最終話

文字数 3,644文字

 このところ宮廷は明るい雰囲気に満ちている。
 職員は皆活気づいて、特に女性職員はうきうきと宮廷に華やかさを与えてくれていた。
 そんな女性職員が多く集まる場所がある。隙あらば皆が立ち寄って、今日もぎっしりと満員だ。
 彼女たちが集中している棚には小さな瓶が並んでいる。

「ああ、薫衣草の香りは売切れだわ」
「立珂様がお好みの香りはすぐになくなるわね」
「よければ取り置きしますよ。十日後に入荷予定なので」
「薄珂様!」

 提供しているのは有翼人も使える天然材料のお香だ。
 立珂の念願叶って取り扱えることになったが、ここは『りっかのおみせ』でも『はっかのおみせ』でもない。
 薄珂と立珂の新店舗である。
 これをやるに至ったのは、やはり立珂のお願いが始まりだった。

「くんくん」
「どうした、立珂。可愛いぞ」
「紅蘭さんからもらったお香。薄珂もくんくんしてみて」
「ん」

 家でのんびりしていると、立珂が小瓶の香りを嗅ぎ始めた。
 紅蘭の羽美容室に何度か通うと、立珂は嫌煙していたお香に興味を持ち始めた。
 様々な香りがあるが、そのどれも有翼人が問題無く使用しているのだ。
 言われるがままに小瓶に顔を近づけると、ふわりと薫衣草の良い香りがする。

「きらい?」
「俺は好きだ。あ、売りたいのか?」
「うん。でも嫌いな人もいるよね。そしたら『りっかのおみせは臭いぞ』って、僕のことも嫌いになっちゃうかもしれない」
「確かにな。商品にもにおいが移る」
「そうだよね。せっかく有翼人も使えるのになー」

 うーん、と立珂は口を尖らせた。
 商品として扱うことは難しくないが、それ自体が賛否分かれるので服と並列にはしにくい。
 となると店を別に設ける必要が出てくるが、立珂は深い興味があるわけではない。専門的に追求しないのに店を設けるのはあまりにも効率が悪い。
 けれど、立珂の言葉を聞いて薄珂は思い出すことがあった。

「そうだ!」
「う?」

 薄珂は立珂を連れて護栄の元に向かった。

「宮廷で香を提供ですか。面白いですね」
「有翼人が使える香なら宮廷でも使えるよね。女の人は喜ぶと思うんだ」
「良いですね。あの苦情も片付きます」

 護栄の目線の先にあるのは大量の封書だった。
 薄珂と立珂が宮廷にいた頃に有翼人は香りに弱いと分かり、一括でお香の利用を禁止した。
 しかし、香がお洒落として根付いいた宮廷では反発も多いようで、護栄は頭を抱えながらも後回しにしていた。
 だがこれならそれも解消される。護栄の了承を得て、宮廷の一部屋を貰ってやり始めたのだ。

 けれどここは単なる店ではない。いや、そもそも店ではない。ただの部屋だ。
 しかし備品配布をする部屋は、職員の利用頻度が高い重要な場所でもある。

「でも驚きましたわね。まさか宮廷の備品で香が頂けるなんて」
「本当。しかも天然物なんて」

 ここは宮廷職員が筆やら帳面といった仕事で使う備品を貰う場所だ。
 今まで備品というと文具類しかなかったのだが、薄珂はここに香を並べたのだ。
 これなら有翼人のいる宮廷でも使用できる。

「変わりにどれかお持ちになりますか?」
「ええ。どうしようかしら」
「薔薇はどう? お姉さんに似合うと思うよ!」
「立珂様! まあ、立珂様が選んで下さるの?」
「うんっ。お姉さんは豪華な香りが似合うと思うよ!」
「嬉しい。じゃあ薔薇にしようかしら」
「ずるいわ。立珂様、私も選んでくださいまし」
「いいよ! お姉さんはとっても爽やかだから檸檬はどう?」
「素敵! それにしますわ!」

 女性職員の中に立珂がぴょこんと現れた。
 こうして立珂は職員とお洒落談義をしながら提供し、頼まれれば店から服を持ってきたりもする。
 おかげで立珂は毎日楽しく、何よりお金を貰わずに配れるというのが嬉しいようだった。
 どんどん職員が立珂に群がり、それを見てははっと笑う声がした。

「大繁盛だな」
「柳さん。来てたんだ」
「まあな。しかしまあ、こうくるとはな」
「だって客寄せ頑張るなら、頑張らずに客が来る場所でやるのが楽だよ」

 柳に言われてから集客について考えるようになった。
 しかし有翼人保護区が活発になった今、立珂は宮廷でも注目の的だ。つまり職員は客のようなものなのだ。
 しかも職員は必ず備品を必要とする。彼らは嫌でもこの部屋に来なくてはいけない。つまり、ここなら薄珂と立珂は客の有無を心配する必要などないというわけだ。

「本当に賢いなお前は」
「宮廷は大助かりだから構いませんよ。あなた方の給料で福利厚生が全て片付くんですから」
「天藍。護栄様」

 宮廷なので当然この二人もいる。
 宮廷を出て以来、元々多くない天藍に会う機会は格段に減った。けれどこうして宮廷に仕事を持ち通えば会うこともできる。
 伴侶契約をしてることは明らかにしていないが、名目は『かつて迷惑をかけた来賓の様子を見る』というのが通用した。
 おかげで日に一度は天藍と顔を合わせることが出来て、そういった意味でも薄珂にとって良い状況になった。

「どうだ、立珂は」
「すっごく楽しそうで可愛い」
「可愛い関係あるか?」
「あるよ。立珂が可愛いからみんなも笑顔になるんだ」
「この宮廷においてはそうだな。立珂は癒しだと評判も良い」
「ええ。あの笑顔を曇らせるのはしのびないですね」
「は? 何それ。許さないよ」
「だが仕方ない。別れは必ず来るもんだ」
「別れって、まさか」
「日程が決まりました。三日後です」
「……そっか」

 全員が残念そうにして立珂を見た。きっとこれを知れば立珂は悲しむだろう。
 けれどこの三日後、別れは予定通り訪れた。

「愛憐ちゃああん!」
「立珂ー!」
「寂しいよぉぉ!」
「私もよー!」

 今日は愛憐が帰国する日だ。
 麗亜が蛍宮に来る必要がなくなる日まで残るんだと粘っていたが、今日がその日なのだ。
 立珂と愛憐は別れを惜しんで、まだまだ遊び足りないと駄々をこねている。
 そしてもう一人、薄珂との別れを惜しむ者がいた。

「俺と来い」
「行かない」
「来いって」
「行かないって」

 柳はあれからも諦めず、何かにつけて一緒に来いと言い続けていた。

「政治家なんてやめとけよ。起業する方が楽で確実だ」
「だとしても断るよ。あ、でも南の国に行ってみたいんだ。協力してくれるなら恩返しはするよ」
「南? 何でまた」
「有翼人の生活を見たいんだ。服が流通してるならいっぱいいるよ、きっと」

 獣人の隠れ里で天藍は有翼人専用服をくれたのだが、あれは南の商品だった
 響玄にも調べてもらったがやはり南以外で流通は見られず、薄珂は有翼人が受け入れられている文化が気になっている。
 もしかしたら立珂が胸躍らせる物があるかもしれない。

「さすが目の付け所が良い。俺が連れてってやる。船も馬車も全部手配してやろう」
「えっ、いいの?」
「ああ。お前らを迎え入れる準備は来る前に終わらせて来てるからな」
「来る前? 何で? 初対面だよね、俺ら」
「面識はな。ところでお前、自分の姓は知ってるか」
「何急に。無いよ」
「まあそうだよな。知ってたら気付いたはずだ」
「何に?」
「あのな、俺は麗亜に呼ばれたんじゃない。頼んで連れて来てもらったんだ」

 柳は衣嚢から何かを取り出した。手のひらに乗る程度の長方形の紙を持っている。
 差し出されるままに薄珂はそれを受け取ると、そこには何か文字がいくつか書かれていた。
 小さくあれこれ書いてあるが、まだ文字をあまり知らない薄珂には読めないものが多い。
 けれど、中央の大きな三文字は分かった。一つは『柳』。言わずもがな柳の名前だが、その下にはまだ文字が二つ続いている。
 『哉』と『珂』だ。

「……え?」
「姓は柳、名は哉珂(さいか)。俺は透珂の血を引く者に会いに来た」

 透珂。
 それは牙燕に教えてもらった男の名。
 薄珂の父親の名だ。

「お前の姓は柳。柳薄珂だ」

 薄珂はびくりと震えた。
 どくどくと心臓が大きくなり始め、震える唇を動かそうとしたがふいに船の方から麗亜の声が聴こえて来た。帰るからさっさと来いと言っている。

「おっと時間だ」
「ちょ、ちょっと待って! どういうこと!?」

 手を伸ばしたが、柳は走って麗亜の元へ向かいそのまま船に乗り込んでしまう。

「待って! 待てよ! 何だよこれ!」
「忘れるな! 俺はお前の味方だ!」

 横では立珂が愛憐にぶんぶんと手を振っている。
 愛憐も薄珂と立珂の名を呼び大きく手を振っているが、薄珂の目にその姿は映らなかった。
 そして、柳もひらひらと手を振ると船内へ入り姿を消した。

(何だ、何の話だ)

 薄珂は立ち尽くした。
 与えられた情報が多すぎて、薄珂の脳内はぐるぐると渦巻いている。

『この先お前は大きな渦に呑み込まれるだろう』

 ふいに柳の言葉が脳裏に浮かんだ。あれは一体何を示唆していたのだろうか。
 そしてそれに繋がるようにあの言葉も思い出された。

『政治が偶然うまくいくことは無い。偶然に見えたのであれば、それは必然に導く者の渦に気付けていないだけ』

 船はもう見えない。
 見えるのは友と別れ肩を落とす立珂だけだった。
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