第十九話 立珂仲直りをする

文字数 4,583文字

 服飾店『蒼玉』。
 それは、宮廷御用達であり先代皇が個人的にも愛用していた銘柄である。
 生まれる服は宝石のように輝いて、美しいその店名は蛍宮を彩る宝石の一つであるとも謳われた老舗だ。
 だがそれも質素倹約の護栄率いる宮廷には不要となり、取って代わったのが『りっかのおみせ』だ。
 そして『りっかのおみせ』の服をめちゃくちゃにしたのは『蒼玉』の一人娘だった。

「じゃあ君は先代皇派?」
「違うわ! 蒼玉の娘よ!」
「あ、ご、ごめん」

 現行犯で縛られているにも関わらず、少女は凄まじい勢いで噛みついてきた。
 この状況でも屈しない姿勢にたじろぐ薄珂を支えたのは響玄だ。

「蒼玉は私服ではなく各職業に適した服を得意とする。業種は問わず、たしか劇団の衣装も手掛けたはずだ」
「劇団? あ、もしかして蓮花さんが着てた服かな」
「そうよ! 主演女優にのみ許される伝統の衣装! それがどうして……!」

 少女はぎろりと立珂を睨みつけた。
 蓮花を始め、劇団の衣装は立珂が手掛けたものに変わっている。『蒼玉』は宮廷御用達という看板のみならず、最大の広告塔も奪われたのだ。
 薄珂は立珂を守らなくてはと抱き上げようとしたが、その手が届く前に立珂は少女へ一歩近づいた。

「あなたのお名前なんてーの? 僕は立珂だよ。あっちはお兄ちゃんの薄珂」

 立珂は少女の顔を覗き込んだが、少女は何も答えず目を逸らした。

「何であんなことしたの?」
「は!? 考えなくても分かるでしょ! 蒼玉の娘なのよ私は!」
「君の気持ちは君にしか分からないよ。だから教えて。何であんなことしたの?」

 それでも少女は答えず、ふんっと立珂から目を背けた。
 薄珂も口を出そうかと思ったが、その時、立珂は少女から離れてくるっと回り服を見せた。
 冬になるまでの短い間、暑さ寒さに対応できるようにと侍女が工夫を凝らしてくれた最新の一着だ。

「素敵でしょう。侍女のみんなが作ってくれたんだ。『りっかのおみせ』の服もだよ。愛情いっぱいなんだ。だからね」

 立珂は眉を吊り上げぎろりと少女を睨みつけた。

「みんなの愛情をめちゃくちゃにした君は絶対に許さない!」

 少女を含め、その場にいた全員がびくりと震えて固まった。
 敵意を顕わに大声で叫ぶ立珂を見たのは薄珂ですら初めてだった。
 全員が呆然としたが、すぐに立珂はしょんぼりと肩を落とす。

「……けど理由もなくこんな事すると思えないんだ」

 立珂はとととっと少女の横に腰を下ろす。
 そして縛り上げている手の縄を解き、赤く痕のついた手首をそっと撫でた。

「まずはお話しようよ。お名前教えて。僕立珂だよ」

 立珂はにこりと微笑みかけた。
 だがそれでも少女は立珂から顔を背けてしまったが、代わりに答えたのは美星だ。

「美月(めいゆぇ)。蒼玉の看板娘、美月さんです」
「美星さん知ってるの?」
「『瑠璃宮職員は美しく舞う月のようであれ』。これは先代皇が彼女のことを謳った言葉」
「え!?」
「彼女の接客は子供とは思えぬほど華やかで上品。劇団さながらの愉快な接客は先代皇も虜にした。先代皇時代の『蒼玉』は彼女なしには語れない」
「すごいんだ」
「侍女は皆知る逸話です。私は名が似ていることが嬉しかった……」
「う? 『みほし』さんは似てないよ?」
「私の名前は『めいしん』とも読むんですよ。土地により変わるんです」

 美星は紙に『美星(めいしん)』と自らの名前を書き、その隣に『美月(めいゆぇ)』と書いた。まるで双子のようだ。

「めいゆえ、めいゆ、ゆ、え」
「ゆぇ、だ」
「ゆえ?」
「ゆぇ」
「いえ」

 立珂はうまく発音ができず、繰り返すうちに舌を噛んでしまう。
 とても犯人と被害者には見えず、当の美月も呆れてため息を吐いた。

「『みつき』でいいわよ」
「ん! 美月ちゃんはどうしてあんな事したの?」
「……あなたのせいでうちは酷い目に遭ってるのよ」
「う?」
「これを覚えてる?」

 美月が鞄から取り出したのは立珂が改定する前の規定服だ。
 生地はやけにきらきらと輝き目にうるさい。だが華美で派手を好んだ先代皇はこれを絶賛していたらしい。

「これは先代皇陛下の時代にお父さんが作ったのよ。でもあなたが規定服を変えたせいで、蒼玉は着る人間のことを考えてないだの古臭いだの手のひらを返されて!」

 美月は震えながら廃止された規定服を抱きしめた。
 悔しさに唇を噛み、じわじわと血が出ている。どうして、どうして、と小さく零しながらぼたぼたと涙を流す。
 薄珂は手を差し伸べようとしたが、ふと思いたち手を止めた。

(……そうか。これが『人を狂わせる』か)

 立珂が規定服を変えたのは誇るべき事だ。そのおかげで宮廷で働く有翼人も増えた。
 けれど代わりに蒼玉は名声を失い、だから美月は暴挙に出た。
 これが薄珂と立珂の作り出した犠牲だ。

「しかも瑠璃宮の一等地に出店ですって!? あんな安っぽい服で瑠璃宮を貶めるなんてありえないわ!」
「……まさか在庫を盗んだのは君?」
「そうよ。私は蒼玉の販売員。出入りできるの」

 ざまあみなさい、という声が聴こえてきそうな顔だった。
 先代皇派の仕業ではないのなら、瑠璃宮に出入り自由でいても不自然じゃない者が犯人だ。
 蒼玉も出店しているのなら、美月がいることは誰も疑問に思わないだろう。
 美月の涙に玲章は気まずそうな顔をしていた。響玄までもが言葉を選び困り果てている。

(人を狂わせる覚悟……)

 薄珂は迷わない。
 立珂を守り幸せにするためならば犠牲が出ても向かっていくと決めたのだ。
 裁判に立たせる必要があるのならそれも仕方がない。護栄が戻るまで美月を謹慎させなくては――そう決め美月の手を掴もうとした。
 しかし、それを遮るように立珂が薄珂の前に立った。

「立珂?」

 立珂は薄珂の手を退けて、再び美月の手を握った。

「僕のせいでお客さん来なくなったから僕にも同じことしようと思ったの?」
「そうよ」
「けど『蒼玉』はもっとお客さん来なくなるよ。美月ちゃんのせいだよ」
「は? 馬鹿言わないで。私はいつも全力で集客も接客もやってるわ」
「関係無いよ。だって美月ちゃんは犯罪者になったから牢屋に入るんだもん」
「……え?」

 びくりと美月が大きく震えた。
 立珂は「そうだよね」とこの場にそぐわぬ愛らしい仕草で玲章を見上げた。

「不法侵入に営業妨害に器物破損。離宮だから不敬罪も加わる。少なくとも懲役五年は覚悟した方が良い」
「ちょ、懲役……?」
「それと『蒼玉』は閉店だ。殿下へ不敬をはたらく店を続けさせるわけにはいかない」
「閉店!? そ、そんな!! そんな……」

 もう一度大きく美月の身体が揺れた。
 目はうろうろと泳いでいるが、立珂はその頬に手を添え真っ直ぐ見つめた。

「美月ちゃんも『ひどい人』だね」

 美月はかたかたと震えた。おそらくそこまで考えていなかったのだろう。
 だが護栄は情に流され罪を不問にするようなことはないだろう。それが分かっているから玲章も響玄も助け舟を出しはしない。
 薄珂も仕方ないと思ったが、しかし立珂は何故か美月を抱きしめた。

「な、なによ!」
「僕ね、前の規定服作った人がすごい人だって知ってるよ」
「え?」
「僕も侍女のみんなも服の専門家じゃないから前の規定服がずっと愛されてた理由分からなかったんだ」

 立珂はにこりと微笑むと、美月が握りしめている廃止された規定服を撫でた。

「最初にやったのは前の規定服を解いて魅力を知るところから。そこに少し手を加えたけど、元はこの規定服なの。無くなったんじゃないよ。服に歴史が増えただけなんだよ」
「そんな、そんなの詭弁よ。何とでも言えるわ」
「……そうだね。勝手に変えちゃいけなかったんだ。作った人が嫌な気持ちになるって気付かないといけなかったよね」

 立珂はしょんぼりと肩を落とした。
 泣きそうな顔をしていて美月も困惑していたが、立珂は、でもね、と急に笑顔になった。

「規定服もっと改善するの! 前はもっと動きやすかったのにーって意見があってね。でも僕宮廷で働いたことないから全然分からないの。でも美月ちゃんのお父さんはきっと知ってるよね」
「当たり前よ! 『蒼玉』は働く人のための服を作ってるんだから!」
「あ! 僕も今そういうの考えてるんだ! 有翼人が働きやすい服ってどんなのがいいと思う!?」
「私は知らないわ。お父様に聞――」

 聞いて、そう言おうとしたのだろう。
 立珂に踏みにじられた父に聞けと。そんなことはありえないだろう。
 けれど美月の父は立珂に教えられることがある。『蒼玉』は『りっかのおみせ』の犠牲になったけれど、できることもあるのだ。
 美月は強く目を瞑り、意を決したように立珂を見つめ返した。

「……お父様に教えて頂いたらいいわ。蛍宮で百年以上を生きた『蒼玉』に作れない服はないんだから」
「うん! 一緒に作ろう!」

 立珂はにっこりと微笑み、ぎゅうっと美月を抱きしめた。

「怒ってごめんね」
「……ごめんなさい。悔しかったの。あんまりにも素敵で悔しかったの!」
「そうでしょう! でもきっと美月ちゃんのお店の服も素敵なんだよね!」
「ええ。負けないくらい素敵よ」
「僕見たい! 見に行っていい?」

 立珂は今着てるのはどんな服なの、と美月の手を引きはしゃぎ始めた。
 よく見れば美月の服はどこにもない、けれど蛍宮でよく見る服にも思えた。新しくも古くも感じ、立珂はどうしてどうして、と執拗に聞いている。作り方は知らないという美月は困っているようだが、立珂はあれやこれやと質問攻めだ。
 そんな和やかな様子を見て、薄珂と玲章はこそっと耳打ちをした。

「これは暗に罪は不問にしろってことでいいか?」
「子供の喧嘩ってことでお願い」
「はいはい。しかしまあ、危なっかしいな、立珂は」

 立珂と美月はすっかり縫製談義に花を探せ、ついには侍女も巻き込んでいく。
 とても成功した者と犠牲になった者とは思えないほど、そこは笑顔にあふれている。

(これが立珂だ。全ての情に愛情で返す)

 薄珂は美月を切り捨てようと思っていた。
 立珂を害すものならば許しはしない。
 けれど立珂は許したのだ。薄珂が諦めようとしたものを立珂は諦めずつかみ取った。

(人を狂わせる覚悟。それは必ずしも犠牲を出すことじゃないんだ。求める未来に繋がる選択ができれば――)

 その時、はたと紅蘭の言葉を思い出した。

『未来は立珂だけのものじゃない。お前にもあるんだ。望む未来を手に入れるための選択』

(……そうか。選択するってのは選択肢が複数あるってことだ。護栄様は一人で選ばなきゃいけないから犠牲を覚悟する。けど俺には立珂がいる)

 立珂は無邪気に笑っている。
 この場の誰もがはらはらしているだろうが、もう立珂の敵はここにはいない。
 それは立珂の選択がもたらしたのだ。

「薄珂! 美月ちゃんのお店うちと近いよ! 行きたい!」
「り、立珂。でも、あの、それは……」

 美月は気まずそうに薄珂から目を逸らした。
 けれど立珂は大丈夫だよと美月に微笑んで、ね、と薄珂にも微笑んでくれる。
 この笑顔を一体どうして薄珂が裏切れるだろうか。
 薄珂は立珂を抱きしめ、美月に微笑んだ。

「今から行ってもいい? 俺たち専門家の知り合いいなくてさ」
「う、うん! 大歓迎よ!」
「やったあ!」

 わあい、と立珂は薄珂に飛びついた。
 この場にはもう犯罪者はいなかった。
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