第五十二話 薄珂の新たな決意

文字数 3,830文字

 牙燕と孔雀――龍鳴は立ち上がると手を組み深々と頭を下げた。

「改めてご挨拶申し上げる。豹獣人の牙燕と申す」
「牙燕様にお仕えしている龍鳴と申します。種族は人、性は男」
「お二人は解放戦争でもご活躍なさったんですが、引退を固く決心なさっていたんです」
「その時護栄に言われたんだよ。どうせ退くなら退く場所の無い者を守ってくれないかと」
「それがあの里?」
「ああ。元々儂の別宅があった場所なんだ。先代皇に集められ、だが従わず理不尽に投獄され傷付いた者で里を作った」

 薄珂は過去の蛍宮や解放戦争のことは話半分でしかしらない。立珂はほとんど知らないだろう。
 聞く機会はいくらでもあったが、はっきり言って興味が無かった。立珂のこれからに関わることを学ぶのに精いっぱいだったし、何より過去がどうあれ天藍が今皇太子としていることが全てだ。
 けれど、金剛の言っていたことだけが気にかかっている。天藍は皇太子の偽物だと言っていた。

(それが本当なら本物の皇太子はどうなったんだろう)

 身代わりを立てたのいうのならまだ分かる。けれど身代わりにするには特徴があまりにも違いすぎる。
 天藍をそっと盗み見していると、護栄がすかさず一言を放った。

「殿下は黒兎ですよ」
「えっ」
「手のひらに乗るくらい小さいんですよ。威厳も何も全くありません」
「一言余計だぞ。つーか俺に言わせろよ」
「聞きたそうだったのでつい」
「……どういうこと?」
「見た方が早いな」

 天藍は目を閉じすうっと息を吸い込んだ。
 数秒そうしていると、髪が根元から黒へと変わっていく。そしてぱちりと開かれた目も真っ黒になっていた。

「……とまあ、俺は色を変えられるんだ。逃げる時は小さい黒兎が便利でよくやってる」
「へー……けどなんで白にしたの? 黒兎じゃ駄目だったの?」
「俺は別にい」
「駄目です。兎はただでさえ見下される種。容姿は民衆の心を掴むかどうかに影響するんです」

 天藍の言葉にかぶせて護栄がぴしゃりと切って捨てた。
 けれど天藍はまだ不満そうに睨み返している。

「そんなのは行動で示」
「あ、そっか。隊商が見栄張って有翼人の羽根商品を扱うようなことだ」
「その通り。多少の演出は必要なのですよ」
「そっか。それは必要だね」
「何で護栄に賛同するんだよ……」
「でも、そっか。天藍も特別なことできるからって前の王様に連れて来られたの?」
「俺を人質に両親がな。二人とも戦争に駆り出されて死んだ。俺が解放戦争をやると決めた理由がこれだ。他と違うだけで虐げられてたまるか……!」

 天藍は悔しそうに唇をぎりぎりと噛んだ。
 どうして全種別平等なんていう大きなことをやろうとしているのか気にしたこともなかったが、自分も同じように理不尽な目に遭ったからだったのだろう。

「けど名前は? 皇太子は秦って人なんでしょ?」
「ああ、それは俺の姓だ。俺の父の母国は姓と名があって、俺の正式名は『秦天藍』なんだよ」
「それだけ?」
「それだけ」
「……なんだ。つまんないの」
「何がだ」
「実は護栄様が皇太子で天藍は影武者とか、そういう凄い話出てくると思ってたから」
「いいですね。変わりましょうか、殿下」
「ふざけんな」
「まあ過去の話ですよ。私のことといい、金剛は先代皇派と繋がってた可能性がありますね」
「拷問しましょうか」
「仮にも医者なら遠慮して下さい。それより、私がうかがいたいのは二人の親です。牙燕将軍は縁がおありなのでは?」

 薄珂はどきりとして牙燕を見た。
 立珂にも一通りはなしてはあるが、実感がないのかきょとんとしている。

「……薄珂。公佗児伝説を知ってるかい」
「国を滅ぼしたっていう?」
「そうだ。だがあれは伝説ではなく一人の男の生涯だ。かつて獣の本能に呑まれて死んだ男の生涯」

 牙燕はすうっと一呼吸つくと、薄珂を見つめて声を絞り出した。

「男の名は透珂(とうか)。お前の父親だ」
「……知らない」
「透珂は薄立の兄だ。透珂の暴れようはあまりにもひどく死亡者も多く出た。身内は全て殺せとなり奥方は真っ先に殺され、だから薄立は生まれたばかりのお前を――兄の息子を連れて逃げた。そして儂の元にやって来たんだ」
「えっ」
「あれは里ができる前だ。儂の別宅しかなくて手当するのもままならん。蛍宮に行こうと言ったんだが、もっと遠くへ逃げると言ってね。ならせめて、何かあればここにおいでと言っておいたんだ」
「父さん里を知ってたんだ……」
「この小刀は礼にと薄立がくれた物。兄弟対の物らしい」

 牙燕は懐から小刀を取り出し、そっと立珂に握らせた。
 かつて兄弟で持っていた小刀は、ついに息子二人の手に渡った。

「父さん――薄立も公佗児だったの?」
「いいや、鷹だ。おそらく遠い祖先に公佗児がいたのだろう。獣人の獣種など厳密には分からんものだ」
「ふうん……」
「じゃあ薄珂は父さんと血が繋がってるんだよね。僕ってどうなんだろ」
「ん? お前は薄立の子だ」
「でも全然似てないの。それに突然出てきたんだって、僕」
「聞いてないのか。薄立は薄珂を連れて逃げた時に妻を祖国へ帰したらしい。耐え切れず様子を見に行ったらしいが、妻は死亡したと言っていた。それで息子を、立珂を連れて戻ったと言っていたよ」
「じゃあ僕は父さんと血が繋がってるの?」
「ああ。薄珂は透珂の若い頃に、立珂は亡き妻に瓜二つだと言っていたよ」
「……じゃあ僕と薄珂もちょびっとは血繋がってるの?」
「そうだよ。父親が兄弟だから半分の半分だ」

 立珂はくりっと顔を薄珂に向き直った。
 すると大きな目にじわぁっと涙が浮かび、勢いよく薄珂に飛びついた。

「薄珂! 僕薄珂と同じだって!」
「ああ! 同じだ! 俺と立珂は同じだ!」
「うれしい! 僕と薄珂は同じなんだ! 同じだよ!」

 血の繋がりなど関係無い。薄珂にとって立珂は大切な弟だ。
 けれど血が繋がっているというのは、なんだかとても嬉しいことのように思えた。立珂はお揃いだね、同じだね、としきりに叫んでぎゅうぎゅうと抱きしめてくれる。
 今まで気にしていたのだろうか。ぼろぼろと涙を流して喜ぶ姿はとても愛おしい。
 よしよしと背を擦ってやると、立珂はぐりぐりと頬ずりをしてくれる。
 邪魔するまいと気を使ってくれたのか、天藍は牙燕に視線を移した。

「公佗児を祀っていたのは何故?」
「願掛けのようなものだ。公佗児は悪のように言われるが、必ずしもそうではない。せめてこの里の者だけでもそれを知っていてくれれば、いつか全ての獣人が平和に暮らせる日が来るのではと……」
「そっか……」
「お前達がやって来て、助けてやらなくてはと思った。だが里は既に多くの獣人の拠り所となっていた。もし他の者に何かあってはと……」
「だから私の傍に置いたんです。私はもともと里に入れない者を匿うため外にいるんです」

 里を出てすぐの小屋に薄珂と立珂は身を寄せていた。
 やけに家具は充実し、井戸まで近くにあるという生活に困らない作りになっているのが不思議だったが、いつ誰が来ても良いように常に用意していたのだろう。

「しかしあなた方を巻き込んだのは私たちの失態です。何かお詫びをさせて下さい。入用な物などありませんか」
「え? うーん、特に困ってな――……」

 はたと気付き、薄珂は護栄の前に膝をついた。
 全員が目を丸くしたが、薄珂はそのまま両腕を組み深々と頭を下げる。

「護栄様にお願いがございます」
「なんでしょう」
「私を護栄様の元で働かせて頂けないでしょうか」
「薄珂!?」

 天藍は勢いよく立ち上がり、眠そうにしていた玲章は正気かと驚いたような声を出した。

「……人を狂わす覚悟ができましたか」

 護栄が何を言いたいのか、本音を言えば薄珂にはまだよく分からない。
 恐らくそれほどのことを成し得るだろうと期待を込めてそう言ってくれているのだろうと思っている。
 けれどそんなことができるとは思えない。護栄と同じことをしたいとも思わない。
 それでも薄珂には守りたいものがある。

「立珂のためなら人でも国でも」
「良い答えですね。顔を上げなさい」
「はい」

 上を向くと、護栄はにやりと笑っている。

「私の元で生き残ったのは三人だけですよ」
「では私は四人目になりますね」

 うげぇ、と玲章は肩をすくめた。天藍は心配そうな顔をして、他の誰もが難しい顔をしている。
 けれど護栄はすっと手を差し伸べてくれた。

「職員用の規定服を用意しましょう。届き次第仕事開始です」
「分かりました」
「覚悟なさい。やるからには徹底的にやりますよ」
「はい!」

 周囲は何かを諦めたようにため息を吐いた。
 しかし立珂だけは違った。てててっと薄珂に駆け寄りぴょんと飛びつく。

「薄珂。護栄様とお仕事するの?」
「ああ。立珂と幸せに暮らすためにな」
「僕はもうしあわせだよ。薄珂がいればそれだけでしあわせだもの」
「俺だってそうだ。でももっともっともっともっともっとだ!」

 薄珂は立珂を抱き上げた。
 実年齢よりも幼い肉体と身体はまだまだ成長途中だ。もっと太った方が良いと芳明にも言われている。

「立珂だけじゃない。立珂が幸せにしたい人も俺が幸せにしてやる。立珂のためなら俺はなんでもできるんだ!」
「なら薄珂は僕がしあわせにしてあげるよ。僕だって薄珂のためならなんでもできるよ!」
「ああ。みんな一緒に幸せになろう!」

 立珂はぎゅっと抱きしめてくれた。あんなに茶色かった羽が今は純白に輝いている。
 それはまるで、幸せだと叫びたい心が可視化されているようだった。
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