第十四話 姫の嬉戯

文字数 3,601文字

 そよそよと穏やかな風が加密列茶を飲む愛憐の髪を撫でた。
 ここは宮廷からほど近い、愛憐が滞在するために与えられた離宮だ。十人で住んでもあまりある広さを一人で使っている。さらに側近と兵、侍女も含めた総勢二十名の使節団には別の離宮を与えてくれている。食事は全て愛憐の望み通りの内容で用意し、愛憐の侍女の指示で動く侍女まで手配するという厚いもてなしに使節団は感謝していた。
 しかし愛憐はそんなことは当然だとばかりにあれこれと要求し、しまいには皇太子天藍の側近である護栄と玲章を付けるようにと言った。これには側近たちも控えるようなんとか抑え込んだが、結局宮廷の案内や外出には両名どちらかが付くことになった。
 愛憐の身勝手さに皇太子もが困惑しているのは側近にも見てとれたが、愛憐はすっかり離宮から出なくなっていた。その理由は反省したからではない。

「あーあ。つまんない」
「では市街地の視察に同行なさいませ。午後は有翼人居住区の様子を見に参りますので」
「そんな土臭いことするわけないでしょう。馬鹿言わないで」

 栄えある代表の仕事を蔑む愛憐に側近の青年はため息を吐いた。
 蛍宮に来てから十日経つが、愛憐は離宮で寛ぐ以外のことはしていない。献上品として与えられた服や装飾品で侍女と遊ぶばかりだった。
 どのみち実際に視察をするのは側近だから問題は無いのだが、同行すらせず遊んでばかりというのはさすがに考えものだ。
 愛憐は横になろうとしたが、その時こんこんと扉を叩く音がした。

「天藍です。姫のお加減を窺いにまいりました」
「まあ、どうぞお入りになって」

 侍女が慌てて扉を開け出迎えると、皇太子は微笑んでいるもののどこか沈んでいた。
 愛憐の愚かさに呆れているのだろうかと思ったが、それにしてはやけに憔悴している。とても愛憐の傍若無人な振る舞いに付き合えるとは思えない。

「……殿下。恐れながら、具合がよろしくないのでは」
「いいえ。少したてこんでいるだけです。姫は恙なくお過ごしですか」
「少々退屈ですけれど、まあまあといったところですわ」

 使節団代表が退屈であるはずがない。
 だが愛憐がお飾りであることは蛍宮側も分かっているのだろう、いちいち愛憐の振る舞いにどうこうと言われることもなかった。

「そうだ。昨日こんな素敵なものを頂きましたの。見て下さい、この羽根飾り」

 愛憐は顔の右側に付けている髪飾りに手を添えた。
 それは愛憐の我がままに応えて与えてくれた有翼人の羽根の髪飾りだ。一般市場には出回らない高級品だとかで、輝くような真っ白で大きな羽根に愛憐はすっかり魅了された。

「この小さな羽根が可愛らしいでしょう。生えた瞬間しか取れないからとっても貴重なんですって」
「お気に召して頂けて幸栄です。有翼人の居住区はもうご覧になられましたか?」
「まあいやだ。それは使節団の者がいたしますわ」
「……羽根の品質向上にさしあたり、有翼人の生活を視察しにいらしたと記憶しておりますが」
「ええ。ですから部下がいたしますわ。私は検品しておりますの。この美しさ、お父様が独占契約をしたいと望まれるのも分かりますわ」
「ご希望は装飾品でなく寝具では?」
「あら、そうだったんですの? 私は装飾品がいいですわ」

 愛憐はきゃらきゃらと笑った。
 まさか同行すらしないとは思っていなかったのだろう。皇太子は我慢しきれずため息を吐いていた。
 皇太子は視察に関して質疑応答をしてくれたが、愛憐は一つとしてまともに答えずすぐに装飾品の話に結びつけてしまう。そして、これ以上話すことはないとわずか五分で見切りを付けられた。

「では仕事があるので失礼します。それと、重ね重ねとなりますが他の離宮には決して入らないようお願い致します」
「承知しておりますわ」

 皇太子は丁寧にお辞儀をし、しかし溜め息を吐いて帰って行った。
 側近と侍女の全員が幼い姫のわがままで許される程度の失礼しかしなかったことに安堵したが、そんな胸中も理解せず愛憐はごろりと長椅子に寝転がった。

「あーあ。何だかがっかりね」
「何がです」
「殿下よ、殿下。顔よし頭よし性格よしって聞いてたのに、何なのよ少年狂いって。そりゃあ私に見向きもしないわよね」
「違います。孤児を保護なさっているんです。たまたまそれが少年だっただけのこと」
「どうだか。恋人って噂の少年、本当に少年よ。私と同じか少し下。お父様は場合によっては私を殿下に嫁がせるとか言ってたけどごめんだわ」

 はあ、とその場の全員がため息を吐いた。
 国同士のことを考えればそれが最良の策となることもあるかもしれないが、そうならないように、と一同が願った。こんな失礼なことを続けていては、それが原因で対立することも考えられる。
 どうかこれ以上は何もせず大人しくしていてくれと思ったが、その瞬間に愛憐がよおし、と勢いよく立ち上がった。

「どうなさいました」
「散歩しましょ。離宮が他にもあるんですってね」
「な、何をおっしゃってるんです。立ち入り禁止だとおっしゃっていたではありませんか」
「はいはい」
「姫様!」

 側近と侍女が総出で止めるのを無視して愛憐は外へ出た。
 蛍宮にはたくさんの離宮があり、使ってないので万が一怪我でもあってはいけないから近付かないようにときつく言われていた。他にも来賓がいるようで、皇太子が御璽で守っているらしい。
 だが駄目だと言われたら余計気になるのが心情だ。
 愛憐は規則など気にせず進むと一つの離宮に辿り着いた。その門には皇太子の御璽が押印された立ち入り禁止の札が立っている。

「みいつけた。宝物でも隠しているのかしら」
「お止め下さい! 殿下の機嫌を損ねれば契約もどうなるか分かりませんよ!」
「ちょっと入るだけよ」
「いけません! 皇太子殿下の御璽を犯せば罪人となりましょう!」
「は? 何言ってるの。私は明恭の皇女よ」
「滞在中は私達にもこの国の法が適用されると入国審査の際に聞いたでしょう! 不法侵入は罪に問われます!」
「ああ、もううるさいわね! じゃああなた達はそこにいなさい!」
「姫様!」

 愛憐は立ちふさがる侍女を跳ねのけ置き去りにして離宮へ足を踏み入れた。
 うるさい部下がいなくなり鼻歌をうたって散策していると、一軒の小屋が見えてきた。とても小さくて汚くて、愛憐は思わず眉を顰めた。
 しかしその中にちらりと真っ白なものが見えた。それはとても大きな羽を持った有翼人の少年で、傍らには愛情に満ちた微笑みで見つめる少年がいる。愛憐はこの二人には一度遭遇したことがある。

(薄珂と立珂じゃない。何でこんな汚い離宮にいるのかしら)

 薄珂は何か用があるのか、ぽんっと頭を撫で立ち上がり傍を離れた。すぐ戻ると言っているのが聴こえたが、立珂は不安そうにその背を見つめている。
 愛憐はくすっと笑って立珂に駆け寄った。

「こんにちは。まだお兄様にべったりなのね」
「……誰?」
「まあ。天藍様の世話になりながら私を知らないですって? なんて恥知らずなのかしら」

 あーあ、とため息を吐くと立珂はぶるぶると震え始めた。終いには目に涙を浮かべ、這うように後ずさる。

「は、薄珂……薄珂ぁ……」
「またお兄様? あのねえ、歩けないからといって努力しなくていいわけじゃないわよ」
「薄荷! 薄珂ぁ!」

 ついに立珂はわあんと声を上げて泣きだした。

「……何なのあなた。ほんっと子供ね。こういうのが一番嫌いなのよ」
「薄珂、薄珂!」
「立珂!?」

 弟の悲鳴を聞きつけた兄が飛ぶような速さで戻って来た。
 愛憐から隠すように抱きしめて、ぎろりと睨み返してくる。

「お前どっから入ったんだよ! 入るなって書いてあったろ!」
「口の利き方に気を付けなさい。御璽を使わせるなんてなんて困った子なの。迷惑かけておいて、よくも遊んでれるものね」

 立珂の周りにはたくさんの服が並んでいる。手に取ってみると、愛憐が着ているものよりも質素だが生地は良いものだった。

「薄くて滑らかでいい生地。あなたには分不相応だわ」
「さ、さわらないで。それは侍女のみんながつくってくれたんだ」
「侍女は宮廷で殿下に仕えるてるの。あなたの遊び相手じゃないの」
「やだ! 返してっ!」
「立珂!」

 立珂は弱々しく今にも倒れそうな顔色をしていたが、どんっと体当たりをして愛憐に飛びついた。服を取り返そうとしているようで、必死に手を伸ばしている。

「ちょっと! 放しなさいよ!」
「立珂! 落ち着け! 取り返してやるから!」
「返して! 返してぇ!」
「もう! 放しなさいってば!」
「あっ――」

 きゃんきゃんと喚かれ、あまりにもうるさいので愛憐は強く手を振り払った。
 普通なら転ぶ程度だったろうが、か弱く立つことがままならない立珂は愛憐の想像していた以上に遠くへ転がり石造りの机にぶつかった。

「う、うう……」
「立珂!」

 立珂の右肩は大きく切れ、どろりと大量の血が流れた。
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