第十五話 旅立ちの決意

文字数 2,831文字

 事件から十日程が経ち、薄珂がじっとしているのに飽きた頃ようやく孔雀が帰って来た。事情を説明すると顔を青くして、ちゃんと手当をしようと診察を始めてくれている。
「先生。もう大丈夫だよ」
「……本当に崖から落ちたんですか?」
「え? う、うん」
「本当ですか? それにしては立珂君は怪我らしい怪我もない。これは一体……」
 孔雀は怪訝な顔をした。薄珂と立珂が育った森から逃げた時に落ちた崖がどれほど険しいか、その現場を孔雀は知らない。薄珂から聞く情報のみだったから『よく無事でしたね』と納得できただろう。だが今回は違う。実際にどういう崖であるか目視できて、どんな怪我になるかの想定ができる。だからこそ孔雀は診療所に様々な薬や治療器具を揃えているのだろう。
(まずい。怪我が無さすぎるって思ってるんだ。公佗児だと皮膚が厚くなるからそのおかげだけど、人間じゃありえない……)
 獣化すると人間とは肉体が変わり、その特性も当然変わる。薄珂の場合はどうやら皮膚が厚くなるようで、公佗児の姿で大怪我を負うことはあまりなかった。けれど公佗児であることを隠しているのでそう説明することもできない。
 薄珂は少しだけ目を泳がせると、あはは、と誤魔化すように笑って見せた。
「運が良かったよ。あの辺は木も多いし、うまいこと海に落ちたのかも」
「そうですね……」
 口では納得した単語を呟いたが心の中では疑惑があるのだろう、孔雀はぺたぺたと触診を続けた。
(先生は医者だ。調べ続けられたら獣人だってばれる)
 薄珂はこのまま診察を続けられるのは危険に感じた。けれど振り払うのも不自然で、どうしようか迷っていると立珂が間に割って入って来た。不満げに口を尖らせ、その目は薄珂に触るなと訴えている。それをどう捉えたかは分からないが、孔雀は苦笑いをして立珂を撫でた。
「何はともあれ無事でよかった。問題無いようですが、しばらくは激しく動かないようにして下さいね」
「立珂が見張っててくれるから大丈夫だよ」
「ぎゅー!」
「ぎゅーだな」
 立珂はぴったりと薄珂にくっついて、すりすりと頬ずりをしてくれる。薄珂のいい加減な誤魔化しには騙されてくれなかったが、立珂の愛らしさには誰も叶わない。
 孔雀はふうと小さくため息を吐くと、蛍宮から持ち帰って来た鞄から何か取り出した。
「では頑張る立珂君にご褒美です」
「腸詰?」
「もっと良い物ですよ。こっちを向いて下さい」
 孔雀はするりと立珂の首に手を回し、すぐに手を引いた。するとその手から銀色の小さな板が付いた首飾りが姿を現した。
「蛍宮の入国審査が受理されました。その証明をする首飾りです」
「きょかしょー!」
「天藍のと形が違うね」
「これは一度しか使えない許可証なんです。私は代理人なので本物を貰えなくて、正式な物は次行った時にもらえます。さあ、薄珂君も」
「有難う」
「おそろーい!」
「これはみんな同じ物ですよ」
「同じの持ってるのがうれしいの! 薄珂とおそろいがいいの!」
「俺もだ。俺も立珂とお揃いがいい!」
 立珂はおそろいおそろいとはしゃぎ、薄珂はがばっと抱き返してぐりぐりと目一杯頬ずりをした。不安なことがあっても怪我が痛くても、この笑顔があればすべて吹き飛んでしまう。守るべき笑顔に幸せを貰っていると、孔雀が二人の頭を撫でてくれる。
「今日はもう一つ良い報告があるんです」
「辛い腸詰!?」
「買ってありますよ。でももっともっと良いお話です。実はね、ようやく有翼人専門医に会えたんですよ」
「え?」
 ぴたりと薄珂と立珂は頬ずりを止めた。孔雀は医者だが人間で、獣人についても学んでいる。けれど有翼人については詳しくない。それは孔雀が不勉強であるのではなく、世界的に解明されていないからだ。迫害を恐れ隠れ住む有翼人は研究自体がされていない。ましてや専門の医者がいるなど考えも付かない。
「有翼人に詳しいお医者さんがいるの!?」
「はい。ご本人も有翼人なので有翼人が困ることの改善策もたくさんご存知でした」
 孔雀は床に膝を付き、薄珂と立珂の手を握り微笑んだ。
「立珂君の羽、小さくできるそうですよ」
「え!?」
「う!?」
「羽の重さで歩けない有翼人は多いそうです。その方はご自身で小さくしたそうなんですが、同じ施術で歩けるようになったという有翼人にも会いました。それも一人や二人じゃありません」
 薄珂と立珂はぽかんと口を開けて孔雀を凝視した。それは薄珂と立珂が求め続けていたことで、諦めていたことでもあった。
 あまりの驚きに声が出なかったが、孔雀がぎゅっと強く握ってくれるので現実だと実感できる。
「蛍宮に行けば施術してくれるそうです。行ってみませんか?」
「い、いく! いく! ちっちゃくする!」
「行こう! 先生すぐ行こう!」
「中継ぎの船が三日後なのでそれで行きましょう。金剛団長と慶真さんにも相談しておかないと」
 薄珂と立珂は突進するように孔雀へしがみ付いた。大好きな腸詰とお洒落時よりも、最も立珂が必要とするものが手に入る。その喜びは動かない立珂の羽が羽ばたき始めそうなほどだった。
「先生。立珂は車椅子なくても歩けるようになる?」 
「ええ」
「……僕も自分の足で歩ける?」
「そうですよ。腸詰も服も、何でも自分で見に行けます」
 孔雀はぎゅっと二人を抱きしめて、ぽんぽんとあやすように背を叩いた。その振動が胸に広がり、それと同時に薄珂と立珂の目からぽろりと涙がこぼれ落ちた。ぷるぷると小さく震えながら顔を見合わせると、こらえきれずに抱き合った。
「立珂!」
「薄珂ぁ!」
 立珂はわんわんと声を上げて泣きだした。これまで満足に歩けないことへの不満は口にせず、わがままを言うことも我慢し続けていた立珂の辛さが伝わってくるようだった。薄珂の肩は立珂が十年以上溜め込んだ涙でしっとりと濡れている。けれどそれももう終わるのだ。立珂が涙を堪えることも無くなるだろう。
 兄弟はお互いを強く抱きしめ続けていたが、何かがこんっと薄珂の後頭部を小突いた。
「いつまでも泣いてるなよ。薄珂は考えることあるだろ」
「……うん」
 天藍は含みのある笑いをした。立珂はまだ涙を流しながら薄珂にしがみ付いているが、薄珂はその小さな体をしっかりと抱きしめ天藍に向き合った。
「一緒に来て教えてほしい。制度とか、有翼人がどう生活してるのか知りたいんだ」
 孔雀は少し驚いたような顔をしていた。立珂の涙はまだ止まらないけれど、この涙の先には明るい未来がある。今はお洒落に夢中だが人生の選択肢はまだまだ増えていくだろう。時には選びきれず諦め悔し涙を流すこともあるかもしれない。色々な感情を得て、様々な涙を流せるような数多の経験ができるのだ。
(……それに蛍宮にいれば天藍にも、会える)
 薄珂はそんな不純な考えを隠すように立珂を強く抱いた。抱いたまま立ち上がると深々と天藍に頭を下げると、ぽんっと頭を撫でてくれる。
「いいだろう。正しい情報を得て移住の是非を見極めろ」
「うん!」
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