第七話 有翼人の羽根

文字数 3,716文字

 明け方まで起きていた薄珂が目を覚ましたのは昼近くになってからだった。既に立珂は寝台におらず車椅子も無い。あるのはきちんと畳まれた寝間着だけだ。最近の立珂は一人で起きて着替えて居間へ出ていることがある。一人で着替える喜びを知った立珂の笑顔は嬉しいが、自分の手を離れてしまった事は寂しくもあった。
 薄珂も着替えて居間へ向かうと、車椅子から降りて長椅子に座る立珂と慶都、それを見守るように金剛と天藍もいた。
「あ、薄珂おきた! おはよー!」
「おはよう立珂!」
 立珂はぶんぶんと手を振ると、薄珂を求めるように両手を伸ばした。これは抱き着きたいという意志表示だ。薄珂は望まれるがままに立珂を抱きしめ、すりすりと頬ずりをした。
「べったりだなお前ら」
「だって薄珂だいすきだもの」
「俺も立珂が大好きだぞ」
 兄弟で目を見合わせるとさらに強くぎゅうっと抱き合い、天藍は呆れたように笑った。けれど慶都は俺もと参加してくれて、後ろから立珂に抱きつくと羽に埋もれてしまった。
 大人達は無邪気な子供達の姿を温かく見守っていたが、ふと立珂の足元に幾つもの枕が転がっているのが見えた。どれも厚みがあってふかふかで、薄珂は思わず首を傾げた。
 この里でふかふかの寝具というのはあまりない。物資も資金も潤沢ではないため一つを長く使い続ける必要があるからだ。なので寝具はぺちゃんこの物が多い。こんなに分厚い枕があるはずはないのだ。
「こんな立派な枕買ったの?」
「ちがうよ! 僕が作ったの! 僕の抜け羽根つめたの!」
「えっ!?」
「天藍が教えてくれたんだけどね、有翼人の羽根って高く売れるんだって。知ってた?」
「売れる? ただ欲しいんじゃなくて?」
「まさか。高級商品だ。布団は最低でも金十枚。羽根だけで作る装飾品だって最低銀五枚はする」
「う?」
「銅一枚で腸詰百個は買えますよ」
「んにゃ!?」
「そんなに!?」
「立珂の羽根はもっと高値が付くだろうな。こんな大きくて美しい羽根は初めて見る。売るなら銀十は取っていい」
「銀十って孔雀先生が買い出しで使うより多いよね」
「そうですね。里十五人の生活費ひと月以上にはなります」
 里は基本的に自給自足だ。しかしそうはいかない物もある。肉や米といった自分達で手に入れるのに難があるものは買ってくるしかない。他に衣類や家具など他に必要な物があれば買ってくるが、多くても銀十枚はいかないのだ。つまり立珂の羽根一枚で里の全員はひと月を贅沢に暮らしていけることになる。しかも立珂の羽は日に十枚は抜け落ちるのだ。
 立珂はすごいねー、と笑っているが薄珂は言葉を失った。羽根一枚が大金になるのなら生活には困らないということだ。立珂がいるだけで大金が舞い込むのなら、きっと欲しがる人は多いだろう。
(もしかしてそれで有翼人狩りしたんじゃないのか? 殺したんじゃなくて売ったのかもしれない)
 薄珂は途端に不安になり立珂を抱きしめる手に力が入り慶真をちらりと見た。息子を穏やかに見つめているが、この話を聞いてそうしていられるのは自らに降りかかる恐怖ではないからだ。有翼人ではない孔雀や慶真から出る『蛍宮は平和』という宣言は信じられない――そんな猜疑心が薄珂の中にぽこりと生まれ始めていた。
 けれど立珂はそんなことは考えていないようで、枕を抱いて愛らしくにこにこ微笑んでいる。しかしはたと気付いて薄珂は慌てて立珂の顔を覗き込んだ。
「まさかこの枕売るつもりなのか!?」
「ううん。里のみんなにあげるの。いいものあると嬉しいよね」
「え? あ、ああ、なるほどな。そっか。そうだよな」
 薄珂はほっと息を吐いた。慶都一家も金剛も天藍も既に立珂お手製の枕を持っている。
「そっか。よかったな羽根燃やす前で」
「うん! もうもやすのやめるの。首飾りもつくるよ! お洒落でしょ!」
 立珂は赤い石で飾った純白の羽根を使った首飾りを薄珂の首に掛けてくれた。立珂の背を離れてもなおその輝きは失われない。足元に置いてあった籠に目をやると、そこにも立珂の美しい抜け羽根がこんもりと詰め込まれている。別段取っておく必要はないのだが、羽根が舞うと埃の原因になるので抜けたら一か所に溜めてある程度の量になったら廃棄している。
 これはいつもの事で慶都宅に来てからもそうしていたが、天藍だけは眉間にしわを寄せた。
「燃やすって火でか? 有翼人の羽根は燃えにくいだろ」
「うん。だから金剛がやってくれてるよ。すり潰して粉にして燃やすの」
「足だけ象にしてごりごりするんだよね」
「へー……」
 そんな方法でやってるのか、と天藍は感心したように頷いた。
 薄珂と立珂にとって羽根の処分はそれなりに悩みの種だった。天藍の言う通り、羽根はなかなか燃えてくれない。相当な時間火にくべていなければならないのが面倒で、森では土に埋めていた。だが金剛はいとも簡単に粉末へと変えてしまった。以来全てやってもらっている。粉になってしまえばさすがに燃えるし、海に撒いてしまえばそれでもいい。
 しかし、当の金剛は何故か渋い顔をしていた。枕をじっと見つめて何か思い悩んでいるようだ。
「どうしたの?」
「まくら変?」
「いいや、良い枕だ。だが、その、なんだ。立珂を道具として利用するような気にならんか」
「ならないよ。かみの毛みたいなものなの。それに抜いても抜いても出てくるの。だから僕の羽ちいさくならないの」
 立珂は肘あたりに垂れている一本を掴んだ。付け根が見えるように他の羽を持ち上げ引き抜いたが、途切れることなく次の羽が芋づる式に出てきた。一本の糸のように連なっているのだ。
「こ、こんな風になってるのか」
「そうなの。だから無くならないの。でも使い道あるならどんどん抜こうよ。冬にはお布団も欲しいよね」
「そ、そうだな。それはいいな」
 立珂は満面の笑みだが金剛は無理矢理笑顔を作っていた。心配な気持ちと立珂を応援したい気持ちに挟まれているのか、頬は引きつっている。立珂は安心させたいのか、もう一本抜こうとしたけれどその手を止めたのは天藍だ。
「止めておけ。体内の何かしらの成分を消費してるとしたら身体に影響が出る」 
「大丈夫だよ。今までだって抜いてたし」
「そんなの血液だってそうだろう。多少無くなっても問題は無いが失血死という言葉もある」
 え、とその場の全員が静まり返った。鳥獣人である慶都一家もそんな考えはなかったようで、顔を見合わせている。
「か、考えたことなかった」
「考えろ。それと捨て方。すり潰すんじゃなくて溶かす方が良い」
「何で? 同じじゃない?」
「違う。有翼人の羽根の粉というのは商品になってるんだ。効能は覚えていないが、何だか専門的な薬物で華理じゃ指定薬物として国が管理してるくらいだぞ」
「え」
「う?」
「それに熔解の方が楽だ。見てろ」
 天藍は鞄から木製の小さな皿と液体の入った小瓶を取り出した。落ちていた羽根を一枚を拾って皿に乗せ、そこに小瓶を傾け液体をぽとぽとと垂らす。
 すると羽根は何の匂いも音もたてずに濁った液体へと姿を変えた。あの美しさはみじんも感じられない。全員が驚いたが、一番に声を上げ目をひそめたのは金剛だ。
「こ、こんなになるのか」
「早いだろ」
「だが……」
「何だよ。まだ何かあるのか」
「……いや、いい。お前の言う通りそれが一番良い」
 いいと言ってはいるが顔はやはり曇っている。薄珂と立珂にとって羽は疎ましいものなので、何をそこまで気にすることがあるのかが分からない。
「金剛。気になることあるなら言って」
「……抜けたとはいえ立珂だったものだ。本当は燃やすのも嫌だ。だが残しておけないのならせめてこの手でやりたい。それをこんな跡形も無く……」
「金剛……」
「火葬でも気取ってたのか? あんた見た目に合わない性格してるな」
「金剛は優しいんだ。でも僕平気だよ。ほんとになんともないんだよ」
「……お前がそう言うなら」
 立珂は大丈夫だよ、と金剛にぺったりとくっついた。やはり金剛は辛そうな顔をしているが、天藍は呆れたようにため息を吐いていた。
「じゃあ溶かす方向で。薬品を使うし、これは孔雀先生にやってもらうのがいいだろう」
「そうだね。じゃ今度から孔雀先生のとこ持ってくよ」
「持っていくまえに枕つくる!」
「そうだな。よし、じゃあいっぱい作ろう」
 そうして立珂はせっせと枕を作り、疲れたら昼寝をして起きたら慶都と庭で遊ぶ。それが一日の流れになり、枕を一つまた一つと里の住人に届けていくと交流する良いきっかけにもなった。大人達は薄珂と立珂の身の上にも興味を持ち、いつの間にか慶都と変わらぬ接し方をして貰えるようになっていた。
 しかし金銭的価値の高い羽根が立珂の手を離れ拡散されるというのは恐ろしくもあった。
(もし里の誰かが外に持ち出して立珂の存在を知られたら……)
 里の住人は皆良くしてくれている。悪用などすることはないだろう。けれど手放しで信頼するには二か月というのはまだ浅い。ましてや金剛や孔雀のように最初から受け入れてくれていたわけでもない。実質まだ数日にすぎない。
 立珂の無邪気で幸せそうな笑顔を見るたびに、薄珂の心に何かが影を落としていた。
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