第二十九話 玲章の衝撃

文字数 3,656文字

 玲章の仕事は天藍の護衛だ。
 軍を統括するという役目も持っているが、現地で指揮をするのは部下だ。あくまでも責任者として名前を置いているだけで、基本的に天藍の傍に貼りついている。
 だが今日は少し違っていた。場所は天藍の屋敷だが、やっているのは天藍の護衛ではない。

「では点呼を取る! 右から!」
「いち!」
「にー!」
「さん!」
「よおし! 全員揃ってるな!」

 玲章の前に整列しているのは薄珂と立珂の兄弟、そして慶都だ。
 いつもは天藍の護衛しかしない玲章だが、今日はどうしてもこの三人にやらせなければいけないことがあった。これは皇太子直々の命令だ。

「今日は戦闘訓練をするぞ! 万が一の時ちゃーんと戦えるようにな!」
「「「はーい!」」」
「今日は慶都をお手本にする。まずは模範試合といこう。慶都、武器は持ってるな」
「はい」

 慶都の手には短刀が握られていた。学舎では自分に合う武器を見つけるため、入学一年目は様々な武器を経験する。二年目以降は自分の武器を選び専門課程へと入る。
 だが慶都は入学して初日の説明で一通り触れたその日に己の武器を短刀に決め、それ以外の実技は受けないと決めた。
 教官は全て経験することを勧めたが、慶都はそれを突っぱねたのだ。その時の様子は玲章も見ていた。

「慶都くん。何も今すぐ決めなくていいのよ」
「これがいい。立珂を守るのは獣化して逃げるのが一番だ。体力を消耗する大きい武器は邪魔だ」
「でも敵を倒せなきゃ逃げることもできないわよ」
「逃げるなら歩く筋肉を切れればそれでいい。なら絶対足元に飛び込める小さい武器がいい」
「……慶都。それは父親に習ったのか?」
「孔雀先生がそう言ってた。それで金剛を捕まえたんだ。実際有効なんだこれは」
「ほお……」

 この時まで玲章はこの子供を注視していなかった。
 慶真の七光りでここにいるのだろうとしか思っていなかったが、訓練を実践ととらえたその語りを他の生徒は誰も理解していなかった。
 そして、それこそ薄珂と立珂に知ってほしいことだった。訓練だけでは実際敵に遭遇した時役に立たない。即座に動けるようになるまでは長い訓練が必要だ。
 だからこの兄弟にも慶都のように常に実践であると考える思考を持たせたい。それが天藍に言われたこの戦闘訓練の真意だった。

「じゃあまずは模範試合だ。さあ慶都、来い。立珂を守れ!」
「はいっ!」

 慶都は短刀を使うが、それで切り付けてはこなかった。
 それよりも地面に落ちている石を拾いながら木々に隠れ、投石で注意を逸らしながら徐々に距離を詰めてくる。
 普通『試合』となれば武器でのやり合いを想像するだろうに、慶都は常に実践を踏まえて地の利を利用してくる。まだ戦略は稚拙だが、それでもこの考え方ができるなら学舎を卒業するころには立派な武人になっているだろう。
 だがここは天藍の私邸で、どこもかしこも整えられている。慶都が利用できる障害物や自然物が少ない。こういった場での戦略もあるが、慶都はまだ学舎に通い始めて数か月だ。さすがにそこまでは頭が回らないようで、まだ距離のあるうちから玲章に飛び掛かって来た。

「早すぎる!」
「くっ……!」

 飛び掛かっても、まだ十歳の慶都が玲章に勝てるはずがない。
 あっという間に慶都の首元に玲章の剣が突きつけられた。

「よし、ここまでだ」
「俺の勝ちだ」
「あ?」
「薄珂が立珂を連れて逃げた。立珂を守った俺の勝ちだ」
「ん?」

 言われて兄弟がいたはずのところを見れば姿はなく、きょろきょろと周辺を見れば薄珂が立珂を抱きかかえて屋敷の中にいた。

「……おいおい。まさか立珂を守れっていうのを勝敗にしたのか?」

 確かに玲章は号令で『立珂を守れ』と言った。それは特に意味がなく、単に号令のつもりだった。
 だが確かにそれが勝利の条件であるともとれるし、そうなれば立珂が逃げた現状は慶都の勝利だ。

「なんつー奴だ。お――お?」

 慶都を振り返ったが、そこに慶都はいなかった。そこにあるのは服だけだ。

「あ!?」

 きょろきょろとあたりを見回すと、獣化した慶都が屋敷に向かって飛んでいた。

「これで慶都も逃げたよ! 終わり~!」
「……おいおいおいおい」

 玲章は今日、訓練ではなく常に実地を意識しろ――を教えるつもりで来た。

(初っ端からこれかい。それも薄珂を頭数に……いや、まあ、一対一とは宣言してないけどよ……)

 教えるどころか、これでは玲章の方が意識ができていないようなものだ。
 はあ、と大きなため息を吐き、戻って来い、と子供達を呼び寄せた。三人はきゃっきゃとはしゃいでいて、とても戦闘に臨んでいたようには見えない。

「じゃあ薄珂と立珂だ。お前らは武器あるのか?」
「俺は小刀。父さんから貰ったんだけど、ほとんど使ったことない」
「ふうん。変わった形だな。見せてくれ」

 薄珂が持っていたのは果物を切るので精一杯というくらい小さなものだった。
 とても実践向きではなく、守り刀のようにも見える。

「……んー。こりゃ使いこなすには訓練がいる。これやるから使え。立珂も」
「はーい!」
「有難う」

 玲章は持って来ていた短刀を二人に渡した。
 武器に慣れていない子供には無難なところだ。薄珂と立珂は不慣れな手つきで短刀をじろじろと観察している。

「よし、じゃあ薄珂からだ」
「え、俺?」
「そうだよ。お前と俺の一対一。さあ来い!」

 今度は気を抜かないよう一対一を宣言し、玲章は剣を構えた。
 けれど薄珂は微動だにせず、鞘から抜くこともしない。まるでやる気が無いように見える。

「来いって。遠慮するな」
「行かない」
「あ?」
「俺戦わないよ。戦わないで捕まる。戦闘は始まらない」
「……いや、そりゃどういう意図だ?」
「俺は下手に騒ぐより無傷で捕まった方が良い。犯人は俺を殺せないから」
「あ? なんだそりゃ。分からんだろ」
「分かるよ。俺は利用価値が高いんだ。そもそも――」

 薄珂はくるりと立珂の方を向いた。目が合ったのが嬉しいのか、立珂はぴょんぴょんと飛び跳ね駆け寄って来た。わあい、と薄珂に抱きつき幸せそうにしている。
 
「狙われるなら立珂で、羽根が欲しいなら俺も一緒にいる必要がある。絶対に殺されない」
「公佗児狙いの場合もあるぞ」
「その場合は当然兵士としてだよね。でも鳥獣人は捕まえて兵士にはできないよ。戦闘に行くふりして逃げればいいんだもん」
「……立珂が掴まってたら?」
「羽は数分でくすむんだ。俺達が離されることはないよ。犯人のとこで生活すればいいだけだ」

 だから俺は捕まるよ、と薄珂はにこりと笑った。

(今この場でそれを考えたのか?)

 これは慶都と同じく、戦闘訓練ではなく実地を想定した戦略だ。
 これから玲章が教えようとしていたそれそのものだ。くっと玲章は思わず笑いが零れた。

「なるほど。けどなんとな~く誘拐する奴もいるぞ」
「なら俺を生かす価値を作るよ。今くれた短刀って天藍のだよね。宮廷かな。これ見せて俺を人質に皇太子を強請ればどうかって提案するよ」
「……おい。何故それが天藍のだと?」
「だって柄の紋様、これ蛍宮のお金持ち区域の紋様だよ。こういうの作るのは宮廷だけだ」
「そうなの?」
「うん。孔雀先生が言ってた。特別な地区に入るには特別な許可証が必要で、それがこの花の形。俺が誘拐されるなら蛍宮内だ。ならこの紋様のことは絶対知ってる。これがあれば俺達の利用価値は高くなる」
「蛍宮は安全なんでしょ?」
「天藍に皇太子辞めさせたい人もいるんだって。そういう人は狙って来るかもね。でもそういう人にこそこの紋様は有効だよ」

(こいつ……!)

 薄珂が語ったそれは、それこそがこの短刀に込められた意味だった。
 子供たちに与えたこの短刀は、自分は皇太子に繋がりがあるという圧にするよう作ったものだった。
 いくら優秀だったとしても即座に戦闘技術が身に付くわけもない。ならば戦わずして身を護る方法があると教えてくれ――というのが天藍の指示だった。
 玲章はまず短刀で戦ってみて、ほら無理だろう、だから頭を使うんだ、という流れを予定していた。
 普通ならどうやって倒すか、どうやって逃げるかを考える。捕まるのが有効だなんて、とても子供が考えることではない。

(護栄の小せえ頃を見てる気分だな)

 今日教えようとしたことが開始数分で終わってしまった。
 それも護栄と同じことを言って。
 ぐっと玲章は唇を噛んだ。

「慶都は危なくなったらぴゅーって逃げてね」
「立珂がいなければ逃げるよ」
「あ、そうだ。慶都はこれを覚えておけ。本拠地不明の先遣隊に出くわしたら殺さず追い返せ」
「捕まえた方がよくないですか?」
「本拠地の場所を吐くとは限らない。なら足跡をたどる方が確実だ。鳥獣人は上空から監視できるから有効だ。覚えておけ」
「はい!」
「どういう意味?」
「立珂は分からなくていいんだ。俺が守ってやるんだから」

 立珂と慶都はぎゅうぎゅうと抱き合い、薄珂は妙に悟った顔で見守っている。
 子供らしいのかそうじゃないのか分からない子供たちの様子に妙な不安を覚えた。
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