第十九話 翻弄される皇子

文字数 7,147文字

 麗亜は困惑していた。
 護栄ならば開始早々何か仕掛けてくるだろうと構えていたが、あまりにも予想外の事態に遭遇していた。
 その事態は麗亜だけでなく側近も困惑させ、明恭視察団は全員が目を泳がせている。

 話し合いをすると案内されたのは謁見用の広間でも会議室でもなく離宮だった。
 机もなく椅子もなく、あるのは寝台と座椅子のみ。窓が大きく外の景色が良く見えて、どこからか薫衣草の香りがする。
 とても外交について語る場ではなく、気を緩ませて何かさせるつもりならご機嫌取りがてら乗ってやろうと思っていたが、どう乗るのが正解なのか麗亜には全く分からなかった。
 正面には皇太子天藍が座り、その後ろには護衛である玲章と側近である護栄が立っている。ここまでは普通だ。
 だが今回は違う。皇太子の横に黒髪の少年が座り、その少年の脚の間に有翼人の少年が座っていた。有翼人の少年は黒髪の少年に身体を預け、黒髪の少年も歓迎して頭を撫でている。

(立珂殿と薄珂殿、か? だが何だこの体勢は……何を試されてるんだ僕は……)

 彼らが護栄の秘策なのかという予想もしたが、とてもそうは見えない。
 どうしたら良いか分からずにいると、くくくっと笑ったのは護栄だった。それでようやく現実に戻り、まだ挨拶もしていないことを思い出す。

「失礼致しました。この度は謁見の機会をくださり有難うございます」
「もう少し穏やかな再会をしたかったですがね。紹介します。彼が立珂で、抱っこしてるのが兄の薄珂です」

 護栄は何も言わず、いつも通り感情の見えない表情をしている。ならば彼らの同席は護栄も許したということだ。

(……それはともかく抱っこって……)

 麗亜の目には別段変わった少年には見えなかった。
 有翼人の立珂は確かに目を見張るほど美しい羽根をしているが、薄珂という少年は特筆できるなにかは見られない。際立って理知的な顔をしているわけでも、性別問わず溺れるさせるほどの美貌というわけでもない。とても護栄が特別視するほどの何があるとは思えなかった。

(薄珂殿は弟を溺愛してるって報告にあったけど、立珂殿を懐柔すれば薄珂殿も落とせそうだな)

 それも見た目通りならばの話だが。

「さて。輸出入の継続でしたか」
「はい」

 麗亜は薄珂と立珂に目をやった。
 確かに彼らは愛憐の件に関しては当事者だが外交に関しては関係がない。それをこうして聞かせるのは如何なものか。

「二人のことはお気になさらずどうぞ」
「……では失礼いたします。北は有翼人の羽根が無ければ生きていけない土地。そこには二千八百ほどの民がおります。蛍宮からの輸入が途切れればひと月と経たず死者が出ることでしょう」
「そうですね。心中お察しします」

 さらりと流したのは護栄だ。
 こういう会議の場で天藍が発言することは稀だ。進行も決定も全て護栄が行う。決を下すのは皇太子では、と最初の頃は不審に思った。だがいつでも全ては護栄の思い通りに進み、彼が決められない状況に陥ることなど無いのだ。
 当然、こんな当たり前の現状を言った程度で顔色を変えるわけがない。

「皆様のお怒りはもっともでございます。愛憐のしたことは紛れもない罪。ですが民に罪はございません」

 麗亜は座椅子から降り土下座をした。
 ふぁっと少年のどちらかが驚いたような声を上げたが、皇太子は止めることも顔を上げろとも言わない。

「明恭は全てにおいて天藍殿の指示に従ってまいります。どうか民をお救い下さいませ」
「救うといっても、結局はこちらで商品を作り明恭へ船で向かわなければならない。何の見返りもないのに何故我らが?」
「輸出入に必要な人員と費用は全て明恭で用意いたします。今まで蛍宮でなさっていたことも全てこちらでいたしますのでお手を煩わせることはございません」
「ああ、物と金はやるから自治は残せということか」
「明恭の軍事力は脅威。その指揮を残せば寝首をかかれるだけなのでお断りします」

 くそ、と麗亜は心の中で舌打ちをした。
 今まで通りにいかないのなら、せめて現場を握ることができれば付け入り処はいくらでも作れる。明恭の人員は全て武人。平和惚けした蛍宮など落とすのは容易い。

(まあそうだよねえ。でも今の僕にできるのはこの程度だ)

 明恭の国民の命を左右するのは蛍宮だ。しかも愛憐の罪を見逃すという恩情まで上乗せされた。その彼らに対して対等な立場で交渉などできない。ただ許しを得るしかないのだ。

「兵は全て蛍宮に籍を移させ武具もお預けいたします。なんなりとお使いください」
「お使い下さいといわれても、それに衣食住を与えて赤字を被るのは蛍宮です。やはり輸出入は全面撤退とします」

(……なら何で謁見なんて許したのよ)

 謁見を許すなら蛍宮も話し合いをするつもりがあり、おそらく軍事侵攻を恐れて妥協点を見つけるという意図かと思っていた。
 ならば話しながら護栄の真意を掴もうと思っていたが、これでは真意もくそも無い。

(謝罪しか許さないって分からせるため? ならもう立珂殿の情に訴えるしかないじゃない)

 こうなれば同席してくれたのは有難い。別途呼び出し疑惑を向けられるよりもはるかに楽だ。土下座で顔を隠してにやりと笑みをこぼす。

「勝手を申しました。契約終了で今後の姿勢を改めてまいります。ですが一つだけお願いがございます」
「何だ」
「立珂殿に怪我を負わせ、御心が病むほどに追い詰めたと聞いております。これには皇王も愛憐は死罪も禁じ得ないと申しており、私も致し方ないことと理解しております」
「ふむ」
「ですがその前に私から立珂殿へ謝罪をさせて頂きたく存じます。本来ならば本人がお詫び申し上げるべきですが、もはや罪人となった愚妹を御前に立たせるわけにはまいりません。代理ではございますが、立珂殿へお声掛けすることをお許しいただけますでしょうか」
「なるほど。立珂の同情を引き赦しを得ようというところかな」
「狙いがある時だけ饒舌になるのはお国柄ですか?」

 麗亜はぐっと拳を握った。
 こうやって時折挟んでくる嫌味に煽られて激昂し、我を忘れて護栄の手のひらで踊らされ結果馬鹿を見た者は多い。

「立珂は純真無垢で優しい子だ。同情作戦は効くだろう。だがな」

 くくっと天藍が笑った。

 ――妙だ

 いつもこういう場面で仕掛けてくるのは護栄だ。皇太子自ら切り込んで来ることはないと言って良い。それが作戦なのか実は傀儡なのかは分からないが、麗亜の経験上は無い。
 それが自ら動くとなると、やはりこの兄弟には何かあったのだ。この場に参列していることをもっと疑うべきだった。
 だが今更後悔してももう遅い。麗亜は土下座したままぎりっと唇を噛んだ。
 そして皇太子が発した言葉は――

「んにゃっ」
「……は?」

 聴こえて来たのは皇太子の言葉ではなく何かの鳴き声だった。顔を上げて良いとは言われていないが、麗亜は思わず顔を上げた。
 そこには兄の肩に頭を転がして、むにゃむにゃと言葉にならない声をぽつぽつと漏らしている無邪気な弟の姿があった。

「残念ながら立珂はおねむだ」
「おねむ!?」
「麗亜殿が頭を下げた数秒後に寝ましたよ」
「数秒後!?」
「そろそろお昼寝の時間だからな」
「お昼寝!?」

 兄は起きろ、と頬を突くが弟はそれを気持ちよさそうにくふふと笑う。

「立珂。ちゃんと聞いてなきゃだめだろ」
「だってぇ……お話むずかしくて分からないもの……」

 兄弟は全く話を聞いていなかった。
 弟は兄に抱きかかえながらくしくしと目を擦っていて、兄は口で注意をしながらも弟の頭を撫でている。

「疲れたな。お昼寝するか?」
「うん……薫衣草のとこがいい……」
「よし。おいで」

 外交の場であるまじき状況に麗亜は唖然としたが、兄は全く気にせずひょいと弟を抱っこした。麗亜には興味が無いようで、くるりと背を向け出口へと向かって歩き出す。

(な、何だと!? 聞いていないのなら何でもいいから許すと言ってくれ!)

 対護栄の心づもりはしていたが、まさか抱っこでお昼寝などという言葉が出て来るとは予想もしていなかった。
 同席は都合が良いと思っていたが、こんな掻き回され方は経験が無くどうしたら良いかも分からない。抱っこされた弟の方と目が合うとふにゃりと愛らしい笑顔を見せてくれた。

「お話おわったら呼んでね……僕お姫様のお兄ちゃんに聞きたいことあるの……」
「わ、私に! ええ! ぜひ! 今おうかいいたします!」
「立珂眠いからそっち先でいいよ。護栄様、終わったら呼んで」
「分かりました」
「薄珂」
「ん?」
「お前はそれでいいのか」
「立珂がいいならそれでいい」
「そうか。分かった」

 麗亜以外はこの事態を理解しているようでとんとんと話しが進んでいく。兄に抱っこされた弟は、またねぇ、と手を振って去り際にはことんと眠りに落ちた。

(なん、だ、あれは……! どういうことだ!)

 普通であれば馬鹿にするなと怒っていい場面だろう。しかし全てにおいて強く出られない麗亜はそれすらもできない。
 喜怒哀楽どの感情を優先すべきか分からず呆然としていると、天藍が面白そうにくくくと笑った。

「立珂殿は歩けなかったせいで体力が無いんです」
「歩けなかった?」
「ええ。羽の間引き方を知らなかったので大きく育ってしまったんですよ」
「間引く、とは?」
「羽は髪のように伸びるんです。なので間引く必要があり、私達はそれを買い取ってるんです」
「……そうでしたか。では愛憐はとんでもない失礼を申し上げたのですね」

 有翼人の生態というのはあまり知られていない。知るどころか迫害してきたからだ。
 麗亜も蛍宮との外交に立ち初めて知ったことが多く、当然ながら外交など知らない愛憐は気にした事も無いだろう。いや、麗亜も有翼人の日常を気にしたことはなかった。いかに安く仕入れるかしか考えてこなかったし、羽で苦しむ実状があるとは知りもしなかった。

「さて、じゃあ輸出入契約の件ですが」

 この流れでいきなり本題に入る図太さには恐れ入る。
 麗亜はまだ感情が追いついてこないが、いつものように穏やかで上品な皇子の顔を作った。
 予想外の出来事で出ばなをくじかれたが、どんな質疑応答でも対応できるようあらゆる想定をしてきた。さあ来いと麗亜は戦闘態勢に入った。
 だが皇太子から出た言葉はまたも麗亜の予想を裏切った。

「薄珂がいいなら俺ももういい」
「は?」
「護栄。あとは任せた」
「承知致しました」
「で、殿下! お待ち下さい! 今しばらくお時間を」
「護栄がうかがいますよ。玲章、お前は薄珂と立珂に加密列茶を用意してやれ」
「承知しました」

 それだけ言うと、ばたん、と扉を閉じて出て行った。

(……は? 薄珂がいいならいい? まさか本当に色惚けか?)

 伸ばした手は行き場を失い、麗亜は護栄と二人きり残された。

「麗亜殿も加密列茶いかがです? 落ち着きますよ」
「……は?」
「気持ちは分かりますが、とりあえず加密列茶をどうぞ」
「は、はあ……」

 まさか護栄手ずから茶を淹れてくれると誰が予想しただろうか。
 護栄は無駄なことは一つもしない。茶を淹れるのなら侍女を呼ぶだろう。その護栄が自ら茶を淹れる意味とは何なのだろうか。

(……まさか毒!? やはり愛憐の無礼は許さないと――いや、護栄殿が単身物理攻撃をするわけがない。だが他に何の意味が……)

 だらだらと冷や汗を流していると、くすっと護栄が笑みをこぼした。

「有翼人が好んで飲むんです。孔雀医師が発見してくれました。無料配布を始めたのですがとても好評です」
「そういうことでしたか。なるほど」
「毒など入ってないのでご安心ください」
「そんなことは思っておりませんよ」
「冗談です」

 毒が入っていない証拠とばかりに護栄はごくりと飲み、麗亜も恐る恐る口を付けた。
 本当にただのお茶で、安心したような納得がいかないような何ともいえない気持ちになった。

「では本題に入りましょうか。輸出入契約終了の手続きについてですが」
「護栄殿! 今一度、どうか機会をお与え下さい! 何卒……!」
「……手続きの前にひとつ訂正があります。立珂殿を精神的に追い詰めたのは愛憐姫ではございません」
「ご配慮は無用です。皇女であっても罪は罪」
「いいえ、本当です。何しろ立珂殿を病ませたのは私なのですから」
「は?」

 かちゃん、と護栄は音を立てて茶碗を置いた。加密列茶がゆらゆらと揺れている。

「私はあの二人を宮廷に置くのは反対だったのです。殿下と恋仲の少年ですよ?」
「……護栄殿らしからぬご判断だなとは思いました」
「天藍様が決めたなら仕方ありません。ならせめて礼儀作法を学べと強要し、そのせいで立珂殿はお心を病んだのです。これと同時に愛憐姫と口論になり事件へと発展した。非の半分は私にあるのです」
「だとしても非の半分は愛憐です。追い詰めたことに変わりはない」
「そうですね。ですがあの二人も殿下も、もういいと言ったのです。ならば愛憐姫の罪は手打ちです」
「……有難うございます。愛憐にはこのご温情を忘れず、慎ましく過ごすよう躾てまいります」

 薄珂は『立珂がいいならそれでいい』と言い、天藍は『薄珂がいいなら俺ももういい』と言った。
 ならば愛憐は帰国した時点で本当に許されていたということだ。ならば輸出入契約を継続してもらえない理由はそれではないということになる。立珂への罪とは異なる罪が愛憐にはあるのだ。

「ですが御璽を犯したことと殿下への侮辱は別問題です」
「……承知しております」
「しかし我らも明恭と争いたくはない。立珂殿が許すのならこれも手打ちにしようかと思っておりました」
「お、お許し下さるのですか?」
「殿下は良いと。ですが、運悪く愛憐姫の件が立珂殿の治療をした診療所から国民へ広まったのです。特に有翼人からは非難の嵐。明恭へ輸出するなら羽根は提供しないという声が出ています」
「そ、それは……!」

 輸出入が出来ても商品が入ってこないということだ。これでは契約を取り付けたとしても何の意味もない。むしろ頭を下げただけ分が悪くなっただけだ。

「輸出には国民の赦しが必要です」
「……しかし私が何を言っても言い訳でしかないでしょう」
「そうでしょう。なので殿下から『明恭は反省し誠意を尽くしてくれる』と発表して頂こうと思っています」
「そこまでのご温情を? ですが誠意とは何をすれば……」
「視察の目的である有翼人の生活向上です。それを国民の目に見える形で行えば国民も納得するでしょう」
「目に見える形、ですか。それは何をしたらよろしいでしょう」
「物資支援です。実は獣人保護区に手がかかっていて、有翼人特有の物資手配まで手が回らないのです」
「そうでしたか。ですが有翼人特有というのは一体……」
「そこは蛍宮も研究中でご提案ができないのです。なので既に確立し、変更の無いところをご助力いただければと。そうすれば私共も有翼人の生活改善へ予算を回せます」
「なるほど、それは良い。それなら私もすぐ動けます。何をすればよろしいか」
「有難うございます。では輸出入利益率の増額をお願いします」
「利益率?」
「はい。そうすれば獣人保護区の予算削減ができ、有翼人保護区建設予算を増額し早期完成が叶います。それも全て明恭のおかげとなれば、有翼人のみならず蛍宮の国民全てが明恭へ感謝するでしょう。如何です?」
「利益率……」

 それは、幾度となく護栄に押し切られ苦汁をなめさせられたことだった。

(やられた! 狙いは最初からそれか!)

 麗亜はずっと不思議だった。
 なぜ子供だましの揚げ足取りで罪状を作ったくせに帰国させたのか。麗亜を呼び輸出入打ち切りという決着をつけてから帰国を許すならまだ分かる。
 しかしこれでは落とし穴を掘って即座に埋めたようなものだ。だが護栄が何も落とさない落とし穴を掘るわけがない。何かを落としたいはずなのだ。

(落としたのは愛憐ではなく国民か。愛憐を餌に反明恭へ扇動した。だがなぜ国民が愛憐のことを知っているのか……)

 護栄の語ったことを頭の中で反芻した。そして一つ言葉を思い出す。

『運悪く愛憐姫の件が立珂殿の治療をした診療所から国民へ広まったのです』

「……失礼ですが、なぜ立珂殿の治療を街で?」
「有翼人の専門医が街にいまして。宮廷医師では力不足でした」
「医師を宮廷に呼ばず、直接街へ?」
「医師が宮廷を出た方が良いと判断したので」

 護栄はいつもそれらしいことを言う。しかもそれは嘘ではなく真実であることが多く、聞かされた方は『嘘だ』と反論することができない。
 ただこちらが不本意な結果を突きつけられるだけなのだ。

(医師がどうあれ、運ばれた立珂殿の傍で誰かが愛憐の仕業だと口にすれば噂になるだろう。そして噂による人心操作は護栄殿の十八番……)

 くすり、と護栄は笑った。

「愛憐が怪我をさせたと医師に伝達なさったのはどなたでしょうか」
「立珂殿の友人である慶真殿の息子ですよ」

 ――噂を流すには最高の人選だ。
 立珂との友情が厚いからではない。国民が信頼している慶真の息子だからだ。これなら同情を引きつつ愛憐の悪評を流すことができる。

「……あなたはいつも座して勝利する」
「あなたは余計なことを考えすぎです。それで、どうします?」

 どうもこうもない。最初からこちらに選択肢などありはしないのだ。

「ご温情有難く頂戴いたします。利益率の見直しは改めて打ち合わせをお願い致します」
「もちろんです。じっくりと話し合いましょう。では立珂殿を呼んで参りますので少々お待ちを」

 護栄はにっこりと微笑み部屋から出て行った。
 そしてしばらく室内は静まり返り、側近の一人が思い出したようにぽつりと零した。

「……姫様の首、繋がってよかったですね」
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