第十話 天の助け

文字数 3,544文字

 立珂が倒れた後、薄珂はずっと立珂を抱き締めていた。
 しかしそれでも熟睡はしてくれなかった。くうくうと寝息を立ててたかと思えば小さな音で目を覚まし、その度に抱き締める体勢を変えることをねだる。
 先日のように肌を擦り合わせてにおいを嗅がせるのがいいのかと思ったらそうではないようだった。しかし立珂も正解が分からないのか、正面から抱きついたり一緒に横になったりと色々な体勢を試した結果、薄珂の足の間に座って寄りかかる形に落ち着いた。

(それに色がくすんでる。こんなの初めてだ……)

 有翼人の羽は基本的に白いが、白さは千差万別だ。象牙色だったりとても淡い桜色のようだったりと、何かしらに寄っている。
 だが立珂の羽は真っ白だ。他の有翼人と比べて見ても際立って白い。一度だってその色がくすんだことはなかった。
 明らかにいつもと違う様子に不安になっていると、美星が音を立てないようそろりと近付いてきた。些細な音で目を覚ますため、出入りの際は靴を脱ぎ息を殺してくれている。
 声による会話ができないのには困ったが、美星の提案で筆談をすることにした。

『孔雀先生と芳明先生がお見えです。お通ししてよろしいですか』

 薄珂は驚いて目を見開いた。
 芳明は以前に羽を小さくする方法を教えてくれた有翼人専門の医師だ。今この状況にこれほど頼もしい存在はない。
 薄珂はこくこくと頷いて部屋へ招いた。孔雀も芳明も音を立てずにそろそろと入ってきてくれて、芳明はそのまま立珂の様子をまじまじと見た。顔を覗き込み羽を何枚も手に取って、薄珂にも羽を撫でさせ立珂の顔色をじっと見る。
 重大な病気だと診断される恐怖に震えたが、芳明はすぐににっこりと微笑んだ。そして立珂の頬をつんっとつつく。

「ほいほい。起きんしゃい」
「んー……?」
「立珂。芳明先生が来てくれたぞ。起きれるか?」
「……なんだか苦しいの……」
「うんうん。これはね、心が疲れてるんだよ」
「こころ……?」
「人間や獣人は嫌なことも時間が経てば忘れるが、有翼人は辛い気持ちが羽に溜まって病になる。嫌なことがあったんじゃないかい?」
「……あった……」
「そうかそうか。怖かったねえ。でもこれはすーぐ治るよ。羽を見せておくれ」
「ん」

 立珂は少しだけ身を起こして前屈みになった。芳明は一通り羽を見ると、薄珂にも羽を見るよう促した。

「分かるかい? くすんでいるだろう」
「うん。こんなの初めてなんだ」
「初めて? そんなはずない。有翼人はちょいちょいこうなるよ」
「そうなの? 立珂はそんなのないよ」
「……そりゃあすごい。薄珂、それはすごいことだ。すごく良いことだ」
「良いこと?」

 芳明はほおほおと感心して薄珂の頭を撫でた。

「辛い気持ちが羽に溜まるってのは、概念ではなく目に見えるんだ。それがこのくすみ」
「辛くなるとくすむってこと?」
「そう。だから美しい有翼人の羽根は高価なんだ。真っ白には保てない。気持ちの浮き沈みは誰しもあるじゃろ」
「でも立珂はいつもきれいだよ」
「それはこの子がいつも愛情を実感していた証だ。お前さんが愛してくれているから辛いと思ったことがなかったんだよ」
「愛してるなんて当たり前だよ」
「そんなことはない。嫌いな物を食べろと強要されたらくすむし、口喧嘩に負けて泣いたらまっ茶色になる。それほど心の機微に敏感なんだ」
「薄珂はぼくがいやなことしないよ……まいにち大好きって、ぎゅーってしてくれるの……」
「そうかそうか。それはとっても幸せなことだね」
「そうだよ……ぼくいっつもしあわせなの……」

 あまりにも当たり前すぎることを褒められ薄珂は首を傾げた。
 立珂を愛してない瞬間などないし、可愛くて可愛くて好きだと口に出し抱きしめずにはいられない。薄珂にとって弟は可愛いもので守って当然だが、ふと創樹の言葉を思い出した。

『うちの弟は立珂みたいに可愛くないんだよ』

 聞いた時は何故そんな面白くない冗談を言うのかと疑問だった。きっと照れ隠しなのだろうと思ったが、誰しもが自分のようではないのかと、初めて薄珂は理解した。

「今はくすみが全体に広がってるけどそのうち何枚かの羽に全て集まるよ。そうすっと背中の真ん中辺に真っ黒い羽が出てくる。それを抜けばその瞬間するっと治る」
「じゃあまた真っ白になる?」
「お前さんが愛してやればすぐ治る。逆にくすんでるうちは休ませてやる。分かりやすいだろう」
「いつもみたいに側にいるだけでいいの? それとも何かしたほうがいい?」
「特効薬があるよ。これはね――」

 芳明の説明を聞いていると、前屈みになっていた立珂が小さな呻き声をあげてさらに体を丸くした。

「立珂!」
「おお、すまんすまん。薄珂。さっきみたいに羽を体で挟んでおやり」
「こう?」

 立珂に寄っ掛からせて羽を全て挟み込む。そして数秒すると立珂はうふふ、と嬉しそうに笑みを溢した。
 
「これが特効薬だ。これはね、羽に溜まった嫌な気持ちが愛情に触れて消えていってるところなんだよ。気持ち良いだろう」
「うん……きもちいい……」
「羽がくすんでたら抱き締めておやり。薄珂の愛が特効薬だ」
「……うん、分かった」

 においの時も今回も、やはり立珂は本能的に回復する術を見つけていたのだ。ようやく笑顔を見れて薄珂は胸を撫で下ろした。
 
「そうだ。この前においのせいで気持ち悪くなったんだ」
「孔雀先生から聞いてるよ。少し栄養のとれる薬を飲んだ方が良い」

 芳明は鞄をごそごそと漁って小さな木箱を取り出した。中には柔らかな薄い紙が敷かれ、茶色い粒がたくさんはいっている。
 
「これをがりがりと噛んでお食べ。少し苦いがね」
「それなあに……?」
「加密列茶を固めたような物です。芳明先生に教えて頂いて私が調合したんですよ」

 立珂は訝しげに茶色い粒を睨んだ。芳明と孔雀が作ったのなら問題はないだろうけれど、見たこともないそれを怖がっているようだった。
 一向に手に取ろうとせず、代わりに薄珂が一粒摘まむ。
 
「これ俺が食べても大丈夫?」
「もちろん大丈夫ですよ」

 薄珂は粒をぱくんと口に放り込み噛み砕いた。いつもと同じ加密列の香りが口いっぱいに広がっていく。

「すっごく濃い加密列茶って感じ。立珂、こっち向いて」

 薄珂はもう一粒噛み砕くと、飲み込まずに口移しで立珂に食べさせる。立珂は驚くことも嫌がることもなく、ほうっと安心したように飲み込んだ。
 しかしその様子を見て芳明は不思議そうな顔をした。

「薄珂。お前達、親は同じか? 父か母、どっちかが違うんじゃないか?」
「え? ああ、どうだろう。母親いないんだ俺達」
「ふうん。そうか。鳥獣人は口移しで食べさせる親が多いと聞くが、お前さんはそれか?」
「分かんない。でも父さんはそうしてくれてたよ」
「これは鳥特有の本能らしい。親鳥が雛に口移しで食べさせるというやつだ。そういう種の血が流れてるんだろうね」
「ふふふ。ぼくは薄珂に育ててもらったんだね……」

 ついさっきまで暗い顔をしていたのが嘘のように、いつものように明るくにこにこと微笑んでくれる。
 立珂を害する事の無い、慣れ親しんだ相手しかいないからだろう。

「これってどれくらい食べればいいの?」
「食べられるならどんどん食べんしゃい。最低でも朝昼晩に五粒ずつだね」
「分かった。立珂、大丈夫だ。食べさせてやるからな」
「ん……」
「明日は昼頃に診に来る。昼食のあとはここにいておくれよ」
「しばらくは私もここで寝泊まりするので安心して下さい」
「うん。有難う」

 芳明は優しく立珂の頭を撫で部屋を出て行った。
 見送るべきなのだろうけれど、孔雀が目配せし代わりに見送ってくれたのでそれに甘えることにした。
 ぱたんと扉の閉じる音がすると、戻って来た孔雀も立珂の頬を撫でてくれる。

「孔雀先生が芳明先生よんでくれたんだよね……ありがとー……」
「いいえ、殿下が呼んで下さったんですよ」
「天藍が?」
「ええ。お忙しくて抜けられないようなので私が代わりにお連れしました」
「……そう」

 聞きたくなかった、というのが薄珂の素直な気持ちだった。
 天藍が良くしてくれているのは分かっているし、天藍が立珂をいじめたわけではないことも分かっている。
 それでもこの宮廷の主は天藍だ。天藍は立珂を苦しめた人間の頂点にいるのだ。
 何に苛立っているのか、何が悔しいのか薄珂は分からなくなっていた。ただ大きな感情が自分の中でぶつかり合っていることだけは分かった。それが伝わったのか、孔雀が頭を撫でてきた。

「今は立珂くんのことだけ考えましょう。他のことはそれからで」
「うん……」

 立珂のためになると思い蛍宮にやってきた。それと同時に天藍と共にいられることが嬉しかった。
 しかしそう思ったのははるか遠い昔のように感じていた。
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