第十二話 回復の兆し

文字数 1,745文字

 立珂が療養する離宮は宮廷から徒歩十分ばかり離れていた。
 中央庭園を抜けた先にあるというので人の出入りがあるのではと不安になったが、古ぼけた木製の門をくぐったら景色は一変した。
 道は舗装されていない獣道で雑草は伸び放題、剪定されていないせいで鬱蒼と生い茂る木々。
 とても皇太子の住まう宮廷の敷地内とは思えないほど荒れているが、薄珂と立珂にしてみれば長年住んでいた森と変わらない。慶都一家は少し驚いているが、立珂の目はどんどん輝いていく。

「薄珂! 森! 森だよ!」
「林だよ。小さい森」
「森だぁ!」

 立珂はきゃあきゃあとはしゃぎ、今にも薄珂の腕を飛び出しそうだ。
 いつもなら降ろして遊ばせてやるところだが、今はまだ羽から手を放すわけにはいかない。

「立珂。遊ぶのは部屋の準備をした後だ」
「お部屋?」
「ああ。俺たちだけで使っていい家があるんだ」
「見えて来ましたよ。あれです」

 慶真が指差した先に見えてきたのは一軒の小屋だった。
 宮廷のように美しい朱塗りではなく、年季の入った木造だ。おそらく宮廷に慣れてる者は倉庫か廃屋に見えるだろう。しかし薄珂たちから見れば里にあった慶都一家の家と同じようなくらいだ。

「ここ使っていいの!?」
「ええ。里の家よりも少し狭いですが私たちで住むには十分でしょう」
「……みんなも一緒に来てくれるの?」
「当り前だ! 立珂は俺が守るんだからな!」

 わああ、と立珂は薄珂の腕の中で暴れるように喜んだ。
 しかし身体を放した途端に具合が悪くなるのではと思うとそうもできない。けれどこんなに楽しそうな立珂を縛り付けるのも違う気がして、悩みながら立珂のくすんだ羽を見た。

「……あれ? 立珂、ちょっと立てるか?」
「立てるよ! 今日は脚も元気!」
「慶都、念のため支えてやって」
「分かった! 立珂! 掴まれ」

 薄珂はじいっと立珂の羽を見た。ついさっきまでは全体がくすんでいたが、尾の方が白くなってきていた。

(どこかに黒い羽が出るんだっけ。まさかもうあるのか?)

 わさわさと羽を掻き分けると、両翼のちょうど中間あたりに他よりも黒ずんでいる羽が一枚生えていた。

(これか。じゃあ回復してきてるんだ)

 芳明の言葉通りなら、これが黒く染まり切って抜けばそれで終わる。
 宮廷から出て自然の中に戻っただけでここまで目に見えて回復するとは思っていなかった。

「薄珂、もういい? 遊んでいい?」
「ん? ああ、いや、部屋を用意しないと」
「えー! 後にしようよ! 遊ぼうよ!」
「薄珂くん。部屋は私たちでやっておくので遊んで来てください」
「でも」
「いいから行ってきてください。立珂くんのしたいようにさせてあげましょう」
「……うん。じゃあ遊んで来る」
「いってらっしゃい」

 良しと言われた途端に立珂はぴょんと飛び跳ねた。
 だがさすがにこの数日寝てばかりだったので歩くのは危ないだろうと薄珂はもう一度抱き上げる。
 立珂はあっちに土を通った水のにおいがする、色んな花のにおいがする、と体力が尽きるまで散策を続けた。体力が尽きたのは日が落ちたころで、元気だった時でもこんなに遊び尽くしたことはない。
 部屋に戻ると慶都の母が寝台を整えてくれていて、そこには薫衣草もたっぷりと置いてある。薄珂は立珂の背もたれになり、羽を挟むようにして寝台に座った。

「立珂ちゃんの羽、元に戻ってきてない?」
「やっぱりそうだよね。こんなすぐ変わると思ってなかった」
「不思議ねえ。芳明先生にいろいろ習った方が良さそうだわ」
「うん。二人で暮らしていくんだから俺がちゃんと分かってないと」

 二人、という言葉に慶都の母はぴくりと瞼を揺らした。
 薄珂に他意はなく、これからも立珂を守っていくという当然のことを言っただけだった。しかし慶都の母は少し悲しそうな顔をした。

「天藍さんとはお話したの?」
「してない。したくない」
「……そうね。またゆとりができたらでいいわよね」

 慶都の両親が言いたいことはおよそ分かる。
 天藍が悪いんじゃない、すぐどうにかしてくれる、先を決めるのはまだ早い。どうせそういったことだろう。そしてそれは薄珂にも分かっている。
 けれど薄珂の頭にあるのはどうやったら即契約破棄ができるのか、どうやったら宮廷の敷地から出れるのかということだけだった。
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