第六話 伏魔殿

文字数 3,808文字

「服飽きた」
「「え!?」」

 腸詰をかじりながらぷうっと頬を膨らませる立珂に薄珂と美星は勢いよく飛びついた。

「い、今なんて言ったんだ立珂……」
「飽きたと聴こえたのですが、私の聞き間違いですよね? ね?」

 立珂はもう一口腸詰を食べてごくんと飲み込むと、大きなため息を吐いてぷんっとそっぽを向いた。

「僕もう飽きた」

 薄珂と美星は揃って顔を真っ青にして、あまりの衝撃に涙を流し立珂にしがみ付いた。

「待ってくれ! お洒落な立珂が見れなくなるなんて嫌だ!」
「皆立珂様のお洒落を楽しみにしているのですよ!」
「考え直してくれ~! 可愛い立珂をもっといっぱい見たい!」
「立珂様に似合う生地をもっと探してまいります! どうかお考え直しを!」
「んにゃっ!? 違うよ! お洒落は大好きだよ! 同じ服を作るのに飽きたの!」
「「え?」」

 二人の慌てぶりに驚いたのか、立珂はあわあわと両手を大きく振った。
 大好きな腸詰を置いて薄珂に駆け寄り、違うよ、と抱き着き頬ずりをしてくれる。
 薄珂と美星はほっと安堵のため息を吐いた。

「同じのってなんだ?」
「『りっかのおみせ』の服だよ。今ってずっと同じことやってると思うんだ」

 立珂は棚から服を二つ取り出し並べた。
 それは形状も柄も、生地品質も風合いも全く違う二着で、同じ店の商品とは思えない。

「右のが売るの止めた服で左のが売ってる服」
「ええ。この着易さが人気ですわ」
「そうだよね。でも右の方がお洒落なんだ」

 立珂はそれを手に取り広げると、上下が一体になっている服だった。
 肩から足首まで大きな花が連なり刺繍されている。

「これは一枚布で柄が映えましたね!」
「けど分解できないし通気性悪いから止めたんだよな」
「そうなの。けど展示会ではお洒落なのも売れたでしょ? なのにおみせで売ってるのはいつも同じなんだ」
「ああ、つまり多少不便になってもお洒落さを追求した服も作りたいってことか」
「うん。でも着て疲れるのはいや。そんなの『りっかのおみせ』で売りたくない」
「確かにそうですね。うーん……」
「見れば欲しい人いると思うんだ、これも。けど僕もたまにしか着ないの。宮廷でちゃんとした服着なきゃいけない時くらい」
「けれどお洒落着が必要な時はあります。たしかに欲しい人はいそうですね」

 へえ、と薄珂は思わず感嘆のため息を吐いた。
 これまで立珂は好きな服を好きなように作っていた。それが有翼人の自然体であり必要なことだから皆も受け入れている。
 しかし今立珂が言ったのは『需要はあれども店の理念に反する商品は陳列しない』という販売戦略だ。
 以前の立珂なら気にせず全て並べていただろうが、それは有翼人にとって適切ではないと考え始めたのだ。

(立珂も成長してるんだ。なら俺は――……)

 薄珂はにやりと笑み立珂を抱き上げた。

「大丈夫だ。それなら考えがある」
「本当!?」
「ああ。立珂の理念は損なわない新たな販売手法だ」
「う?」

 言葉の意味が分からなかったのか、立珂はこてんと首を傾げた。
 立珂は要望を出せても商売という形にするに至らない。だがそれをやるのが薄珂の使命だ。

「展示会よりも大変だと思うけど、挑戦するか立珂」
「する! するよ!」
「よし。じゃあ交渉に行こう」
「どちらにです?」
「それはもちろん、できる人の所へだよ」

 薄珂はにこりと微笑んだ。
 向かった先は――

「それで私のところへ」
「こういうことは護栄様だよね」
「協力はしますが、具体的には何です?」

 立珂がやりたいのは、『りっかのおみせ』には相応しくないけれど有翼人には需要のある新商品の販売だ。
 つまり販売したい商品品質がこれまでとは異なる。
 となればやるべき事は一つだ。

「瑠璃宮に出店させてほしい。『りっかのおみせ』とは違う新しい店を!」 

 店の理念にそぐわないのなら新しい店を出してしまえば良い。
 『りっかのおみせ』は護栄が宮廷の離宮を貸してくれた手作りの店だが、瑠璃宮は違う。

「日常生活で使わない高級なお洒落着を作りたいんだ。瑠璃宮は宮廷直営の百貨店なんだよね」

 これは展示会で得た情報だ。
 日常が過ごしやすくなったばかりで、まだ外出を恐れる有翼人も少なくないからお洒落着の需要は低い。
 けれど宮廷直営の高級百貨店なら話は別だ。

「最近有翼人職員が増えたよね。宮廷直営店で有翼人専用のお洒落着を売れば、私生活も支援するっていう姿勢を見せられるんじゃないかな」
「偉い人が集まる時に着れるよ!」

 立珂が有翼人専用規定服を作って以来、宮廷では有翼人を積極的に採用している。
 そうすることで宮廷の印象も向上したが、まだまだ十分ではない。
 有翼人は国民なのだから、人間や獣人と同等の提供ができてようやく開始地点が平等になる。
 そして、これから先有翼人職員が新たに必要とするのは外交や来賓の対応に必要なお洒落着だ。

「問題が起きてから対応に追われるより先手を打った方が印象良いと思うよ」
「……まったく。ええ。あなたなら目を付けるだろうと思ってましたよ」
「あはは。駄目かな」
「駄目じゃありませんよ。ただあそこは少々特殊なんです」
「護栄様でも?」
「ええ。場所は離宮扱いですが建築したのは先代皇。経営から現場まで、牛耳るのは先代皇派中枢格。手を出すのは面倒なんですよ」
「あー……」

 現皇太子である天藍は悪政を敷いた先代皇を討った。
 当然先代皇の支持者は天藍に屈服せず、未だに反発が続いているらしい。
 何故そんな連中を宮廷に置いているか薄珂には分からないが、護栄ですら面倒と言うのならそう簡単に事は進まないだろう。

「けど俺達は敵対するわけじゃない。出店するだけだよ」
「分かっています。ですが出店許可をするのは私じゃないんです」
「え。そんなことあるの? 宮廷のことでしょ?」
「それだけ特殊なんです。まあでも良いかもしれません。立珂殿には良い刺激になるし、太刀打ちするのは私ではなくあなたですから」
「敵対はしないよ」
「……私にとっては敵みたいなものなんですよ、あの人は」
「何それ。誰?」
「あの人を何とかしてくれるのなら私としても都合が良い」

 護栄すっと立ち上がり立珂を撫でた。
 何だか分かっていないのだろう、立珂はそれを喜びきゃっきゃとはしゃいでいる。

「ご案内しますよ。伏魔殿へ」
「……瑠璃宮だよね?」
「はてさて」

 くすくすと護栄は笑いながら立珂の手を引いた。
 明確な回答をくれないことには不安があるが、本当に危険なことに護栄が立珂を連れて行くことはない。
 きっとからかわれているのだろうと思いながら歩き続けたが、到着したのは瑠璃宮ではなく宮廷で小規模な催事をするための広間だった。

「何かやってるの?」
「ええ。きっと立珂殿は楽しいですよ」

 広間へ入ると様々な品が並んでいた。中には日常街中では見ないような豪華な服や生地、装飾品も多数ありまるで宝箱に飛び込んだようだ。

「うわあうわあ! この服すてき! このつるつるした生地なあに!? 初めて見た!」

 立珂は目を輝かせて服が掛けられているところへ飛び込んだ。
 あれこれ手に取り生地を広げ、すっかりきらめく品々に魅了されているが、ここは宮廷だ。
 この眩い商品は天藍のために用意されたものであることは明らかだった。

「立珂! 遊んじゃ駄目だ!」
「いいですよ。殿下からは好きにさせろと言われてるので。さ、では私は帰ります。後はご自由にどうぞ」
「は?」

 何故か護栄は急に背を向け、逃げ出すように広間を出ようとしていた。

「護栄様! ちょっと!」
「私は失礼します。頑張って下さい」
「待ってよ。誰かに会うんじゃないの?」
「伏魔殿の主ですよ。私は会いたくないので退散し」
「お~やおやおやおやおやおやおやおやおやおやおや!」
「げ」

 その時、広間の扉から大柄な女性が姿を現した。
 外見からすると二十代後半か三十代かは迷うあたりだが、蓮花にも劣らないほどの美貌はじっと待機していた侍女をも釘付けにした。艶やかな黒髪は上質な絹のようで、身を包む服は派手だが上品で高貴な人物であることを感じさせる。
 しかしその行動はすさまじい。あろうことか護栄の首を絞め、頭を掴んでぐりぐりと弄んでいる。

「何だい何だい。ひっさしぶりだってのに随分なご挨拶じゃないか護栄」
「人違いです」
「あんだって?」
「ぐえっ」

 女はさらに首を絞め、護栄をぎりぎりと締め上げる。
 いつも丁寧な言葉遣いの護栄から「げ」「ぐえっ」などと汚い言葉を聞くのは初めてだった。
 それ以上に子供扱いをされる姿は初めてで薄珂は思わず一歩引いたが、ふと妙な違和感を覚えた。

(……この人、誰かに似てる)

 誰だったかは思い出せないが、この顔立ちには覚えがあった。
 記憶の糸を手繰るがぱっと思い出せずに頭を悩ませていると、女と目が合ってしまう。

「あ、あの」
「君が薄珂か。天藍から話は聞いてるよ」
「え?」

 この国で天藍を呼び捨てにできるのはごく一部だ。
 それも宮廷で、しかも護栄の前でなんてありえない。不敬罪で逮捕だ。
 けれど護栄はため息をつき、女から目を逸らしていた。これだけでもこの女が相当特殊な存在であることは明らかだった。
 女はごほんと咳ばらいをし、さらに強く護栄の首を絞めるようにして抱き寄せた。

「お初にお目にかかる! あたしは紅蘭。護栄の母親だ!」
「「え!?」」

 広間には薄珂と立珂の叫び声と、立珂が何かを落とした音が響いていた。
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