第二話 薄珂の不安

文字数 1,949文字

 立珂がお昼寝をしている間は勉強の時間だ。響玄は会計台にざらりと金貨と銀貨を並べる。

「お前達の売上の両替だ。昨日の納品で得たのは金五十。これを銀と銅に両替すると?」
「金一枚が銀十枚だから銀五百枚。銀一枚が銅二十枚だから……銅……千枚……あ、ちがう。一万枚?」
「そうだ。立珂の羽根は時価だが、生活に困ることはないな」

 薄珂はお金が欲しいとは思っていなかったが、今ではそれなりに必要だと分かった。
 慶都一家は三人で月の生活費は銀三枚前後らしいが、立珂の望むままに服や生地、装飾品を買うには月に金二枚は必要だった。
 だがそれも立珂の羽根二、三枚程度の額で、日に五本は抜けることを考えればさしたる額ではない。
 しかし今は立珂の羽根だけが収入源で、薄珂は立珂に養われてるようなものなのだ。兄としては情けなく、自立すべく響玄に商売を習っている。

「では問題だ。護栄様へ羽根の値上げをするならどう変える?」
「……最低銀一枚を二枚にする。どうせ買ってくれるし」
「単純に売上ならそうだな。だがそれだと『がめつい奴だ』と心象が悪い。心理操作は護栄様の真骨頂。心象が悪いのは致命傷だ」
「そっか。護栄様は利益より価値だ」
「そう。相手によって施策は変える必要がある。じゃあもう一度だ。変えるなら?」
「小さい羽根を値上げ。小さいのは『生えた直後しか手に入らないから貴重』っていう正当な理由がある」
「正解だ。それなら護栄様も良い品を手にできたとお喜びになる」

 まだ初めてからひと月程度だが利益だの売上だのの計算は薄珂には難しく、未だに両替計算から先へ進めない。
 しかし販売促進施策を考えるのは面白かった。達成後に立珂の笑顔が待っているのだと思うと様々な手段が思いつく。これで収入を得られれば薄珂にとっては最高の仕事だ。
 だが実際に価値があるのは立珂の羽根だ。薄珂がうまい手を考えても所詮おまけでしかなく、じゃなければ国を担う護栄が相手にするわけがない。
 響玄は卑屈になる必要はないと言ってくれるが、目に見えた結果を得られない現状が不安だった。

「薄珂ぁ……」
「あ、起きたな」

 不安を蹴とばすように、ぽやぽやとした立珂に呼ばれて駆け寄った。
 すると立珂に座ってと裾を引かれ、望まれるまま腰を下ろすと立珂は薄珂の脚の間に座りぽすんと背を預けてきた。ゆらゆらと眠気で頭を揺らしている後姿はとても愛らしい。
 ふいに剥き出しになっている立珂の肩が目についた。立珂が夏は袖の無い服を作るんだ、と意気込んでいたのを覚えていた侍女がたくさん作ってくれた。
 そこは以前薄珂が切り裂いたところだが、その痕ももう消えた。だが薄珂が切り裂いた事実は消えない。
 薄珂はゆらゆら揺れる立珂をぎゅっと抱きしめた。

「薄珂?」
「……慶都もお揃いが欲しいって言ってたな。作るか」
「いいね! うん!」
「慶都は獣化が好きだから脱ぎやすいのがいいだろうな」

 慶都と聞いて立珂はぴょんと飛び上がった。
 慶都は今でも立珂の一番の友達だ。だが立珂を守る力を身に着けると言って学舎に通い始めた。
 立珂は会えない時間が増えたことを寂しがっていたが、慶都は背も伸びて獣化を我慢できるようにもなり、その成長は目を見張るものがある。

(獣の本能に振り回される俺とは天地の差だ)

 薄珂はいつまた自我を失い立珂を切り裂くのではないかという恐怖が拭えず獣化を避けている。
 怖くて縋るように立珂を抱きしめると、立珂は不安そうな顔で抱きしめ返してくれた。
 こんな顔をさせてはいけないと慌てて笑顔を取り繕ったが、その時ばたばたと店に男が駆け込んできた。

「響玄! 大変だ!」
「何だ、騒がしい。立珂が寝起きなんだ。驚くだろうが」
「そんなこと言ってる場合か! 殿下が!」
「殿下? なんだ、殿下がどうした」

 この国で殿下といえば天藍のことだ。
 天藍は薄珂が初めて立珂以外で特別と思った相手で、天藍も薄珂を好きだと言ってくれている。
 だが皇太子というのは遠い存在だった。皇太子がどんな仕事をするのかは分からないが、今も遠征に出ているとかでもう何日も顔を見ていない。
 薄珂は寂しく感じていたが、相手が皇太子じゃなくても家族や同僚じゃない限り週に一度会えば多い方だろうと言われた。
 だから天藍の様子は羽根の納品で会う護栄に聞くか、街の噂で知るしかない。

「天ら――殿下に何かあったの?」
「まさか怪我でも?」
「違う! け、け、け」
「毛?」
「かみのけ抜けた?」

 立珂はとぼけたことを言って首を傾げたが、男はぶるぶると震えてがんっと机を叩いた。

「結婚だ! 殿下が奥方を連れて帰ってくる!」

 しんと店内が静まり返った。
 立珂は真ん丸の目をぱちくりさせ、響玄もぽかんと口を開けている。

「……は?」

 薄珂はぴくりと頬を引きつらせた。
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