第四話 車椅子

文字数 5,108文字

 里で住むことを許されて、薄珂と立珂は最低限の荷物だけ持って慶都の家に移動した。
 里の住民からは怪訝な顔をされることも覚悟していたが、思いの外彼らは歓迎してくれた。よくぞ同胞を助けてくれたと感謝をされると心苦しいが、子供をそんな危険な状態に置いてすまなかったと詫びてくれる者もいた。何より、立珂がここまで歩けないのだということを初めて知り、放置していた自分を責める者もいるようだった。
 家族三人でしか生きてこなかった薄珂と立珂は大勢に囲まれるのは初めてで気後れした。けれど皆が立珂を可愛がってくれるのはとても嬉しかった。
 賑やかな一日をすごした翌朝、起きぬけに薄珂は大声を上げた。
「立珂!? それどうしたんだ!」
「ふふ~ん! 一人でおきがえ!」
 薄珂は寝台に腰かけている立珂の頭からつま先までをじっと見た。立珂は寝間着ではなく天藍から貰った普段着を着ている。寝間着ではない。着替えているのだ。
 衣は釦式なので一人で着替えられるだろう。しかし気になったのは下半身だ。立珂は一人で立てないから履き替えるということができない。無理矢理頑張ればできるかもしれないが薄珂の目を覚まさないよう静かには無理だ。それがどういうわけか完全に着替えている。
「下はどうしたんだよ。何で? どうやって?」
「んふふ。これすごいの!」
 立珂はんっと足を床と並行にするように延ばして服の全貌を見せてくれた。
 服は上下に分かれている。衣の丈は腰骨ほどで、下は飾り気のない裳だ。裳は筒状ではなく一枚布を巻きつけているだけのようで、捲れて床に垂れている。けれど立珂の脚にはまだ布があった。丈はふくらはぎほどしかなく皺くちゃになっている。
「下のそれ寝間着か?」
「そうだよ! こうしたの!」
 立珂は腰の釦を外すと、上半身を必死に動かし寝台へ広げた。んしょんしょと伸ばすとその上にころりと転がり、腰辺りで再び釦を止める。立たずして転がる事で布を巻き付けたのだ。さらに裾を持ち上げると、下の布と上の布の内側にある釦を止めた。これは布の端ではなく少し内側に付いているので、裾はひらひら揺れて固定してるようには見えない。完全な着替えの完了だった。
「……凄いぞ立珂! 凄い! 凄いじゃないか!」
「えへへ~。上と下が別々なのって普通はあんまりないみたいだけど、上の裾に模様が付いてるのお洒落だと思うんだ。おなかとせなかは白い生地だけど、裾と襟だけ地模様の生地だとまとまりが良いの。上だけ豪華な生地でも良いと思うんだ。下は模様無しで大きな刺繍だけ入れるとも素敵だと思うの。後でおばさんに刺繍のやり方教わろうと思って」
「え、な、何だって?」
「お洒落にするんだよ。薄珂は赤が似合いそう!」
 突如饒舌に語り出し、その意味がほとんど分からず薄珂はぽかんと口を開けた。
 薄珂も立珂も、一般的な常識や知識に乏しいというのは里に来てよく分かった。けれど学ばなければ生きられないわけでもないし、そんなことより立珂がどう過ごすかの方がずっと大切だ。だから別段勉強しようなどとは思わなかったし、考えることと言えば慶都と遊べるものを増やすことくらいだ。
 けれど今立珂が語ったのは明らかに今までにない知識だ。薄珂は聞いたこともないし考えたことすらない。
「立珂、いつの間にそんな難しいこと勉強したんだ?」
「う? してないよ。ただその方がお洒落だと思って」
「……自分で考えたってことか?」
「うん。だってお洒落だもの! どの色をあわせるかはとっても大事だよ!」
 立珂はえへんと誇らしげに笑みを浮かべた。着ている服のお洒落さは間違いなく誇って良い仕上がりだ。里の住民だってこんなに組み合わせを凝らしたりはしていない。
 薄珂は初めて立珂のお洒落さを実感してぶるりと震え、飛びつくように抱きしめた。
「凄いじゃないか! さすが立珂だ! すごく可愛いぞ!」
「えへへ~。お裁縫おぼえたいな。そうしたら新しいのが作れるもの」
「良いな。おばさんに聞いてみよう」
「うん! うふふ。たのしいねえ」
 立珂は貰った服を並べてこの組み合わせも良いかも、ここだけ生地を取り替えたい、と幸せそうに語り始めた。質感がどうとか厚みがどうとか、薄珂には全く考えの及ばないことばかりだった。まるで何かの教本を音読されているようで頭が付いていかない。けれどうきうきとした立珂の笑顔はそれだけで幸せを与えてくれて、薄珂は流れるように立珂に頬ずりをし続けた。
 そうしてしばらく遊んでいると、こんこんと扉を叩く音がした。
「二人とも、起きてますか」
「あ、はあい!」
「そうだ。俺達だけじゃないんだった」
 扉の向こうから聞こえてきたのは男の声だった。
 家族以外と暮らしたことのない薄珂と立珂は起きてすぐお互い以外の誰かに挨拶をする事は無かった。だがここには慶都一家がいる。当然起きたら挨拶をするべきで、薄珂は慌てて扉を開けた。そこにいたのは慶都の父、慶真だった。慶都は父親似のようで面立ちがよく似ている。
「おはようございます」
「おはよう。ごめん。二人だけじゃないの忘れてた」
「いいですよ。少しずつ慣れていきましょうね。それより居間に行きませんか。良い物があるんですよ」
「いいもの?」
「腸詰?」
「それもありますけど、もっと良い物です。さあ」
「うん。立珂、おいで」
「ん!」
 薄珂はいつものように立珂を抱き上げ居間へ行くと慶都と慶都の母は当然だが、金剛と、何故か天藍もいた。
「立珂おはよう!」
「慶都!」
 慶都は駆け足で寄って来て、立珂の手をぎゅうっと握った。はじけんばかりの笑顔は立珂が大好きだと叫んでいるようで、薄珂は慶都に引っ張られるがままに長椅子に立珂を座らせてやった。
 しかしその向かい側には天藍もいて、目が合うと口付けをしてしまったことが恥ずかしくてつい目を逸らす。けれど天藍はくすくすと笑っているだけだ。
「よく眠れたか」
「……何しに来たの?」
「ご挨拶だな。立珂に良い物持って来たってのに」
「立珂に?」
「よろこべ立珂! 天藍がすごいのをくれたぞ!」
「お洒落!?」
「はは。今日は違う」
 天藍はよいしょと立ち上がり金剛に目配せすると、金剛の背に隠れていた物を前に出した。
 それは肘置きの付いたゆったりとした椅子に大きな車輪がついていた。服に引き続き薄珂と立珂は見た事がなく、揃ってこてんと首を傾げる。
「う?」
「これ何?」
「使えばわかる。立珂が座って薄珂は後ろの持ち手を握れ」
 金剛は軽々と立珂を抱き上げると車輪の付いた椅子に座らせた。床に広がる大きな羽を膝は背に取り付けられた籠に収納し、薄珂も言われた通り車輪付き椅子の後ろに立ち飛び出ている二本の取っ手を握った。
「薄珂、押してみろ」
「このまま? 立珂落ちない?」
「ゆっくり押せば落ちない。いいから押してみろ」
「うん……?」
 薄珂は恐る恐る車輪付きの椅子を押した。するとほんの少しだけ椅子が前に進むが、薄珂と立珂は何が起きたか分からずじいっと椅子を睨んだ。
「……床が動いてる」
「違う……立珂が動いてるんだ……」
「僕は動いてないよ……」
「立珂だよ。立珂が椅子ごと動いてるんだ……」
「今度は立珂が自分で動かしてみろ。車輪に付いてる輪っかを前に押すんだ」
 立珂は輪っかを握るが、何が起きるか分からない状況だからか不安そうにした。それに気づいた金剛が薄珂を立珂の向かい側に立たせ、自分は立珂の横に立つ。
「薄珂に向かって進め。転ばないように支えてるから安心しろ」
「う、うん……」
 立珂は、ん、と手に力を入れて輪っかを回す。するとすいすいと前に進み、あっという間に薄珂の元へと辿り着いた。いつもなら床を這って羽を引きずり躓きながら数分かかる距離だ。薄珂は目の前にやって来た立珂が本当に立珂なのか確かめるように手を伸ばした。顔を包むようにぺたりと頬に触れると、そこには温かい立珂の体温がある。
「凄いぞ! 一人で動けるじゃないか!」
「うん! うん! 僕動けたよ!」
「こいつは車椅子という人間の作った医療用道具だ。元は足の不自由な人間用だったが、羽に困る有翼人へ配りたいと人間と獣人が協力して量産を急いでる」
「人間と獣人が有翼人のために……?」
「そうだ。迫害されてきた有翼人は人前に出たがらない。だから何が苦楽か生態も分からない。だから知って、助けたいと考えてるんだ。少なくともこの里の皆は」
 ん、と天藍は玄関扉の方を見るよう目線で促した。その視線の先にいたのは長老と、里の大人達だった。
「これを作ってくれたのは金剛と里の大人達だ。お前に笑って欲しいと」
「う……?」
 長老はにこりと微笑むと立珂に歩み寄り、そっと手を撫でた。立珂は丸い目をぱちぱちと瞬きを繰り返している。
「お前がこんな大変な思いをしてるとは知りもしなかった。もっと早く里に入れてやるべきだった。いや、違うな。助け合いが里の信条だと言っておいてそれを見失うなどあってはならなかった」
「長老様」
「お前達は里の大切な子供だ。困る事があれば言いなさい。力になろう」
「……うん!」
 薄珂と立珂の眼にじわりと涙が浮かんだ。
 親もいなくなり見知らぬ大人に囲まれるのは不安もあったが、温かく迎え入れてくれた里の面々を思い出す。しきりに立珂がどうしたら過ごしやすいかを気にしてくれていた。特に杖を使って歩く老人は思うことが多かったのか、なんとかならんか、と考え込んでいた。
 守るべき子供として認められたことが嬉しくて、薄珂と立珂は顔を見合わせてぎゅうっと抱き合った。そして慶真は父親のように二人の頭を撫でてくれた。
「足場の悪いところは駄目ですよ。慣れるまでは大人と一緒に使うこと。まずは庭で練習しましょう」
「はいっ! おにわ!」
「やろう! 立珂庭に行くぞ!」
「うん!」
 慶都は笑顔で叫びと立珂に抱き着いて、外で練習しようと父を連れて庭へと出た。薄珂も後を追い庭に出ると、立珂は車椅子で自由に動き回っていた。風にふわふわと髪が揺れている。いつも抱っこしているから外で立珂の髪が風になびくところは見たことが無い。
腕の中に立珂がいないことはほんの少し寂しかったが、日に当たる立珂の笑顔はそんな思いを弾き飛ばした。手足をばたつかせて大いにはしゃぎ、早くも汗をかいている。今までは汗をかきたくないからじっとしている事が多かったのに、今はそれも気にせず必死に身体を動かしている。
(笑ってる。立珂はあんなに可愛く笑えたんだ)
 立珂を自由にしてやりたいとずっと思っていた。そうすればきっともっと笑ってくれるはずで、それを見るのが薄珂の夢だった。けれどその姿が思い浮かべられないくらい立珂は不自由で、だがその姿は今目の前にある。
 信じられない夢のような光景を呆然と見つめていると、急に天藍がぐいっと頬を拭うように指を滑らせてきた。昨日のこともあり、薄珂は思わず一歩引いた。
「な、なに。なにすんの」
「そんな警戒するなよ。泣いてるのに無視はできないだろ」
「え?」
 言われて自分の頬を触ると水で濡れていた。ようやく薄珂は自分が泣いていたことに気付き、薄珂は慌ててごしごしと目を擦って誤魔化すように立珂に視線をやった。天藍が小さく笑ったのが聴こえたが、それ以上は無くぽんぽんと頭を撫でてくれる。
「あの車椅子な、実は孔雀先生が準備してくれてたんだ」
「え? そうなの?」
「ああ。けど車体自体が重いし車輪が固いしで孔雀先生も扱いが難しかったんだ。だから渡すのを迷ってたらしいけど、里の奴らが改造してくれた。素手で金属曲げるなんてさすが肉食獣人は腕力が違う」
「そうなんだ……」
 ここに来て以来、一番世話になっているのは孔雀だ。皮膚炎に悩むことは無くなり栄養のある料理を教えてくれた。それは薄珂にはできなかったことで、考えもつかなかった事ばかりだ。
(味方が増えた。だから立珂は笑顔が増えた)
 天藍が教えてくれた言葉がじわりじわりと薄珂の身に広がっていく。一人で立珂を守っていた薄珂にとって里の住人と絆ができたのはとても大きな変化だ。
「先生にもお礼言わなきゃ」
「あ、そうだ。先生がお前達に聞きたいことがあるとか言ってたぞ」
「先生が?」
「ああ。一しきり遊んだら顔を出してくれ」
「分かっ――んにゅっ」
 真面目な話をされ真面目に礼を言おうとしたが、何故か天藍はぷにっと薄珂の頬を突いてきた。
「何!」
「何となく」
「は!?」
 天藍はくくっと笑うと立珂の元へ行き持って来た物を見せていた。服ではなく生地で、まるで立珂が自作したいと言い出すのを予想していたかのようだった。夢中になる立珂を見れば、今すぐ帰れとは言えなかった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み