第十六話 宮廷の助力、そして決別

文字数 3,030文字

 薄珂は護栄の指示通り立珂を医務局へ運び込んだ。
 医務局には常に数名の宮廷医師が待機しており、怪我を見るとすぐに手当てをしてくれた。医師は全員人間のようだったが、立珂が有翼人であるにもかかわらず処置はてきぱきとしたものだった。

「出血は多いですが大したことありません。痕も残らないですよ。それよりも抱き方を変えて下さい。横抱きではなく膝に乗せ正面から抱えるように。顔を肩甲骨と顎の間に収めてあげてください」
「駄目だよ。それは安定感が悪いんだ」
「具合が悪いのは怪我による痛みではなく、においによる意識の混乱です。有翼人は血の匂いが特に嫌いなんです」
「におい! なら薫衣草があるといいよ! 立珂は薫衣草が好きなんだ!」
「駄目です。血のにおいと混じると悪臭となり、より不快に感じるそうです」
「え? そうなの?」
「はい。全てのにおいを遮断するほうが良いのです。羽へにおいが移ってはいけないので覆いますね」
「う、うん……」

 医師は薄珂が想像していたよりも知識が豊富だった。戸惑いおたつく事もなく、むしろ自分がどれだけ冷静さを失っているかが分かった。
 ぽかんとしていると、医師は紙に何かを書き無言で薄珂に差し出してきた。

『怪我を負った驚きで羽がくすむ場合があります。不安は口に出さず笑顔で安心させてあげてください』

 それは侍女がやってくれたのと同じ筆談だった。
 あの時は目を覚ますことをさけるためだったが、確かに不安な言葉を出せば立珂は恐ろしく思うだろう。ならばここまで医師がしてくれた適切な処置を聞いたことで安心したかもしれない。

「みんな有翼人に詳しいんだね」
「ついさっき護栄様が有翼人の医療教本を持って来て下さったんですよ」
「護栄様が?」
「ああ。しかしよく医務局へ来たね。孔雀先生のところは薫衣草もあるし医療器具は無いし、あちらへ行ったら悪化していたかもしれない」
「……護栄様が、そうしろって……」
「そうか。さすが護栄様だ」

 薄珂は複雑な心境だった。
 怪我は愛憐の暴行によるものだとしても、そもそも立珂を追い詰めたのは護栄だ。言葉で傷つけ立珂を理解しない職員をあてがい、立珂を愛してくれる人を遠ざけようとした。
 けれど今立珂を助けてくれたのも護栄で、手当してくれたのも護栄が指示を出していた医師だ。

(……悪い人じゃないのかな……)

 思い返せば護栄は常に天藍のことを想っていた。
 その言葉は立珂を傷つけるものだったけれど、立珂自信を憎いだの疎ましいだのとは言っていなかった。ただ天藍に見合う存在であれという強い信念だったのだ。
 立珂はぐりぐりと首に頬を摺り寄せ、薄珂のにおいをくんくんと嗅いでいる。もう落ち着いてきているようだった。護栄の用意した医師がいなかったら血のにおいが原因だなどと気付くこともできず、こんなすぐに落ち着くことはなかったろう。
 護栄はどこにいるのだろう、そう思ったときにばたばたと数名が医務局へ駆け込んできた。芳明と孔雀、慶都一家、そして彩寧と美星だ。
 宮廷の医師は芳明と目を合せるこくりと頷いた。立珂を不安にさせないためにだろうか、無言のまま身振り手振りで立珂の状態を伝えてくれている。
 さらに芳明は慶真を振り返り大きく頷き、慶真は薄珂の足元に膝をついた。

「殿下のお許しが出ました。二人とも宮廷を出て芳明先生の診療所に住まわせて頂きなさい」
「いいの!?」
「立珂くんの快癒が最優先です」
「立珂。先生が家においでって。どうだ? 良いか?」
「……薄珂といっしょじゃなきゃやだ……」
「俺は一緒に決まってるだろ」
「じゃあいく……」
「ああ! お気に入りの服持ってこうな」

 立珂はやったぁと小さく呟いた。一刻も早く向かおうと立ち上がると、彩寧と美星がすすっと前に出て来る。

「こちらが立珂様お気に入りの一式でございます」
「もう用意してくれたの!?」
「先日いつでも持ち出せる用意をしておけと殿下からご指示頂きました」
「そう、なの……」

 有難うと言うべきところだ、と薄珂は分かっている。けれど顔は俯き前を向いてくれなかった。

「芳明先生。立珂様の今の状態で化粧をして差し上げても問題ございませんか?」
「においがしなけりゃ大丈夫だが、今それどころじゃなかろう」
「立珂様はだらしがないのを厭われるのです。こんな時だからこそ私共で身嗜みを整えて差し上げなくては」
「美星は立珂様にお供なさい。立珂様のお好きな紅梅色の頬紅で顔色を整えて差し上げなさい」
「承知致しました」

 美星は服と化粧品が揃った箱を抱え、立珂の顔を覗き込みにこりと微笑んだ。

「いつでも綺麗な立珂様ですからね。安心してお休みください」
「えへへ……うん……ありがとー……」

 そうして薄珂は立珂を抱き芳明の診療所へ向かった。
 慶真と孔雀は天藍に報告をするため宮廷に残ると言ったが、慶都と慶都の母は立珂に着いてきてくれた。美星も同行してくたことは目を覚ます楽しみとなり、立珂はすっかり安心して眠りについた。
 芳明の診療所に着くと、既に立珂が休むための支度をしてくれていた。慶都が先回りしてくれたのですっかり準備が整っている。

「立珂ちゃんが怪我したって!」
「明恭のお姫様がやったんだと。なんて奴だ」
「ちょいと! そんな話してないで寝台を整えな!」

 寝台には大きくてふかふかの枕がいくつも敷き詰められていて、立珂を抱きながら座るにはぴったりだ。

「薄珂はそのままだよ。ほんで慶都、こっちへおいで」

 芳明は慶都に浅黄色の団扇を握らせ立珂の羽根の前に座らせた。軽く扇ぐと立珂の羽根がふわんふわんと揺れる。

「優しく扇いでおやり。羽の内に熱とにおいが籠らないよう掻き回しながらだ」
「分かった! 立珂、ちょっとの間だけ羽触るからな。気持ち悪かったら言うんだぞ」
「うん……」

 慶都はそうっと立珂の羽に手を差し込み、やわやわと掻き回した。風が通って気持ちが良いのか慶都が頑張ってくれることが嬉しいのか、立珂はふふふと微笑んだ。
 立珂はいつだってこの愛らしい微笑みを向けてくれていた。その笑顔が今は弱々しい。

(もっと早くに宮廷から出てれば……)

 何よりも守らなければいけないのは立珂自身なのに、契約なんかを気にして留まった自分が愚かで許せなかった。天藍なら悪いようにはしないというのなら、とにかく宮廷を出て後はどうにかしてもらえばよかったのだ。
 悔しさに耐え切れず唇を強く噛んだが、止めろとばかりに芳明にむにっと頬を引っ張られた。見ると芳明は手に一枚の紙を持っている。

『怪我を負った驚きで羽がくすむ場合があります。不安は口に出さず笑顔で安心させてあげてください』

 それは医務局員が書いた筆談の紙だった。
 これはついさっきのことで、護栄にも優先すべきは立珂を守ることだと言われたばかりだ。それなのにまた自分の感情に振り回されていたことにようやく気付いた。
 薄珂は芳明と顔を見合わせ頷き、よしよしと立珂の頭を撫でる。

「怪我は大したことないってさ。もう血も止まってる」
「ほんと……?」
「ああ。傷も残らないから腕を出しても大丈夫だ。今度袖の無い服作るんだよな」
「うん……おそろいで作ろうねえ……」
「もちろんだ。また色選んでくれよ。立珂は黄色か?」
「ん……薄珂は……みどり色も似合うと……思うの……」

 立珂はくふくふと笑いながら語り、次第に目を閉じた。
 羽は前よりも濁ってしまい不安になったが、周りでみんなが立珂を愛しく思ってくれているのが心強かった。
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