第三十六話 薄珂の次なる選択

文字数 3,606文字

 有翼人保護区の試験運用が始まりひと月ほど経ち、薄珂と立珂の生活も安定を取り戻した。
 『りっかのおみせ』は美月に、『天一有翼人店』は美星に任せ、薄珂と立珂は日替わりで顔を出している。

「いらっしゃいましー!」

 今日は『りっかのおみせ』に顔を出している。
 立珂が店に立つ日は決まって行列になるので、美月は入店予約制を導入していた。しかし予約時間の合間に入店できることもあるため、それを狙う列は絶えないらしい。
 薄珂もこれはさすがに申し訳なくて待機客に声を掛けて回ったが、つんっと後頭部を突かれた。振り向くと、そこにいたのは柳だ。

「なーにしてんだ」
「柳さん。どうしたの?」
「ちゃんと見たくてね。保護区にも出店するんだろ?」
「あー……どうかなあ……」
「何だ。気乗りしないのか」
「だって立珂は店を大きくしたいわけじゃないし」
「ふうん? じゃあこの店の経営目標はなんなんだ?」
「立珂が楽しい」
「なら店でかくしないと駄目だろ。保護区ができたら類似の店が増えて客来なくなるぞ」
「え!? それは困る!」
「だろ。なら目標を数字で持て、数字で」
「お客さんの数を増やすってこと?」
「そう。そうすれば『立珂が楽しい』も保たれる。じゃあどうやって客を増やすか」
「え、えーっと……」

 薄珂は店の客を増やすためにあれこれとやったことはあまりない。
 宮廷で何かをすることの方が多く、今では美月に任せきりだ。
 立珂も今は有翼人保護区の新しい娯楽探しに気持ちが向いているので『りっかのおみせ』の新しい展開というのはあまり着手していない。

(先生ならどうするかな)

 店の経営は響玄に見てもらっている。薄珂も立珂も社会の常識に疎いため、分からないことが多いのだ。
 けれど柳はから出てきた言葉はその真逆だった。

「響玄殿から答えは出ないぞ」
「えっ」
「前も言ったが、響玄殿はお前の師に不適切だ。あの人は小売業者じゃない」
「そんなことない。商人だよ」
「その『商人』ってのは何を指してるんだよ。商売には色々ある。細分化すれば多種多様だ」
「え? えーっと……」

 薄珂は知識に乏しいが、言われた言葉自体は知っていた。
 卸についても響玄から聞いたが、そういうものがあるという事しか知らない。
 響玄が何かと問われると、そういやなんだろう、と薄珂は首を傾げた。
 柳はこれみよがしなため息を吐く。 

「一体何を学んでんだお前は。いいか。商売は大きく二種類に分かれる。客が企業か消費者かだ。響玄殿は対企業でお前は対個人消費者。そもそもが違う。響玄殿の店に客は来るか?」
「来ない。あそこは窓口のようなものだって言ってた」
「そう。それは響玄殿の客が企業だからだ。客を呼ばない響玄殿から客の呼び方を学べるか?」
「あ」

 言われて店の様子を思い出す。
 ごくたまに客は来るが、ほとんどは響玄の知人が仕入れの話をして帰って行く。
 店と言うより打ち合わせの場所になっていることがほとんどだ。
 店に客を集めない以上、響玄から得られる知識は薄珂の目的に沿わないということだ。 

「教えてやろうか」
「え?」
「客の呼び方さ。麗亜が認めた経営手腕、気にならないか?」

 麗亜がどれだけの人物か薄珂は良く知らない。
 けれど護栄が認めた人物でもある。

「……教えて」

 柳はにやりと笑みを浮かべた。

「奥で話そう」

*

「まずは自分の問題と武器を認識しろ。問題は何だと思う?」
「自分だけの商品がない」
「それは違うな。商品は卸業者から仕入れればいい。お前が作る必要はないさ」
「あ、そっか。なんだろ」
「じゃあ今日中に金十の利益を作るとしたら何をする? そうだな。場所は中央広場。立珂を連れて行くのも立珂の商品使うのも羽根も不可」
「え……」

 中央広場といえば迦陵頻伽もやって来る場所だが、あそこは誰でも出店できるわけではない。十日はかかる審査があるので今日中には難しい。
 仮に特別許可をされても立珂の服を使えないのなら売る商品もない。
 薄珂はううんと考えたが、これと言って手段は思いつかなかった。

「分かんない」
「秒で諦めんな」
「だって分からないよ」
「お前の問題はそれだ。失敗経験がないから成功規則が分からない」
「……紅蘭さんもそんなこと言ってたね」
「そうそう。だが武器も持ってる。しかもどの市場でも通用する最強の武器だ。何だと思う?」
「えー……」

 秒で諦めるなと言われた以上は考えてみるが、これと言って思いつきはしなかった。
 『はっかのおみせ』も好評を得ているが、あれは立珂に依存した商売だ。有翼人限定である以上、どの市場でも通用するとは言い難い。
 ううんと唸り続けたが、見かねたのか、柳はこんこんと机を小突いた。

「露店に弁当売りを提案したな」
「うん。え? それ?」
「そうだ。言葉だけで売上を作った。言葉とはすなわち頭脳。これがお前の武器だ」

 柳は眉間を突き得意げに笑った。
 しかし薄珂はあまりぴんときておらず――

「ふーん……」
「……感動の無い奴だな」
「だって大したことじゃないよ」
「だから、自分の影響力を考えろ。これも問題だ。自己認識が甘い。認識が正しくないと武器が武器にならん」
「そういうもの?」
「そういうものだ。まあつまり、お前は頭を使えってことだよ。頭を使って客を呼ぶ」
「頭を使う……」

 そう言われても薄珂は『なるほど!』とは思えなかった。
 あまりにも抽象的すぎて何をしたら良いのか、具体的な形には紐づいてこない。

「そんな難しく考えるな。また来なきゃって思わせればいいんだ。例えば、客の欲しい物がいつ入荷するか教えておく。そのためには?」
「あ、先行予約」
「そうだ。ついでに予約開始日を分散させれば頻繁に来る」
「新作予約できる日を決めればいいんだ。そっか。やろう」
「あとは安売りだな。季節終わりに捌けさせつつ次の季節の品を見せる」
「安く売ったら価値が下がるよ」
「既に価値を失った物だよ。在庫になるだろ」
「取っておけばよくない? そのうち売れるかもしれないし」
「どこにだ? 置いておく場所は? 倉庫を借りるなら倉庫費用がかかるぞ。この店だって家賃払ってるだろ」
「あ」
「独立するとこういうのも考える必要がある。売上、原価、販売管理費、そんで利益」
「でも安売りは印象が良くないよ。それなら宮廷に寄付する」
「寄付?」
「うん。立珂から『孤児に配ってほしい』って護栄様に渡す。これを天藍が配れば印象も上がる」
「護栄様が拒否したら?」
「なら自分でやるよ。その時は『皇太子は孤児を見捨てた』って言って回るけどね」

 は、と柳は息を呑んだ。
 肘をつきしかめっ面をされたが、薄珂はにこりと微笑み返した。

「護栄様は守るものが多すぎるよね」

 びくりと柳は震えた。薄珂はただ微笑んでいるだけだ。

「……お前を事業家だといったが訂正するよ」
「え?」
「お前は正しい。だが動かす相手が大きすぎる」
「駄目なの?」
「駄目じゃない。だがお前の成功の裏でどれだけの犠牲が出ると思う?」
「……犠牲?」
「例えば護栄殿が孤児に配布したら民間の福祉事業は赤字になり廃業。結果店主も孤児の仲間入り――とかな」
「それは……」
「確実にお前は助かる。だが確実に誰かが犠牲になる」

 柳は、とんっと机を叩いて薄珂をじっと見つめた。

「お前は人を狂わせる」

 薄珂の脳裏に護栄の姿が浮かぶ。
 それはいつぞや言われた言葉だ。

『きっとあなたも座して人を狂わせる時が来る』

 ぐっと薄珂は拳を握りしめ、柳は溜め息を吐き顔を背けた。

「そんなことをやるのは商人でも事業家でもない。護栄殿と同じ政治家だ」
「俺が護栄様と同じ……?」
「政治家を目指すならそれもいい。だが弟を幸せにする選択を間違えてないか?」

 今度は紅蘭の姿が思い出された。
 それも聞き覚えのある言葉だ。

『お前は今選択を間違え始めてる』

「立珂は有翼人を照らす光だ。だが光が眩しいのは闇があるからだ。お前は闇を引きずり出した責任がある」
「そんなことしてないよ」
「してるさ。客は迫害された有翼人。彼らこそ歴史の闇だ」

 柳は静かに見つめてきた。

「陰と陽。お前たち兄弟は二人で一つ。有翼人の輝かしい未来を創造するだろう。だがそれは果たして立珂を幸せにするのか?」

 薄珂は声が出せなかった。
 立珂の望むまま、何でも叶えてやりたいと思っている。
 そのためなら天藍も護栄も、利用できるものは何でも利用する覚悟でいる。
 けれど彼らが立っている場所は一個人ではなく国の頂点だ。

「この先お前は大きな渦に呑み込まれるだろう。その時は間違うなよ」

 それもまた幾度か聞いた言葉だ。
 脳内で護栄が語りかけてくる。

『政治が偶然うまくいくことは無い。偶然に見えたのであれば、それは必然に導く者の渦に気付けていないだけ』

 ぐっと薄珂は拳を握った。

「何に呑まれても関係無い。俺は立珂を幸せにするだけだ」
「……ならいい」

 柳は少しだけ残念そうに笑い、ぽんっと頭を撫でると店を出て行った。
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