第九話 ひと時

文字数 4,633文字

 薄珂と立珂は祭りで里の住人と打ち解けたが、打ち解けた者は他にもいた。
「伽耶。これでいいか?」
「うん! 天藍以外と力あるのね。助かるわ。この里どこも古い家だから腐ってるとこ増えてて」
「木造だからな。街では骨材を結合させたの使うけど」
「何それ」
「砂利とか砂を固めるんだよ。木とは強度も耐久性も違う」
「えー! いいなー! 何かかっこいい!」
 獣人同士というのもあり、様々な知恵を持つ天藍が受け入れられるのはあっという間だった。何しろ里には若い男性が少ない。だが若い女性は数名いて、男性の人数を上回る。つまり積極的に天藍に接触するのは伴侶を得たい女性達だった。
「天藍さん。今日夕飯うちに食べに来てよ。お酒もあるし。飲めそうな顔してるわよ」
「お酒ならうちもあるわ。年代物よ」
 女性陣はなかなか巡り合わない若い男性に目の色を変えてもてはやしていた。だがその様子をじとっと睨んでいるのは立珂と散歩をしていた薄珂だ。
「薄珂こわい顔してる」
「え!?」
「どうしたの? どっかいたい?」
「い、いや、別に」
 無自覚だった薄珂はむにむにと頬を伸ばした。立珂はこてんと首を傾げていて、無垢な視線から逃げるように遠くへ目をやった。
「そういや慶都どこ行ったんだろうな」
「おさかな釣るから川っていってたじゃない」
「あ、そ、そうだな。そうだった」
 里は自給自足のため各家庭が協力しあって食料を調達する。里共有の畑を耕したり当番制で釣りをするが、車椅子の立珂には農作業も釣りも難しい。調理場に立つこともできないので洗濯や裁縫など座ってできることをやっている。ただし薄珂は農作業等も手伝うため、立珂が一人にならないよう当番は慶都と交代になるようにしてもらっていた。
「おさかな捕れてるかな」
「立珂が食べたいって言ったんだからたくさん捕ってくるぞ」
「慶都は釣りじょうずだものね! あ、あそこ天藍いるよ。天藍ー!」
「えっ、あ、こ、こら、立珂」
 何も気付いていない立珂は天藍に向かってぶんぶんと手を振った。女性陣も立珂の無邪気な笑顔には敵わないようで。くすくすと笑って天藍を送り出し、天藍はまっすぐ立珂の元にやって来てくれた。
「車椅子もすっかり慣れたな。楽しいか?」
「うん! もう自分でくるくるできるよ!」
 見ててね、と立珂は車輪に手をかけえいえいと回して進んでいく。運動不足だったので腕の力は弱く、すぐに疲れてしまうがそれでも元気いっぱいの笑顔だ。天藍に褒められてきゃあきゃあはしゃいでいるが、それを邪魔するように慶都の声が聴こえてきた。
「立珂ー! 立珂立珂立珂ー!」
「あ! 慶都かえってきた!」
「立珂! 釣れたぞ! 今日は俺が捕ったの食べるんだぞ!」
「すごいすごい!」
 慶都が抱えている桶には大きな魚が二匹入っている。後ろでは里の男達も桶を抱えて戻って来ていて、各家庭に分けて回っている。孔雀と天藍の分もあり、いつもは誰かしらが診療所まで持って行く。だが今は孔雀が留守だ。天藍は一人でどうにかしているらしいが、里に出入りが許されているのだから誰かの家で食べても良いのだ。
(……夕飯一緒に食べようって言ったらどうするかな)
 慶都の母は天藍がどうしているかよく気にしている。そのため慶都宅にいることも多いのだが、ついさっき天藍は女性陣に声を掛けられている。また今度と言われるだけだろう。そんなことは分かっているが、自然と薄珂の口はつんと突き出ていった。そうしてぼんやり立珂と慶都を眺めていると、突然天藍がぷにっと唇を押してくる。
「な、なに!」
「尖ってるから。いい加減弟離れした方がいいぞ」
「……しない」
 立珂を取られて拗ねていると思われたのだろう。天藍はくくっと笑うと、魚を持っていけ、なら一緒に呑もう、そんな風に声を掛けられ女性陣の輪に呼び戻されて行った。
 もやもやした気持ちで一日を過ごすと、夜はなかなか寝付けなかった。窓から外を見れば夜更かししている大人たちの騒ぐ声が聴こえてくる。中には天藍もいるのだろう。何となくその灯りを見つめていたが、寝ぼけた立珂が腸詰を探し求めていたので諦めて寝台で横になった。
 目が覚めたのは里のほとんどがまだ眠っている早朝だった。立珂はもちろん、慶都一家も眠っている。
 この時刻は小屋で立珂と二人で暮らしていた時に起きていた時間だ。食事や洗濯の家事全般、立珂の着替えや水浴びの支度をしていた。やることが多いので早起きが習慣になっていたが、慶都一家と暮らすようになれそれも必要無くなり早起きは久しぶりだった。
(全然寝れなかった。立珂と一緒に昼寝しそう……)
 薄珂は家の前に出て大きく伸びをしておおきな欠伸をした。目をこすりため息を吐いていると、くく、と笑い声がした。振り返ると、そこにいたのは不眠の原因だった。
「すごいあくびだな」
「天藍? 何してんのこんな早くに」
 見ると、天藍の髪はぼさぼさだった。頬には寝跡がついていて服もしわくちゃでみっともない。
 だが天藍は広場を背にしている。つまり里の中から出て来たのだ。だがそれはおかしい。天藍の住居である孔雀の診療所は里の外だ。天藍が里の中から出てくることは無いはずだ。ということは――
「……誰かのとこに泊まったの?」
「ああ。昨日飲んでてそのまま」
「へえ……」
 ぴしっと薄珂の額にひびが入った。天藍を呑みに誘ったのは独身の女性たちだ。恋人もいなくて里から出たがってる人もいて、きっと天藍の存在はさぞかし魅力的に違いない。遅くまで飲み明かすだろうことは想像していたが、まさか泊っているとは思っていなかった薄珂はぷんっと天藍に背を向けた。
「薄珂? 何だよ。どうした」
「別に」
「……何怒ってんだ?」
「別に。水汲んでくるから退いて」
「え、お、おお」
 薄珂は天藍から顔を背け、特に必要でもなかったが井戸へ行こうと桶を取りに行こうとした。しかし薄珂より一歩速く、起きて来た慶都の母が桶を手に取った。
「おはよう、おばさん」
「薄珂ちゃん起きてたのね。あら、天藍さんも」
「どうも」
「井戸行くなら俺汲んでくるよ」
「本当? じゃあお願いしちゃおうかしら。天藍さん、朝ご飯まだなら食べていかない?」
「いいんですか? じゃ有難く」
「朝帰りなら食べてくればよかったのに」
「え?」
「あら。誰かのところにお泊りだったんです?」
「ええ。飲もうって誘われたんで」
 薄珂の額のひびが広がった。大人二人は何の問題があるのかというふうだが、薄珂には笑って流すことができない程度には大きな問題だった。
 天藍を振り返ることなく井戸で水を汲み、家に戻ると居間で天藍がのんきにお茶を飲んでいる。座れと手招きされたがぷいっと背を向け自室に戻ると、いつも通り寝ぼけている立珂が腸詰を求めて眉間にしわを寄せていた。変わらぬ愛らしさにほっと息を吐き再び横になり、いつもなら起こす時間を過ぎても立珂の温もりにしがみ付いていた。
 しかし本物の腸詰不足に耐えられなくなった立珂が飛び起きると寝台に籠る理由もなく、渋々居間へいくとやはり天藍ままだ座っていた。
「お。ようやく起」
「立珂。今日は何して遊ぶ?」
「今日は萌葱色と合う色を探すの」
「おい。無視するな」
「萌葱色って何色だ?」
「萌葱色は萌葱色だよ」
「おいこら」 
 顔をみるとやはりいらついて、薄珂は立珂を抱っこして膝に乗せた。わざと立珂の顔を覗き込み立珂にだけ語りかけた。しかし立珂は嬉しいのかきゃっきゃとはしゃいで頬ずりで返してくれる。食事も立珂にべったりでやり過ごしたが、とうとうそうはいかなくなってしまった。
「いってらっしゃーい!」
「いっぱい釣ってくるからな」
「今日は薄珂のおさかなだね!」
「立珂のお野菜も一緒に食べるからな」
「うんっ! 慶都とひっこぬいてくる!」
 里の男性陣は持ち回りで釣りをする。今日は薄珂の当番だ。立珂の傍を離れたくないだろうから無理をするなと言ってくれていたが、一方的に世話になるのも心苦しいし、引き換えに羽根をくれと言われたらそれも困る。それに今は金剛も慶真も慶都も、皆が立珂を守ってくれている。慶都と遊んだりお洒落に熱中なので、里の基本的な規則には従うようにしていた。
 だが一方的に世話になっているのは薄珂だけではない。
「手伝う」
「天藍は当番関係無いんだからいいよ」
「そうはいかない。孔雀先生の薬代分くらいは何かしないと」
 天藍も里のためにあれこれと手を貸しているようだった。商品を無料で配ったり建物の修繕をしたりと、そこそこの貢献をしている。魚釣りなど、魚を食べなければ手伝う必要もない。
 だがそれを決めるのは天藍であって薄珂ではない。釣り要員をまとめる里の男性は男手が増えるのは歓迎だと肩を組んで招き入れている。薄珂はぷいっと背を向けて、釣り場に着くと少し離れた岩場に腰を下ろした。
「向こうの方が釣れるんじゃないのか?」
「大人数で集まってたら釣れにくくなるよ」
「ああ、そういうもんか」
「天藍は皆と一緒に釣りなよ。慣れてないでしょ」
「泊まったこと拗ねてるのか?」
「は?」
 急に話したくない話題に方向転換されて、薄珂は低く唸った。天藍はくすっと笑うと薄珂の隣に座り釣り針に餌を付け始めた。
「ごめんって。今度は断るから」
「何で? 別に俺の許可いらないじゃん」
 薄珂はぷいっと目を逸らしたが、自分の言葉ではたと気が付いてぱちくりと瞬きをした。
(……そうじゃん。何で俺が怒ってるんだよ)
 天藍がやって来てから少なからず距離は近くなっていた。それは家族三人だけでは経験しえない接触や感情だったが、それがどういうことかなんて天藍と語り合ったことは一度もなかった。それがどういうことか、これがどういう状況かは薄珂には分からない。ただ顔は自然と俯いていった。
 けれど天藍は笑うことも意地の悪いことも言わず、ぎゅっと手を握ってくれた。
「お前に嫌な想いさせてまで飲もうとは思わないよ。ただ狭い集落じゃ最低限の人付き合いはしておかないと」
「……別に、俺は……」
 俺は子供だ、と薄珂は痛感した。
 最初から天藍は悪くないし、提案してくれていることも本来ならやる必要が無い。それを聞いてくれているのは天藍の優しさだ。
 けれど、それでも「気にしなくていい」の一言を出すことができなかった。引っ込みがつかないというのもあるが、やはり気にしてほしいのだ。薄珂は黙るしかできなかった。天藍は少し黙ってしまったが、釣竿を置いて腰に下げていた鞄から幾つかの端切れを出してきた。
「後で立珂に新しい生地やるよ」
「……くれるの?」
「ああ。これは生地見本。どれでも好きなのやるから機嫌直せよ」
「分かった」
 薄珂は釣竿を放り出して生地見本をわしっと掴んだ。つるつるしていたりでこぼこがあったりと見たことのない生地ばかりだ。立珂はきっと大喜びをするだろう。それを思えば薄珂も嬉しくなり、胸のもやもやが吹き飛んでしまった。
 そして思惑通りだったのか、天藍にはくすくすと笑われ頭を撫でられた。馬鹿にされたようで面白くなくて口を尖らせると、何の前触れもなく親指で薄珂の唇をぷにっと押した。急なことに、んあっ、と間抜けな鳴き声を上げてしまうと天藍はにやりと笑い、ふにふにと薄珂の唇を弄んだ。
「あ、あのさ、くち、触るのやめて」
「何で?」
「何でもなにも……」
 止めさせるには『嫌だから』と返すのが一番だ。けれど薄珂は何も言い返さず、天藍が触れてくれるのをそのままにしていた。
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