最終話 未来の始まり

文字数 2,997文字

 翌日、予防接種を受けると薄珂は熱を出した。飲み薬も処方されたが三日ほど発熱が続き、孔雀が言うには体調が整ってきているところだという。しかし難しい話は分からなくて、立珂は泣きながら傍にいてくれた。四日目になると起きれるようになり、五日目には普通に食事ができるようになった。
 そして六日目になった今日、ようやく寝台から降り立珂を抱っこして歩けるくらい元通りになった。そして初めて自分達のいる場所が蛍宮宮廷である事を認識し、皇太子の来賓という扱いで招かれていると聞かされた。それがどれほどの出来事かは分からなかった。しかし立珂が寝るのを惜しむくらいたくさんの高級生地を与えてくれて、それは凄まじい権力が働いているのを感じた。
「ぱんぱかぱーん!」
「可愛いぞ立珂! 今日も立珂が一番可愛い!」
「立珂! 俺も今度お揃い作ってくれ!」
「駄目だ! お揃いは俺だけ!」
「何でだよ! 決めるのは立珂だ!」
 有り余る生地で立珂は次々に服を作った。腸詰も色んな種類を揃えてくれて、立珂の笑顔はどんどん輝きを増していった。
 めいっぱい遊んでお腹が膨れたら慶都と一緒にお昼寝だ。白那の子守歌で心地良く眠る様子は平和そのもので、ぷうぷう眠る立珂に見惚れているとこつんと後頭部を突かれた。
「具合はもういいのか」
「天藍。おじさんも」
「立珂は寝てるのか。じゃあちょうどいい」
「何が?」
「お前達の父君についてだ。座れ」
 天藍は椅子に腰かけると、こっちに来るようにと机をとんっと突いた。
 あれから、事情を伝えると天藍は離れ離れになった父親が蛍宮へ来ているかどうか探してくれていた。入国してくる者は多いようだったが全て記録されているという。
「人間で名は『薄立』だったな」
「う、うん」
「残念だが入国履歴には無かった。似顔絵とも照合してもらったが該当する者はいない」
「……そう」
 薄珂の胸にずきりと痛みが走った。きっともう諦めなくてはいけないことは分かっていた。それでも薄珂よりも充実した調査と捜索ができる天藍に一縷の望みを抱いていたが、告げられた言葉は想像と同じだった。自然と頭は項垂れていったが、慰めてくれるかのように天藍は頭を撫でてくれた。
「いずれ羽付き狩りの調査で東に遠征する。望むならお前達の森も調べてくるがどうだ」
「……うん。お願い」
「分かった。どんな結果であれ必ず報告しよう」
「ん……」
 どんな結果でも。それは遺体が見つかるかもしれないという意味でもある。知りたいような、希望が完全に潰えるのなら知りたくないような、そんな思いが渦巻いた。それを感じ取ったのだろう、慶真はそっと抱きしめてくれた。育ててくれた父の腕とは違うけれど、自分の息子と同じように守ってくれたその腕はとても暖かい。
「それで、お前達これからどうするつもりだ」
「俺は蛍宮に移住したいと思ってる。でも立珂は慶都と離れたくないだろうし……」
 立珂を見ると慶都と並んで昼寝をしている。今までなら立珂がお昼寝するのは薄珂の腕の中だった。膝枕をしながらとんとんと背を叩いてやれば数秒で眠りにつき、腸詰と間違えて薄珂の指にしゃぶりつく。けれど今は慶都の指を咥えてにまにまと笑っている。新しい腸詰を手に入れた夢でも見ているのかもしれない。至福の時間を奪われたけれど、立珂が新しい幸せをまた一つ手に入れたのならそれを手放したくはない。けれど里にいればまた同じような事があるかもしれない。それは立珂のせいではなく薄珂が公佗児だからだ。だからといって慶都一家に立珂を預け自分だけ蛍宮へ移るなんてできるはずもない。
 どうしたらよいか答えは出せなかったが、助けるように慶真が手を握ってくれた。
「薄珂君。私達も蛍宮へ移住しようと思っています」
「え!?」
「正しくは慶真の復職だ。元々宮廷の軍人なんだよ」
「ぐ、軍人? そうなの?」
「はい。里の警備を条件に離籍させてもらいましたが、長老様が里全員で移住をするおつもりのようでお役御免になったんです」
「どれだけ危険か分かっただろうからな」
「じゃあ慶都も」
「蛍宮に移住します」
 薄珂は自然と笑顔になった。それなら立珂は慶都と離れることは無いし、蛍宮で腸詰とお洒落を楽しむことができる。何よりも安全で、今までのように命を狙われ行き場を無くすようなこともない。
 嬉しくて立珂を抱きしめに行こうと思ったが、止めるように天藍がとんとんと机を叩いた。
「そこで提案がある。お前達全員で宮廷に住まないか」
「え?」
「薄珂も分かってると思うが宮廷は羽根が欲しい」
「ああ、うん。明恭だよね」
「そうだ。もし立珂の抜け羽根を納品してくれるならお前達の生活は俺が保証する」
「家も食事も、ってこと?」
「服も警備も何でもだ。羽根さえくれたら見合う全てを用意しよう」
 できすぎた話に気圧され、確かめるように慶真を見るとにこりと微笑んでいる。白那を見れば彼女も同じように微笑んで、こくりと小さく頷いてくれた。すると、話し声で起きたのか腸詰が食べられなくて起きたのか、立珂がもそりと身を起こした。羽が軽くなったから今では寝返りも起き上がるのも自由自在だ。
 薄珂は幸せに囲まれている立珂を抱き寄せると、寝ぼけた立珂は薄珂の指にしゃぶりついた。いつもの腸詰を見つけて食べる夢をみているのだろう。ぽんっと指を引き抜くと、立珂はびくりと驚き目をぱちりと開けた。
「……腸詰は?」
「夜いっぱい食べような。それより相談したいことがあるんだ」
「なあに?」
「あのな、慶都はおじさんとおばさんと一緒に宮廷へ引っ越すんだって」
「う!?」
「天藍が俺達も宮廷に置いてくれるってさ。俺は凄く良いと思う。腸詰も買えるしお洒落もできる。ただ立珂の抜けた羽根をあげなきゃいけないんだ」
「う? それでいいの? そしたら慶都とずっといっしょ?」
「ああ。立珂が嫌じゃなければだけど」
「いいよ! あげる! 慶都といっしょがいい!」
「……そっか」
 立珂はまだ眠っている慶都を揺すり、いっしょ、いっしょ、と繰り返している。大好物の腸詰よりも夢中になれるお洒落よりも慶都と過ごすことが何よりも嬉しいようだった。そして薄珂にとっても嬉しいことがもう一つある。
(宮廷には天藍がいる。宮廷にいればこれからも会える……)
 皇太子というのがどんな立場でどれほど偉いのか、薄珂にはまだよく分からない。軽率に傍にいることを願って良いのかは分からない。そう思えば慶都のように傍にいたいと叫ぶ勇気は持てなかった。くっと拳を強く握ったが、その手を天藍が握りしめた。
「薄珂。俺が里に行ったのは皇太子としてやることがあったからだ。だがお前にしたこと、告げたことに偽りはない」
 薄珂の世界が変わったのは天藍が来てからだ。天藍が来なければ金剛を信じ続け、いずれ売り飛ばされ立珂と離れ離れになっていただろう。全てを繋いでくれたのは天藍だ。
「一緒に暮らそう。今度こそ俺に守らせてくれ」
「……うん」
 薄珂はじわっと涙を浮かべ、立珂を慶都の傍に置いて差し伸べられた手を取った。



「そういや『天藍』って偽名? 晧月って呼んだ方がいい?」
「……お前本当にどうでもよかったんだな」
「え? 何が?」
「ったく。晧月は皇太子が対外的に使う別名のようなもので呼び名じゃない。天藍が俺本来の名だ。ここらじゃ『てぃえんらん』って読みだったか」
「ふうん。じゃあ天藍(てんらん)で」
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