第二話 立珂の目覚め

文字数 4,342文字

「あ、羽根食べた」
 室内には立珂の羽根から抜けた繊維が舞っている。洗濯物を畳んでいるとぴょいと口に入り込んでくることがあるが、それも立珂が元気で過ごして新陳代謝してる証と思えば愛しく感じる。間仕切りの無い部屋の中央に目をやると、立珂がぷうぷうと寝息を立てていた。
(いつでも立珂の姿が見えていいな) 
 この小屋は元々倉庫のようなものだったらしく個室が無い。けれど下手に壁があるよりも立珂の様子がすぐ分かるので薄珂はとても気に入っている。家具も揃えると言ってくれたのだが、天幕暮らししかしたことのない薄珂と立珂にはこれと言って必要な物は思いつかなかった。ならばと棚を一つと長椅子を一つ用意してくれたが、物を持っていないのであまり使っていない。
 洗濯物を畳み終えて部屋の隅に置くと、窓を開けて立珂の傍に腰を下ろす。
「立珂。朝だぞ。そろそろ起きろ」
 窓から差し込む朝日を眩しそうにしていたが、立珂はゆっくりと瞼を開けた。
「おはよー……」
「おはよ。あ、汗かいてるな。水浴びするか? 拭くだけとどっちがいい?」
「拭くだけ……」
「よし。じゃあ布取るぞ」
「んにゃ……」
 立珂の服は腕を通す服ではなくただの布だった。羽があるので服を頭から被ることができないのだ。さらに一人で着替えをすることもできないのだが、その理由も羽にある。
 一見すれば宝石のように美しい純白の羽だが、これは立珂にとっては大きな負担だった。何しろ身体を覆うほどの大きさがあり、抜いてもすぐに同じだけ生えてくる。これが相当な重量のため歩く事すらままならないのだ。這って移動するしかなく、体中の筋力は低下して足腰はかなり弱ってしまった。
 何の支えも無しに座るのも大変で、寝ぼけていた立珂はころりと仰向けに転がった。
「お。大丈夫か? 起きれるか?」
「引っ張ってえ……」
「ん。おいで」
 立珂を抱き起すと、流れるようにきゅうっと抱き着いてくれた。こうして身を預けてくれることがとても嬉しくて、薄珂は思わず頬ずりで返す。放すのは惜しいが今は体を拭いてやらなくてはならない。
 薄珂は小屋のすぐそばにある井戸で水を汲み桶に注ぎ、それを持って再び立珂の傍に膝をつく。立珂の大きな羽を紐で結い、背中を顕わにすると桶に手拭いを浸して絞った。
「拭くぞ。冷たいぞ~」
「んにゃ……」
 そーっと立珂の背にぺたりと布を当てると、寝ぼけ眼だった立珂は水の冷たさに驚いてぴょっと跳ねるように震えた。
「ちべたい!」
「もっかいだ!」
「ひゃあああ!」
 ようやく目が覚めた立珂はきゃっきゃと笑って、水の冷たさにまた震えた。
「よし。終わり。薬塗ろうな」
「もうかゆくないよ」
「でも塗っておかないとぶり返すんだってさ」
 羽が重くて歩けない立珂だが、別の理由からも意図的に運動を避けていた。それが皮膚炎だ。
 羽は保温性が高い。少し動くだけで熱が籠り、たちまち汗疹になり掻きむしれば皮膚炎が広がっていく。羽の接触と衣擦れでも炎症を起こす事も少なくない。だから立珂はあまり動きたがらないのだ。
 しかしそれも今は鳴りを潜めた。孔雀が薬を用意してくれて、十六年間苦しんだ皮膚炎をひと月もしないうちに治してくれたのだ。それでも常に羽を背負っているため皮膚炎は慢性的で、毎日こうして薬を塗っている。
「薄珂の手きもちいい」
「立珂のお腹もぷにぷにで気持ち良いぞ」
 羽が触れるところはどこもかしこも皮膚炎だ。お腹にも薄っすら皮膚炎が広がっていて、薬を塗り広げていくと立珂はくすぐったそうにきゃあきゃあと笑った。寝起きからこんなにはしゃぐ明るい声を聞けるのは幸せそのものだ。
 幸せを噛みしめんがらじゃれあってていると、こんこんと玄関扉を叩く音が聞こえてきた。
「薄珂君、立珂君。少しいいですか?」
「孔雀先生だ。はーい!」
 薄珂は立珂の頭を撫でると、薬瓶を置いて扉へ向かうと鍵を開けた。そこには孔雀と、後ろには昨日救助された兎獣人が男いた。
「あんた昨日の」
「出血のわりに浅い傷でした。それで二人にお詫びをしたいと」
 孔雀が一歩横にずれると兎獣人の男が一歩前に出て来た。白い髪の毛は青空に漂う雲のようにふわりと漂い、陽の光をきらりと跳ね返している。その美しさは魅入らずにはいられない。
「天藍(てんらん)という。昨日はすまなかった」
「いいよ。警戒する気持ちはよく分かるし」
「だが服を駄目にしただろう。その詫びをさせてくれ」
 天藍は手に持っていた物を差し出し中に入ろうとした。けれど横目に立珂がびくりと驚いたのが見えて、薄珂は思わずその手を払いのけた。
「入るって来るな!」
「うおっ」
 薄珂は天藍の手を叩き除けた。森を追われて以来、立珂はちょっとしたことで不安を覚えるようになっていた。金剛と孔雀にも小屋へ入るのは遠慮してもらっている。立珂が歓迎するのは唯一慶都だけだ。
 薄珂は立珂に駆け寄りぎゅっと抱きしめた。天藍は持っていた物を落としてしまい吃驚したようだったが、すぐに何か悟ったのか、天藍は膝を付き薄珂と立珂に目線を合わせて頭を下げた。
「驚かせてすまなかった。ただ服が気になってな。有翼人用の服を知らないんじゃないか?」
「有翼人用の服?」
 天藍は孔雀を見上げると、孔雀が床に散らばった物を拾い持って来てくれる。
「天藍さんは商人だそうです。私も見せてもらいましたがとても良い物ですよ」
 それでも立珂は手に取らず、代わりに薄珂がおそるおそる受け取り広げた。それは袖の無い子供用の衣だった。しかしぽっかりと大きな穴が開いていて服とは言い難い。見た事の無い形状に薄珂と立珂は首を傾げた。
「変な形。それに布が薄い」
「それが有翼人用だ。通気性が良くて羽接触による皮膚炎も予防してくれるんだ」
「え!?」
「伸縮性があるから身体に沿う。衣擦れで皮膚炎が悪化することもない。着てみてくれ」
 聞く限りでは興味惹かれたがやはり迷い、しかし孔雀は微笑み頷いている。薄珂はじっと服を見つめてから立珂を見ると、興味深そうに見つめていた。
「立珂。着てみるか?」
「けど穴あいてる。おなか出ちゃうよ」
「そっちが背中。そこから羽出すんだよ」
「う?」
 立珂はしばらくはじろじろと訝しげにしていたが、とうとう服を手に取り弄り始めた。
「釦いっぱい付いてる」
「肩と脇を外せば前後の二枚に分かれるぞ。前は飾り釦だからそのままでいい」
「……う?」
 釦は片肩に二個ずつで両肩合計四個、片脇には縦に三個で両脇で合計六個が付いている。それを全て外すと確かに二枚に分かれた。
「着ながら釦を止めていくんだ」
「う? う?」
「あ、分かった分かった。こっち来い立珂。やってやる」
 立珂は分からないようで首を傾げているが、薄珂は着方を理解し釦を止めていく。ようするに、頭から被らず羽を避けて布を当てるのだ。分解された布を再び立珂の肩と脇で釦を止めると、伸縮する生地はぴったりと立珂の肌に沿った。布を巻くだけでは隙間もあり羽とも布ともこすれてしまっていたが、これなら肌は全て隠される。
「袖が欲しければ付けられる。脇に差し込んで紐を肩で結べ。腕の当たりにも釦がある」
「う!?」
 天藍は台形の布を二つ取り出して広げた。上部の両端に紐が付いていて、それを肩で結ぶとぺろりと布が垂れた。けれど縦一列にまた釦が縫い付けられていて、それを全て止めると袖が完成した。
 見たことも無い服に薄珂と立珂は目を丸くし、ぷるぷると震えた立珂はばっと両手を広げた。
「すてき! すてきぃぃ!」
「か、可愛い! 可愛いぞ立珂!」
「この生地ひんやりする! どうして!?」
「接触冷感の吸汗速乾ってやつだな」
「おなかのとこ模様が掘ってある! どうなってるの!?」
「地模様のある生地だ。立珂はお洒落が好きなのか? 装飾品もあるぞ」
「どれ!?」
 立珂はしゃかしゃかと這って天藍に詰め寄った。鞄から服や装飾品をたくさん並べて、立珂は一つずつ手に取り説明を求めている。
「飾り釦にこの石くっつけたらかわいいと思う!」
「ああ、そうだな。やってみるか?」
「いいの!? じゃあじゃあこのちっちゃいとげとげのも! お月さまとお星さまみたいでしょ!」
「ほー。いいじゃないか。洒落てる」
「お洒落!?」
「ああ。お洒落だ」
 これとこれ、こっちも、と立珂は次々に装飾品を手に取った。この服とはこれが合う、色の組み合わせはこっちが良いなど、これまでの人生で一度も見たことのない眩しい笑顔だった。
(お洒落が好きなのか。全然知らなかった)
 慶都と遊ぶ時でさえ見せないはしゃぎように薄珂は呆然と立ち尽くした。どんどん笑顔が増していく姿に呑み込まれていると、立珂がぱっと振り返りぶんぶんと両手を振ってくる。
「薄珂! こっちきて!」
「え? あ、ああ!」
 呼ばれて慌てて駆け寄り膝を付くと、するりと手を伸ばして来たのは立珂ではなく天藍だ。つつっと耳たぶをなぞられて、ぞわりとして身を引いてしまう。
「な、何?」
「耳飾り。ん? 怪我してるぞ」
「あ、ああ、人間に撃たれたんだ。もう治ってる。じゃなくて、何これ」
「耳飾りだって。立珂と揃いだ」
 天藍の手には金色の耳飾りが握られている。慣れた手つきでそれを耳に付けてくれたが、立珂がにゅっと顔を覗き込んでくる。
「おそろい! おそろいだよ薄珂! くれるって!」
「え? こんな高そうなのを?」
「安物だよ。怖がらせた詫びに貰ってくれ」
「でも」
 物を貰いなれていない薄珂は素直に受け取って良いかどうか分からず、孔雀の顔を見るがにこりと微笑み頷いてくれた。構わないということだろう。それに立珂はまんまるのほっぺをさらに丸くして、にっこりと太陽のような微笑みだ。それだけで『いらない』と言う選択肢は消滅した。
「有難う。さっきは叩いてごめん。立珂のことになると駄目なんだ、俺」
「いいや、俺も不躾だった。それに攻撃は最大の防御だ。間違ってない。けどこれは覚えとけ」
 とんっと喉元を突つかれた。見えている表情は笑顔だが、何かが突き刺さるような鋭さを感じて背筋が伸びる。
「殺られる前に殺れば確実に守れる。だがそれは全人類滅ぼすまで終わらない。殺る前に信頼できる相手かどうか見極めろ」
 言われた言葉が何なのかすぐには理解できず、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。天藍はくすりと笑みを浮かべ、薄珂の頬を撫でた。その手は金剛ほど大きくない。けれど温かく包み込んでくれる手は孔雀とも似ている。
「味方を増やせ。そうすれば弟を守る手段も増える」
「……うん」
 薄珂は流されるがままに頷くと、天藍はぽんっと軽く肩を叩いてくれた。天藍と孔雀は食事時にお邪魔しました、と言って帰って行った。
 診療所にいるのだから当然のことだけれど、薄珂はそれを妙に寂しく感じていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み