第四十九話 隠された獣

文字数 2,502文字

 出口までは何事もなく進んだ。けれど出口といっても崖に穴が開いているだけで、地上に面してはいなかった。

「断崖絶壁かー……」
「護栄様。崖は登れますか?」
「登れるわけないでしょう。鳥獣人に運んでもらうしかありませんね」
「けど俺の大きさじゃ入ってこられないよ。ねえ、孔雀――えっと」
「孔雀で良いですよ」
「……孔雀先生はどうやって入って来たの?」
「これで」

 孔雀はどこに隠していたのか、素早い手つきで短刀を両手に構えた。そしてそれを壁に突き刺すような動きをしている。
 まさかその短刀を突き刺しながら崖を登り降りしたというのか。

「……んえ?」
「こいつを人間に数えるな。薄珂。小さく獣化して往復しておくれ」
「小さくって、俺はそんなことできないよ」
「できる。薄立の家は皆できたのだから同じ血を引くお前もできるはず」
「えっ?」
「獣化の時に腹になにかあるような感覚がするはず。これは分かるか」
「う、うん。玲章様に教えてもらった」
「その感覚を体中に配っていく。体内の血をせき止めるような気持ちで腹に力を込める。やってみなさい」
「え、あ、は、はい」

 薄珂の小刀は実父の持ち物だったと聞いた。何故それと同じ物を持っているのか、それを聞きたかった。
 けれど長老は質問を許してくれる雰囲気ではなく、この辺りだ、と腹に手を当ててくれる。
 何はともあれ脱出が先であることは違いない。薄珂は考えるのを止めて、ふうっと深呼吸をして身体の中を探った。
 じっと体内を巡る血液を追いかけてみると、それは腹の辺りを中心に回っているような感覚があった。

(血をせき止める……)

 血液は思うがままに身体を駆け巡っている。その手綱を引くように、ぐっと腹に力を込めた。
 すると何かが身体の中で止まった。何だかは分からない。けれど体中を駆け巡っていた何かが一斉に止まったような気がした。

「そうだ。そのままゆっくり獣化をしなさい。指一本ずつ丁寧に隅々まで意識を張り巡らせてごらん」

 分かるような、分からないような。
 けれど何かが身体の中にあるのは確かに感じた。血液が、血液の中に何かあるように感じる。

(隅々まで……これを少しずつ……)

 その時、腕が羽になっていくのが分かった。いつも獣化する時こんな風に何かを気にしたことはなかった。
 けれどこれが獣化するための力なら――

「獣人には獣化するための血がある。全部じゃなくて少しだけ流すんだ」

 薄珂は血をの手綱を引いて少しずつ獣化をした。
 足。爪。顔。腹。少しずつ少しずつ。この出口を入ってこれるくらいの大きさを目指して獣化をした。

「いいぞ。そのまま爪だけ大きくしなさい。人を掴める程度に」

 人を掴むのなら身体に見合った大きさでは足りない。
 ぐっと掴めば人がすっぽり収まる程度を意識して、ついに薄珂は獣化を終えた。それはいつもの公佗児よりはずっと小さかった。

「ほら。できたじゃないか」

 きぃ、と薄珂の口からは鳴き声が上がった。
 長老は鼠獣人の少女を前に呼び、薄珂は少女をそっと掴んだ。

「わあ!」
「大丈夫そうだな。では子供たちから頼むよ。龍鳴、お前は上で待機だ」
「承知いたしました。薄珂くん。私に付いて来て下さい」

 孔雀は羽を持たない人の身体で出口からひょいと外に飛び出した。
 全員がぎょっとしたが、孔雀は涼しい顔をして短刀だけで崖を登っていく。ちらちらと薄珂の様子を気にしながらすいすいと進んで行った。

(本当に人間なのかな……)

 何かの獣だと思いたくなるほど、孔雀は身軽に進んで行く。
 それについて崖上まで飛ぶと、少し開けた場所があり薄珂は少女を地面の上で降ろした。

「では往復して下さい。私はここで到着した者を守ります」

 薄珂はキィ、と鳴き声で返事をした。
 そして一人ずつ往復して運び、錐漣と烙玲は他に仲間が現れたらいけないからと最後に残った。長老と護栄、それと亮漣――黒曜と仲間の狼獣人も地上へ降ろした。
 最後二人を迎えに行こうと羽ばたき崖下へと向かったその瞬間だった。動けなくなっていたはずの黒曜が突如飛び上がった。

(しまった! 烙玲と離れたからだ!)

 頑丈な縄のようなものがあれば良かったのだが、何もなかったのでとりあえず上着を脱いで両手を固定していたがそれだけだったのだ。
 隠し持っていたのか、手には細い剣を持っている。薄珂はきぃ、と鳴き声を上げた。その声で孔雀は反射的に牙燕を背に庇ったが、黒曜の狙う相手は牙燕ではなかった。

「お前だけでも!」

(護栄様!!)

 黒曜はまっすぐ護栄に向かって行った。
 獣化もできず戦闘にも長けていない護栄ではどうすることもできない。慌てて反転するも、小さく獣化した慣れない獣の身体では公佗児ほどの速度が出なかった。

(くそっ! 間に合わない!)

 薄珂の爪が届く前に剣が突き刺さるだろう。
 けれどその刃が護栄の身を切り裂くことはなかった。剣は宙を切り、黒曜は地面に転がった。

 護栄が消えた。

 消えた。けれど同時に、今までいなかったものがそこに現れた。
 それは宙を舞い薄珂の隣にやって来た。

(鷹?)

 慶都よりもずっと大きい、獣人であれば成人だろう。
 そして鷹の頭のあたりには、立珂が護栄に贈った髪飾りが括りつけられていた。

(……まさか護栄様は!)

 薄珂は地上に向かう鷹を追った。地上では既に孔雀が黒曜を取り押さえている。
 鷹は護栄の服のすぐ傍に降り立ち姿を人へと変えていった。

「ふう。まったく、どこで私のことが漏れたんでしょうね」

 そこにいたのは護栄だった。鷹は護栄に姿を変えたのだ。
 薄珂は護栄を凝視しながら姿を人へと変える。

「……天藍が隠してる鳥獣人って……」

 護栄はくすっと笑った。

「私ですよ」
「……あ! 玲章様が育てた鷹獣人てまさか!」
「不本意ですが私ですね」
「獣人、だったの……」
「私の最重要秘密なので言わないで下さいよ」

 確かに人間だと宣言したことも獣人じゃないと否定されたこともなかったかもしれない。
 けれど護栄はその頭脳や政治手腕が圧倒的に凄すぎて、それ以外にさらなる秘密がある可能性など考えたことも無かった。
 呆然としていると、ばたばたと走ってくる足音が聴こえてきた。
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