第十話 無知

文字数 4,702文字

 里の一日は主に農作業へ時間が割かれる。金剛率いる自警団は狩りに出ることも多い。腸詰のように安価な付け合わせ程度は買うこともあるが、基本的には全て自給自足で賄っているのだ。それ以外の時間は娯楽に尽くすが、娯楽というほどの娯楽ではない。友人と語り合ったり本を読んだり、その程度だ。だから慶都は暇を持て余し飛び回ってしまう。
 だがここ数日でそれは大きく変わっていた。里には広場がある。といっても、里の中心に何も無い場所があるだけで用途が定められているわけでは無いし活用されているものでもない。住民も畑と自宅を往復する時に通り過ぎるだけだ。
 しかし今は違う。きゃあきゃあと高い声が響き渡っていて、その中心にいるのは立珂だ。
「立珂ちゃんの服すっごい可愛い。どうなってるの?」
「生地は全部ばらばらなんだよね」
「うん。釦で止めてるの。その上に幅広の紐を縫い付けてるからつぎはぎっぽくならないでしょ?」
「うんうん。それいいなって。使い回し感ない」
 立珂を取り囲むように輪を作ってるのは里の女性陣と子供達だ。薄珂と立珂は知らなかったのだが、どうやら里には慶都以外にも子供がいるようだった。だが皆が外部からの襲撃を恐れ、加えて娯楽もないので必要以上に外へ出ないということだった。
 しかし今は立珂の作る服や装飾品、そして立珂と慶都がはしゃぎ駆け回る様子に惹かれて一人、また一人と集まるようになっていた。それに伴い衣服は汚れぼろぼろになり、立珂はそれを再利用して新たな服を作りだした。それもお洒落な仕様になっているため、女性陣はまだ着れる服の改造を立珂に相談するようにもなっている。これが広場で行われ、いつの間にか長椅子が設置された。子供のお昼寝用に簡易寝具も持ち込まれ、日よけが必要だろうと四阿が作られた。気が付けば立派な広場になり、里の中心部となっていた。
 里は活気付き住民同士の交流が増えれば立珂の笑顔も増え、それはとても良いことだった。しかし薄珂には不安があった。
(また羽を触ってる。必要以上に抜けたらどうするんだ)
 獣人しかいない里で有翼人の立珂は珍しい存在だった。薄珂は人間だと思われているが、人間の姿になっている獣人と変わりはない。だからもの珍しさもないのだろう。しかし泥にまみれ全てを使い回すくたびれた里の中で、立珂の純白の羽は宝石のようだった。女性陣はうっとりと見つめ、もらった枕を家宝だとまで言った。
 だが立珂に魅了される者が増えればそれだけ悪用する者も増えるということだ。この閉鎖的な里では外に流出することは無いが、これが蛍宮だったらもう分からない。軽率に手を伸ばし毟っていく者がいるかもしれない。
 それに立珂は車椅子のおかげで行動範囲が広がったなった。一人で移動することができるので、今も薄珂は少し離れた四阿に腰かけ立珂を見守っているだけだ。こういう場面が増えれば守れない場合が出て来るだろう。それはとても恐ろしくて、薄珂は目を細めた。
 しかしその時、こんっと後ろから頭を小突かれた。振り向くと、そこにいたのは苦笑いをしている天藍だった。
「羽根を毟られるようなことは無いぞ」
「……顔に出てる?」
「出てる」
 天藍は薄珂の隣に腰かけると一枚の紙をくれた。薄珂では読めない文字がびっしりと記されている。
「これ何?」
「商標登録申請書類。販売する商品は見本を国に提出し、許可が出ないと販売できない。その申請用書類だ。で、こっちは本人証明」
 次いで渡されたのは木製の板だ。手のひらより少し大きな長方形で、そこには天藍の名前と他にも文字が刻まれている。
「これを店先に立てないと販売できない。これ無しで販売するのは犯罪で、その店で購入するのも犯罪。つまり立珂の羽根を毟っても売買できないんだ。大体毟るのは暴行罪だから二重の犯罪。それが銀数枚なんて割に合わないんだよ。前科持ちなんて就職もできないしな」
「犯罪として取り締まるなら前例があったってことでしょ。安全じゃない証明だ、こんなの」
「……意外と賢いなお前」
 薄珂は書類と板をぽいっと天藍へ投げ返した。金剛でも孔雀でもない第三者が認めたからなんだというのか。それは慶真の言葉を信用して良いのかという問いかけと同じことだ。
「立珂は襲われたら一人じゃ逃げられない。その可能性がある限り怖いって思うのは仕方ないでしょ」
「じゃあ里で鳥籠の鳥にするか?」
「……分からない。でも蛍宮より安全だと思う」
「何でだ? お前らの住んでた森だって元は安全だったんじゃないのか? だから住んでたんだろ?」
 びくりと薄珂の身体が大きく揺れた。十八年間、命を狙われたことなどなかった。父が用意していた避難場所はただの倉庫でしかなくて、立珂と二人逃げる日が来るなんて思ってもいなかった。
(人間は人数が多いし武器も強い。例え金剛でも銃で撃たれたら無事じゃすまない)
 薄珂は決して弱くはない。鳥ではあるが嘴と爪は強力な武器となり、戦闘手段があるという点では肉食獣人と変わらない。飛べるという点では他の肉食獣人よりも行動範囲が広い。しかしそれでも数と強力な武器を生み出す知力で勝る人間には敵わないのだ。
 きゃあきゃあとはしゃぐ立珂の声に引き寄せられ目を向けると、森では見られなかった眩しい笑顔だ。薄珂が守りたい唯一の存在はその輝きを増している。薄珂はぐっと拳を握り、天藍を見つめた。
「どうしたらいいの」
「回避するんだよ。身に降りかかる火の粉を振り払う」
「どうやって?」
「知りたいか?」
「……うん」
「じゃあその前に教えてくれ。お前らが襲われたのは『羽付き狩り』じゃないのか?」
「え?」
 その言葉には覚えがあった。それは薄珂と立珂を追った男の一人が叫んでいた言葉だ。
『崖を張れ! 羽付きの逃げ場は空しかねえ!』
 思い出し悩んでいると、薄珂の心を見透かすように天藍はにやりと笑った。薄珂は少しだけ口を尖らせ無言で見つめ返す。
「恐らくお前達の森は紅里(ほんりぃ)だ。東にある森の深い国。違うか?」
「知らない。気にした事なかったから」
「ふうん。じゃあ羽付きって何だと思う? 有翼人の事じゃないんだこれは」
「でも金剛は有翼人狩りだって」
「勘違いしたんだろ。ここらじゃ鳥獣人は希少種だし有翼人狩りもあったし。けど東じゃ『羽付き』は鳥獣人を指す。しかも二か月くらい前に紅里で大規模な『羽付き狩り』があったんだ。お前達はこれに巻き込まれたんだろう」
「……分からないよ。違うかもしれない」
「分かる」
 天藍はするりと薄珂の耳たぶをなぞった。そこには天藍がくれた立珂と揃いの耳飾りが付いているが、もう一つ残っているものがある。
「人間に撃たれたと言っていたな。これは銃創だ。銃に撃たれてできる傷跡」
「それが何」
「銃は一部地域にしか流通していない世界的にも珍しい武器。出回ってるのは紅里(ほんりぃ)くらいだ」
「え」
 薄珂はひゅっと息を呑んだ。追って来る男達は当然のように使っていたし父からも特に注意すべき武器だと聞いていた。てっきり全ての人間が持っている物だと思い込んでいたのだ。
(知らなかった。でもこんな小さい物でそこまで気付くなんて……)
 撫でられ鳥肌が立ち、薄珂はぱんっと天藍の手を払い除けた。
「がむしゃらに逃げたから東かどうかなんて分からない」
「分かるんだよ。お前達の名の読みは東のものだ」
「名前?」
「『はっか』は東の読みで、ここらじゃ『ばぉくぁ』になる。立珂は『りぃくぁ』だ」
「あ、そ、そう、なの」
「そう。間違いなくお前らは紅里の鳥獣人狩り被害者だ」
 ぎりっと薄珂は拳を握りしめた。狙いが鳥獣人なら有翼人の立珂以外に鳥獣人がいたということだ。ならばそれは共に居た薄珂しかいない。
(……まずい。俺が鳥獣人だってばれる)
 つうっと冷や汗が流れた。一人で逃げるくらいは簡単だ。獣化し飛び立てばいい。だが立珂を守れるかは別の話で、逃げ場所を間違えば今度こそ殺される可能性もある。それでも今ここで掴まるなら一先ずは逃げる必要はあるだろう。薄珂は獣化できるよう袍の釦に手をかけたが、ふいっと天藍の視線は立珂へ向けられた。
「おそらく立珂は鳥獣人に間違えられたんだ。立珂の羽な、あれ相当大きいんだよ。普通は背に収まるくらいなんだ」
「え?」
 突如話が変わり、薄珂は釦を外す指を止めた。思わず立珂に目を移すと、大きすぎる羽は車椅子の籠に収納されている。そうしないと歩けない、自分の脚だけでは歩けない種族だと思っていた。
「そう、なの?」
「ああ。それに純白の羽なんて見たことが無い。普通はうっすらと何かしらの色に寄る。ああはならないんだ」
 天藍は腰に下げていた鞄から羽根がくくりつけてある首飾りを取り出した。羽根は黄ばんでいてところどころ茶色くなっている。宝石の様に輝く立珂の羽とは大違いだ。
「見目麗しい鳥獣人には収集家がいる。白鳥か白鷺かに間違えられた可能性が高い」
「……じゃあそうなのかも。でもそれと危険を回避するのがどう関係あるの」
「あるさ。お前は余りにも無知だ。それじゃあ危険を察知する事すらできない。今教えられなきゃ紅里人が気を付けるべき対象だと気付けなかっただろう」
「それは……」
「もう一つ問題だ。この里で最も危険なのは何だと思う?」
「里で?」
「象獣人率いる自警団は有効だろう。だが絶対的な危険因子がある」
「危険因子……?」
 薄珂はじとっと天藍を睨み付けた。
 天藍の話はとても意味があるように思えたが、即時に呑み込み頷けるほど簡単ではない。不安を煽られるばかりでついぞ言葉は見つからない。けれど天藍は矢継ぎ早に急き立てる。
「蛍宮は本当に安全か? 蛍宮が安全でも紅里人がいたらどうする? 蛍宮人と見分け付くか? 二人だけで孤独に生きるか? 病気になったらどうする。医療の心得も無いお前は何ができる? 人に『安全』と言われても信じられないなら何を信じる?」
 ぐぐっと薄珂は拳を握りしめた。何か言い返したいけれど何を言えばいいのか分からない。何故責められてるのかも分からなくなってきてしまう。
 しかし天藍はぽんっと優しく頭を撫でてくれる。
「無知を恐れ知識に飢えろ。学べば選択肢も増える」
「何それ。例えば?」
「文字の読み書きくらいはできた方が良いな。例えば『けいきゅう』と『いんくぉん』は聞くだけじゃ紐づかないが、文字を見れば同じ土地を指す言葉だと気付く。慶都がそうだったろ」
「あ、そ、そう。そうなんだよ。文字覚えたい。教えてくれないかな」
「嫌だよ面倒くさい。子供が可愛い大人はいっぱいいるぞ」
 ほら、と天藍が視線を促した先は立珂だ。そこにはいつの間にか長老もやって来ていて、籠にたくさんの服や生地を詰め込んでいる。立珂は飛び込むようにそれらを手に取りきゃあきゃあとはしゃぎだす。その周りでは女性陣が立珂に話しかける順番待ちをしていた。たった数個の枕から始まった現象とは思えない。
「良いことを教えてやろう。権力者とは仲良くしとけ。長老は罪悪感もあるだろうしな」
「急に汚いこといわないでよ……」
「ほー。これが汚いことだと分かるのか。お前結構頭良いんじゃないのか?」
「そんなのどうでもいいよ。俺は立珂を幸せにしたいだけだ」 
 天藍は一瞬驚いたような顔をして、くすっと笑って薄珂の髪を掻き回しながらぐりぐりと撫でた。
「何! 止めてよ!」
「精々頑張るんだな、お兄ちゃん」
 天藍は持っていた紙袋を薄珂の手に置いた。中にはほかほかと温かい赤々とした腸詰が入っている。孔雀が買ってくれている立珂の大好きな辛い腸詰だった。
「立珂に渡してくれ」
「……ありがと」
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