第三十一話 薄珂に秘められた可能性

文字数 2,606文字

 薄珂も響玄と一緒に立珂の元へ行こうと思ったが、柳にとんっと肩を叩かれた。

「話しがしたい。ちょっと付き合え」
「嫌だ。立珂のとこ行く」
「もう少し社交性持てよ。俺は皇太子殿下の客で明恭皇子のご友人ってやつだぞ」
「……何」

 政治的立場を出されては護栄の部下でもある身としては断れない。
 薄珂は口を尖らせ、壁に寄りかかる柳の隣に立った。

「お前は響玄殿に師事しているんだったな」
「そうだよ。色々教えてもらってる」
「止めた方が良い。邪魔だ」
「……何で」
「当たり前だろ。お前は商人じゃない」
「商人だよ。だから羽根生地を売ったんだ」
「いいや違う。今の取引で成されたのは売買じゃない。価値の創造だ」

 柳はにやりと笑んで顔を覗き込んできた。

「羽根生地が売れたのは相手が極寒の明恭だからだ。お前はこの世界に『寒い土地で売れる生地』という新たな価値を作った。売買はその経過に過ぎない」
「それは……」
「お前が動かしてるのは価値であって金じゃない。そんなのは商人じゃない」
「だから響玄先生じゃ駄目だって?」
「駄目ではない。だた商人から学べるのは商売だけなんだよ。お前自分の適職が何だかわかるか?」
「そんなのなんでもいいよ。俺は立珂が幸せになることをやるんだ」

 これは薄珂の本音だ。別に偉くなりたいわけでもお金が欲しいわけでもない。
 けれど柳はふうんと馬鹿にしたように小さく笑った。

「幸せね。弟君は他に何が好きなんだ? 服の他に」
「腸詰」
「いいね。じゃあ腸詰屋をやりたいと言い出したらどうする」
「やるよ」
「劇団を作って演劇をしたいと言ったら?」
「劇団作る」
「そうだな。君は弟君の臨む何かをやる。それが何であってもだ。それを何ていうか知ってるかい?」
「知らないよ。何」

 柳はにやりと笑い、そしてとんっと薄珂の胸を突いた。

「事業家さ。それも弟という新規事業特化型」
「何それ」
「有翼人の羽根事業は蛍宮の拡大に比例して注目度が上がってる。今回の羽根生地は世界最先端。そしてお前はこの先も弟の望みに応じて有翼人絡みの新規事業を成功させる。世界中がお前の事業を真似て、結果流行が生まれる。これがどういう事か分かるか」
「分からないよ。何」
「歴史さ。お前は市場に新たな歴史を築く」

 柳はぱちぱちと手を叩いた。
 褒められているのか馬鹿にされているのか、その真意は読めない。 

「あんた何者なの?」
「経営者さ。服飾に家具に飲食に、あれこれ手広く経営してる。麗亜は取引先だよ」
「経営者……?」

 職人には見えないし、商人にしては護栄に通じる鋭さもある。
 どちらとも付かない独特の雰囲気があったが、多角経営をする経営者というのは薄珂が初めて出会う存在だった。
 柳は薄珂に向き合い、どんっと拳で軽く胸を叩かれる。

「俺と来い。価値を作れる頭はどの世界でも通用する。行動力も決断力もあり人脈もある。言うことなしだ。俺と来い!」
「断る」
「……悩めよ」
「悩まないよ。俺は先生のところにいる。それが俺にとって最大の利益を生むからだ」
「どういう意味だ」

 薄珂も立珂も響玄と美星が好きだ。二人とも良くしてくれる。
 だが薄珂はそれを抜きにしても、響玄以外の人物に付く気はない。
 これには明確な理由があった。

「宮廷に納品する立珂の羽根は一枚最低銀一枚で平均銀五、上質であれば銀十。三十日を区切りで約金三百を支払ってもらってる」
「大金だな。何に使うんだそれは」
「使わない。全部先生に渡してる」
「は? 金三百を? 預けてるってことか?」
「ううん。先生のもの。その代わり俺達の保護者になってもらってる。立珂の欲しい生地を仕入れたり、何かあれば表に立って守ってもらう。俺と立珂の生活費と迷惑料みたいなもんだよ」
「だが自立すれば自分でできる。庇護を受けるのではなく対等な取引をすればいい」
「俺もそう思った。でもそれ大変なんだ。やること増えて立珂と過ごす時間が減る」

 薄珂は当初、商売をし自立することを試みた。
 だが学べば学ぶほど社会の仕組は複雑で、響玄ほどの安定した商人になるのは並大抵の努力ではない。努力が報われるとも限らないのだ。
 けれど森育ちの薄珂にそれは難しくて、だから薄珂は諦めた。
 それに時間を費やしていては立珂と離れる時間も増え、それは立珂の望むことではない。何より――

「立珂に幸せでいてほしい。それが目的で事業の成功は経過でしかないんだ」

 大切なのは立珂だ。
 自分にできないことを響玄にやってもらい、薄珂は立珂と一緒にいる時間を確保する。
 これが薄珂にとって最も大事なことなのだ。

「だから俺は先生のところにいる。それに……」
「それに?」
「……俺にも欲しいものはある。立珂が一番大事だけど、欲しいものもあるんだ」
「欲しいもの?」
「俺は……」

 蛍宮に来たのは立珂にとって一番安全だと思ったからだ。嘘ではない。
 けれどそれだけではないのだ。
 薄珂は強く拳を握った。その時、遠くから薄珂を呼ぶ声がした。

「薄珂。何してるんだ」
「……天藍」
「立珂が呼んでるぞ。眠そうにしてたから早く戻ってやれ」
「あ、お昼寝の時間だ」

 薄珂は柳に背を向け立珂のいる方へ身体を向けた。

「気にしてくれて有難う。でも俺わがままに生きるって約束してるから」
「待て。話は終わってない」
「俺は話す気ないから終わりだよ。天藍、行こう」
「ああ。柳殿も麗亜殿が探しているから戻った方が良い」
「……有難うございます」

 柳は悔しそうに口をへの字にしはあとため息を吐いて頭を下げていた。

「何の話してたんだ?」
「んー。俺が欲しいんだって」
「……あぁ?」

 ぴきっと天藍にひびが入った。

「何だって!?」
「俺が欲しいんだってさ。ちょっと気になるけど、俺には立珂がいるし」
「は!? そこは俺だろ!?」
「え? 何で?」
「何で!?」
「あ、立珂だ」
「おい! ちょっと待て!」

 薄珂の言葉を文字のまま受け取ったようで、天藍はだらだらと汗をかいている。
 けれど薄珂は向こうから眠そうに目を擦り現れた立珂に駆け寄った。

「薄珂ぁ……」
「ごめんごめん。帰ってお昼寝しよう」
「んう……」

 うとうととしている立珂を抱き上げた。

「薄珂! 待て! どういう意味だ!」
「ちょっと。立珂起きちゃうから静かにして」
「お前本当に待て。なんだそれ」
「柳さんに聞いてよ。俺帰るから」

 ぎゃあぎゃあと天藍は叫んでいたけれど、お約束のように現れた護栄に首根っこを掴まれ引きずられていった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み