第二十六話 『はっかのおみせ』開店
文字数 5,916文字
饗宴が終わり、数日は麗亜も愛憐も忙しいらしく会うことはできなかった。
けれどその間は薄珂と立珂も忙しくしていた。
それは『りっかのおみせ』で新たな試みをするためだ。
「薄珂! 準備整ったわよ!」
「美月はもう着替えて! 美星さんはお土産の最終確認お願い! 追加で八人入れちゃったからその分忘れないで!」
「承知致しました!」
今日の店内は慌ただしい。
今まで使っていなかった部屋を開放し、そこには椅子がずらりと並べられ既に客が着席している。
侍女は部屋の中にも外にも大勢待機している。
「じゃあ始めよう。顧客しかいないけど気は抜かずに」
「「「「「はい」」」」」
「現場指揮は美星さん。みんなが報告するのは美星さんで、俺に報告するのは美星さんだけ。美星さんは常に立珂と一緒」
「承知いたしました」
「美月には指示を仰がないように。今日は従業員ではなく演者。余計な話を持ち込まないこと。美月は何か聞かれたら美星さんへ回して」
「了解」
薄珂は従業員と目線を交わし頷くと、横で静かに待機している人物に跪き首を垂れた。
「本日はご協力くださり誠に有難うございます、彩寧様」
「頼って頂けて嬉しいですわ」
侍女筆頭の彩寧。彼女は宮廷に入って初めて立珂が懐いた相手だ。
彩寧は三人の子供に孫が一人いて、子供のうち一人と孫は有翼人だった。腕には一歳になる有翼人の孫を抱いている。
今日はどうしても有翼人の赤ん坊を育てた経験者の協力が必要なのだ。
「薄珂様なら気付いて下さると思っておりました」
「俺は大変だと思った事ないけど、大変な人もいるみたいだからね」
今日の客は全員有翼人の子供を持つ母親である。
先日の饗宴で母親の大変さを知り、以来街で親子連れに注視した。
聞いてみると誰も彼もが買い物に不便を感じていた。子供を預けられる相手がいる家は良いが、そうではない場合は大変だ。
腰に下げられる分しか買い物ができないため、抱っこしたまま何度も往復する。支払いのたびに子供を下ろし支払また立ち上がり、店先でそんなことをしていると店主にさっさとどけと嫌な顔をされる。買い物だけで半日以上を費やすとのことだった。
抜本的な問題解決が必要だが、有翼人保護区で手いっぱいの今宮廷に何かを要求することはできない。
けれど目先の対処ならいくつか考えられた。今日はその対処法を提案する場。
「今日の主役は有翼人じゃなくて有翼人の家族だ」
薄珂は彩寧を連れて『りっかのおみせ』の売り場の奥にある部屋へ向かった。
部屋には扉が付いていない。護栄に許可を貰い撤去したのだ。目的は両手が埋まっていても入れるようにだ。
入り口の上には木製の看板が掲げられていて、この部屋の名前が掘られている。
(これは有翼人本人のためじゃない。なら冠するのは立珂の名前じゃ駄目だ)
壇上には立珂がいて、客と話しをして盛り上げてくれている。
薄珂がやって来たことに気付くと、よーし、と立珂はぴょんと飛び跳ねた。
「お待たせしました! 有翼人の家族限定『はっかのおみせ』先行予約会始まり~!」
看板に掘られた店名は『はっかのおみせ』だ。
有翼人専門店『りっかのおみせ』姉妹店であり、有翼人と暮らす家族を支えるための店である。
薄珂は壇上に立ち深く一礼した。
「お集まり下さり誠に有難うございます。立珂の兄、薄珂と申します。俺は立珂と暮らす中で『もっとこうなら便利なのに』と思うことが多くありました。特にお母様方の買い物はかなりの重労働。その助けになる商品を作りましたのでご紹介させて下さい」
薄珂は立珂に目配せし、がらがらと台車を持ってきてもらった。
侍女も同時に台車を引いて室内に万遍なく立ったが、台車にはたくさんの種類の鞄が並んでいる。
「まず一つ目は腰下げ鞄です」
腰下げ鞄と言った瞬間に、客はわあっと立ち上がり壇上に詰め寄ってきた。
「すごい! たくさんあるわ!」
「形と生地は全て立珂が決めていますので『りっかのおみせ』の服に合わせてお使い頂けます」
「いいじゃない! 欲しかったのよ、服と合う鞄!」
「そうそう。そこらの鞄持つとお洒落な服が台無しなの」
これは薄珂の経験上必要な物だったが、調べれば有翼人の親はほぼ腰下げ鞄だった。
しかし立珂の服は宮廷品質で、他の店の鞄を持つと浮いてしまう。
これは立珂も気にしていたことで、せっかくなら鞄をたくさん増やそうとなったのだ。
「作ってくれたのは仕事着専門の『蒼玉』さんです。腰に負担のかからない設計がされています」
「これも生地指定して作ってもらえるの?」
「もちろんです。立珂が組み合わせのご提案を致しますのでお声掛け下さい」
「立珂ちゃんが見てくれるなら安心ね! 嬉しいわ!」
客は思い思いの鞄を手に取り生地を確かめ、実際に腰に付けて試したりしていた。
それだけでもわいわいと盛り上がっているが、今日の商品はこれだけじゃない。
「次の商品はこちらです。健康に関わるため忌憚ないご意見を頂ければと思います」
薄珂の目配せで侍女が新たに商品を持って入って来た。
そこには布が並んでいるのだが、単なる布だった。客はきょとんとしているが、薄珂はにこりと微笑み彩寧に目配せし壇上へ上がってもらった。
孫は布をしゃぶっていて、彩寧の服もよだれでべとべとになっている。
それを見て女性客はざわざわと慌て始めた。
「布は駄目ですよ! お腹こわしちゃう!」
「普通はそうですね。けれどこれは大丈夫なのよ。完全天然素材の布ですから」
「「「「「えっ!?」」」」
ざわっと女性陣が立ち上がり、鞄を放り出し食いついて来た。
薄珂も知らなかったことなのだが、蛍宮では完全天然素材の物は非常に少ないそうだ。
先代皇は華美を好むため、きらめく布こそ美とした。そこにきて天然素材は見目が美しくなく、そこらに生えた物を使った布など汚らわしいとして流通すらさせなかったという。
それも今は解禁されたが、流通はしていない。今まで無くても困らなかったからだ。
人間も獣人も、赤ん坊が布をしゃぶるのは普通だ。
彼らにしてみれば有翼人は過敏すぎるだけで、気付かれも配慮もされないのが現状だ。
けれど有翼人の赤ん坊にとっては、呼吸困難になることもある大きな問題だった。
完全な天然素材は有翼人を子供に持つ親なら何よりも手にしたい物なのだ。
「生地も糸も全部天然素材。今作ってるのは服と涎掛けですが、生地だけの販売もします」
「今すぐ欲しい。今日欲しい」
「有難うございます。服と涎掛けはご予約のみですが、手拭いをお土産品としてお配りしますのでお帰りの際にお持ちください」
わあ、と客からは悲鳴のような歓喜の叫びが響き続けた。
彩寧は孫に着せている新商品を見せて安心さを伝えてくれている。
「それでは次をご紹介します」
入り口の方へ目配せすると、そこで待機していたのは美月だ。今日は新商品の服を着てくれている。
「次は有翼人の赤ちゃんを抱っこするための服!」
美月はすすっと優雅な足取りで登場した。
壇上に立つと手を広げてくるくる周り、身体に止められている何色何枚もの布がふわりふわりと風をかたどった。
女性たちは見惚れてほうっとため息を吐く。
(『りっかのおみせ』姉妹店である以上お洒落さは重要だ)
だが薄珂にお洒落は分からないので、見た目の良さを伝えるのは美月に任せることにした。
便利だけれど美しく、華美ではなく上品に。これは美月にしかできない。
「この服も天然生地ですが、他にも特徴があります」
目配せすると、美月はまたくるりくるりと回って見せる。
そうするうちに腕や身頃に付いていた布が外れ、ひらひらと花弁のように舞い散っていく。
その美しさに客は沸き上がり拍手をした。
そして美月が舞い終わると、いつの間にか服は常時『りっかのおみせ』で販売している、飾り気は無いが地模様が美しい人気の服になっていた。
「これがこの服最大の特徴。飾り布は全て取り外せます」
「しゃぶっちゃったとこだけ外して洗えるんですよ。ほら」
彩寧は孫のよだれでべとべとになった所をぷちぷちと取り外した。
そこに予備の飾り布をつければ元通りだ。
「いいわね! 毎回着替えるの大変だから助かるわ!」
「ふふ。それだけじゃありませんよ。飾り布にはもっと面白い秘密があるんです」
美月は舞い落ちた飾り布を拾うと机の上に広げた。
長方形ではなく凹凸があるけれど、何という事もない布だ。皆何かしら、と首を傾げている。
「実はこれある物と兼用なんですよ。とっても面白いの」
「兼用? 雑巾とか?」
「いいえいいえ。ちゃんと役目を持ってるんです」
「え~……」
「秘密はこの形です。よく見て下さいな」
女性たちはじっと布を見つめた。
そして一人の女性がぽんっと手を叩く。
「おむつだわ!」
「「「「えっ!?」」」」
「そうです。実は外すと全部おむつの形なんですよ」
彩寧は孫を布団の上に寝かせ服もおむつも脱がせて見せる。
それは飾り布と同じものだ。
「え? 本当に?」
「本当ですとも。服と止めていた釦がおむつを腰で止める釦になるのでとっても使いやすいの」
「紐じゃないのね。紐はすぐ緩くなって取れるから嬉しい」
「そうそう。それに固く結んだ時の羽巻き込み事故が最悪」
「分かる~。解けないの」
おむつにはいくつか種類があるが、蛍宮の主流は紐で結ぶ形だ。
裁縫に慣れていない有翼人は布を巻くだけの者もいる。
けれど有翼人はその結び目あたりに羽の先があるので一緒に結んでしまうのだ。
それを気を付けるのが地味に面倒らしく、なら釦にしてしまえばいい。
「私は外出におむつ持ち歩くのが大変でしたわ。でもこれは自分の身体に付いてるでしょう?」
「歩くおむつだわ。すっごい便利」
「家でも着たいわ。おむつ変えが間に合わないと羽がおしっこまみれになって大変なの」
「こちらはおむつとして単品でも販売いたします。二十枚一組で銅一枚、もしくは羽根一枚と交換」
「「「「安い!」」」」
「使い捨てた方が清潔かと思いまして。お安くさせて頂いています」
「良い。すごく良い」
「主婦に優しい」
これらは彩寧の提案だ。
おむつを洗って使い回すのはあまり好きではないけれど、天然生地自体が貴重なのでそうそう使い捨てにもできないらしい。
ならば服一着分の生地を組みにして販売しようと考えたのだ。
「次は小物です。これは私が欲しかっただけなんですが」
薄珂は腕を前に出して見せた。
腕には帯が巻かれているが、腕の外側には小さな膨らみがある。
「何それ? 膨らんでる」
「小銭入れです。お店の人に取ってもらえば抱っこしたまま買い物ができます」
「あ! 本当!」
「うわ。地味に便利」
「相当便利よ。抱っこし直すたび羽の案定位置探すの大変なんだから」
「あー、分かる。いかに羽を挟まずに抱っこするかっていう勝負ね」
これは薄珂も経験があるが、抱っこといっても簡単ではない。
羽がどこに傾くかで重心が大きく変わる。そのため、最も羽が動かない案定位置を探してからじゃないと歩けないのだ。
しかも買い物するにつれ荷物は増え、重心も都度変わる。これが最も大変な作業だった。
「買い物は本当どうにかしてほしいわよね。重い物が辛すぎるのよ」
「それですが、本日は『蒼玉』ご当主より一点ご紹介頂いた品があります。立珂」
「はいっ!」
立珂は部屋の隅に置いてあった小さな台車のような物を持って来た。
台車というより、車輪のついた袋だ。袋の中には大量の野菜や米が詰め込まれている。
つまり、買い物帰りの状態だ。
「なにこれ!」
「すっごい欲しい!」
「これは片手で押せるので買い物が楽になると思います」
「絶対欲しい。ここで買えるの?」
「もちろんです。ただいま生産を進めていますので、よろしければ本日ご予約下さい」
「袋は取り換えられるんだよ! 色々な生地で作るから楽しみにしててね!」
実はこの商品も先代皇が排除した商品の一つだった。
ごろごろと車輪が音を立てるのも道に跡を付けるのも嫌いだったらしく、使用を認めなかったそうだ。これが理由で車椅子も流通がない。
聞けば聞くほど勝手な話だが、再度流通しない程度には不要な物だったのだ。
しかし台車は種族問わず便利な物だ。ここで広まれば人間にも獣人にも広めることができる。しかもこれは侍女が手作りするのではなく、響玄が商品を仕入れてくれるから一斉に広げられる。
(けどうちは立珂が作る。そこらの台車とはお洒落さが違う)
立珂はこういう生地がおすすめだよ、と生地を見せて回っている。
愛憐が明恭でよく使う防水撥水生地を教えてくれたので、それを使いたいらしい。
「商品のご紹介は以上となります。ご予約のご希望があれば店員にお声掛け下さい」
「帰りはお土産もらって行ってねー!」
客はわいわいと商品に群がり、予約受付に列を作った。
立珂が手掛けている物はある程度売れると思っていたが、その予想を上回る熱狂ぶりだ。
その熱気は閉店が近付いても収まらず、結局いつもより閉店時間を一時間送らせてようやく終了となった。
想像以上の事態に侍女はすっかり疲れ切って、薄珂と美月も美星も、全員がぐったりと座り込んだ。
「予約数が尋常じゃないですわね……」
「お父様にも手伝ってもらいましょう……おむつは工場で大量生産した方が良いし……」
「そうだね……お願いしに行こう……」
こういう時いつもの美星なら立珂に加密列茶を入れてくれているが、さすがに美星も疲れ切っている。
片付けは明日にして今日は全員帰らせてやろうと思ったが、その時立珂がぷるぷる震えて薄珂の手を掴んだ。
「どうした?」
立珂は何も言わず、ただぷるぷると震えている。
まさか具合が悪いのかと顔を覗き込もうとしゃがんだが、同時に勢いよく立珂に飛びつかれた。
「『はっかのおみせ』と『りっかのおみせ』! おそろい! おそろいになった!」
「え? ああ、そっか。そうだったな」
今回の準備を始めた時、一番喜んだのは立珂だった。
みんなが自分のように幸せにして貰えるんだ、薄珂のような家族が他の有翼人にも出来るのだととても嬉しそうだった。
けれどそれ以上に、念願だった兄弟お揃いのお店が嬉しいようだった。
「うれしい! おそろい! 一緒だよ!」
「ああ。俺達はいつも一緒だ」
「うふふふふ! おそろい! おそろい!」
立珂は何でも薄珂とお揃いにするのが好きだ。
立珂の嬉しそうに飛び跳ねる姿は薄珂を幸せにしてくれる。これを見れただけでも『はっかのおみせ』を開いて正解だった。
お揃いの制服でお揃いのお店。薄珂と立珂の幸せがまた一つ増えた記念日になった。
けれどその間は薄珂と立珂も忙しくしていた。
それは『りっかのおみせ』で新たな試みをするためだ。
「薄珂! 準備整ったわよ!」
「美月はもう着替えて! 美星さんはお土産の最終確認お願い! 追加で八人入れちゃったからその分忘れないで!」
「承知致しました!」
今日の店内は慌ただしい。
今まで使っていなかった部屋を開放し、そこには椅子がずらりと並べられ既に客が着席している。
侍女は部屋の中にも外にも大勢待機している。
「じゃあ始めよう。顧客しかいないけど気は抜かずに」
「「「「「はい」」」」」
「現場指揮は美星さん。みんなが報告するのは美星さんで、俺に報告するのは美星さんだけ。美星さんは常に立珂と一緒」
「承知いたしました」
「美月には指示を仰がないように。今日は従業員ではなく演者。余計な話を持ち込まないこと。美月は何か聞かれたら美星さんへ回して」
「了解」
薄珂は従業員と目線を交わし頷くと、横で静かに待機している人物に跪き首を垂れた。
「本日はご協力くださり誠に有難うございます、彩寧様」
「頼って頂けて嬉しいですわ」
侍女筆頭の彩寧。彼女は宮廷に入って初めて立珂が懐いた相手だ。
彩寧は三人の子供に孫が一人いて、子供のうち一人と孫は有翼人だった。腕には一歳になる有翼人の孫を抱いている。
今日はどうしても有翼人の赤ん坊を育てた経験者の協力が必要なのだ。
「薄珂様なら気付いて下さると思っておりました」
「俺は大変だと思った事ないけど、大変な人もいるみたいだからね」
今日の客は全員有翼人の子供を持つ母親である。
先日の饗宴で母親の大変さを知り、以来街で親子連れに注視した。
聞いてみると誰も彼もが買い物に不便を感じていた。子供を預けられる相手がいる家は良いが、そうではない場合は大変だ。
腰に下げられる分しか買い物ができないため、抱っこしたまま何度も往復する。支払いのたびに子供を下ろし支払また立ち上がり、店先でそんなことをしていると店主にさっさとどけと嫌な顔をされる。買い物だけで半日以上を費やすとのことだった。
抜本的な問題解決が必要だが、有翼人保護区で手いっぱいの今宮廷に何かを要求することはできない。
けれど目先の対処ならいくつか考えられた。今日はその対処法を提案する場。
「今日の主役は有翼人じゃなくて有翼人の家族だ」
薄珂は彩寧を連れて『りっかのおみせ』の売り場の奥にある部屋へ向かった。
部屋には扉が付いていない。護栄に許可を貰い撤去したのだ。目的は両手が埋まっていても入れるようにだ。
入り口の上には木製の看板が掲げられていて、この部屋の名前が掘られている。
(これは有翼人本人のためじゃない。なら冠するのは立珂の名前じゃ駄目だ)
壇上には立珂がいて、客と話しをして盛り上げてくれている。
薄珂がやって来たことに気付くと、よーし、と立珂はぴょんと飛び跳ねた。
「お待たせしました! 有翼人の家族限定『はっかのおみせ』先行予約会始まり~!」
看板に掘られた店名は『はっかのおみせ』だ。
有翼人専門店『りっかのおみせ』姉妹店であり、有翼人と暮らす家族を支えるための店である。
薄珂は壇上に立ち深く一礼した。
「お集まり下さり誠に有難うございます。立珂の兄、薄珂と申します。俺は立珂と暮らす中で『もっとこうなら便利なのに』と思うことが多くありました。特にお母様方の買い物はかなりの重労働。その助けになる商品を作りましたのでご紹介させて下さい」
薄珂は立珂に目配せし、がらがらと台車を持ってきてもらった。
侍女も同時に台車を引いて室内に万遍なく立ったが、台車にはたくさんの種類の鞄が並んでいる。
「まず一つ目は腰下げ鞄です」
腰下げ鞄と言った瞬間に、客はわあっと立ち上がり壇上に詰め寄ってきた。
「すごい! たくさんあるわ!」
「形と生地は全て立珂が決めていますので『りっかのおみせ』の服に合わせてお使い頂けます」
「いいじゃない! 欲しかったのよ、服と合う鞄!」
「そうそう。そこらの鞄持つとお洒落な服が台無しなの」
これは薄珂の経験上必要な物だったが、調べれば有翼人の親はほぼ腰下げ鞄だった。
しかし立珂の服は宮廷品質で、他の店の鞄を持つと浮いてしまう。
これは立珂も気にしていたことで、せっかくなら鞄をたくさん増やそうとなったのだ。
「作ってくれたのは仕事着専門の『蒼玉』さんです。腰に負担のかからない設計がされています」
「これも生地指定して作ってもらえるの?」
「もちろんです。立珂が組み合わせのご提案を致しますのでお声掛け下さい」
「立珂ちゃんが見てくれるなら安心ね! 嬉しいわ!」
客は思い思いの鞄を手に取り生地を確かめ、実際に腰に付けて試したりしていた。
それだけでもわいわいと盛り上がっているが、今日の商品はこれだけじゃない。
「次の商品はこちらです。健康に関わるため忌憚ないご意見を頂ければと思います」
薄珂の目配せで侍女が新たに商品を持って入って来た。
そこには布が並んでいるのだが、単なる布だった。客はきょとんとしているが、薄珂はにこりと微笑み彩寧に目配せし壇上へ上がってもらった。
孫は布をしゃぶっていて、彩寧の服もよだれでべとべとになっている。
それを見て女性客はざわざわと慌て始めた。
「布は駄目ですよ! お腹こわしちゃう!」
「普通はそうですね。けれどこれは大丈夫なのよ。完全天然素材の布ですから」
「「「「「えっ!?」」」」
ざわっと女性陣が立ち上がり、鞄を放り出し食いついて来た。
薄珂も知らなかったことなのだが、蛍宮では完全天然素材の物は非常に少ないそうだ。
先代皇は華美を好むため、きらめく布こそ美とした。そこにきて天然素材は見目が美しくなく、そこらに生えた物を使った布など汚らわしいとして流通すらさせなかったという。
それも今は解禁されたが、流通はしていない。今まで無くても困らなかったからだ。
人間も獣人も、赤ん坊が布をしゃぶるのは普通だ。
彼らにしてみれば有翼人は過敏すぎるだけで、気付かれも配慮もされないのが現状だ。
けれど有翼人の赤ん坊にとっては、呼吸困難になることもある大きな問題だった。
完全な天然素材は有翼人を子供に持つ親なら何よりも手にしたい物なのだ。
「生地も糸も全部天然素材。今作ってるのは服と涎掛けですが、生地だけの販売もします」
「今すぐ欲しい。今日欲しい」
「有難うございます。服と涎掛けはご予約のみですが、手拭いをお土産品としてお配りしますのでお帰りの際にお持ちください」
わあ、と客からは悲鳴のような歓喜の叫びが響き続けた。
彩寧は孫に着せている新商品を見せて安心さを伝えてくれている。
「それでは次をご紹介します」
入り口の方へ目配せすると、そこで待機していたのは美月だ。今日は新商品の服を着てくれている。
「次は有翼人の赤ちゃんを抱っこするための服!」
美月はすすっと優雅な足取りで登場した。
壇上に立つと手を広げてくるくる周り、身体に止められている何色何枚もの布がふわりふわりと風をかたどった。
女性たちは見惚れてほうっとため息を吐く。
(『りっかのおみせ』姉妹店である以上お洒落さは重要だ)
だが薄珂にお洒落は分からないので、見た目の良さを伝えるのは美月に任せることにした。
便利だけれど美しく、華美ではなく上品に。これは美月にしかできない。
「この服も天然生地ですが、他にも特徴があります」
目配せすると、美月はまたくるりくるりと回って見せる。
そうするうちに腕や身頃に付いていた布が外れ、ひらひらと花弁のように舞い散っていく。
その美しさに客は沸き上がり拍手をした。
そして美月が舞い終わると、いつの間にか服は常時『りっかのおみせ』で販売している、飾り気は無いが地模様が美しい人気の服になっていた。
「これがこの服最大の特徴。飾り布は全て取り外せます」
「しゃぶっちゃったとこだけ外して洗えるんですよ。ほら」
彩寧は孫のよだれでべとべとになった所をぷちぷちと取り外した。
そこに予備の飾り布をつければ元通りだ。
「いいわね! 毎回着替えるの大変だから助かるわ!」
「ふふ。それだけじゃありませんよ。飾り布にはもっと面白い秘密があるんです」
美月は舞い落ちた飾り布を拾うと机の上に広げた。
長方形ではなく凹凸があるけれど、何という事もない布だ。皆何かしら、と首を傾げている。
「実はこれある物と兼用なんですよ。とっても面白いの」
「兼用? 雑巾とか?」
「いいえいいえ。ちゃんと役目を持ってるんです」
「え~……」
「秘密はこの形です。よく見て下さいな」
女性たちはじっと布を見つめた。
そして一人の女性がぽんっと手を叩く。
「おむつだわ!」
「「「「えっ!?」」」」
「そうです。実は外すと全部おむつの形なんですよ」
彩寧は孫を布団の上に寝かせ服もおむつも脱がせて見せる。
それは飾り布と同じものだ。
「え? 本当に?」
「本当ですとも。服と止めていた釦がおむつを腰で止める釦になるのでとっても使いやすいの」
「紐じゃないのね。紐はすぐ緩くなって取れるから嬉しい」
「そうそう。それに固く結んだ時の羽巻き込み事故が最悪」
「分かる~。解けないの」
おむつにはいくつか種類があるが、蛍宮の主流は紐で結ぶ形だ。
裁縫に慣れていない有翼人は布を巻くだけの者もいる。
けれど有翼人はその結び目あたりに羽の先があるので一緒に結んでしまうのだ。
それを気を付けるのが地味に面倒らしく、なら釦にしてしまえばいい。
「私は外出におむつ持ち歩くのが大変でしたわ。でもこれは自分の身体に付いてるでしょう?」
「歩くおむつだわ。すっごい便利」
「家でも着たいわ。おむつ変えが間に合わないと羽がおしっこまみれになって大変なの」
「こちらはおむつとして単品でも販売いたします。二十枚一組で銅一枚、もしくは羽根一枚と交換」
「「「「安い!」」」」
「使い捨てた方が清潔かと思いまして。お安くさせて頂いています」
「良い。すごく良い」
「主婦に優しい」
これらは彩寧の提案だ。
おむつを洗って使い回すのはあまり好きではないけれど、天然生地自体が貴重なのでそうそう使い捨てにもできないらしい。
ならば服一着分の生地を組みにして販売しようと考えたのだ。
「次は小物です。これは私が欲しかっただけなんですが」
薄珂は腕を前に出して見せた。
腕には帯が巻かれているが、腕の外側には小さな膨らみがある。
「何それ? 膨らんでる」
「小銭入れです。お店の人に取ってもらえば抱っこしたまま買い物ができます」
「あ! 本当!」
「うわ。地味に便利」
「相当便利よ。抱っこし直すたび羽の案定位置探すの大変なんだから」
「あー、分かる。いかに羽を挟まずに抱っこするかっていう勝負ね」
これは薄珂も経験があるが、抱っこといっても簡単ではない。
羽がどこに傾くかで重心が大きく変わる。そのため、最も羽が動かない案定位置を探してからじゃないと歩けないのだ。
しかも買い物するにつれ荷物は増え、重心も都度変わる。これが最も大変な作業だった。
「買い物は本当どうにかしてほしいわよね。重い物が辛すぎるのよ」
「それですが、本日は『蒼玉』ご当主より一点ご紹介頂いた品があります。立珂」
「はいっ!」
立珂は部屋の隅に置いてあった小さな台車のような物を持って来た。
台車というより、車輪のついた袋だ。袋の中には大量の野菜や米が詰め込まれている。
つまり、買い物帰りの状態だ。
「なにこれ!」
「すっごい欲しい!」
「これは片手で押せるので買い物が楽になると思います」
「絶対欲しい。ここで買えるの?」
「もちろんです。ただいま生産を進めていますので、よろしければ本日ご予約下さい」
「袋は取り換えられるんだよ! 色々な生地で作るから楽しみにしててね!」
実はこの商品も先代皇が排除した商品の一つだった。
ごろごろと車輪が音を立てるのも道に跡を付けるのも嫌いだったらしく、使用を認めなかったそうだ。これが理由で車椅子も流通がない。
聞けば聞くほど勝手な話だが、再度流通しない程度には不要な物だったのだ。
しかし台車は種族問わず便利な物だ。ここで広まれば人間にも獣人にも広めることができる。しかもこれは侍女が手作りするのではなく、響玄が商品を仕入れてくれるから一斉に広げられる。
(けどうちは立珂が作る。そこらの台車とはお洒落さが違う)
立珂はこういう生地がおすすめだよ、と生地を見せて回っている。
愛憐が明恭でよく使う防水撥水生地を教えてくれたので、それを使いたいらしい。
「商品のご紹介は以上となります。ご予約のご希望があれば店員にお声掛け下さい」
「帰りはお土産もらって行ってねー!」
客はわいわいと商品に群がり、予約受付に列を作った。
立珂が手掛けている物はある程度売れると思っていたが、その予想を上回る熱狂ぶりだ。
その熱気は閉店が近付いても収まらず、結局いつもより閉店時間を一時間送らせてようやく終了となった。
想像以上の事態に侍女はすっかり疲れ切って、薄珂と美月も美星も、全員がぐったりと座り込んだ。
「予約数が尋常じゃないですわね……」
「お父様にも手伝ってもらいましょう……おむつは工場で大量生産した方が良いし……」
「そうだね……お願いしに行こう……」
こういう時いつもの美星なら立珂に加密列茶を入れてくれているが、さすがに美星も疲れ切っている。
片付けは明日にして今日は全員帰らせてやろうと思ったが、その時立珂がぷるぷる震えて薄珂の手を掴んだ。
「どうした?」
立珂は何も言わず、ただぷるぷると震えている。
まさか具合が悪いのかと顔を覗き込もうとしゃがんだが、同時に勢いよく立珂に飛びつかれた。
「『はっかのおみせ』と『りっかのおみせ』! おそろい! おそろいになった!」
「え? ああ、そっか。そうだったな」
今回の準備を始めた時、一番喜んだのは立珂だった。
みんなが自分のように幸せにして貰えるんだ、薄珂のような家族が他の有翼人にも出来るのだととても嬉しそうだった。
けれどそれ以上に、念願だった兄弟お揃いのお店が嬉しいようだった。
「うれしい! おそろい! 一緒だよ!」
「ああ。俺達はいつも一緒だ」
「うふふふふ! おそろい! おそろい!」
立珂は何でも薄珂とお揃いにするのが好きだ。
立珂の嬉しそうに飛び跳ねる姿は薄珂を幸せにしてくれる。これを見れただけでも『はっかのおみせ』を開いて正解だった。
お揃いの制服でお揃いのお店。薄珂と立珂の幸せがまた一つ増えた記念日になった。