第十七話 立珂いじめられる
文字数 3,454文字
響玄は店舗の小売りではなく、他国との交易を本業としている。
薄珂と立珂に貸した店名『天一有翼人店』は響玄の店舗名だが、ここ客が来る事はほとんどない。
今日も開店休業状態だ。
(二人はうまくやってるかな。午後は様子を見に行くか)
響玄は窓から瑠璃宮のある方向へ視線を向けた。
響玄にとって薄珂と立珂は息子のようなものだった。
当初は薄珂に仕事を教えるという名目だったが、実のところ響玄が教えているのは生活の基礎ばかりだ。
硬貨の数え方や換金、文字の読み書き、森育ちの二人はあまりにも人と共に暮らす知識が無かった。
先は長いと思っていたが、薄珂は護栄に商談を持ちかけあっという間に店を開くに至った。もはや響玄の手を離れていて寂しくもある。
薄珂と立珂のいない店はがらんどうのようで、寂しさにふけっていると突如宮廷侍女が飛び込んできた。
「響玄様!」
「どうしました、そんなに慌てて」
「大変です! 今すぐ『りっかのおみせ』へいらして下さい!」
「何だと!?」
薄珂と立珂が『天一有翼人店』に出ている間『りっかのおみせ』は侍女で営業をしてくれている。
二人がいなくても客が絶えないところまで成長していて、響玄も数日に一度は覗くが何ら問題もなかった。
しかし今日はそれが一転していた。
「これは……!」
「朝来たらこんなになっていて……」
そこは酷い有様だった。商品在庫を保管している部屋中に真っ赤な塗料がぶちまけられていた。あちこちに塗料が付着し、服も家具も使い物にならない。
こんな強い薬品のにおいのする服では、においに弱い有翼人は倒れてもおかしくはない。
「とにかく換気だ。窓を開けなさい」
「はい!」
「盗難か? 施錠はしていたのか?」
「昨日の鍵当番は誰です!」
「わ、私です。でもちゃんと施錠しました!」
「けどこじ開けられた様子もないし、窓も扉も傷一つない。絶対に鍵を開けて入ってるわよ」
「違います! 私じゃありません! それに鍵を戻したのは彼女です!」
「わ、私はきちんと封をしました!」
「でも戻したのはあなたじゃない!」
侍女たちは自分ではないと責任のなすりつけ合いを始めてしまった。
(まずいな。これは今後のわだかまりになる)
犯人が誰であれ、この店のせいで侍女が不仲になれば立珂は心を痛めるだろう。
響玄はぱんぱんと手を叩き侍女の言い合いを仲裁した。
「犯人捜しは後だ。それより在庫は足りるのか」
「個人依頼の特注品は無事ですが既製品在庫は……」
侍女は棚に目を向けるが、そこにあるのは服か雑巾か分からない。
せめて切り刻まれているなら縫い合わせることもできただろうが、それもできない。
(これは組み合わせる服と知ってのことだろう。犯人は立珂のお洒落を良く知っている)
立珂のお洒落を熟知しているのは侍女たちだ。
けれど立珂が愛している侍女に犯人がいるとは思いたくなかった。
「薄珂と立珂を呼んで来る。無事な在庫を探してくれ」
「はい!」
響玄は瑠璃宮へと走った。
ことを告げると立珂は顔を真っ青にして震え出した。けれど薄珂は冷静で、売り場を護栄と美星に任せ立珂を抱いて『りっかのおみせ』へと走った。
そして赤く染まった服を見て、立珂はぼろぼろと涙を流し始めた。
「なんで!? どうして!?」
「立珂!」
「ひどいぃ! みんなが作ってくれたのに!」
立珂は塗料で使い物にならなくなった服に飛びつこうとしたが、薄珂が慌てて抱き留めた。塗料が羽に付いたら一大事だ。
立珂はわああんと声を上げて泣き、薄珂も泣いてしまうのではと思い駆け寄った。
だが薄珂はきょろきょろと室内を確認すると、よし、と頷き毅然と立ち上がった。
「立珂。泣いている暇はないぞ。もう一度作ろう」
「う、う……うん……」
「よし。じゃあみんなにちゃんとお願いしよう」
「……うん! みんな! 力を貸してください!」
「ええ! もちろんです!」
「何日で作れる? 一先ず二日分でいい」
「侍女を総動員いたしますが、それでも三日は必要かと……」
「十分」
薄珂は涙でぐしゃぐしゃになった立珂の頬を拭い、ぎゅっと抱きしめ抱き上げた。
「店を開ける。みんな手を貸して」
「え? で、ですが商品がこれでは」
「大丈夫。新商品があるんだ」
「新商品? 何だそれは」
想像もしていなかった言葉に響玄と侍女はきょとんと首を傾げた。
立珂も不思議そうな顔をしているけれど、薄珂はまったく動じていない。
(考えがあるのか。この状況でも何か手が)
響玄は薄珂がどうするかが気になり、あえて手を出さず一歩引いた。
「家具の位置を変える。棚は壁際の二つを除いて全部片づけて。空間を作って机を並べる」
「た、棚を全てですか? ですが無事な在庫もあります」
「いいんだ。売らない(・・・・)から」
「ええ?」
物を売るのが店だというのに、何を言ってるんだ、と侍女も皆眉をひそめた。
けれど薄珂はにっこりと微笑み、立珂を高く抱き上げた。
「在庫が揃うまで立珂を売る!」
「「「「えーーーー!!??」」」」
自信ありげな笑顔を見せた薄珂だが、全員同時に叫び声をあげ顔を真っ青にした。
「なななななな何てことをおっしゃるんです!!」
「うわっ」
侍女はびゅんっと薄珂に詰め寄り首元をひっつかみがくがくと揺らした。
首が締まった薄珂はぐえ、と呻くが、同時にわあああっと立珂が泣き叫んだ。
「やだああああ! 薄珂と一緒にいたいよぉおお! 売らないでええええ!」
「え?」
「こんなに愛されていながらよくもそのようなことを!」
「立珂様を売るなんて私共が許しません! 宮廷でお守り申し上げます!」
「え、ああ、ごめんごめん。立珂自身を売るんじゃないよ」
「う?」
薄珂は泣きじゃくる立珂を強く抱きしめ、ぽんぽんと背を撫でる。
「そんなことするわけないじゃないか。俺は立珂が大好きなんだ。立珂が嫌がったって放してやるもんか!」
「んにゃ、にゃ」
いつものようにうりうりと頬ずりをすると、立珂はぴたりと涙を止めて頬ずりを返した。
立珂がすっかり泣き止んだのを見て、よし、と薄珂は立珂を抱き上げた。
「新商品は物じゃない。立珂の『お洒落術』を売るんだ!」
「……う?」
当の立珂は分かっていないようで、こてんと首を傾げた。
響玄も何の話かすぐには理解できず、一緒になって首を傾げる。
「今やってるのは『汗疹にならない既製服の提供』だ。けど立珂の目標はその先にもあるんだ」
立珂は、う、と首を傾げるが、立珂が思いつくより早くに侍女の一人が気付き声をあげた。
「自分だけのお洒落!」
「そう! 『お洒落する自由』こそ立珂が提供したいものだ!」
「そっか! その人だけのお洒落な服を作ってあげるんだ!」
「それは素敵ですね。立珂様と同じことができれば客も喜びましょう」
「ああ。けどそのためには在庫を退けて相談場所を作る必要がある」
「なら今しかありませんわ!」
「そうだ。在庫が無い今こそ既製品から先へ進む好機」
薄珂と立珂は目を見合わせてにやりと笑い前を向いた。
「三日間は特注の拡大に専念する!」
「とくちゅー!」
「お客さんはまず立珂と十分間相談。方針が決まったら細かいとこは侍女のみんなで相談にのってあげる。一回につき一着で、二着目以降は都度並び直し。これを流れでできるように机の配置をしよう」
「はい!」
「立珂の私服を展示する場所も作る。『立珂と同じ』って指定できる参考例を出したい」
「承知致しました!」
「立珂は展示する着こなしを考えてくれ。できるだけ全く違う服に見えるように」
「はいっ!」
「立珂が自分で着るのは既製品にしてない服にしよう。みんなも創作意欲が増すはずだ」
「じゃあおうちから持ってくる!」
「俺も行く。できるだけ数持ってこよう」
薄珂は驚くほど迅速に支持をした。
机の位置はこうで目立つ机は立珂用、侍女のみんなも既製服の組み合わせを着て――瞬く間に設営と侍女の支度が進んで行く。
それは在庫の盗難や塗料など何の問題も無いと言わんばかりだった。
響玄は思わずため息を吐いて見惚れていたが、くるりと薄珂が振り向いてきた。
「響玄先生。宮廷に警備を頼んでもらえませんか」
「あ、ああ。もちろんだ。すぐに行ってこよう」
「お願いします。立珂、行くぞ!」
「はいっ!」
もはや事件のことを忘れかけていた響玄は警備と言われて思わず慌てた。
在庫が無いことなどもはや誰一人慌ててはいない。
(もはやこの子が学ぶべきは私ではない。いや、おそらく最初から……)
響玄はぐっと唇を噛み、そして指示通りに宮廷へと向かった。
薄珂と立珂に貸した店名『天一有翼人店』は響玄の店舗名だが、ここ客が来る事はほとんどない。
今日も開店休業状態だ。
(二人はうまくやってるかな。午後は様子を見に行くか)
響玄は窓から瑠璃宮のある方向へ視線を向けた。
響玄にとって薄珂と立珂は息子のようなものだった。
当初は薄珂に仕事を教えるという名目だったが、実のところ響玄が教えているのは生活の基礎ばかりだ。
硬貨の数え方や換金、文字の読み書き、森育ちの二人はあまりにも人と共に暮らす知識が無かった。
先は長いと思っていたが、薄珂は護栄に商談を持ちかけあっという間に店を開くに至った。もはや響玄の手を離れていて寂しくもある。
薄珂と立珂のいない店はがらんどうのようで、寂しさにふけっていると突如宮廷侍女が飛び込んできた。
「響玄様!」
「どうしました、そんなに慌てて」
「大変です! 今すぐ『りっかのおみせ』へいらして下さい!」
「何だと!?」
薄珂と立珂が『天一有翼人店』に出ている間『りっかのおみせ』は侍女で営業をしてくれている。
二人がいなくても客が絶えないところまで成長していて、響玄も数日に一度は覗くが何ら問題もなかった。
しかし今日はそれが一転していた。
「これは……!」
「朝来たらこんなになっていて……」
そこは酷い有様だった。商品在庫を保管している部屋中に真っ赤な塗料がぶちまけられていた。あちこちに塗料が付着し、服も家具も使い物にならない。
こんな強い薬品のにおいのする服では、においに弱い有翼人は倒れてもおかしくはない。
「とにかく換気だ。窓を開けなさい」
「はい!」
「盗難か? 施錠はしていたのか?」
「昨日の鍵当番は誰です!」
「わ、私です。でもちゃんと施錠しました!」
「けどこじ開けられた様子もないし、窓も扉も傷一つない。絶対に鍵を開けて入ってるわよ」
「違います! 私じゃありません! それに鍵を戻したのは彼女です!」
「わ、私はきちんと封をしました!」
「でも戻したのはあなたじゃない!」
侍女たちは自分ではないと責任のなすりつけ合いを始めてしまった。
(まずいな。これは今後のわだかまりになる)
犯人が誰であれ、この店のせいで侍女が不仲になれば立珂は心を痛めるだろう。
響玄はぱんぱんと手を叩き侍女の言い合いを仲裁した。
「犯人捜しは後だ。それより在庫は足りるのか」
「個人依頼の特注品は無事ですが既製品在庫は……」
侍女は棚に目を向けるが、そこにあるのは服か雑巾か分からない。
せめて切り刻まれているなら縫い合わせることもできただろうが、それもできない。
(これは組み合わせる服と知ってのことだろう。犯人は立珂のお洒落を良く知っている)
立珂のお洒落を熟知しているのは侍女たちだ。
けれど立珂が愛している侍女に犯人がいるとは思いたくなかった。
「薄珂と立珂を呼んで来る。無事な在庫を探してくれ」
「はい!」
響玄は瑠璃宮へと走った。
ことを告げると立珂は顔を真っ青にして震え出した。けれど薄珂は冷静で、売り場を護栄と美星に任せ立珂を抱いて『りっかのおみせ』へと走った。
そして赤く染まった服を見て、立珂はぼろぼろと涙を流し始めた。
「なんで!? どうして!?」
「立珂!」
「ひどいぃ! みんなが作ってくれたのに!」
立珂は塗料で使い物にならなくなった服に飛びつこうとしたが、薄珂が慌てて抱き留めた。塗料が羽に付いたら一大事だ。
立珂はわああんと声を上げて泣き、薄珂も泣いてしまうのではと思い駆け寄った。
だが薄珂はきょろきょろと室内を確認すると、よし、と頷き毅然と立ち上がった。
「立珂。泣いている暇はないぞ。もう一度作ろう」
「う、う……うん……」
「よし。じゃあみんなにちゃんとお願いしよう」
「……うん! みんな! 力を貸してください!」
「ええ! もちろんです!」
「何日で作れる? 一先ず二日分でいい」
「侍女を総動員いたしますが、それでも三日は必要かと……」
「十分」
薄珂は涙でぐしゃぐしゃになった立珂の頬を拭い、ぎゅっと抱きしめ抱き上げた。
「店を開ける。みんな手を貸して」
「え? で、ですが商品がこれでは」
「大丈夫。新商品があるんだ」
「新商品? 何だそれは」
想像もしていなかった言葉に響玄と侍女はきょとんと首を傾げた。
立珂も不思議そうな顔をしているけれど、薄珂はまったく動じていない。
(考えがあるのか。この状況でも何か手が)
響玄は薄珂がどうするかが気になり、あえて手を出さず一歩引いた。
「家具の位置を変える。棚は壁際の二つを除いて全部片づけて。空間を作って机を並べる」
「た、棚を全てですか? ですが無事な在庫もあります」
「いいんだ。売らない(・・・・)から」
「ええ?」
物を売るのが店だというのに、何を言ってるんだ、と侍女も皆眉をひそめた。
けれど薄珂はにっこりと微笑み、立珂を高く抱き上げた。
「在庫が揃うまで立珂を売る!」
「「「「えーーーー!!??」」」」
自信ありげな笑顔を見せた薄珂だが、全員同時に叫び声をあげ顔を真っ青にした。
「なななななな何てことをおっしゃるんです!!」
「うわっ」
侍女はびゅんっと薄珂に詰め寄り首元をひっつかみがくがくと揺らした。
首が締まった薄珂はぐえ、と呻くが、同時にわあああっと立珂が泣き叫んだ。
「やだああああ! 薄珂と一緒にいたいよぉおお! 売らないでええええ!」
「え?」
「こんなに愛されていながらよくもそのようなことを!」
「立珂様を売るなんて私共が許しません! 宮廷でお守り申し上げます!」
「え、ああ、ごめんごめん。立珂自身を売るんじゃないよ」
「う?」
薄珂は泣きじゃくる立珂を強く抱きしめ、ぽんぽんと背を撫でる。
「そんなことするわけないじゃないか。俺は立珂が大好きなんだ。立珂が嫌がったって放してやるもんか!」
「んにゃ、にゃ」
いつものようにうりうりと頬ずりをすると、立珂はぴたりと涙を止めて頬ずりを返した。
立珂がすっかり泣き止んだのを見て、よし、と薄珂は立珂を抱き上げた。
「新商品は物じゃない。立珂の『お洒落術』を売るんだ!」
「……う?」
当の立珂は分かっていないようで、こてんと首を傾げた。
響玄も何の話かすぐには理解できず、一緒になって首を傾げる。
「今やってるのは『汗疹にならない既製服の提供』だ。けど立珂の目標はその先にもあるんだ」
立珂は、う、と首を傾げるが、立珂が思いつくより早くに侍女の一人が気付き声をあげた。
「自分だけのお洒落!」
「そう! 『お洒落する自由』こそ立珂が提供したいものだ!」
「そっか! その人だけのお洒落な服を作ってあげるんだ!」
「それは素敵ですね。立珂様と同じことができれば客も喜びましょう」
「ああ。けどそのためには在庫を退けて相談場所を作る必要がある」
「なら今しかありませんわ!」
「そうだ。在庫が無い今こそ既製品から先へ進む好機」
薄珂と立珂は目を見合わせてにやりと笑い前を向いた。
「三日間は特注の拡大に専念する!」
「とくちゅー!」
「お客さんはまず立珂と十分間相談。方針が決まったら細かいとこは侍女のみんなで相談にのってあげる。一回につき一着で、二着目以降は都度並び直し。これを流れでできるように机の配置をしよう」
「はい!」
「立珂の私服を展示する場所も作る。『立珂と同じ』って指定できる参考例を出したい」
「承知致しました!」
「立珂は展示する着こなしを考えてくれ。できるだけ全く違う服に見えるように」
「はいっ!」
「立珂が自分で着るのは既製品にしてない服にしよう。みんなも創作意欲が増すはずだ」
「じゃあおうちから持ってくる!」
「俺も行く。できるだけ数持ってこよう」
薄珂は驚くほど迅速に支持をした。
机の位置はこうで目立つ机は立珂用、侍女のみんなも既製服の組み合わせを着て――瞬く間に設営と侍女の支度が進んで行く。
それは在庫の盗難や塗料など何の問題も無いと言わんばかりだった。
響玄は思わずため息を吐いて見惚れていたが、くるりと薄珂が振り向いてきた。
「響玄先生。宮廷に警備を頼んでもらえませんか」
「あ、ああ。もちろんだ。すぐに行ってこよう」
「お願いします。立珂、行くぞ!」
「はいっ!」
もはや事件のことを忘れかけていた響玄は警備と言われて思わず慌てた。
在庫が無いことなどもはや誰一人慌ててはいない。
(もはやこの子が学ぶべきは私ではない。いや、おそらく最初から……)
響玄はぐっと唇を噛み、そして指示通りに宮廷へと向かった。