物に乗れるものですか!」
「おや、よろしいのですか? 御璽を犯した場合は流罪や死罪もありえます。姫は罪状多数につき流罪は免れないでしょう」
「る、流罪? なにを、馬鹿なことを言わないでちょうだい……」
「皇女のまま母国へ帰るか、罪人として流刑地へ行くか。どちらをお望みです?」

 ここにきて皇女は勢いが切れた。
 罪状を読み上げられるだけでは机上の空論のように感じていたのだろうが、貨物船という分かりやすい形になったことでようやく理解できたのだろう。愛憐はもう何も反撃が出来なくなっていた。

「来賓であることを考慮し、即時帰国で姫の罪は不問。輸出入の契約更新は無しで判決とします。殿下、よろしいでしょうか」
「良い」
「そ、そんな! お待ち下さい! 何卒新たな使者にて謁見のご温情を頂戴できませんでしょうか!」
「第一皇女の流罪を見逃すだけでは足りないと。それとも貴国の姫君はそれほどまでに軽い存在だったのですか。そんな者を使者にしたということは殿下への侮辱同然ですよ」
「と、とんでもございません! 愛憐姫は有翼人の羽根をとても愛しておられ、だからこそ我が国でどれほど必要とされているかという金銭以上の価値をお伝えできると考えておりました。ですが使者を務めるには精神的に幼く、それを見抜けなかったのは私共の不徳といたすところ。何卒謝罪の機会を!」
「問題が姫個人から国に変わったとたん饒舌ですね」

 ぺらぺらとそれらしい謝罪を続けるが天藍は頷きも拒否もせず護栄に合図を送り小さく頷いた。

「実績を考慮し一度だけ会議の場を設けます。開催場所は蛍宮宮廷内。代表には前任の第一皇子麗亜殿を立てられよ」
「承知致しました。間違いなく皇子に申し伝えます」
「では貨物船の手配をします。特別に愛憐姫は個室を用意するように伝えましょう」
「有難うございます! 護栄殿のご温情には必ず報いるとお誓い申し上げます!」
「ええ、そうして下さい。名は何です?」
「明恭国第一皇女愛憐姫親衛隊第二部隊隊長、依織(いおり)と申します」
「依織殿ですね。覚えておきましょう」

 余計なこと言わなきゃいいのに、と玲章は苦笑いを浮かべた。
 自ら借りがあると認めては今後何かあったら骨の髄まで利用されるだろう。そしてこれも護栄の部下がきちんと記録をしていた。

「さあ、姫様。行きましょう」
「は、放しなさい! 冗談じゃないわ!」
「いい加減になさいませ!」

 愛憐はびくりと震えた。
 裁判にかけられただけでも大問題だというのに、唯一味方になるであろう側近にも見限られたとなるとその心境には同情を禁じ得ない。
 何しろ愛憐が敵に回したのは立珂ではなく護栄なのだ。軍事国家である明恭の上層部は軍人だ。軍人からすれば護栄ほど敵に回して恐ろしいものはない。

「このような騒ぎを引き起こしたこと深くお詫び申し上げます。誠に申し訳ございませんでした」

 愛憐はついぞ頭を下げることも謝罪することもなく退廷した。
 そしてそれも護栄の部下が記録を取っていた。

 これからあの皇女様はどうなるのか気になるが、何はともあれ一件落着だと玲章は息を吐いた。
 少し遅いが昼食時かと伸びをしたが、その時思いもよらない光景が目に飛び込んできた。まるでさっきの側近と同じように、護栄が土下座をしているのだ。

「護栄!? 何してるんだ!」
「私も同罪です。罰せられて当然のことをいたしました」
「まあな。もし立珂がお前に罰を与えよと望めばそうしよう。だが現状要望は届いていない」
「ですが……」
「お前が詫びていたことは俺が伝えておく。お前は明恭をどうするか考えてくれ」
「……私にお任せ下さるのですか」
「お前以外に誰がやるんだ、こんな面倒なこと」

 にやりと天藍は笑った。
 そして護栄を立たせるとこんっと肩を叩く。

「好機だ。必ず落とせ」
「承知致しました」

 なにを落とすんだと聞いたら巻き込まれて面倒になりそうなので、玲章は傍観を決めそそくさと退散した。

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