第二十七話 世界へ広がる立珂の服

文字数 4,478文字

 今日は愛憐が『りっかのおみせ』に来る日だ。
 皇女がどんな仕事をしてるか薄珂と立珂は知らないが、思っていた以上に忙しいらしく、自由に会えないことを立珂はがっかりしていた。
 けれど今日は昼過ぎたら自由時間らしく、ゆっくり遊ぶ約束をしている。
 出迎える準備のために、今日は午前で閉店することにした。美星も侍女も帰宅し、営業終了の札を掛けようとしたところに一人の青年が店に入って来た。

「あれ? 今日はもう閉店?」
「はい。でも少しならいいですよ」
「じゃあお言葉に甘えて。赤ん坊服を買って来てくれと頼まれてるんだけどある?」
「ありますよ。羽は生えきってます?」
「そりゃまあ、有翼人だし」
「じゃあ二、三歳ですね。こっちの棚です」
「ん? 何で年齢分かるの?」
「羽が生えきるのは二歳から三歳の間なんですよ。そうすると背骨の形が変わるから服も変わります。羽が生えてるならこの棚です」
「へえ。じゃあこの不思議な形はそのため?」
「そうですよ。背が人間とは違うから」

 青年は不思議そうに服を広げると、背中を不思議そうに見つめた。

「……驚いた。人間の服に穴開けるのとは全然違うね」
「はい。皮膚が傷付かないし着心地良いですよ。部屋着はこっち。外出着ならこっち」
「人気なのはどれ?」
「普段着は染色無し装飾無しの完全天然素材服。外出着は立珂とお揃いになる黄色です」
「なるほど」

 『りっかのおみせ』はいわゆる既製品店とは少し違う。
 同じ商品は宮廷から貰う生地で作れる少量しか生産されず、立珂もそのうち何点かを私服で着るが、それと同じ物は発売から数日で売り切れる。
 青年は興味深そうに幾つかを見ていると、きい、と扉の開く音がした。愛憐が来てしまったようだ。

「薄珂」
「愛憐ごめん。まだ――……あ?」
「よお」
「天藍!?」

 入って来たのは愛憐だったが、その後ろにいたのは遠征中だったはずの天藍だ。

「え、何? どうしたの?」
「さっき帰って来たんだ。忙しくなる前に顔を見ておこうと思って」
「あ、そう、なの……」

 急な登場に、薄珂は思わず後ずさり商品棚にぶつかった。

「大丈夫か?」
「う、うん。ごめん、びっくりして」

 薄珂は森育ちで、獣人の隠れ里に行って初めて世界が広がった。
 だが里も小さな集落だから住人とは毎日会える。薄珂は『知り合ったのに会えない期間がある』という事態の経験がなく、蛍宮では人との関係性が希薄にも感じていた。
 そこにきて天藍は皇太子という本来なら手の届かない立場だ。
 宮廷にいてもそう簡単には合えなかったが、宮廷から出てその機会は輪をかけて少なくなった。

「久しぶりだな」
「……うん。久しぶり」

 目の前で顔を見るのはいつぶりだろうか。
 遠征でどこに行きどんな仕事をしているかの具体的なことは知らないが、やはり顔は疲れているように見える。
 それでも真っ先に会いに来てくれたのは嬉しい。話をしようと思ったけれど、かたんと後ろで物音がした。
 振り向くと、すっかり忘れていた客の青年がいる。青年は驚いた顔をしていた。

(あ、そっか。皇太子と皇女がいたら驚くよね)

 薄珂はくんっと天藍の袖を引いた。

「奥入ってて。終わらせたら行くから」
「ああ。ゆっくりでいい」
「ごめんね。愛憐、立珂奥にいるから」
「ん。ありがと」

 天藍と愛憐を奥へ押し込むと、薄珂は扉を閉めて接客に戻った。

「すみません。騒がしくて」
「いや。こっちこそ忙しい時にすまないね。じゃあさっき見せてもらった二つをもらうよ」
「有難うございます。お包みしますので少々お待ち下さい」
「そのままでいいよ。早く行った方が良いだろう」

 青年は銅を二枚置くと、服を素のまま持って店を出て行った。
 薄珂はそのまま『本日営業終了』の札を掛けるといそいそと奥へ向かう。

「天ら――あれ?」
「お邪魔しています」
「すみません、お疲れのところ」
「護栄様。麗亜様。来てたの」

 天藍に駆け寄ろうとしたけれど、予期せぬ人物の姿にぴたりと足を止めた。
 この建物にはいくつか入り口がある。売り場にしているのは本来裏口の玄関にあたる場所で、出口は宮廷とは逆へ向いている。
 一方正門は宮廷から入るのだが、護栄や侍女はいつもこっちから入ってくる。
 きっと先程の客と入れ替わりくらいにやって来たのだろう。

(麗亜様がいるならあんまり気安くしちゃだめだよね。『少年狂い』が復活しちゃう)

 天藍と薄珂が伴侶契約したことを知るのはごく一部だ。
 当初薄珂は国籍を貰えるし天藍の傍にいられるし一石二鳥、くらいに考えていた。
 しかし時間がたつにつれ『皇太子の伴侶』は良くも悪くも利用価値の高い位置づけであることが判ってきて、他国の皇子にほいほいと知られて良いものではないことはもう分かっている
 駆け寄りたい想いを押さえ、薄珂はあえて護栄の隣に座った。

「全員集合でどうしたの?」
「実は薄珂殿と立珂殿にご相談があるんです。その可否を今日中にうかがいたくて」
「そうなんだ。ちょっと待ってね。立珂! りーっか!」
「はあい!」

 呼ぶとすぐに愛憐と二人でやって来て、手には服を抱えている。どれも愛憐に見せるんだと意気込んでいたものだ。
 立珂はご機嫌なまま薄珂の隣に座った。

「俺たちに相談があるんだってさ」
「う? なあに?」
「はい。実は明恭でも有翼人専用服を作りたいと思ってるんです」
「そうなの!? いいと思うよ! すごくいいと思う!」
「相談って商品の輸出? そういうのは響玄先生に聞かないと分かんないよ」
「それもですが、明恭の風土に沿った有翼人専用服の開発にご協力頂きたいんです」
「風土? 普通の冬服じゃ駄目なの?」

 薄珂と立珂は揃って首を傾げた。
 さして特別なことを聞いたつもりはないが、麗亜と愛憐は急に悲しそうな顔をして俯いた。

「……明恭有翼人の平均寿命は三十三歳。死因は迫害でも寿命でもありません。凍死です」
「んにゃ!?」
「待って。八十歳に伸びたって聞いたよ」
「人間と獣人はそうです。ですが有翼人は別。明恭は全種族に住居を用意し暖を取る手段を提供しています。有翼人にもです。それでも有翼人だけは老若男女問わず凍死がとても多い」
「室内でも?」
「はい。ですが人間と獣人はそんなことにはなりません。準備不足で外へ出て吹雪の中を遭難でもしない限り凍死などしません」
「原因はよく分かってないわ。でも変なの。凍死なんだけど、背中だけ火傷してるのよ」
「火傷? 寒いのに?」
「原因は分かりません。きっと体温調節ができない種族なんでしょう。ただそれも明確ではないし生態は変えられない。ですが――」
「私は服で助けられると思うの! だって体温調節は服でできるもの!」

 愛憐は見たことの無い真面目な表情をして立ち上がった。
 勢いよく立珂の手を握り膝をついた。

「力を貸して! 立珂の服はお洒落なだけじゃないわ。きっと有翼人を救ってくれる!」
「もちろ――むぐぅ」

 立珂は頼ってもらえたことが嬉しいのか目を輝かせた。
 けれど立珂が了承する前に、薄珂はがばっと抱きしめ口を塞いだ。

「お待ち下さい。これは明恭国皇子殿下から天一への正式なご依頼でしょうか」
「はい」

 麗亜はいつも見る兄の顔ではなく、皇子としてそこにいた。
 少なからず、薄珂と立珂は政治的な場面に立たされてきた。もはや無関係ではすまないところまで来てしまっている。

(これは外交だ。確実に立珂を守れる条件を前提に付けないと駄目だ)

 薄珂は数秒考え、改めて麗亜に向き直った。

「お受けする前に三つ条件があります」
「何でしょう」 
「まず、明恭へ行く事はできません。立珂の身の安全が最優先です」
「もちろんです。必要な情報を集めお届けします」
「二つ目。本件を受けるのは天一です。響玄が代表に立ち請けないのなら私達もご協力できません」
「分かりました。響玄殿にご同席頂き進めましょう」
「では最後。愛憐と立珂が私的に交わす約束事は政治的には無効。有効となる決定は響玄の名前で締結された契約書のみ」
「う?」
「え? どうして?」

 急に名を呼ばれ、立珂はぴゃっと背を伸ばした。愛憐も薄珂の意図は分かっていないようで、首を傾げている。
 これは立珂を確実に守るための盾だ。恐らく立珂と愛憐は政治的なことは考えず、情に流されあれこれと口約束をするだろう。

(『親しい間柄でこそ口約束はするな』。これは一番最初に教わったことだ。契約だけが守りとなる)

 立珂はともかく愛憐は皇女である以上その約束には政治的な意味が発生する。もしかすればそれが立珂を害する何かを起こさないとも限らない。ならばそれは漏れなく無効とし、必要であれば書面で契約を締結する。これが響玄が絶対的に順守する方針だった。
 麗亜は驚いたような顔をしたが、その横で護栄はくすっと笑い頷いた。

「響玄殿の教育は完璧ですね。麗亜殿、これは私からの条件とさせて頂きましょう」
「承知致しました。愛憐。これを破れば厳罰を覚悟すること。いいね」
「は、はい」
「立珂も。愛憐とお喋りするのはお洒落についてだけだ。明恭の話はしちゃ駄目だぞ。破ったら一生腸詰無しだからな」
「やああああ! 絶対しゃべらない!」

 立珂は涙目になりぶんぶんと大きく頷いた。
 厳罰とまで言われている愛憐と比較すれば可愛いものだが、政治を理解しない立珂には何よりも威力を発揮するだろう。薄珂はまだ何もしていないのに泣きじゃくる立珂の頭をなでた。

「では日程が決まり次第連絡しますよ」
「立珂殿。どうぞよろしくお願い致します」
「うんっ! 頑張る!」
「それじゃあ殿下」
「ああ。俺は」
「響玄殿へ交渉に参りましょう」
「あ? 一人で行けよ」
「馬鹿言わないで下さい。外交の話をするのに殿下がいなくてどうするんです。さあ行きましょう」
「え、ちょ、ちょっと待て」

 護栄はぐいっと引っ張り天藍を立たせた。
 天藍はきっとこの後ゆっくりするつもりだったのだろう。薄珂もそのつもりでいた。
 けれど天藍の傍には麗亜がいる。

(そうだよね。麗亜様がいるんだし……)

 薄珂は少しだけ口を尖らせたけれど、くるっと天藍に背を向けた。

「愛憐も麗亜様と行くの?」
「私は立珂と遊ぶわ! 商品ぜーんぶ見せてもらうんだから!」
「じゃあ瑠璃宮も行こうか。案内してないよな」
「見たいわ!」
「見せたい!」

 立珂はぴょんぴょんと飛び跳ねて、あっちには全然違う服があるよ、と早くもお出かけ気分になっている。
 全てを忘れ幸せにしてくれる立珂の笑顔を見てから天藍を振り返った。

「それじゃ天藍。またね」
「え!? 薄珂!?」
「薄珂殿の方が分かってますね」
「おま、だってひと月以上も」
「行きますよ」
「ちょ、ちょっ」

 天藍達を見送ると、窓が強い風で叩かれがたがたと音を立てた。

(立場ってこういうことだよな。仕方ない……)

 薄珂はぎゅっと拳を握り、はあ、と小さくため息を吐いた。

「立珂おいで。風強いから抱っこするぞ」
「はあい!」

 立珂は嬉しそうに薄珂に飛びついた。抱き上げると、それだけで気持ちも温かくなっていく。
 先ほどまで聞こえていた天藍の声はもう聞こえなくなっていた。
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