第十二話 野生の危機

文字数 4,811文字

 今日も起きると腕の中に立珂はいなかった。着替えもせず床にぺたりと座って何をしているのかと思えば、生地で何かを作っている。薄珂も身を起こし布団から出るが、立珂はそれにすら気付かないようだった。
「立珂。おは」
「できたー!」
「おわっ」
 声を掛けようと手を伸ばしたが、触れるより早くに立珂は両手を振り上げた。避けるように背を逸らすと、ようやく立珂は気付いてくれる。
「あ、おはよう薄珂! これみて!」
「どれ?」
 立珂の小さな手には片手で握れる程度の紐付きの袋が握りしめられていた。黄色と赤の二色だ。紐を緩めて中を見るとぎっしりと薫衣草が詰め込まれている。昨日寝る時に話していた薫衣草を入れる袋だ。てっきり慶都の母に頼むかと思っていたが、どうやら自分で完成させているようだった。
「凄いじゃないか! もうお裁縫できるようになったのか!」
「えへん! 僕黄色。薄珂のは赤だよ!」
 立珂は黄色い袋に付いている長い紐を首から掛けると、赤い袋を薄珂の首に掛けてくれる。ふわりと薫衣草の良い香りが漂ってきて、吸い寄せられるように立珂は薄珂の赤い袋に花をすり寄せる。
「くんくん」
「立珂のくんくん可愛くて大好きだぞ俺」
「くんくん!」
 立珂はにっこりと笑顔になり、ぎゅうぎゅうと薄珂に抱きつき薫衣草の袋ごと頬ずりをする。よしよしと頭を撫でてやるとさらに嬉しそうな顔をして、今度はその手に頬ずりをした。むにむにとした弾力のある滑らかな肌の感触が気持良い。
 薄珂は薫衣草を特別良い香りとは思わないが、立珂が抱き着いてくれる理由が増えただけで嬉しい。応えるように立珂の頭に頬ずりをした。
「慶都にも見せよう。着替えられるか?」
「うん! 共布の服にする!」
「同じ生地ってやつだな」
 棚から袋と同じ服の一式を取り出すと、立珂は一人で着替え始めた。前までは薄珂がやっていた着替えも今ではすっかり一人でできるので、それを眺めるのが薄珂の新しい日課だ。一生懸命体をよじる様子さえも愛おしい。
「おきがえおわり!」
「立珂は黄色が似合うな。今日も可愛いぞ!」
「薄珂もおきがえだよ。おそろいの赤いのにしようよ」
「もちろんだ。俺は立珂とお揃いじゃなきゃ嫌だ」
「僕もだよ!」
 立珂はたくさんの服を作ったがどれも薄珂の分を作っている。何でも薄珂とお揃いにするのが大好きな立珂のこだわりだ。立珂お手製の服に身を包めるのは最近の新たな幸せの一つだ。
 薄珂が着替え終わると立珂は両手を広げ、いつも通り抱きあげる。着替えを服に奪われたのは悔しいが、家の中を歩く時だけは薄珂のものだ。森にいたころより体重が増えたのを実感できる幸せの一時だ。
 にこにこの立珂を抱いて居間へ行くと、慶都が長老から借りた絵本を読んでいた。意外と慶都一家は勤勉で、立珂が寝ている時は両親に勉強を習っている。人里であれば学舎に通うだろうが里では親が教えるしかない。そのため勉強時間があり、立珂が起きてくるまでは本を読んでる事が多い。引っ越して来た当初は薄珂と立珂の部屋で立珂が起きるのを待機していることもあったが、落ち着かないから止めなさいと母に窘められてから起きてくるのをじっと待つようになった。それ以来、薄珂と立珂が二人で過ごす時間を大切にしてくれている。けれどその分起きた時の反応は大きい。
「立珂おはよう!」
「おはよう!」
 立珂を床に降ろすと、慶都はどんっと立珂に飛びついた。まだ半ば立珂を抱いていたので、三人で団子のようになってしまった。
「これみて! 薫衣草袋作ったの!」
「伽耶にもらった花だよな。花持ってる立珂も可愛いかったのに」
「んふふ~。でもこの方が服汚れないからいいの」
 立珂は薫衣草袋に頬ずりをするが、慶都はどこか不満げだ。薄珂もだが、慶都もお洒落談義はできないようだった。お洒落に聞かざる立珂を褒める勢いは客家にも負けないが、形状や色の話になるときょとんと首を傾げる。そんな慶都にとっては袋が増えるよりも花で彩られた立珂の方が好ましいようだ。
 膝の上できゃっきゃとじゃれる二人を眺めていると、やけに家の中が静かな事に気が付いた。きょろきょろと辺りを見回すが慶都の両親の姿が無い。
「慶都。おじさんとおばさんは?」
「かーちゃん広場でおしゃべりしてる。とーちゃんは金剛と自警団の集まりに行った」
「え? おじさんて自警団だったの?」
「違うけど鳥が必要な時はとーちゃんが行くし」
「ああそっか」
「ずるいよな。俺には獣化するなって言うくせに」
「おじさんが獣化するなんてよっぽどだろ。そんなことない方が良いんだよ」
「でも俺鷹になりたい」
「駄目だってば。何でそんな鷹になりたいんだ?」
「うずうずするから。だって元々鷹なんだ俺は」
「ふうん……」
 慶都は口を尖らせたが薄珂にはよく分からなかった。獣種は違うが薄珂も鳥獣人だ。けれど公佗児になりたいと思うことなどないし、耐えられないなんてこともない。けれど里では獣の姿で過ごす者もいる。特に子供はそうで、薄珂が里に子供がいないと思っていたのもそれが理由だ。人間の姿になるのは必要な時だけで、基本的には獣の姿でいたいらしい。慶都は狙われやすい獣種ということで人間でいる訓練が必要らしい。
(俺は人間の方が楽だけどな。立珂を抱っこしたいし)
 有翼人については詳しくないが、よくよく考えれば自分以外の獣人にも詳しくない。父は人間だったから何かを学ばせてもらえたわけでもない。特に困っているわけではないが、同じ鳥獣人同士でこうも違うというのは何とも言えない気持ち悪さを覚えた。
 しかしそんな感覚はすぐに吹き飛んだ。くいくいと立珂が服を引っ張っていて、見ればまん丸の眼を大きく見開き微笑んでいる。
「薫衣草生えてるとこ行きたい! 遊びに行こう!」
「あ、ああ。湖の方だっけ。俺達だけで行って平気かな」
「大丈夫だぞ。俺も一人でよく行くし」
「そうなんだ。じゃあ行ってみるか」
「水でびちゃびちゃするから車椅子止めた方が良いと思うぞ。錆びるし」
「大丈夫だ。抱っこするから」
「ぎゅー!」
「ぎゅーだ」
 抱っこと言ったら立珂ががばっと抱き着いてきた。車椅子を貰ってからというもの外で抱っこする機会は減ってしまった。嬉しくもあり寂しくもあり、けれどそれは立珂も同じだったのか抱っこを以前よりも強く喜ぶようになっている。
 そして羽を結って家を出ると、慶都がこっちだこっちだと道案内をしてくれて迷うことなく到着した。
「わああ!」
「一面紫だ。凄いな」
 茂みに少し生えているようなものかと思っていたが、想像以上に凄まじい群生ぶりだった。両手いっぱいに摘む程度でこの景色は変わらないだろう。
 薫衣草畑の中に降ろすと、立珂はばふっと薫衣草に身体を埋めた。
「いいかおり~!」
「これからはここで遊ぼうか。お弁当でも持って」
「腸詰!」
「野菜もな」
 それから数分経ったが、立珂は何をするでもなく薫衣草に埋もれてくんくんして花をいじるだけだった。慶都と一緒だとはしゃぎまわることが多いけれど、今日は珍しく二人供じっとしている。次第に二人はとろとろと眠り始め、あっという間にお昼寝時間へ突入した。このところお洒落に夢中で動き回っているから思いのほか疲れているのかもしれない。
 薄珂もまどろむ幸せを噛みしめていたが、夕日が降りてきた頃にふと身体がぐらりと揺れた。眩暈というわけでもないし立珂と慶都も眠っているので気のせいかと思ったが、次第に揺れは大きくなっていった。木々を目で見て分かるほどに揺れていて、ついには体を起こしていられないほど大きく揺れた。
「地震か!」
 薄珂は慌てて立珂を抱きしめた。少しすると揺れは収まったが、薄珂は急いで立珂と慶都を起こした。
「二人供起きろ! 家戻るぞ!」
「う……?」
「んえ?」
「地震だ。それもかなり大きい」
「じしん!?」
「揺れが収まってるうちに帰ろう。慶都起きろ! 獣化してくれ!」
「獣化!? おっ?」
 慶都は笑顔でぴょんと跳ね上がった。けれど揺れていることにようやく気付いたようで、はっと目を剥いた。薄珂は立珂を抱くだけで精一杯だ。慶都まで抱いて走ることなどできはしない。慶都もそれを察したのか、袍を脱ぎ捨て瞬時に鷹へと姿を変えた。来た時と同様に道案内をしながら飛んでくれていたが、少し走った時に再び大きな揺れがした。
「うわっ!」
「んにゃ!」
 揺れは大きくて立っていることもできず、薄珂は思わず膝を付いた。立珂の頭を隠すようにぎゅっと抱きしめ揺れが収まるのを待つが、今度はなかなか収まってくれない。立珂は腕の中でぷるぷると震えていて、大丈夫だ、そう言ってやろうと思った。
 だがその時、がらりと岩が落ちていくような音が聴こえた。そしてそれが何だか分かる目に、どんっと大きな音がして足元が崩れた。
「しまっ」
 目の前に細かな落石が降ってくる。がんっと背中が岩にぶつかり、落ちているのだと気付いたころには慶都の姿も見えなくなっていた。
 身体に岩や石がぶつかり全身に傷みが走る。とにかく立珂だけは手放すまいときつく抱きしめていたが、少ししたらようやく身体が地に着いた。
「……立珂、無事か」
「う、うん」
「よかった。まだぎゅーしててくれ」
「ぎゅー」
「そうだ。ぎゅーだ」
 立珂はきゅっと目を瞑り抱き着いてくれて、その力強さは怪我もしていない証拠だった。
 頭上を見るとまだぱらぱらと砂が落ちて来るが、光は差し込んでいる。地震で陥没したのであろうことは分かったが、しかしそれは少し妙にも思えた。
(地震ってこんな穴が開くものなのか?)
 壁をなぞると滑らかな土壁だった。よく見れば長方形に切られた木の板が幾つも落ちていて、どうやら梯子が壊れたようだ。それに薄珂が立って歩ける程度の高さがある。まるでどこかから入り地上に出るための場所のように見え、それは森で父の作っていた洞穴を思い出させた。
(避難場所か? それにしては備蓄も無い……)
 えも言われぬ不安を覚えたが、腕の中で震える立珂にそんな話を聞かせるわけにはいかない。
「外に出られる所を探そう。この狭さじゃ公佗児になれない」
「ん。それに慶都が金剛を呼んでくれるよ」
「ああ。しっかりぎゅーしてるんだぞ」
「うん」
 薄珂は立珂の羽をぎゅっと結うと、抱き上げ洞窟の中を歩き始めた。一本道で迷いようはないが薄暗いだけで不安を煽られる。立珂も同じなのか、やはり薄珂にしがみ付いたまま顔を上げようとしない。震える小さな背をとんとんと叩き、薄珂は笑顔を見せてやる。
「戻ったらおきがえだ。破れちゃったし新しいのも作ってくれるか?」
「う、うん。伽耶さんがいっぱい生地くれたんだ」
「綺麗なやつだな。あ、ちゃんとお揃いにしてくれよ」
「もちろんだよ。おそろいだよ」
 立珂は少しだけ笑顔になり、ぐりぐりと薄珂の肩に顔を埋めて頬ずりをした。そうして明るい話をしながら歩くと、どこからか何かが唸るような音が聴こえてきた。立珂はびくっと震えていっそう強くしがみついてきた。
「う!?」
「何だ……?」
 薄珂は前方からの襲撃に備え、壁を背にして立珂を降ろすと背に庇って立った。じりじりと壁伝いに歩を進めると少しずつ光が見え始めたが、同時にぐるるという呻き声も大きくなっていく。何かが近付いて来る気配はないが、がりがりと岩を引っ掻くような音もしている。
 そしていよいよ光の隙間に森の木々が見えてきたが、一足飛びに辿り着くことはできなかった。洞窟の出口にうめき声の主が陣取っているからだ。声の主は黒い毛並みに四つん這いで、大きな牙を剥きだしにしている動物だった。
「狼……!」
 そこにいたのは一匹の狼だった。立珂と同じくらいの大きさはあり、ぎらぎらとした牙を剥いている。鋭く光る眼はしっかりと薄珂と立珂を捉えている。ひゅうっと立珂が恐れで大きく息を吸い込むのが聴こえた。
「……立珂。壁から背中離すなよ」
「う、うん」
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