第十三話 墜落

文字数 2,180文字

 狼の姿を見た立珂はがたがたと震えていた。羽という重しがあるため、この狭い場所で立珂はもう逃げることはできない。逃げられなければ、襲われるか籠り続けて餓死するかだ。立珂自身もそれを分かっているから恐怖は人一倍なのだろう。ぼろりと大きな涙を流し震え続けた。
 薄珂は震える立珂を抱きしめて、ぽんぽんと軽く背を叩いてやる。
「大丈夫だ。この狭さには入って来れない」
「う、うん……」
 幸いにも出入り口の穴は洞窟内部の高さに比べやけに低い。しかも天然の穴にしては上下左右の辺は直線で、明らかに誰かが意図的に作った物にみえる。まるで予め外敵を阻むために設計されているように思えた。
(絶対に誰か作ったんだ。けど里の避難場所なんて聞いたこと無い。部外者の俺達には教えてなかっただけか、それとも……)
 少しだけ考え込んで黙ると、腕の中で立珂が小さく不安げな声を漏らした。不安にさせたようで、薄珂はにっこりと笑顔を見せてもう一度ぽんぽんと背を叩いてやった。
「安心しろ。狼なんて俺の敵じゃない。公佗児になってあいつ殺すから飛んで逃げよう」
「でも誰かに見られたら」
「正体隠してここで死ぬわけにはいかないよ。ちょっと怖いかもしれないけど頑張れるか?」
「……ん!」
「よし。じゃあ準備しよう。落ちて来たとこに戻るぞ」
 薄珂は腕の中にすっぽりと立珂を隠すように抱き上げると、落ちて来た場所へと戻った。目的は落石で壊れた梯子の板だ。
「立珂。これで鎧作るぞ」
「よろい?」
「立珂に巻き付けるんだ。俺が掴むと爪で引っ掻いちゃうだろ?」
 薄珂は獣化に備えて着ていた服を全て脱ぐと、それを腹巻のようにして立珂の上半身に巻き付けた。その上に梯子の板と、梯子を吊っていたであろう縄を使って立珂に巻き付けていく。腕と脚にも板を括りつけると、簡易的な鎧が完成した。長い羽は足に撒き付け縄で結ぶとそれもまた鎧の一つとなる。
 そして薄珂は残しておいた大きめの板を手に取り、狼の待ち受ける出口へ目線を向けた。
「狼は群れでいる可能性が高いから一気に飛んで逃げよう。これをあいつの口に突っ込んで外に押し出しながら獣化する。俺があいつ殺したら外に出て来てくれ。掴みやすいように丸くなっててくれよ。頭は隠して」
「うん!」
「俺は多少怪我すると思うけど落ち着いて。慌てて混乱しないようにな」
「わかった!」
 立珂はぱっと頭を抱えてきゅっと口を固く結んだ。もう落ち着いたのか、不安な顔はしていない。気合いを入れたような表情は頼もしくて、薄珂はよしよしとその頭を撫でた。
「俺が良いって言うまで頭出しちゃ駄目だぞ」
「うん!」
 警戒しながら出口へ向かうと、やはりまだ狼が陣取っていた。二人の姿を見つけるといっそう大きな声で鳴いた。耳をつんざくような鳴き声に立珂は再び怯えたが、薄珂は板を両手で構えた。
「あいつを殺したら一回鳴くから、そしたら出て来るんだぞ」
「うん!」
「じゃあここで待っててくれ」
 薄珂はぎゅっと立珂を一度抱きしめると、狼に向き合った。愚かにも大口を開けて食いつこうとしているが、狼は顔を振り回すのでやっとのようだ。それを確認すると、薄珂はその口に思い切り木の板を突っ込み全体重をかけて外へと押し出した。そのまま自分も外に出て、その瞬間に公佗児へと姿を変えた。しかし口に板を咥えさせられた狼はそれに驚くこともできずもがいている。放っておいてもよさそうだったが、立珂に万が一があるといけない。爪で引っかけ足を引き裂くと、遠くへと放り投げた。
 そして薄珂は、きぃ、と鳴き声をあげた。それを聞いた立珂がもぞもぞと洞穴から出て来て、指示した通りに身体を丸めて待機してくれる。
(よし!)
 薄珂はそっと立珂を掴むと、そのまま飛び上がった。公佗児の爪は人間のように器用ではない。野生よりは指の長さがあり掴むことは可能だが、長時間飛ぶには無理がある。
(慶都が戻って来るはずだ。薫衣草畑まで行けば――っ!)
 その時、聞き覚えのある音がした。があん、と何かが破裂したような音だ。
(銃!?)
 二か月ばかり前、薄珂の羽を撃ち抜いた銃撃と同じ音だった。そのままもう一発、二発、三発と乱射する音がして、ついにそれは薄珂の肩をかすめた。痛烈な衝撃に、きぃ、と鳴き声をあげてしまう。羽ばたくために肩を動かすだけで痛みが強く、ぐらりと態勢を崩して墜落してしまった。
(駄目だ! 立珂だけは!)
 とても飛び続けることはできない痛みだった。けれど薄珂は羽ばたいた。怪我などしていないかのように懸命に羽ばたき続けた。しかし狙撃手が何処にいるか分からない以上は下手に着陸することもできない。せめて飛び立ちやすく視界の開けている場所にしようと、崖の縁へと降りた。しかし逃げようにも薄珂の肩は動かない。羽ばたくどころか目がかすんできていたが、ふいに遠くで薄珂と立珂を呼ぶ声がした。それも一人ではなく大勢だ。きっともう大丈夫だろうとわずかに気が抜けると、途端に肩の痛みが激しくなった。
(誰か、誰か立珂を……)
 薄珂の視界はどんどん不明瞭になっていくが、ふと茂みが大きく揺れた。誰かがいる。それが味方か狙撃手か、確認しようにも飛んで逃げようにも身体はちっとも動かない。なけなしの力でできたのは立珂を隠すために羽を丸めることだけで、誰かの影が落ちて来たと同時に薄珂は意識を手放した。
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