第三十二話 美星の怒り

文字数 4,427文字

 全員の顔合わせが終わり、暁明を中心に有翼人の生態を踏まえた新たな服の検討が進められた。
 その間にもう一つ進み始めたことがある。

「薄珂かっこい~!」
「立珂の考えた規定服だから当然だ」

 今日は宮廷に来ている。
 薄珂は宮廷職員として参加するため規定服を着ているが、立珂はその姿にめろめろになっている。
 幸せいっぱいに兄弟が抱き合う姿はその場の全員が穏やかに微笑み見守っている。
 その顔触れは天藍と護栄。そして麗亜と柳だ。

「紅蘭はどうした」
「遅れます。瑠璃宮がごたついてるらしくて」

 侍女が全員に茶を出し部屋を出ると、護栄はさて、と一同を見回した。

「では始めます。有翼人保護区に設ける店について」

 今日の議題は有翼人保護区だ。
 薄珂と立珂があれが良いこれが良いと言ってもその全てが実現できるわけではない。
 大筋の柱を立て、そこから細かなことが決まっていく。今回はその柱の一つであり、薄珂と立珂が有識者として参加する『有翼人の娯楽産業』の実態を明確にするのだ。
 服や劇団による芸能など、有翼人が楽しく快適な生活を送るにはどんな街が良いかを考えようということだ。
 どんな話が始まるのか薄珂も立珂もわくわくしているが、護栄はこほんと小さく咳払いをすると神妙な顔をして口を開いた。

「はっきり申し上げます。私は有翼人保護区で何をすべきか分かりません!」

 どどんと言い切る護栄に全員が黙った。

「……護栄様ができないなら誰もできないよ」
「できないとは言っていません。何が理想なのかが分からないんです」

 護栄を始め、宮廷は有翼人保護区に無関心だったわけではない。
 当初護栄は豊富な水を中心にした区画整理を検討していたが、水道水は有翼人の健康を害すると分かり中止された。
 立珂の騒動で香りが駄目で羽はこころ次第で濁ることも判明し、護栄を始め宮廷は自らの無知を知ったという。
 だから全てが頓挫していたのだ。

「美しい街作りは難しくありません。けれど有翼人保護区に必要なのはそれではない。何が必要だと思いますか、薄珂。立珂殿も」
「愛情」
「しあわせ!」
「……あなた方らしい答えですね。柳殿は何だと思いますか」
「二人の言う通り満足度でしょうが、私も何が満足に繋がるかは分からないですね」
「私もです。それは宮廷に置き換えれば福利厚生。そして私の施策で最も評判悪いのが福利厚生です」

 再び全員が黙った。
 福利厚生とは、簡単に言えば職員に過ごしやすい環境を提供することだ。健康のための補償制度や、宮廷で働くのが楽しいと思える提供の全般を指す。
 しかし現状あまり好評な提供は無く、どちらかと言えばあれが困るこれが困るという不満の方が多い。
 護栄としては『最低限はできている』が、従業員の気持ちは『最低限しかない』のだ。
 これに関しては先代皇の方が支持率が高い。政治成果は別にすると、娯楽の充実はすさまじいものだったのだ。瑠璃宮がその筆頭で、煌びやかで楽しい宮廷生活が確立されていた。それだけに護栄の『質素倹約』は苦情ばかりなのだ。
 当の護栄に自覚があると断言されてはどう返して良いか困ったが、嬉しそうに笑い飛ばしたのは天藍だ。

「護栄は愛情が分からないんだよ」
「そ、そんなことはないでしょう」
「いえ、そうです。感情を優先したことがないんですよね。薄珂と立珂殿に学ぼうと思ったんですが無理でした」

 護栄はあれからも時間を縫って『天一』で働いているが、美星に怒鳴られてばかりらしい。
 愛情がない思いやりがない、やる気も見えない、お客様が不安になるから帰れと追い出されることもあるという。
 残念ながら実を結ばなかったようだ。

「しかし有翼人という側面に限れば私と同じ側の者が多いと思います。この世界に有翼人の幸せを望む者がどれだけいると思いますか」

 再び全員が黙った。護栄が私情で誹謗中傷したからではなく真実だからだ。
 全種族平等を謳いはするが、有翼人に興味のない者は『国がやるだろう』と無関心なのだ。
 否定も迫害もしないが協力的な関係性は築けていない。

「これは有翼人に限ったことではありません。どんな市場でも賛否はある。けれどどんな市場でも必ず成功する人もいます。それが柳殿です」

 護栄の紹介を受け、柳はにっと笑った。
 麗亜はその補足をするように語り始める。

「私の政治手腕が認められるのは柳の力も大きいんです。服飾や芸能、家具、飲食、不動産、製造業……あらゆる事業で多大な実績を誇ります。特に娯楽産業は明恭でも随一」
「へー」
「もうちょい感動しろよ」
「だってよく分からないし。護栄様の方が凄いよ」
「こんな怪物と比較しないでくれ。大体土俵が違う」

 薄珂の軽い返事に柳は不満を見せたが、立珂に至っては何も分からないようできょとーんとしている。
 これほどやりがいの無い相手もそういないだろう。

「有翼人への愛情は薄珂が立珂殿の服で可視化した。そこに柳殿の治験があれば有翼人保護区は絶対に成功します」
「俺の利益になるなら何でもお手伝いしますよ。ただし条件を付けさせてほしい」
「条件? そんな話は聞いていませんが」
「気が変わったんですよ」

 柳はにやりと笑い、薄珂をぴっと指差した。

「薄珂を俺にくれ。そうすれば有翼人保護区の成功は確実だ」
「断る」

 麗亜含め全員が驚いたが、間髪入れず拒否したのは天藍だ。
 不愉快さを顕わに柳を睨みつけている。

「国民を取引材料にする気はない。却下だ」
「先代皇を蹂躙した方が随分甘いことを言う。成功を逃しますよ」
「問題無い。響玄統括のもと成功へ向かっている」
「それは遠からず墜落します。現場の頭と組織の頭はやることが違う。商人じゃ役不足だ」

 柳は自信満々に笑み、臆することなく天藍を睨み返した。

「区長に俺を据え補佐に薄珂をよこせ。そうすれば」
「ふざけないで!!」

 一同があっけに取られているところに女性の怒号が響いた。
 振り向くと、そこには遅れてやって来た紅蘭と随伴の美星がいた。
 怒りをぶつけたのは紅蘭ではなく、美星だった。

「役不足ですって!? お父様がどれだけ有翼人を助けて来たかも知らず何を偉そうに!」
「知ってるさ。非合法でも恐れず己の財で守った逸話は有名だ」
「では守った具体的な方法を言ってみなさい」
「住民登録のない者を手持ちの不動産に入れてやったんだろう? 生活に必要な全てを与えて回ったと」
「ええそうよ。でもその前にやったことがある。それは?」
「その前? いや……」

 美星は柳をぎろりと睨み、かつんかつんと足音を響かせた。

「現在存命である蛍宮生まれの有翼人人口をご存知ですか」
「数百だろう。移住の方が多い」
「いいえ。千八百九十七人です。移住が先住を上回ったのはここ数年の話」
「聞いたことない数字だな。何だそれは」
「先代皇の有翼人狩りで大勢が殺されました。けれど一部の者はある方法で生き延びた。千八百九十七人はその人数です。ですが彼らは今なお有翼人国民に数えられない。どうしてだと思います」
「……何故だ」

 美星はこちらに背を向けると、突如衣を脱ぎだした。

「み、美星さん!」

 全員がぎょっとした。
 薄珂は止めようと立ち上がったが、見えた美星の背を見て全員が固まった。

「……う?」
「その背は……」

 白く美しい背には何かが付着していた。
 人差し指ほどの白い何かが左右の肩甲骨の少し上に付着している。

「美星さん、それ、まさか」

 薄珂はこれが何だか知っている。
 それは毎日見ている立珂の羽の付け根にそっくりだった。

「私は有翼人。有翼人狩りから生き延びるため、羽を落とした有翼人」
「羽を……!?」
「お父様は有翼人の羽を落として回り、そうすることで皆生き延びた」

 美星は服を直すと、柳に詰め寄り柳の胸ぐらをつかんだ。 

「羽を落とす苦しみと幸福があなたに分かりますか!?」

 柳はびくりと震え、これには言葉を失った。
 美星は言い返すこともできない柳を捨てるように手を離した。

「お父様は有翼人保護区を誰よりも願っていた。いつか踏み出すため長年考えてきた!」
「考えたから出来るとは限らない。必要な技術が違うんだ」
「だとしてもあなたにはできない。あなたには決定的なものが欠けている!」
「何?」
「私の羽は去年まで小指の爪程もありませんでした。でも今また生え始めた。その理由が分かりますか」
「……いや」

 美星は薄珂と立珂の後ろに回った。

「薄珂様と立珂様です。お二人が有翼人も愛し愛され幸せになって良いと体現して下さった。だから私は有翼人として生きたいと思うようになった……」

 美星はぎゅっと立珂を抱きしめた。

「羽はこころ。有翼人であることを望む私のこころが羽を蘇らせた」

 立珂の大きな羽は美星を守るようにふわりと揺れる。
 白く輝くそれは愛情の証だ。

「有翼人が求めるのは愛し愛される場所。愛の無いあなたでは役不足よ!」
「同感だな」

 がつんと足音を立てたのは紅蘭だ。守るようにそっと美星の肩を抱きよせている。

「明恭の方々はお初にお目にかかる。先代皇宋睿が側室、紅蘭だ!」

(……え? 側室って奥さんだよな。え? じゃあ美星さんて皇女!? あ、でも響玄先生の子供だから違うのか)

「羽を落とせとを命じたのは私だ。これが褒められたことじゃないのは分かってる。だがそれがあったからこそ今がある。失敗大いに結構。成功は成長し掴み取るもんだ!」

 薄珂が少ない情報に混乱している間に紅蘭は叫び、美星も同じく柳を睨みつけた。
 国交の場を私情で乱すことなど許されないが、これに割って入ったのは響玄だった。

「落ち着きなさい、二人とも」
「お父様!」

 響玄はよしよしと美星を撫でると、守るように背の後ろに隠した。

「私は有翼人が自ら歴史を作っていける場所こそが保護区だと思っています。ですが事業の成功なくしてより良い生活作りができないのも事実」

 響玄は柳の前に立ち、手を伸ばした。

「区長を退くことはできません。だが一事業者としてご協力を頂けないだろうか」

 柳は美星と紅蘭の鋭い視線を確認し、ようやく立ち上がり上が間を下げた。
 そして響玄の手を取り、ぐっと強く握手を交わす。

「……すまなかった。ぜひ協力をさせてくれ」
「有難うございます」

 その握手でわだかまりが溶けた――とは言えない。
 紅蘭と美星は認めないと言わんばかりに睨んでいて、天藍もあまり良い顔はしていない。
 護栄と麗亜はやれやれといった風だが、その重い空気の中に明るい声が響いた。

「美星さんも有翼人だったんだね! 僕と同じだね!」

 立珂はぴょんと椅子を飛びおり美星に飛びついた。
 ぎゅうっと抱きしめられた美星は、じわりと涙を浮かべて立珂を抱き返す。

「……はい。同じです」
「ふふふ! 嬉しい! 羽生えたらお揃い着ようねえ」
「ええ。すぐに生えるので待ってて下さい」
「うん! 約束だよ!」

 楽しみだねえ、と立珂ははしゃいだ。
 ぼろぼろと涙を流す美星と立珂を部屋に残し、この日は解散となった。
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