第八話 師・響玄

文字数 1,958文字

 響玄は自他ともに認める蛍宮で最も名の知れた商人だ。
 それは元々の手腕もあるが、最も大きい理由は――

「響玄殿。明恭の品はどうです」
「良い品が揃っています。相当護栄様が怖いと見える」
「何を今さら」

 響玄は蛍宮の外交に類する交易の現場を一任されている。
 それも護栄直々の指名によるもので、そこから響玄の人生は一転した。一介の商人にすぎなかった響玄はわずか数か月で蛍宮随一の商人になったのだ。

「しかしこんな現場にお越しになるとは、何か厄介な話でも?」
「ええ。実はひとつお願いがありまして」
「これは珍しい。なんでしょう」
「薄珂殿の手綱を握っていてほしいのです。羽根をやたらとばらまかないように」
「……ほお」

 薄珂が響玄に師事することを選んだのは響玄自信も驚いたが、それ以上に護栄が驚いていた。
 宮廷と縁を保ちつつも独立しているというのは薄珂の目指す立ち位置そのものだったからだ。
 てっきり挫けて皇太子に泣きつくだろうと誰もが思っていたが、それどころか自立し護栄を取引相手に選べる響玄を選ぶというのはあまりにも正しい人選だ。
 そんな響玄の立ち位置を知っているかどうかは分からないが、偶然にしてもこれは感嘆せざるを得なかった。

「握るのは立珂ではなく薄珂ですか。随分と目をかけておいでですね」
「それはこちらの台詞ですよ。後継者探しをするつもりは当分はないと言っていたくせに」
「それはまた別の話です。有翼人保護区の話もしたとか」
「……今の私たちでは有翼人保護区は雲の上です。けれどあの子は既に体現している」
「愛情一本の力業ですがね」
「そうでしょうか。私はそうは思わない。あの子は――」

 護栄はそれきり黙ってしまったが、その先に続く言葉はなんとなく分かる気がした。
 世を狂わせたとはいえ護栄もまだ若いのだと妙に可愛く思えて、つい声を上げて笑ってしまった。

「分かりました。ああ、羽根はもちろん買って下さいますね?」
「ええ。価格は薄珂殿の契約に準じて下さい」
「承知しました」

 この時に響玄は決心した。我関せずを決め込むにはあまりにも面白い。ならば護栄の手のひらで踊りつつ、薄珂が一矢報いるその時を隣で見ていようと。
 そして今、薄珂は目を輝かせ護栄に勝負を挑もうとしていた。

「では今回はこれだけ頂きます。いつもながら美しい羽根ですね」
「有難うございます」

 今日は立珂の羽根を護栄へ納品に来ていた。
 いつもなら護栄の指示通り見守るだけだが、今日は薄珂の初陣のようなものでもある。
 これは師として手を貸さないわけにはいかないと、響玄は開始の号令を気取って一言護栄に仕掛けることにした。

「ところで護栄様。いつも吟味なさいますが、質にご懸念があればおっしゃって下さい」
「良すぎてどれを諦めるか悩んでいるんですよ。予算にも上限があるので」
「おお、そうでしたか。では一つ薄珂の相談に乗って頂けませんか。そうしたら次回は多少安くご提供します」
「それは有難い。何です?」

 響玄は薄珂をちらりと見ると、自信満々でにっこりと微笑んだ。響玄も薄珂の勝利を確信していた。
 それは数日前のことだった。

「薄珂。具体的に何をやるんだ? まさか天然石を売るわけじゃないだろうな」
「売ります。ただし売るのは石ではなく恩」
「……っははは! これは凄い! 護栄様に恩を売ると! 馬鹿を言うな!」
「本気です。立珂が蛍宮で楽しく過ごすなら絶対に護栄様の力が必要です。だから今のうちに恩を売っておきたい」

 薄珂の目は見たことがないくらいにぎらついていた。一体この世界の誰が護栄に真っ向勝負を挑み、しかも勝つつもりでいられるだろうか。
 響玄の知る限り、護栄が負けたというのは一度も聞いたことが無い。どんな大国も歴戦の政治家も護栄の前にひれ伏して来た。
 おそらく誰に聞いても護栄の良いようにあしらわれて終わると思うだろう。
 しかし薄珂はみじんも焦ることは無く、毅然と護栄に向き合った。

「立珂に侍女の装飾品を作らせて頂けないでしょうか」
「はあ。髪飾りや首飾りですか?」
「はい。立珂が皆様に贈りたいと言っているのですが規定があるとうかがいました」
「そうですね。まさか自由にさせろと?」
「ちがうよ! 決まりは守ってお洒落にするの!」

 身を乗り出したのは薄珂ではなく弟の立珂だ。
 およそ宮廷との商談で許容される振る舞いと言葉遣いではないが、護栄はそれも良しとしている。これもまた、響玄にしてみれば異例の出来事だった。

(誰よりも規律に厳しい護栄様が許すほどのものが薄珂にはあるというのか)

 何故そこまでするのか響玄には分からなかった。だが分からないからこそ恐ろしくもある。
 護栄は礼後を正すような注意すらせず、立珂が取り出したものを覗き込んだ。そこに散らばっているのは薄珂が用意したあるものだった。
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