第十三話 護栄の解けない謎

文字数 4,283文字

 蛍宮で護栄の名前を知らない者はいない。
 悪政を敷く先代皇を打倒する解放戦争をわずか三日で終結させたのが当時十八歳の護栄だったからだ。

 しかし三日というのは「蛍宮国内でことを起こした期間」であり、三日で終わらせるための下準備には年月がかかっている。
 護栄が天藍と出会ったのは十五歳の時で、そこから約三年間行動を共にし蛍宮解放戦争へと至った。
 その間にやったのは多くの権力者と縁を得ることで、軍事的協力はもちろん戦後の国内平定に物資の支援などに力を借りるためだ。
 その中には世界に名の知れた鷹獣人慶真に蛍宮最大の取引先である明恭、蛍宮の流通を握っている響玄、宮廷侍女を率いる莉雹、そして瑠璃宮の支配者紅蘭。その他にも天藍の治世に必要となるであろう顔ぶれを味方につけて回った。
 この人脈を得るのに三年ずっとではないが、一年はかかっている。

 だがその人脈をわずか数日で全て手にした少年が現れた。

「いらっしゃいましー!」
「いらっしゃいま『せ』は言えないですか」
「いらっしゃいまてぇ」
「まあ可愛いから良いでしょう」
「ごめんね、忙しいのに無理言って」
「いいえ。あなた方と過ごす時間は有意義ですから」

 護栄は薄珂と立珂の家へ泊りに来ていた。
 この二人こそ、護栄の一年を数日で手にした少年だ。
 
(相変わらず無邪気なものだ。私にどんな仕打ちをされたか忘れたわけではないだろうに)

 今でこそ和解しているが、この国で最初に立珂を死に繋がる病へ陥れたのは護栄だ。
 だが立珂は「もう嫌なこと言わないでね」の一言で締めくくり、暴言暴挙を浴びせた愛憐姫まで許し友人となった。
 その優しさに胸を打たれたが、驚いたのはその間に薄珂が響玄を後ろ盾にしていたことだった。立て続けに明恭の麗亜皇子に護栄の師とも呼べる莉雹までもが薄珂を認めた。
 どれも立珂の愛嬌と愛情で始まるが、それに関する権力者を薄珂は必ず捕まえているのだ。
 しかも蛍宮にへ来る前に慶真と孔雀までもが味方に付いている。
 そして何より、天藍と伴侶契約をするという絶対的な絆も手に入れている。

(きっと『天一有翼人店』の経営でも薄珂殿は何かをするだろう)

 護栄は知りたかった。
 護栄の一年を数日で成す薄珂の脳内がどうなっているのか、護栄にはどうしても分からない。
 だから薄珂と立珂の頼みは断らないようにしている。今日も二人に頼まれたのでやって来た。

「さて。ご要望通り私服で来ましたよ」

 今日の護栄は私服だ。
 立珂が成人男性の好む服装や使い分けを知りたいというので何着か持ってきている。
 今着ているのはすっきりとした服で、宮廷の規定服よりも少し簡素という雰囲気だ。

「護栄様ってかんじ」
「なんですそれは」
「きちんとしてるの。しゃきっ!」

 立珂は大きな目をぱちくりさせ、自分の服と見比べようときょろきょろ首を動かしている。
 護栄は小動物を愛玩する趣味はないし子供は苦手だが、一生懸命な立珂を見ると心が和む。

(この姿を見ると手を貸してやりたくなる。これが立珂殿の武器)

 今回招かれたのは、売れ残った男性物対策のためだ。
 だが、最初から響玄が助言していれば売れ残りなど無かっただろう。むしろ『天一』という響玄の店名を冠する以上、助言をし適切な販売をするのが筋だ。
 しかしそれでは二人が自力で成長することができなくなる。つまり響玄は売上より二人の成長を選んだのだ。

(それも薄珂殿の才を見込んでのこと。この子は本当に頭が良い)

 しかしそんな薄珂も今は頑張る立珂を応援する兄の顔をしてる。
 それを見ていると幸せな気分になり、護栄もつい立珂の頭を撫でてしまった。
 すると、あっ、と立珂は何かに気付いてぴょんっと飛び上がった。

「わかった! 生地だ!」
「何がです?」
「きちんとしてる理由! きちんとした生地なの!」

 立珂は棚から幾つかの布の束を取り出した。全て生地別になっている、いわゆる生地見本というやつだ。
 慣れた手つきでぱらぱらとめくっていく姿は職人のようだ。
 少し前まで薄珂に抱っこされていたのに、今日は薄珂に「この前作った服出して」と指示を出す姿は成長を感じる。
 薄珂もでれでれとして嬉しそうだ。

「どっちも菫色だけど、右のは無地だし軽いから装飾品がないとつまらないよね。でも左のは地模様がある起毛生地だからこれだけで見栄えが良いの。護栄様のはそういうのなんだ。生地だけできちんとしてるの」
「そういや美星さんが装飾品は邪魔になるって言ってたっけ」
「でもこういう生地は高いんだ。いつもの生地は腸詰五十個分くらいだけどこれは腸詰が百個以上買えるの」
「……倍は違うということですね?」
「うん。だから良い服って高くなるんだ。それに糸も違う。こんな細くてつやつやしたの初めて見た。いいな。これ使いたい。けどもっと高くなるよねえ。いくらがいいんだろ。高いと買いたくないよねえ」

 立珂はうんうんと唸り、ぷっと口を尖らせている。
 どうしたらいいんだろうなと薄珂も一緒に悩んでる風だが、穏やかに微笑んでいるのを見るに答えは分かっているんだろう。立珂が自ら気付き成長するのを助けてやっているのだ。
 ならば自分は二人が知らない何かで助言を――と思ってしまうのがこの二人の凄いところだ。

「そんなことはありません。中には高額なものしか買わない人もいます」
「えっ、質より金額ってこと?」
「そうです。どうして高級な服を着ると思いますか?」
「どうして? 欲しいから?」
「何故欲しいと思うのか、です。実は自宅で一人の時はもっと軽装なんですが、外に出る時は今着ている程度にきちんとした服を着ます。何故だと思いますか?」
「う?」

 立珂はこてんと首を傾げた。それと同時に羽がふわふわと揺れ、その全てが愛らしい。
 それに絆されるのは悔しくて、誤魔化すように襟元をただして一歩下がってみせた。

「殿下と歩く時はこうしてお傍に立ちます。その時殿下に恥をかかせてはいけません。私が貧相では『皇太子はみすぼらしい従者しかいない』と悪評が立つんです」
「あ! 礼儀だ!」
「そう。『天一有翼人店』の区画はもっと格式高い服でないといけないでしょうね。着易さより見栄えです」
「でも着易くないと疲れちゃうよ」
「ですが賓客に対面するのは数時間か、長くても一日。そんな短時間は多少疲れる服で構いません」
「んにゃ……」

 立珂は自らが最も大事にする『着易さ』を否定されしょんぼりとしてしまったが、すかさず薄珂がぎゅっと抱きしめた。

「次は売り場を変えてもらうってのはどうだ? 立珂がやりたい『着易いお洒落着』が必要な売り場。格式高い服は立珂が理解できてから挑戦すればいい」
「……そうだよね。まだ有翼人用の肌着を知らない人いるものね。そうだね。そうする! 次がんばる!」
「ああ。凄いな立珂は。できることがどんどん増えていく」
「薄珂が僕をしあわせにしてくれるからだよ! だから有翼人をしあわせにする服が分かるんだ!」
「俺は立珂を幸せしたいだけだよ。それを有翼人全体に広げられるのは護栄様の力だ」
「え?」

 じゃれあう兄弟の幸せそうな姿を眺めていたが、突然名前が出て護栄は思わずびくっと震えた。

「私は何もしてませんよ」
「そんなことないよ。護栄様が『りっかのおみせ』をやらせてくれて、紅蘭さんを紹介してくれたから瑠璃宮に出店できた。だから有翼人も幸せになるんだ」
「そうだよね。護栄様! いっぱいいっぱい有難う!」
「……いえ、そんな」

 護栄の脳裏に思い浮かんだのは、規定服の商談をした際に虚を突かれ驚いた莉雹の姿だった。
 莉雹は自らの意思で規定服の改定に臨んだつもりだったが、実際は薄珂に誘導された気がすると言っていた。
 しかしそれは説得されたわけではない。

『護栄様は簡単にできることじゃなくて、難しくてもやらなきゃいけない事をやる人だと思う』

 薄珂のこの一言が莉雹を奮い立たせたのだという。
 護栄にしてみれば、人と競う難しさを知らない無垢さゆえの戯言だ。同じことを言う者はいくらでもいるだろう。
 けれど莉雹は心を動かされた。

(薄珂殿は情報を出す順番が適切だ。だから無価値なものに価値が出るし、私も常にそれを意識している)

 護栄にとって勝利とはいかに正しく計算するかだ。
 それは商売の売上だけじゃない。何を言えばどれだけ人の心を動かせるかを測り、時には心にもない感謝の言葉をかけたりもする。
 可視化できないものはない。目に見えないものでも可視化するのが自分の武器だと護栄は信じて来た。だから十年近くも天藍の傍にいられるのだと。

(私と同じことをする。十八年森で生き文字の読み書きもままならないこの子が)

 護栄には分からなかった。
 感情のままに弟を溺愛して生きて来た子供が何故自分と同じことができるのか。

(私は感情のままに生きて守れたものは何もなかった。失ったものの方が多い)

 感情のままに生きたいと思ったことがあったかどうかすら、護栄の記憶にはない。
 護栄は薄珂と立珂の頭を撫で膝をついた。

「今日は相談があるんです」
「なあに?」
「しばらく私を『天一有翼人店』の従業員として雇ってくれませんか」
「「え!?」」

 想像すらしていなかったのだろう。
 薄珂は面食らっているが、ためらいもせず両手を上げて喜んでくれたのは立珂だった。

「護栄様が毎日一緒なの!? やったあ!」
「こら、立珂」

 立珂は護栄に抱きつき満面の笑みで歓迎してくれた。
 その笑顔は愛らしく、ついつい頭を撫でてしまう。

(愛される子だ。私はこうはなれない)

 薄珂は立珂を大人しくさせようとするが、立珂はひたすら嬉しそうにしてぐりぐりと頬ずりをしてくれる。
 幸せを得に描いたような笑顔に思わず笑みがこぼれた。

「営業に私の名を使って構いません。そうすれば新しい客層も手に入るでしょう」
「有難いけど、本当にいいの?」
「ええ。立珂殿も喜んでくれているようですし」
「うん! 嬉しい! 一緒に頑張ろうねえ!」

 しかし薄珂はまだ困惑している。
 けれど立珂が嬉しそうにはしゃいでいるのだからこれはもう決定だ。

(この子らは二人で一つ。立珂殿が愛嬌で人を惹き付け、それを有翼人保護区という形にした薄珂殿)

 護栄には分からなかった。
 薄珂と立珂がどう生きてきて何故評価を得たかは分かっても、それを作った偶然が必然ではないと言い切れない。

(知りたい。この子らが新境地で何考えるのか)

 薄珂はまだいいのかな、本当に、と悩んでいる。
 護栄は立珂を片手で抱き上げ、もう片方の手で薄珂の髪を撫でた。

「いつぞやの恩を返しますよ」
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