第一話 光さす有翼人の日常

文字数 4,670文字

 日が昇り朝食を食べる時刻。薄珂は眠っている弟、立珂の寝顔を眺めていた。
 立珂は薄珂の親指を口にくわえてもぐもぐしている。
 これは寝ぼけた立珂お決まりの行動で、大好物の腸詰と勘違いしているのだ。
 薄珂はこの愛らしい姿が大好きだ。名残惜しくはあるが、そろそろ起こさなくてはいけない。

「立珂。朝だぞ」
「んむ……」
「りーっか」

 つんつんと立珂の頬を突くと柔らかく、ぷにぷにとした感触もまた愛おしい。
 それでも立珂はぷうぷうと眠り続け、仕方ないな、と薄珂は立珂の耳に顔を近づけた。

「起きないと腸詰なしだぞ」

 薄珂がそう告げた途端、立珂はぽんっと薄珂の親指から口を放して飛び起きた。

「あ、起きたな」
「ちょっ、ちょうづめぇ!」

 やだやだ、と立珂は大きな目に涙をいっぱい浮かべて訴えてきた。
 嫌がる姿も可愛いが、これ以上悲しい顔は見たくない。
 薄珂はぎゅっと立珂を抱きしめ頭を撫でた。

「ちゃんと起きてえらいな。えらいから今日もいっぱい食べていいぞ!」
「ほんと!? よかったー……」
「よーし。じゃあまずはお着換えだ。今日はどれ着る?」
「新しいの着る!」

 立珂は起き抜けとは思えない勢いで棚に飛びついた。
 昨日のうちに着ることを決めていたのだろうか、棚の一番上に置いてある服を手に取った。
 いそいそとあちこちの釦を止め、手間取ることなくあっという間に着替えを終える。

「じゃじゃ~ん!」

 立珂は両手を広げてくるりと回り、全身を薄珂に見せた。
 今日は上下に分かれた象牙色の服で、金糸が織り交ぜられきらきらと輝いている。地模様があるのでそれだけでも見栄えが良い。
 羽を出す穴の円周と襟、袖口は向日葵色の共布で飾られている。
 様々な組み合わせでお洒落を楽しむ立珂だが、今は共布で揃えるのが気に入っているらしい。

「よし! 今日も可愛い立珂の完成だ!」
「えへへー。薄珂はこれ! 僕とお揃いで蘇芳色だよ!」
「今回もお揃い作ってくれたんだな」
「もちろんだよ! だってお揃いがいいもの!」

 立珂はぴょんと飛び跳ね薄珂にしがみ付いた。
 薄珂とお揃いにするのが大好きな立珂は、毎回必ず背に穴のない薄珂用を一着だけ作る。
 獣人ではあるが、常に人間の姿をしている薄珂が服に困ることは無い。けれど立珂とお揃いを着るのが薄珂も大好きだった。
 渡された服を着ると立珂とお揃いで、両手を上げて喜ぶ立珂はとても可愛い。
 薄珂は鞄を腰に下げると立珂を抱き上げた。

「よーし。じゃあ行くか!」
「はあい!」

*

「響玄先生、おはよう」
「ああ、おはよう」
「立珂様! お待ちしてましたわ!」
「美星さーん!」

 ここは薄珂が師と仰ぐ響玄の店だ。店に併設して自宅があり、響玄は娘の美星と二人で暮らしている。
 響玄は薄珂と立珂にとっても保護者のような存在で、最近は朝食を一緒に食べているのだ。

「今日もとっても可愛いですわ」
「えへへ。新しい服だよ」
「もっとよく見せて下さいませ。くるっと回って」
「お披露目は後にしなさい。まずは朝食だ」
「腸詰!」
「もちろんご用意しておりますわ」

 立珂は美星と手を繋いで食卓へ行くと、既にずらりと朝食が用意されていた。
 四人で食卓を囲むと、立珂はすかさず腸詰に手を伸ばしかぶりついた。

「おいしー!」
「立珂様のお好きな辛い腸詰もありますよ」
「それは昨日食べた。今は黒胡椒の腸詰がお気に入りなんだよな」
「これは立珂様が大好きな莉玖堂の限定品ですわ」
「こっちは莉玖堂の新商品だ」

 薄珂と美星は立珂に腸詰を差し出しながらばちばちと火花を散らした。

「順番に食べさせてやればいいだろう。それより薄珂。殿下はまだ戻らないのか? もうすぐひと月になるだろう」
「長引きそうだって手紙来た。孤児がすごく多いみたい」
「そうか。薄珂の狙い通りだな」
「狙ってたわけじゃないよ」
「またまた」

 響玄はにやにやと笑い薄珂を小突いた。
 少し前、薄珂は孤児難民を宮廷の下働きにすることで彼らを救済する仕組みを作り上げた。それ以来孤児難民の保護遠征が行われている。
 一見すれば慈善活動のため『天藍様は素晴らしい方だ』と評価はうなぎのぼりで、今では天藍自ら出向くこともある。

(けどいつもより長い。何かあったのかな……)

 遠征には多くの兵が同行している。薄珂が心配するようなことはないのだが、やはり不安ではあった。
 そんなことでぼんやりしていたその時、店の方からどんどんと扉を叩く激しい音がした。
 その音に交じり立珂の名を叫ぶ声も聞こえてくる。

「んにゃ?」
「またか」

 『りっかのおみせ』を開いてからというもの、立珂に会いたいという有翼人が増えた。
 立珂が響玄の店にいるという事もいつの間にか広まり、押しかけてくる有翼人も少なくない。

「まったく。まだ開店前だぞ」
「私断って参りますわ」
「いや、私が行く。妙な輩だったら危ない」
「俺も行くよ。美星さん、立珂見てて」
「承知致しました」

 店へ行くと、立珂様、立珂様、と執拗に繰り返す女性の声が響いていた。
 響玄は薄珂を背に隠して扉を開けると、待ち構えていたように女性が飛び込んできた。
 女性は人間だった。四十代半ばに見えるが、やけにくたびれていて目の下にくまができている。

「立珂様! 立珂様に会わせて下さい!」
「申し訳ない。それは全てお断りしています」
「お願いです! どうかうちの子を治療して下さい!」
「治療? 立珂は医者ではありませんよ」
「嘘です! 羽を小さくし歩けるようになったと聞きました!」
「ああ、それは」
「うちの子はもう何年も寝たきりなんです! どうか……!」

 立珂は重すぎる羽のせいで十年以上も歩くことができずにいた。
 しかし今は自由に歩き飛び跳ね走り回っている。
 それはある特別な施術を受けたからだ。

「僕行くよ!」
「立珂様!」

 話が聴こえていたようで、薄珂は飛び出てきた立珂と顔を見合わせて頷いた。

「その子のところに案内してくれる?」
「はい! こちらです!」

 女性は開けっ放しになっていた扉から外へと飛び出た。
 喜びと焦りが入り混じったような表情をうかべて走りだし、薄珂と立珂もそれを追いかけた。
 数十分走り、辿り着いたのは薄暗い小屋だった。あまり掃除していないのか妙に埃っぽい。

「朱莉(あかり)! 立珂様が来て下さったよ!」
「立珂様……!?」

 そこにいたのは青白い顔をした有翼人の少女だった。
 やつれた身体が埋もれるほど大きな羽は茶色くくすんでいる。
 有翼人の羽はこころの状態により美しさが左右される。相当辛い日々を送っているのだろう。

「薄珂」
「うん。羽見せてもらってもいい?」
「は、はい……」
「あの、何を」
「大丈夫だよ! 僕いつも薄珂にやってもらってるから!」
「そ、そうなんですか?」

 薄珂は少女の羽を持ち上げ付け根を弄った。

「ああ、立珂と同じだ」
「治りますか!?」
「うん。今やっていい?」
「ここでできるんですか!?」
「どこでもできるよ。でも何やるか見てもらった方がいいかな。立珂」
「はあい!」

 立珂はくるりと背を向けた。薄珂は立珂の羽に手を差し込み何かを探す。

「あった。立珂、準備いいか?」
「どぞ!」
「二人とも見ててね」

 立珂はぎゅっと拳を握り、薄珂は立珂の羽を一本だけ握りしめた。

「せーの」

 薄珂は声掛けと同時に握った羽を一気に引き抜いた。

「んにゃー!」

 立珂はぶるぶると身震いし、それと同時にばらばらと羽が大量に抜け落ちた。

「こ、これ……」
「やはり立珂様もご病気で!?」
「ちがうよー。羽は間引くんだよ」
「ええと、病気ではなく?」
「違うよ。有翼人はみんな同じ。でも大元を引っ張ると一気に抜けるよ。触ってみて」

 薄珂は女性の手を引き朱莉の羽の中に差し込んだ。
 案内するように羽の付け根を弄ると、あ、と女性が何かに気が付いた。

「膨らんでますね」
「そう。ここの羽を一気に引っ張る」
「でも身体の中がにゅるーってするの。くすぐったいけど我慢ね」
「じゃあやってみて。二重になってるとこ抜けば見た目あんまり変わらないよ」
「分かりました。朱莉。抜きますよ」
「うん……」

 女性は少し怯えながらも、薄珂が示した場所の羽を引き抜いた。

「ひゃあ!」

 朱莉も立珂と同じような悲鳴を上げたが、同時にばさばさと大量の羽根が抜け落ちる。

「ぬ、抜けた!」
「軽くなった! もう、今、今もう軽いわ!」
「でしょー! 感動でしょー!」
「これはどれほど抜いて良いんですか!?」
「好きなだけ。とりあえず歩ける程度にして様子見るといいよ」
「分かりました! 朱莉!」
「うん!」

 女性と朱莉はどんどん羽を抜いていった。
 どれほどため込んでいたのか、そのまましばらく抜く作業を続けていたが、ようやく羽はすっきりとしてきた。
 朱莉は壁に寄りかかりながらそっと足を起こす。

「立てる! 歩けるわ!」
「朱莉!」

 二人は泣きながら抱き合った。
 それは立珂が初めて歩けるようになったころを思い出させ、薄珂も少しだけもらい泣きをした。
 けれど立珂はふんふんと鼻息荒く息巻いて、ずいっと一歩前に出た。

「まだだよ! 次はお着替えの時間!」
「お着替え?」

 立珂は持って来た袋をごそごそ漁り、中から何かを取り出し差し出した。
 それは『りっかのおみせ』で売っている服だ。様々な色が揃っている。 

「何色が好き?」
「え? あ、えっと、朱色……」
「朱色ね! じゃあこれ着てみて!」
「は、はあ……」

 朱莉は部屋を移り渡された服に着替えて戻って来たが、その姿を見て女性は驚きと喜びで崩れ落ちた。

「なんてお洒落なの……!」
「……立珂様は神様なの?」
「う? 僕は有翼人だよ」

 朱莉は背を見ようと必死に身体を捻じった。
 それは立珂が初めて有翼人専用服を着た時と同じ行動だ。

「お礼をさせて下さい! お金は無いですが、何か、何か」
「じゃあ羽根一枚ちょうだい。うちの店は一着羽根一枚と交換なんだ」
「そんな汚い羽根捨てるだけですよ!」
「うちは使い道あるから集めてるんだ。抜けたの貰うね」
「は、はあ……」

 薄珂は抜けたばかりの羽根を一枚広い、腰の鞄にぽいっと無造作に放り込んだ。
 朱莉と女性は不安そうにしていたが、それを見た立珂がぴょんっと跳ねた。

「じゃあ今度おみせに来て! それでお洒落な姿見せて!」
「もちろん行きます! けどそれじゃあ私が幸せなだけです」
「しあわせになってくれたらそれが一番うれしいよ! 笑顔見せに来てね!」

 朱莉と女性はじわりと涙を浮かべ、ぐっと立珂の手を握った。

「行きます! 絶対行きます!」
「うん! 約束だからね!」

 薄珂と立珂はばいばい、と手を振って家を出た。
 外では心配そうな顔で響玄と美星が待っていた。あの後追いかけて来てくれたのだろう。
 心配そうな美星はぎゅっと立珂を抱きしめ、手を繋いで歩き始めた。

「どうだった」
「間引いてないだけだった。もう歩いてる」

 有翼人の生態は本人ですら知らないことが多い。
 立珂は運よく知識を得て、おかげでお洒落という趣味も見つかった。
 知識さえあれば今すぐ幸せになれるのだ。

「やはり生態を広めないといかんな」
「うん。ここ(・・)ならできるよね」
「ああ」

 響玄と薄珂は後ろを振り向き、そびえたつ門を見上げた。
 そこには大きな木製の大きな看板が掲げられている。
 表面は艶やかで、一枚板で作られているあたり高級品であることがうかがえる。

「有翼人保護区。ここから有翼人の未来は変わっていく!」

 看板には『有翼人保護区』と美しい書体で刻み込まれている。
 これが有翼人に安寧を与え、蛍宮が更なる発展をする最大の挑戦である。
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