第十四話 店員・護栄
文字数 2,852文字
その日、瑠璃宮は震撼していた。
何しろあの護栄が店員として働いているのだから。
「いらっしゃいませ。どうぞごゆっくりご覧ください」
あの店は何をしたんだ、とひそひそと小声で話す者ばかりだ。
護栄はにこやかにしているが、周囲はそう簡単に受け入れられない。
「みんなびっくりしてる」
「びっくりしすぎて入ってくれないな」
護栄が買いに来ただけでも衝撃が走ったのに、本人が店員になるなどあり得ない話だ。
少なくとも瑠璃宮に入ることのできる者はみなそうだろう。
けれどこれでは商売にならない。薄珂は少し奥に居てもらった方が良いかと思ったが、途端に立珂が飛び出した。
「入っていいよって言ってくる!」
「立珂!」
立珂は店をちらちらと眺める男二人に向かって行った。
「ここは立珂様の店じゃなかったのか? 誰でも入って良いと聞いていたが」
「けど護栄様だ。上の人しか駄目なんじゃ」
「そんなことないよ! 誰でも入っていいよ!」
「へ?」
「こんにちは! 立珂です! あそこ僕のお店なの! 護栄様は手伝ってくれてるんだ。誰でも大歓迎だよ!」
「いや、でも」
「大丈夫だよ! 護栄様も服のお話するんだ! きっと楽しいよ!」
客はごくりと喉を鳴らして、ちらりと護栄を見るとにこりと微笑んでいる。
本当にいいのかと煮え切れない様子に耐え兼ねて、立珂はぐいぐいと客を店まで引っ張った。
客は恐る恐る店に足を踏み入れた。すると、流れるような歩行でするりと護栄が客を迎えに出てきた。
「いらっしゃいませ。どのような服をお探しですか」
「え、いや、ええと、その」
「その、あ、あの、そうだ! あの、今着てらっしゃるのはどれでしょう!」
「ご案内します」
護栄はにこりと微笑み店内へと誘導した。
それを見ていた周囲の人達も、おお、と驚きながら、若干怯えながらそろそろと足を踏み込んでくれるようになった。
一人はいればつられて二人目が、また一人、また一人……どんどん人が集まり、気が付けば護栄を中心に小さな会合になってしまったようだった。
「護栄様って接客もできちゃうんだね」
「あれは接客って言うのかな」
「言いません!!」
「あ、美星さん」
「まったく! これだから厚顔無恥な唐変木は!」
「えっ」
美星はずんずんと護栄の方へ向かい、取り囲む客に話しかけ始めた。
すると客は護栄の話を聞きつつも色々な商品へ目を向け出し、あれよあれよと会計へと向かっていく。
一方護栄は相変わらず服について語っていて、購入には全く繋がっていなかった。けれどこれを美星が捌くという連携でどんどん商品は売れて行った。
「美星さんすごい!」
「さすが先生の娘で宮廷侍女」
今回の出店で美星の存在は有難かった。
薄珂と立珂は礼儀作法を勉強中で身に付いてはいない。立珂は感情のままに動き回る方で、薄珂もそれを良しとしている。
けれど高級を売りにしている『天一有翼人店』では二人の振る舞いが店の質を下げてしまうのだ。
(やっぱりその場に相応しい店員も必要だな。逆に『りっかのおみせ』じゃ侍女は上品すぎて緊張するお客さんが多い)
『りっかのおみせ』は侍女が手を貸してくれている。
しかしあまりにも礼儀正しくしゃなりしゃなりとしているので『気軽』が売りの『りっかのおみせ』では客が委縮することもある。
(もっとくだけた、一般市民と対等な店員が欲しいな)
だがそれは侍女を追い出すようなものでもある。きっと立珂は嫌がるだろう。
(……まあそれは『天一有翼人店』が落ち着いてから考えるか)
そうして、護栄が客を集め美星が捌く連携で一日が過ぎていく。
男性物も目標数の在庫が全て無くなり、今日は大成功に終わった。
だが閉店後――
「いいですか! 接客は説明ではありません! 感情を揺さぶり手に取りたいと思わせるんです! つらつらと情報を並べるだけなんて学舎の子供でもできますわ!」
「感情を揺さぶる、ですか」
「そうです! ここは立珂様の店! 立珂様になった気持ちで接客をして下さい!」
「……それは難題ですね」
「あらあら放棄するんですの? 心理操作は護栄様の真骨頂なのに? ああ、戦争と政治以外はできないんですのね」
「やらないとは言ってませんよ」
「では明日は最低十着は売って下さいませ。できないわけ御座いませんものね」
美星はなおもぎゃんぎゃんと護栄を責め立てた。
しかし不思議なことに、護栄は言われるがままだ。こんな護栄は接客姿よりも珍しい。
「どうしたんだろう護栄様。言い返さないなんて」
「きょうだいだからじゃない? 二人とも紅蘭さんがお母さんなんだよね」
「あー……」
言われて気付いたが、そういえばそうだ。
しかも実の娘の美星を捨てたと言っていた。それなのに護栄を育てていたのなら、美星からすればかなり複雑なのではないだろうか。
今までは護栄に対して礼儀正しく振る舞っていたが、あれはあくまでも『礼儀』だったのだろう。
(すごい関係だなこの二人)
深入りして美星の機嫌を損ねては立珂が悲しむし、かといって護栄を敵に回すことほど恐ろしいものは無い。
どうしようかと迷っていると、美星がやってきて立珂を抱き上げる。
「立珂様。護栄様の接客を見てやってくださいませ。滑稽ですのよ」
「先入観を与えるのは卑怯でしょう」
「先入観があっても素晴らしい接客は胸を打ちますわ。さあ私と立珂様を客だと思ってやって下さい。下手くそだったら店に立たせません」
「はあ……」
美星には逆らわないようにしてるのか逆らえない何かがあるのか、護栄は美星と立珂に接客の指導を受け始めた。
こんな事をやらせていいのだろうかと不安になっていると、ふと視線を感じた。
妙にぞわぞわして周囲を見渡すと、二軒ほど離れた店の物影から薄珂を睨む青年がいた。薄珂より少しばかり年上のようだ。
眼鏡をかけた線の細い青年は丸みのある目を吊り上げた。怒り顕わなその表情は護栄よりも恐ろしい。
(宮廷の規定服? 瑠璃宮の関係者かな。あ、こっち来る)
青年は隠れるようにしながら歩き薄珂の前にやって来るとぎろっと睨みつけてきた。
(……え? 何だ?)
語るまでもなく敵とみなされているが、薄珂は一応頭を下げた。
「いらっしゃいませ。申し訳ありませんが本日は閉店でして」
「は? いらっしゃいませ? 開口一番がそれ?」
「……お客様にはご挨拶をさせて頂いております」
「ふん。覚えてもないってわけだ」
「え?」
青年はつり上がっている目をさらに吊り上げた。
(知り合いか? そういえば何となく見覚えあるような……)
青年は立珂とよく似た亜麻色の髪をしていた。ふわりとした緩やかな曲線を描く髪型は立珂と似ている。
丸い目も立珂と似ているが、その表情は立珂とは似ても似つかないほど凶悪だ。
確実に何かしらの恨みを買っているが、薄珂には何の覚えもない。
「……すみません。どちら様でしょう」
薄珂は諦めて名を訊ねると、青年はまたぎろりと睨みつけ不愉快そうに髪をかき上げた。
「僕は浩然(はおらん)。護栄様の第一秘書官だ」
何しろあの護栄が店員として働いているのだから。
「いらっしゃいませ。どうぞごゆっくりご覧ください」
あの店は何をしたんだ、とひそひそと小声で話す者ばかりだ。
護栄はにこやかにしているが、周囲はそう簡単に受け入れられない。
「みんなびっくりしてる」
「びっくりしすぎて入ってくれないな」
護栄が買いに来ただけでも衝撃が走ったのに、本人が店員になるなどあり得ない話だ。
少なくとも瑠璃宮に入ることのできる者はみなそうだろう。
けれどこれでは商売にならない。薄珂は少し奥に居てもらった方が良いかと思ったが、途端に立珂が飛び出した。
「入っていいよって言ってくる!」
「立珂!」
立珂は店をちらちらと眺める男二人に向かって行った。
「ここは立珂様の店じゃなかったのか? 誰でも入って良いと聞いていたが」
「けど護栄様だ。上の人しか駄目なんじゃ」
「そんなことないよ! 誰でも入っていいよ!」
「へ?」
「こんにちは! 立珂です! あそこ僕のお店なの! 護栄様は手伝ってくれてるんだ。誰でも大歓迎だよ!」
「いや、でも」
「大丈夫だよ! 護栄様も服のお話するんだ! きっと楽しいよ!」
客はごくりと喉を鳴らして、ちらりと護栄を見るとにこりと微笑んでいる。
本当にいいのかと煮え切れない様子に耐え兼ねて、立珂はぐいぐいと客を店まで引っ張った。
客は恐る恐る店に足を踏み入れた。すると、流れるような歩行でするりと護栄が客を迎えに出てきた。
「いらっしゃいませ。どのような服をお探しですか」
「え、いや、ええと、その」
「その、あ、あの、そうだ! あの、今着てらっしゃるのはどれでしょう!」
「ご案内します」
護栄はにこりと微笑み店内へと誘導した。
それを見ていた周囲の人達も、おお、と驚きながら、若干怯えながらそろそろと足を踏み込んでくれるようになった。
一人はいればつられて二人目が、また一人、また一人……どんどん人が集まり、気が付けば護栄を中心に小さな会合になってしまったようだった。
「護栄様って接客もできちゃうんだね」
「あれは接客って言うのかな」
「言いません!!」
「あ、美星さん」
「まったく! これだから厚顔無恥な唐変木は!」
「えっ」
美星はずんずんと護栄の方へ向かい、取り囲む客に話しかけ始めた。
すると客は護栄の話を聞きつつも色々な商品へ目を向け出し、あれよあれよと会計へと向かっていく。
一方護栄は相変わらず服について語っていて、購入には全く繋がっていなかった。けれどこれを美星が捌くという連携でどんどん商品は売れて行った。
「美星さんすごい!」
「さすが先生の娘で宮廷侍女」
今回の出店で美星の存在は有難かった。
薄珂と立珂は礼儀作法を勉強中で身に付いてはいない。立珂は感情のままに動き回る方で、薄珂もそれを良しとしている。
けれど高級を売りにしている『天一有翼人店』では二人の振る舞いが店の質を下げてしまうのだ。
(やっぱりその場に相応しい店員も必要だな。逆に『りっかのおみせ』じゃ侍女は上品すぎて緊張するお客さんが多い)
『りっかのおみせ』は侍女が手を貸してくれている。
しかしあまりにも礼儀正しくしゃなりしゃなりとしているので『気軽』が売りの『りっかのおみせ』では客が委縮することもある。
(もっとくだけた、一般市民と対等な店員が欲しいな)
だがそれは侍女を追い出すようなものでもある。きっと立珂は嫌がるだろう。
(……まあそれは『天一有翼人店』が落ち着いてから考えるか)
そうして、護栄が客を集め美星が捌く連携で一日が過ぎていく。
男性物も目標数の在庫が全て無くなり、今日は大成功に終わった。
だが閉店後――
「いいですか! 接客は説明ではありません! 感情を揺さぶり手に取りたいと思わせるんです! つらつらと情報を並べるだけなんて学舎の子供でもできますわ!」
「感情を揺さぶる、ですか」
「そうです! ここは立珂様の店! 立珂様になった気持ちで接客をして下さい!」
「……それは難題ですね」
「あらあら放棄するんですの? 心理操作は護栄様の真骨頂なのに? ああ、戦争と政治以外はできないんですのね」
「やらないとは言ってませんよ」
「では明日は最低十着は売って下さいませ。できないわけ御座いませんものね」
美星はなおもぎゃんぎゃんと護栄を責め立てた。
しかし不思議なことに、護栄は言われるがままだ。こんな護栄は接客姿よりも珍しい。
「どうしたんだろう護栄様。言い返さないなんて」
「きょうだいだからじゃない? 二人とも紅蘭さんがお母さんなんだよね」
「あー……」
言われて気付いたが、そういえばそうだ。
しかも実の娘の美星を捨てたと言っていた。それなのに護栄を育てていたのなら、美星からすればかなり複雑なのではないだろうか。
今までは護栄に対して礼儀正しく振る舞っていたが、あれはあくまでも『礼儀』だったのだろう。
(すごい関係だなこの二人)
深入りして美星の機嫌を損ねては立珂が悲しむし、かといって護栄を敵に回すことほど恐ろしいものは無い。
どうしようかと迷っていると、美星がやってきて立珂を抱き上げる。
「立珂様。護栄様の接客を見てやってくださいませ。滑稽ですのよ」
「先入観を与えるのは卑怯でしょう」
「先入観があっても素晴らしい接客は胸を打ちますわ。さあ私と立珂様を客だと思ってやって下さい。下手くそだったら店に立たせません」
「はあ……」
美星には逆らわないようにしてるのか逆らえない何かがあるのか、護栄は美星と立珂に接客の指導を受け始めた。
こんな事をやらせていいのだろうかと不安になっていると、ふと視線を感じた。
妙にぞわぞわして周囲を見渡すと、二軒ほど離れた店の物影から薄珂を睨む青年がいた。薄珂より少しばかり年上のようだ。
眼鏡をかけた線の細い青年は丸みのある目を吊り上げた。怒り顕わなその表情は護栄よりも恐ろしい。
(宮廷の規定服? 瑠璃宮の関係者かな。あ、こっち来る)
青年は隠れるようにしながら歩き薄珂の前にやって来るとぎろっと睨みつけてきた。
(……え? 何だ?)
語るまでもなく敵とみなされているが、薄珂は一応頭を下げた。
「いらっしゃいませ。申し訳ありませんが本日は閉店でして」
「は? いらっしゃいませ? 開口一番がそれ?」
「……お客様にはご挨拶をさせて頂いております」
「ふん。覚えてもないってわけだ」
「え?」
青年はつり上がっている目をさらに吊り上げた。
(知り合いか? そういえば何となく見覚えあるような……)
青年は立珂とよく似た亜麻色の髪をしていた。ふわりとした緩やかな曲線を描く髪型は立珂と似ている。
丸い目も立珂と似ているが、その表情は立珂とは似ても似つかないほど凶悪だ。
確実に何かしらの恨みを買っているが、薄珂には何の覚えもない。
「……すみません。どちら様でしょう」
薄珂は諦めて名を訊ねると、青年はまたぎろりと睨みつけ不愉快そうに髪をかき上げた。
「僕は浩然(はおらん)。護栄様の第一秘書官だ」