第十三話 玲章の獣化訓練 

文字数 2,042文字

 蛍宮は広い。区画は大きく五つに分かれていて、東区、西区、南区、北区、そして中央区だ。
 西区はほぼ全域が獣人保護区となっており、人口は約五十万人。現在も多数の獣人が移住を希望しており、住居の建築が急がれている。
 北区と東区は人間の生活区域で、住宅街や市場など、雑多になんでも詰め込まれている状態だ。
 南区はほぼ未開拓だが、薄珂と立珂はこの区に住んでいる。森が多く買い出しにも不自由なため好んで住む者は少ない。だが、それが薄珂と立珂にはちょうど良かったのだ。
 全五区の中でも中央西区は警備が厳しい。
 その理由は施設内容と住人だ。まず第一に宮廷がある。そこから役所や宮廷直営の公共施設が集中しており、宮廷職員や富裕層の居住区がある。
 そして最も大きいのが皇太子の御所だ。

「わあああああああい!!」
「こら! 立珂!」

 立珂は一面緑の芝生に飛び込みころころと転がった。ふんふんと土のにおいを嗅いではしゃいでいる。
 ここは皇太子の御所――つまり天藍の自宅だ。以前遊びに来いと言われたが、どうせ忙しくて無理だろうと思っていたが今朝突然迎えに来たのだ。
 ぽいぽいと馬車に放り込まれ、着いた先がここというわけだ。

「……なんかごめん」
「何がだ? これが目的じゃないか。ほら、お前も転がれ」
「うわ!」

 天藍に抱きかかえられ、立珂の隣に転がされる。すると立珂がきゃあきゃあと笑いながら薄珂に抱き着いて来た。
 遊ぶのは主の許しを得てからだ――と言おうと思ったが顔に葉っぱを付けて笑う姿を見たらつい抱きしめてしまう。

「気持ちいいねえ!」
「そうだな。手入れされてる草も良いもんだな」
「うん! ねえねえ。天藍はここでぴょんぴょんするの?」
「人目に付く所ではしないな。兎はすーぐ馬鹿にされる」

 天藍は兎獣人だ。肉食獣どころか、人間にも叶わず愛玩されるしかない獣種はこの世界の力関係で底辺に位置すると言って良い。
 それが肉食獣を打倒したというのは世界でも大きな話題となったが、だからといって獣種全体の価値が上がったわけではない。
 実際、獣人保護区で暮らす獣人は他国からの避難民のようなもので、先代に惹かれて集まった獣人のほとんどが蛍宮から出て行った。今なお残っているのは先代皇の仇討ちを企む者だけらしい。
 そんな話を響玄から聞いたが、薄珂が気になったのは政治的なことよりも兎になること――獣化のことだった。

「……天藍は獣化って嫌じゃない?」
「元が獣だからな。お前は嫌なのか」
「嫌っていうか、ちょっと……怖い、かな……」
「お前はまあそうだよな。なら訓練すればいい。ちょっと待ってろ」

 天藍はぽんっと薄珂の頭を軽く叩くと、使用人に声を掛け何かを指示したようだった。
 するとすぐに一人の男が屋敷の中から出て来て、天藍は男を連れて戻って来た。

「ちゃんと会うのは初めてだな。こいつは玲章。俺の護衛だ」
「前に会ったよ。金剛捕まえた時に」
「ああ、そうだったっけか」
「よお。聞いたぞ。護栄をこてんぱんにしたんだってな」
「まさか。護栄様が俺に合わせてくれてるんだよ」
「よく言う。護栄は前々からお前に目を付けてたんだ。露店に弁当を売る提案したろ?」
「露店?」

 それは響玄と共に隊商を見ていた時に、ふと薄珂が零したことだ。
 大通りから外れている全く客のこない露店に、ここは宮廷職員が通るから弁当を売ったらいいのにと何となく思ったことを言った。露店が実際それを行ったのかなんて気にも留めていなかったし、やったらどうなるかなんていうことも考えていなかった。

「ああ、そんなことあったね。それがどうしたの?」
「大ありだよ! おかげで宮廷の食堂は暇になり人件費と仕入れ費用がなんと年間金九百の削減! って護栄が喜んでたぞ」
「ふうん」
「……もうちょい何かないか? 金九百だぞ?」
「ない。だってそれは俺と立珂に関係無いし」
「おいおい。自分の影響力を考えたことあるか?」
「どうしたら立珂を楽しませてやれるかってこと? それはいつも考えてるよ」
「え? じゃなくてよ」
「薄珂がいっぱい考えてくれるから僕いつも楽しいよ!」

 薄珂を馬鹿にされたと思ったのか、ぶうっと頬を膨らませた立珂に睨まれてしまう。
 玲章は困ったなと肩をすくめるが、天藍は声を上げて笑った。

「それでだ。獣化訓練は玲章とやるといい。鳥獣人も多く相手にしてる」
「鷹獣人を育てたこともあるぞ」
「え? 玲章様も鳥なの?」
「いや、人間だ。だが長く生活を共にしたから分かることもある。お前が立珂に詳しいようにな」
「……うん。じゃあお願いします。立珂は天藍と一緒に屋敷で待っててな」
「うん。すぐそこにいるからね。大丈夫だからね」
「ああ」

 天藍は立珂の手を引き屋敷へ入ったが、薄珂たちの姿が見える露台に出てきた。
 立珂ががんばれー、とぶんぶん手を振っている。だがその表情は少し曇っていて心配そうだ。

(立珂を守らなきゃいけないのに俺が不安にさせてる。早く制御できるようにならなきゃ)

 薄珂はぐっと拳に力を込めた。

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