第二十話 上の子と下の子

文字数 6,343文字

 条件はともかく輸出入契約の継続が決まり一安心した麗亜だが、もう一つの不安に襲われていた。

「んー、小さい羽根の方がいいと思う?」
「可愛すぎではないですか? 有翼人の羽根飾りは女性向けですし。男性は獣の毛飾りが流行ですよ」
「そうなの!? たしかに格好いいかも……でも……う~ん……」

 お昼寝から戻った立珂は侍女と共にたくさんの服と装飾品を持ってきた。本人も先程とは違う服を着ていて、兄弟でお揃いにしている。
 それは構わないのだが、彼らは何故か服と装飾品を麗亜にあててどれが似合うかを議論し始めたのだ。
 愛憐への怒りをぶつけられるか、何かしらの策略に嵌めようとしてくるだろうと身構えていた。だからこの服と装飾品に何か曰くがあるのかと思ったが、立珂はきゃあきゃあと喜びながら服を選ぶだけだった。

「男性には獣の毛が人気ですよ。鷹の羽根も」
「でもお兄ちゃんとお揃いがいいよ絶対。ねえ、薄珂」
「そうだよな。ならお姫様は小さい羽根で、お兄ちゃんは大きい羽根にしたらどうだ」
「あ、それいい!」

 弟はぎゅっと兄に抱き着いた。薄珂と立珂という少年たちは見るからに仲の良い兄弟だ。
 だが麗亜と愛憐はお揃いの服を着るようなべったりの兄妹ではない。十歳も離れているし、麗亜は早くから国政に携わっていたため愛憐と共に過ごした時間は多くはなかった。必然的にこの兄弟のようにはならないし、なったとてまだ十八歳の妹とお揃いを着たいとは思わない。
 しかしこれでこの兄弟のご機嫌取りができるなら安いものだ。愛想笑いで不本意な羽根飾りを受け入れ続ける。

「お姫様遅いねえ。ねえねえ、まだ準備に時間かかる?」
「準備? 準備とは……?」
「あ、まだならゆっくりでいいの! 女の子はお洒落にこだわるからね!」

 うんうん、と兄にしがみ付いたまま自慢げに頷いた。兄は兄で気遣いできて偉いぞ、と褒めて頭を撫でている。
 愛に満ち溢れた平和そうな兄弟の姿に麗亜は首を傾げた。

「……準備とは、今ここに愛憐が来るのをお待ち下さっているという意味でよろしいでしょうか」
「そうだよ。このまえ綺麗な服着てたからとっても楽しみ!」
「生地が気になるんだよな」
「うん。薄くてきらきらしてたの。とっても素敵だったんだ」

 ね、と兄弟は顔を見合わせて微笑んだ。
 麗亜は思わず馬鹿かと言いそうになったが、ごくりと呑み込みぐぐぐと口角を持ち上げる。

「立珂殿。大変恐縮ですが、愛憐は同行しておりません」
「え!? そうなの!? なんで!?」
「当然でございます。あれは罪人。蛍宮の地を踏ませるわけに参りません」
「罪人? お姫様悪いことしたの?」
「……立珂殿に怪我を負わせたと聞き及んでおりますが……」
「あれは僕も悪かったんだよ。怒鳴っちゃったし。だから今日ごめんねしようと思ってたんだ」
「謝罪すべきは愛憐でございます。立珂殿に謝罪いただくことは一つも御座いません」
「どうして? 喧嘩はどっちも悪いんだよ。だから同時にごめんねするんだよ」
「喧嘩……でございますか……?」

 あまりにも話がかみ合わず、麗亜は愛想笑いが限界にきていた。
 すがる思いで護栄に目を向けるが、くすくすと笑うばかりで助けてはくれない。どうしていいか分からず呆然としていると、兄弟はごそごそと持って来ていた荷物の一つを漁り始めた。そこから一枚の服を取り出し麗亜の前に差し出し広げた。それは上半身は血がべっとりと付いていてとても着られそうにない。

「これね、お姫様が破いた服なの」
「ま、まさか、これほどの血を!?」

 麗亜が知っているのは愛憐の暴行で怪我をしたという事実報告だ。実際にどれほどの怪我をしたのかまでは知らず、まさか服が染まるほどの出血だとは思っていなかった。

「なんと恐ろしいことを……! 罪人がよくも皇女を名乗り帰国できたものだ!」

 罵詈雑言の罪状は揚げ足取りだ。だがこれは蛍宮でなくとも傷害の罪を問われて当然だった。
 麗亜は妹の愚かさが憎くなり拳を震わせた。

「べっとりでしょ? お姫様にはこれを謝って欲しいんだ」
「謝罪では許されません! 怪我のほどは!? 動かれてよろしいのですか!」
「あ、うん。それはもう大丈夫なの。だから服破いてごめんねって言って欲しいんだ」
「……服、でございますか?」
「そうだよ。お姫様が引っ張ったから破けちゃったんだ。これ凄く悲しいの」
「そ、それよりもお怪我のことは」
「だから治ったってば。でも服は直らないんだ。美星さんが作ってくれたお気に入りだったのに」

 大量出血をしたであろうに、それについては言及せずぷうっと頬を膨らませて口を尖らせた。
 そして後ろに控えていた一人の侍女の手を引いて、美星さんだよ、と紹介をしてくれる。麗亜とそう年は変わらないようだが、暖かな眼差しは母親のような愛情に満ちている。

「貴女が立珂殿の服をお仕立てなさっているのですか」
「侍女の皆でございます。これはそのうちの一つ」
「今日のは彩寧さん作だよ。皇子様に会うならちゃんとしないとねって」
「まさか、一つ一つ誰が作ったのか侍女の名も覚えておいでなのですか」
「当たり前だよ。僕のために作ってくれたのだもの。全部薄珂とお揃いなんだよ。いいでしょ」

 羨ましいでしょう、と血で染まった服をぎゅうっと抱きしめた。
 愛憐ならきっと、いや、誰でもその日に捨てただろう。証拠品として保存したのだとしてもこんな風に抱きしめることなど絶対にしない。
 しかしそれをまだ大切な物のように握りしめ、同じ形のまた作ってね、今度は菜の花色がいいな、と楽しそうに笑っている。怪我のことなどちらりとも話に出てこない。

「……失礼ながら、お怪我のことをお怒りなのでは?」
「それは僕が転んだんだよ。あ、でも薄珂に謝ってほしいかも」
「薄珂殿に?」
「僕が怪我して辛かったのは薄珂だよ。僕は薄珂がぎゅーってしてくれてたから平気」

 ねー、と弟は兄にぎゅうと抱き着いた。兄は当然のように弟を抱き返し、二人とも幸せそうに微笑み合う。兄弟は抱きしめ合ったままちらりと目線を寄越すと、弟はにこにこと微笑んでいるが兄は訝しげな顔をしている。
 怪我の話なのか服の話なのか、麗亜の頭はまだ混乱している。けれど謝れというのなら謝っておこうと、するりと流れるように土下座をした。

「大切な弟君を傷付けたこと、誠に申し訳ございません。罪人になり下がった愚かな妹を許して頂けるとは思っておりません。ですが私にできる償いであれば何でも致しましょう」
「あんたが? 悪いと思ってないあんたが何を償えるの」
「何をおっしゃいます。立珂様への暴行は悪そのもの。その分は」
「だから、あんたが悪いと思ってるのは妹で自分は関係無いと思ってるじゃないか。そのあんたが何を償えるんだよ」

 ぴくりと麗亜の指が震えた。
 そっと顔をあげると、兄である少年は顔を怒りで歪ませている。

「兄貴なら下の子を守って当然だ。なのにあんたは妹を悪者にするばっかりだ」
「庇えるわけが御座いません。これほど愚かなことをしたのです」
「兄貴が庇ってやらないで誰が庇うんだ。妹が悪いことをしたなら一緒に並んで謝ってやるべきじゃないのか。どうして妹を守ってやらないんだ!」

 麗亜は眉をひそめた。
 敵と言っても過言ではないであろう愛憐を庇う理由が分からなかった。よくも弟を傷付けたなという言葉以外はあり得ないだろう。

(何を考えているんだ。やはり護栄殿に匹敵する才覚が……?)

 護栄があっさりと輸出入契約の継続を許したのは布石で、本当に落としてくるのはこの少年なのだろうかと麗亜は身構えた。
 弟に意味不明なことを言わせ場を荒らし、混乱したところをはめようという魂胆かもしれない。護栄が何も言わず見守っているのが恐ろしく、麗亜はごくりと喉を鳴らし睨み合った。
 睨み合ったが――

「まあ、でも有難う。立珂嬉しいみたいだから」
「は?」

 策士に違いないと警戒した相手は、お姫様に会いたかったなと言って弟を抱きしめて頬ずりをし始めた。弟は相変わらず幸せそうに笑っている。

(な、なんだこれは……)

 麗亜の中では何一つ話が繋がらなかった。
 この兄弟には罵倒されても刃を向けられても仕方が無いと思っていた。機嫌をとるためなら最悪愛憐の命も使えと言われて来た。
 それなのに向けられる言葉は謝罪と感謝ばかりだ。

「あーあ。会いたかったなあ。そしたらこれお姫様に渡してくれる?」
「こ、これは何でしょう」
「僕の羽根で作った髪飾り! 小さい羽根使ったの初めてなんだ! 小さい羽根って貴重なんだよ。知ってる?」
「仲直りのしるしに作ったんだよな」
「仲直り? わざわざ作って下さったのですか?」
「うん! お姫様僕の羽根飾り使ってくれてたんだ。僕ね、誰かが僕の羽根使ってくれてるとこ見たの初めてなんだ。気に入ってくれてとっても嬉しい!」

 ぱあっと向日葵のように麗亜へ笑顔を向けた。
 渡されたのは無垢で美しい有翼人の羽根飾りで、同じ羽根が向日葵の笑顔の向こう側で揺らめいている。

(……贈り物? 何だ、何の裏があるんだ。話がめちゃくちゃだ)

 魂胆が見えない。策略が読み取れない。
 麗亜の身体にじわじわと不安が広がっていくが、落ち着けと言うかのように護栄がとんっと肩を叩いてきた。

「この子達に政治的駆け引きなどできませんよ」
「あー。護栄様、馬鹿にしてる?」
「素直な良い子だと褒めているのです」

 護栄の嘘くさい笑みにむっとして、弟は兄にきゅっと抱き着き口を尖らせた。

「僕がおかしいの?」
「おかしくない。喧嘩したら謝るんだ。ごめんなさいできる立珂は偉いぞ」
「仲直りしないと遊べないものね。僕女の子のお友達いないから楽しみだなあ」
「友? 友とは、まさか愛憐を友と?」
「……え!? 友達って思ってるのもしかして僕だけ!?」
「当り前です。友などと、そんなとんでもない」
「そうだぞ。ごめんなさいしてないから友達になれるのは次会った時だ」
「あー! そうだよねえ! ねえ次はいつ来るの!?」
「……予定は、立っておりません……」
「そっかぁ。あ、作ってから言うのもなんだけど、髪飾り嫌だったら使わなくていいからね」
「い、嫌なはずがありません。必ず使うよう伝えます」
「無理強いはだめだよ。女の子はお洒落にこだわるんだから」

 はあ、とため息のようなぼやけた答えしかできなかった。
 兄弟は二人とも楽しそうに幸せそうに笑っている。お姫様はお洒落だから色々教えてもらいたいなと期待に満ちた表情をしながらも、その手には血に染まった服を抱きしめている。
 血を流したことなど、もうどうでもいいのだろう。

「……立珂殿。本当に愛憐をお許し下さるのですか」
「怒ってるのは天藍と護栄様で僕じゃないよ。許してくれないの?」
「もう許しましたよ。でも被害者は立珂殿なので立珂殿にも許して頂きたいのです」
「そうなの? じゃあお姫様が遊びに来てくれたら許す!」

 きゃははと笑い、楽しみだねえと言って兄にぎゅうと抱きついた。兄は宝物を守るように弟を抱きしめ撫でている。
 もうずっとこの調子だ。きっと二人でいれば幸せじゃない時などないのだろう。

(この子たちは……)

 麗亜は妹のことを思い出してみた。だが、どんな顔で笑う娘だったか分からなかった。

「殿下。今一度、愛憐がこの国に足を踏み入れるお許しを頂けませんでしょうか。立珂殿へ直接の謝罪をさせて頂きたい」
「それは」
「いいよ! いつ来る!?」
「立珂。天藍が話してるんだから大人しくしてろ」
「だって護栄様またいじわるするよ、絶対。性格悪いもん」
「しませんよ。では殿下の生誕祭はどうです? 来月なので少々急ですが」
「生誕祭!? 皇王のみならいざ知らず、愛憐が参列するなどとんでもない!」
「どうして? どうせなら家族みんなで遊びに来ればいいじゃない。きっと楽しいよ」

 完全に外交を無視した発言に麗亜は愛想笑いをするのも忘れてしまった。
 さすがにこれは皇太子が待ったをかけるだろうと慌てて振り返るが、予想に反してにこりと微笑まれた。

「招待状をお送りしましょう。護栄、手配を」
「承知致しました」
「お待ち下さい! とても許されることでは」
「あんた妹のこと嫌いなの?」
「は?」

 麗亜の言葉を遮ってとげとげしい言葉を放ったのは、いつの間にか弟を抱っこしている兄だった。弟は当然のようにその腕に収まっている。

「そうやってあんたが断り続ければ妹は死ぬかもしれない。でも有難うって言えば遊びに来れる。謝るのは大事だけど、同じくらい有難うも言えなきゃ駄目なんだよ」

(何言っているの。今そんな精神論は言ってないよ)

「お兄ちゃんなら妹のために有難うくらい言いなよ」
「大変恐れながら、今ご教示くださっているのは兄としての振る舞いについてでしょうか」
「……護栄様。ごきょーじってなに?」
「教えを与えるということです」
「教え? 何言ってんの? お兄ちゃんは下の子を守ってあげるものじゃないか」
「……それだけ、ですか。外交のことはよろしいのですか」
「外交? そんな話はしてないよ。国なんてどうでもいい。弟妹は守ってやるんだ。あんたさっきから何の話してんの?」
「何の、話……?」

 それは僕の台詞だ!と叫んでやりたい。だが兄弟は顔を見合わせて、僕も薄珂を守るよ、いいや俺が立珂を守るんだ、とじゃれている。
 麗亜の望む回答が出てこないことはもう予想がついたが、今回は少し違った。兄の方が弟の頬ずりを甘受しながら麗亜をきろりと睨んできた。

「実はね、あんたに聞きたいことあったんだ」
「わ、私にですか。何でしょう」
「俺と立珂は父親が違うんだ。でも俺は立珂が可愛いからもっと可愛がりたい。だから同じ血の妹を持ってるあんたはもっともっと可愛がる方法を知ってるかと思ったんだ。けど、知らなそうだね」
「可愛がる方法……?」
「可愛くないの? 妹の代わりに謝りに来たってことは可愛いってことでしょ」
「わ、私は」

 何をしに来たか、麗亜は答えられなかった。
 ついさっき愛憐は死罪でも致し方ないと平然と言ったのに、言ってはいけない気がして唇を噛んだ。
 それに気づいたのか、護栄がまた肩を軽く叩いてきた。

「愛憐姫の件は手打ち。契約は継続。なら今あなたが言うのは妹を悪に仕立てる言葉ではないはず――と薄珂殿は言ってるんですよ」

 ちらりと薄珂を見ると、まだ弟を抱っこして頬をすり寄せている。弟は兄を信頼しきって身を任せているその姿は、いかに愛されてきたかが分かる。
 だが麗亜は妹からこんな風に接してもらえたことはないし、そうしようと思ったこともなかった。
 けれど、きっと信頼してくれていたのだろうとは思う。それは父親に投獄される直前、麗亜が蛍宮へ行くことになった時の言葉にあった。

『お兄様……私を見殺しになんてなさらないですよね……?』

 助けてくれると思っていただろう。そう思ったのはきっと、今まで麗亜が愛憐の言うことをはいはいと言って叶え好き放題させていたからだろう。だがそれはこの兄弟のように愛情からくるものでは無く、ただ面倒だったからだ。
 けれど愛憐はたしかに麗亜を信じていた。

「妹を助けに来たんでしょ?」

 まるで愛憐の想いを代弁したかのような薄珂の言葉にびくりと震えた。
 この瞬間も弟は兄に頬ずりをしている。愛しいと思い思われ育って来たのだろう。
 薄珂の問いに麗亜は答えられなかった。その代わり天藍と護栄に向かって土下座をする。

「有難うございます。ご招待謹んでお受けいたします」

 弟はやったあと喜び兄を強く抱きしめ、兄はよかったなと撫でてやっている。

(……無垢な子供だ。だが俺はそれ以上に子供だった)

 麗亜は妹の笑顔が思い出せないことが恥ずかしかった。
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