最終話 新たな契約

文字数 3,062文字

 一連の事件が収束し、薄珂と立珂は日常に戻った。
 薄珂が護栄の元で働くと決めてどうなるかと周囲は心配をしていたけれど、それはやはり大きな変化をもたらした。

「立珂ちゃーん! 来たよー!」
「いらっしゃいましー!」
「あはは。それかわいい。いらっしゃいませ、だよ」
「だって言えないの。いらっしゃいまてぇ」
「なんで! 可愛いからいいけど!」

 立珂は離宮を使って服飾店を始めた。
 薄珂が仕事をするなら自分も何か始めたいと言い、なら実益と趣味を兼ねて服飾店をやってみてはと提案してくれた。
 立珂は大喜びで、護栄はわざわざ離宮を与えてくれたのだ。

「そうだ! 南那さんに頼まれてたのできたよ!」
「ほんと!? どうどう!?」
「背中あの生地にして正解だったよ。涼しいしすっごく可愛い!」

 店の名目は有翼人の生活向上だ。
 響玄の支店扱いにしてくれたおかげもあり、ちゃんとした店だと周囲には認識して貰えている。
 縫製は変わらず侍女の仕事としてくれて、それは侍女憧れの業務にもなっているらしい。
 そしてこの話は宮廷内だけでなく、国民にも街にも広まった。今では有翼人女性が最も多く集まる場所になっている。

「それじゃあ五着で銅二枚ね。一着羽根一枚と交換でもいいよ」
「薄珂くん、それ安すぎない?」
「みんなの生活第一だからいいんだ。それより、冬用の生地が入ったから見ておいた方が良いよ」
「見たい! 立珂ちゃんは何作るか決めたの!?」
「もちろん! 見せてあげる!」

 離宮には立珂の工房もある。
 立珂はそこで客と話をしながら過ごし、これが商品になっていく。
 まさに趣味と実益を兼ねた理想の生活だ。

「盛況ですね」
「あ、護栄様。玲章様」

 同じ敷地内ということもあり、護栄と玲章はよく様子を見に来てくれている。
 最初は知り合いがやって来るだけのことだと思っていたが、実は――

「護栄様ってあれ!? うそ! 美形じゃん!」
「堅物で顔面岩とか言ってたの誰よ!」

 女性客からきゃあという悲鳴が上がった。
 実はこれがかなりの客寄せになっている。玲章は街に出ることも多いらしいが、宮廷住まいで仕事の鬼である護栄は完全に珍獣扱いだ。
 けれど護栄自身がこの店の中は堅苦しい挨拶は無しで良いとしてくれて、そこから一気に護栄が美形だと知れ渡った。
 だが客が増えた最大の要因は護栄でも玲章でもなく――

「お。お前らも来てたのか」
「殿下? 午後は外交会議ですよ。書類は?」
「任せろ。終わらせた」

 周囲からまた黄色い悲鳴が上がった。
 なんと天藍は堂々と一般客にまぎれてやって来る。皇太子が頻繁に現れると噂が広まり、ここはすっかり宮廷御用達となった。
 それでも多くの一般人が通い続けてくれるのは、愛くるしい店名のおかげだろう。

「薄珂! お客さんだ!」
「慶都。いらっしゃい。お客さんて?」
「みんな入れ! ここが『りっかのおみせ』だぞ!」
「あ、あの、りっかくんいますか」
「いらっしゃい。ちょっと待っててな。立珂! ちょっと来て!」
「はあい!」
「あ、り、りっかくん?」
「そうだよー。僕だよー」

 店の名前は『りっかのおみせ』になった。
 これは立珂の要望によるものだ。

「お店は『はっかとりっかのおみせ』がいい!」
「これはまた可愛らしく出ましたね」
「だって難しい名前じゃ僕らのお店だって分かってもらえないもの。だから『はっかとりっかのおみせ』がいい」
「それなら『りっかのおみせ』にしよう。俺の名前はいらない」
「なんでー!?」
「有翼人が警戒するからだよ。有翼人以外がいるなら行きたくないって思っちゃうかもしれないだろ」
「そうかなあ……」
「多少の演出はつきものですよ」
「そっかぁ……」

 立珂は不満そうだったが、この可愛い店名は子供にも馴染みやすく、特に有翼人はみんな安心してくれる。

「薄珂殿。休憩まで待っててもいいですか? 店舗の契約書が出来たので署名を頂きたくて」
「あ、じゃあ今書くよ」

 立珂はただ楽しくいてくれればそれでいい。
 こういう契約や手続きは全て薄珂が行っている。護栄から契約書を受け取り隅から隅までじっくりと目を通す。
 凡そ問題は無さそうだったが、一つだけ気になるものがあった。

「名義人と現場監督者は蛍宮国籍が必要?」
「当然です。宮廷ですから」
「名義人は先生だけど現場監督者って俺だよね。俺国籍無いよ」
「代理人でもいいですよ。美星でも。でもこれを機に国籍を取るというのはいかがです?」
「立珂が楽しければそれでいいんだけど、損得の想定ができなくて」
「現実的だな。なら契約にしたらどうだ」
「契約?」
「国籍の取り方は二つある。完全に国民になってしまうか、あるいは信頼できる相手と……」

 天藍は意味ありげに笑うと一枚の書類を差し出した。そこに書かれている手続き名称は――

「伴侶契約を結ぶか、だ」
「……これ」
「俺は蛍宮国籍だぞ」
「え、こ、これ、でも、護栄様は」
「私は殿下がやりたいことを叶えるのが仕事ですから」
「住居は今のままでいい。生活も何え変えなくていい」

 え、え、と何を言われているのかすんなりとは入ってこなかった。
 薄珂は自分の感情がどうなっているのかも分からなくなってしまったが、ぴょんと飛び跳ねて喜んだのは立珂だった。

「僕良いと思うよ! おうちは素敵だし服いっぱいだしみんないるし!」
「でも後から良くないことが出てきたら」
「安心なさい。契約更新は半年ごとで解約可能です。規約に書いてありますよ」
「え? あ、ほんとだ。嫌なら止めればいいんだ」
「おい! 薄珂!」
「解約しても蛍宮国籍の者は他にもいます。芳明先生や美星もそうですし、慶都殿だって」
「え、慶都って蛍宮国籍なの?」
「そうですよ。慶真殿が連れて出ただけで国籍は残ってます」

 慶真一家の事情はあまり聞いていない。
 聞いた方が良い日が来るかもしれないが、今は慶都が立珂と遊んでくれるだけで十分だった。

 十分だったのに。

「じゃあ僕は慶都と伴侶契約する!」
「……は?」
「だって僕も国籍いるでしょ?」
「薄珂殿が雇っているということにすれば大丈夫ですよ」
「やだー! 薄珂と同じじゃなきゃやだ!」
「待て。それはともかく慶都は待て」
「何で? 僕慶都が良い」
「立珂が俺の伴侶になるのか!?」
「そうだよ! 家族だよ!」
「やったあ! 家族だ! 立珂も家族だ!」
「家族家族!」

 立珂はぎゅっと慶都に抱きつき、二人でぴょんぴょんと飛び跳ねた。
 せっかくだし遊ぼうと子供を引き連れて店を出てしまう。

「え、ちょ、ちょっと待て」
「薄珂! こっちも待て! 伴侶契約してくれるのか!?」
「あ、するする」

 薄珂はすっかり忘れていた天藍との伴侶契約書類に雑な署名をした。

「はい。あとよろしく」
「え?」
「立珂! 待てって! 芳明先生とか響玄先生とか、保護者になってくれる人にしとけ! な!?」
「やだー。慶都がいいー」
「俺も立珂がいい」
「待て! 立珂!」





 薄珂が立珂を追って店を出て、残ったのは美星と客だけだ。
 そして客のなかで天藍は呆然と立ち尽くした。

「……え?」
「よかったじゃないですか」
「え、あの、も、もうちょっとこう」
「無駄ですよ。一番信頼できる相手になれても一番大切な相手にはなれません」

 伴侶契約には薄珂の名が書いていあった。提出先は役所――最終的には護栄に届くので伴侶契約はこれで締結されたことになる。
 けれど契約更新確認欄は、自動更新ではなく都度に丸が付いていた。

「しっかりしてますね」
「……薄珂ー!」

 店を飛び出し追いかけたけれど、既に愛しい弟と共に姿を消していた。
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