第九話 動き出した未来

文字数 2,869文字

 扉の開く重たい音が止み、しばらくするとばたばたと足音が聞こえ始めた。
 それと同時に人が押し寄せ立ち並ぶ店に入っていく。

「人いっぱい。お仕事お休みなのかな」
「どうなんだろうな」

 入れるのは宮廷職員と一握りの富裕層というからには、およそ客は職員なのだろうと薄珂は思っていた。
 しかし規定服を着ているのはそれこそほんの一握り。
 誰もが高級そうな私服を着ている。

(どういう客層なんだここ)

 薄珂はぐっと眉間にしわを寄せたが、同時に立珂がきゅっと指先を握ってきた。
 見るとしょんぼりと悲しそうな顔をしている。

「誰も見てくれないね……」
「あ、凄いぞ。立珂は今勉強したんだ。『今のままじゃ見てもらえない』って経験を手に入れた」
「う?」
「これじゃ駄目って分かったよな。じゃあ明日は何かを変えてみよう。興味を持ってもらえる何かを」
「何か……」
「しょんぼりしてる暇はないぞ。失敗した経験を明日に活かすんだ」
「……うん!」

 立珂はかっと目を見開いて、ぐりんと他の店に目を向けた。
 どんどん客が入っていく店やまばらにしか入店のない店、そして客が全く来ない自分の店。
 きょろきょろと見回してうんうん唸っている。
 今までは楽しくはしゃぐ姿ばかりだったが、必死に勉強する姿は立珂の成長が見て取れて感慨深い。

(でもこれは想定内だ。そろそろ――……)

 薄珂は瑠璃宮の入場扉がある方へ視線を向けきょろきょろした。
 しかしその時、立珂にぐいっと手を引かれる。

「薄珂! あれ!」
「ん? あ」
「立珂様!」
「美星さーん!」
「二人とも頑張ってるか」
「響玄先生! 来てくれたの!」
「当然。お前達の晴れ舞台だからな」
「わっ」

 立珂はぴょんと美星に抱きつき、響玄はわしゃわしゃと薄珂の頭を撫でまわした。
 今日から出店開始であることはもちろん二人には報告をしている。
 見知った顔の来店に立珂は緊張がほぐれたのか、すっかりいつもの笑顔だ。
 しかし美星は露骨なくらい紅蘭に背を向けていた。まるで立珂を紅蘭から遠ざけたいような素振りで、いささか失礼に思えた。失礼さを表に出すのは美星にしては珍しい。
 何かあったのか声を掛けようとしたが、薄珂よりも早く美星に抱き着いた人物がいた。

「久しぶりだねえ、美星!」
「放して下さい! 穢れます!」
「おやおや。なんて言い草だ。ひどいもんだよ」
「あなたに優しくする義理はありません」

 抱き着いたのは紅蘭だ。よしよしと頭を撫でていたが、その手は払われ美星はつんっと顔を背けた。
 前面に不愉快さを押し出している。

「えっと、知り合い?」
「違います」
「そうだよ」

 真逆なことを言い嫌悪を示すこの態度は、護栄の時と既視感を覚える。
 一体どういう関係なのかじっと二人を見るが、紅蘭はにやりと笑い咳ばらいをした。

「改めて挨拶しよう。あたしが美星の母親だ!!」
「「え!?」」

 美星はげんなりと肩を落とし、立珂は無言で二人の顔を見比べている。
 薄珂も二人を見比べるが、そうか、とようやく合点がいった。

「そうだ。誰かに似てると思った。美星さんだ」
「止めて下さい! こんな人と似てるなんて!」
「は~。ひどい娘だよ」
「どっちがですか! 立珂様! こんな人の傍にいてはいけませんわ。それよりもお客様を見なくては!」
「う、う」
「明日からは私もお手伝いしますからね! さあさあ!」

 美星は立珂を抱き上げすたすたと店内へと入って行った。
 あまりの態度に薄珂はぽかんと口を開け、当の紅蘭は笑っている。

「相変わらず元気な娘だ」
「あの、育ての親じゃなくて本当の?」
「そうだよ。似てるのは家族って言ったのお前だろう」
「けどあんな美星さん初めてだよ。仲悪いの?」
「良くはないな。あたしはあの子を捨てたからね」
「えっ」

 衝撃的な言葉がさらりと出てきて、薄珂は思わずびくりと震えた。
 けれど紅蘭はくすくすと笑うだけでそれ以上は何も言わず、響玄の肩をばしっと叩いた。

(あ、そっか。美星さんのお母さんてことは先生の奥さんだ。奥さん……)

 薄珂はじいっと紅蘭を見つめた。

(……なんか納得いかない)

 響玄親子の過去は知らないが、なんとなく響玄の妻で美星の母なら清楚で上品な女性だろうと想像していた。
 響玄と美星は仲の良い親子で二人とも品があり、いかにも高級店を営むにふさわしい。
 きっと家族全員そうなのだろうと思っていたが、薄珂の期待は大きく裏切られてしまった。

「何か言いたげだね薄珂」
「あ、いえ、別に」
「ふんっ。いいさいいさ。それより響玄。あんた本当に有翼人保護区作るのかい?」
「もう着手している。薄珂と立珂のおかげで現実的な話になったんだ」
「儲かりそうだね」
「それはそれこれはこれ」

 わはは、と響玄は気分良さそうに笑った。対等に話す二人は夫婦というより仕事相手のようにも見える。
 それに家族ならば一緒に暮らしていても良いだろうが、響玄と美星は二人暮らしだ。
 何か深い事情がありそうで想像を膨らませていると、こんっと紅蘭に小突かれた。

「薄珂。響玄が保護区作りで得るものは何だと思う?」
「え? 名声」
「……お前は何でもかんでも即答するね。何でそう思う」
「だって建築費は宮廷の予算だよ。公共施設である以上は先生個人にお金の利益は発生しない」
「他にもあるだろ。どうして名声なんだ」
「利益が未来にあるからだよ。天藍が注目されるのは全種族平等っていう理想を実行してるからだ。その理想を叶える有翼人保護区作りを率いたとなれば、先生の価値は国家規模に伸し上がる。つまり、他国の偉い人を顧客にできる名声が手に入る。その名声が利益を生む」
「どうだい、響玄」
「その通り」

 ははは、と響玄は大きく笑い薄珂の肩を抱いた。
 頭の良い子だろうと自慢してくれるが、目先の利に流されるなというのは響玄に学んだことだ。
 薄珂にとっては教えを語っただけで、まるで自分の手柄のようになるのは気が引けた。
 それでも嬉しそうにしてくれるのは嬉しかったし誇らしくもある。けれど紅蘭はふんっと鼻息荒く肩をすくめた。

「だが薄珂、お前は有翼人保護区なんてどうでもいいだろう。何故関わる」
「そんなことないよ。立珂が望むものだから大事だ」
「大事なのは立珂で保護区じゃないってことだろ? だが立珂のためにやるべきことは本当に保護区作りかい?」
「だって有翼人を助けるのは保護区以外の方法なんてないよ」
「おーっと! その回答は不正解だ!」
「え?」

 急に大声をあげられ、薄珂はびくりと身体を震わせた。
 その声は他の店にも聞こえたようで、皆がこちらに振り向いてしまった。

「紅蘭さん、声大き」
「お前は選択を間違え始めてるぞ」
「え? 選択?」
「未来は立珂だけのものじゃない。お前にもあるんだ。望む未来を手に入れるための選択」
「そんなの立珂と一緒にいることだ。間違ってない」
「そうだね。だが」

 紅蘭はぺたりと薄珂の頬に手を当てた。
 そして何か告げようとしたが、その時急にあたりがざわつき始めた。
 一斉に道を開け頭を下げている。

「おお、あれは」

 視線の先にいたのは、見慣れた人物だった。
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