第二十四話 救出

文字数 3,503文字

 薄珂は両腕を羽ばたかせ飛び上がった。尋常じゃない大きさの公佗児に飛び交う鷹獣人は金切り声を上げ始めた。それを合図に根城の穴からは獅子や豹といった肉食獣人が顔を出した。
 だが空を舞う薄珂は肉食獣人程度は恐ろしいとは思わなかった。空から急降下し強く羽ばたくと、その風圧だけで飛べない獣人達の足は大地から離れた。そのままぐるりと旋回するとその勢いで崖下へと落ちて行く。空で鳥獣人に勝てる者などいない。
「本当に公佗児なんていやがったのか」
「でけぇ。てっきり団長のほらかと思ったが」
 団長。その単語が聴こえて薄珂の心がぴくりと揺れた。里の獣人は皆金剛のことをそう呼んでいた。金剛がいるからこの里は大丈夫だと心を許し信頼しきっていた。薄珂も立珂もそうだった。
「いくら伝説でも所詮鳥。鷹獣人を五人相手じゃ敵わないだろうが」
「おい! そいつやっちまえ! 多少怪我させてもいいから掴まえろ!」
 やるぞ、と獣人達が声を掛け合うと鷹獣人が薄珂に向かって集まり始めた。それはとても速くて小回りの利かない薄珂では出せない速度だ。だがそれで勝敗が決まるわけでは無い。
(鷹ごときがいい気になるなよ!)
 強風の中でいつも通りに飛行することがどれだけ難しいかは薄珂も分かっている。ならばそうすればよいだけだ。
 薄珂はほんの少し力を入れて羽ばたいた。人間がよいしょと立ち上がるために手を付いた、その程度の力だ。けれどそのほんの少しの力が生み出す風圧に鷹獣人は耐え切れず体制を崩し、薄珂はその後を追い鋭い爪で鷹獣人の羽の付け根を切り裂いた。
 鷹獣人達は大きく一鳴きするとひゅうっと落下し海に叩きつけられた。一人、また一人と薄珂は鷹獣人を落としていく。そして最後の一人は恐ろしくなったようで、崖の上へ逃げて行く。けれど薄珂はそれを逃がさず、飛べない程度に羽を痛めつけて地に転がした。鷹獣人は耳障りな叫び声を上げていた。もはやまともに飛ぶ事はできはしない。
(これで五人! 天藍は!?)
 薄珂は洞穴の方へと目を移した。作戦通りであれば天藍と玲章で立珂を取り返しているはずだ。今すぐ駆けつけたいが公佗児の身体では洞穴には入れない。近くに降りれる場所は無いか旋回するが足場は無い。しかしその時だった。
「薄珂!」
 聞き覚えのある声が洞穴から聴こえた。そこには玲章と慶真に守られる立珂の笑顔があった。
(立珂!)
 今すぐ駆け寄りたいがそれもできない。もどかしく旋回し続けたが、落ち着け、と崖の上から天藍が叫ぶ声が聴こえてきた。
「戻れ! お前の風圧で慶真が飛べない!」
 言われてはっと気づき、薄珂はくるりと方向を変えた。慶真も鷹獣人だ。薄珂の激しい羽ばたきに抗い飛び続けることは難しい。立珂を抱きしめたい気持ちを抑えて崖の上へ戻り人間へと姿を変えると、天藍が袍を持って駆け寄って来た。
「よくやった!」
「立珂! 立珂!」
 穴を見下ろすと、慶真が獣化し立珂を掴んで飛び上がった。立珂を落とさないようにゆっくりと旋回して方向を変えながら上昇してくる。もう少しで立珂が戻って来る。
「立珂!」
「薄珂!」
 薄珂と立珂はようやく視線を交わし、お互い必死に手を伸ばした。もうすぐだ。もうすぐ立珂を抱きしめられる。そう気が緩んだが、その時突如として崖上から何かが立珂へ向かって飛び立った。それは鷹獣人だった。肩から血を流しまともに飛んではいない。
「お前さっきの!」
 飛び出したのはさっき薄珂が殺さずにおいた鷹獣人だった。飛べば相当な痛みがあるだろうに、構うものかと血を流しながら立珂へ向かっていく。
「立珂! 立珂!」
「慶真!」
 鷹獣人はばさばさと慶真の周りを飛んだ。あれでは真っ直ぐ戻って来ることはできない。慶真も何とか振り払おうとしているが立珂を抱えているせいで自由に飛ぶ事ができないようだった。だがここで薄珂が飛び出せば風圧で立珂もろとも落ちてしまう。どうしたらいい、どうすれば、そう焦っていたその時、ひと際高く鳴き声がした。
 宙に慶真が飛んでいる。さっきよりも高く軽やかだ。それもそうだろう。その爪にはすでに立珂はいなかった。
「立珂! 立珂!」
 立珂は海に向かって真っ逆さまに落ちていた。天藍も何か叫んでいたが、薄珂にその声は入ってこない。
 助けに行かなければいけない。けれど獣化し飛んでも風圧で飛ばしてしまう。海に落ちれば水を吸う立珂の羽は重しになり沈んでいくだろう。薄珂の手を離れ宙にいる状態では助けに行けないのだ。
 もう薄珂では助けられない。
「立珂ああああ!!」
 ばしゃんとしぶきが上がった。落ちてしまった。水に叩きつけられた音があたりに響いた。
「立珂ああああああああああああ!!! あ、ああ――……あ?」
 水に何かが叩きつけられた音がした。したはずだ。けれどよく見れば立珂は水に落ちていなかった。羽の一筋も水に浸かっていない。落ちて水面に浮いたのではなく水上にいるのだ。
「……飛んでる?」
「まさか。有翼人は飛べない」
 立珂は有翼人であって鳥獣人ではない。羽に神経は通っていないから羽ばたくことはできないのだ。けれど確かに立珂の身体で羽が羽ばたいている。
 だが気になるのは羽の色だ。立珂の羽が羽ばたいているのなら真っ白のはずだが何故か茶色い。質感もごわごわで手入れがされていないのが一目瞭然だ。それはどうみても毎日使いこんでいる鳥獣人の羽だった。まさか薄珂が知らないだけで立珂も鳥獣人だったのかと混乱したが、立珂の両手は体の前にぶらりと垂れ下がっている。鳥獣人なら腕が羽になる。ならば立珂は獣人のではない。しかもよく見れば茶色い羽はとても小さい。懸命に羽ばたかせているが成人の鳥獣人には及ばないだろう。どうみても子供の羽だった。そして薄珂は知っていた。茶色い羽を持ち、立珂のためなら大人しく待ってなどいないであろう鳥獣人の子供の存在を。
「薄珂! 早く助けて! 慶都落ちちゃう!」
「……慶都?」
 立珂の服を掴んで羽ばたいているのは里にいるはずの慶都だった。慶都は立珂が水に叩きつけられる寸前で掴んで飛び上がったのだ。千切れんばかりに羽を羽ばたかせているが次第に高度が落ちていく。突然の登場に薄珂はぽかんと口を開けて呆然としたが、どんと天藍に背を叩かれた。
「下へ降りろ! 船が控えてるからそこで待て!」
「あ、う、うん!」
「玲章! 海に落ちたら拾え!」
「おうよ!」
 落ちることも想定していたのか、海には船が何艘か出て来ていた。玲章も服を脱ぎ捨て飛び込む準備をしている。薄珂は慌てて獣化し船へ降りたつと、ふわりふわりと上空から立珂が降りて来た。白い羽がばさりと薄珂を包み、そしてようやくその手に立珂を抱きしめた。
「立珂!」
「薄珂!」
「立珂、立珂、立珂」
「薄珂ぁ」
 薄珂も立珂も涙をこぼしぎゅうぎゅうと抱き合った。船員達もよかったよかったと安心したようにため息を吐いていた。それは誰一人見たことのない人達で、薄珂と立珂には無関係だろう。けれど助けてくれた。
「……あの、有難う」
「無事で何よりだ。さあ、殿下の所へ戻ろう」
「う、うん」
 気が付けばいつの間にか岸に付いていた。薄珂は立珂を抱いて立ち上がると、ばたばたと天藍が走ってくるのが見えた。崖からは玲章を掴んだ慶真も降りて来た。慶真は放り捨てるように玲章を浜辺に降ろすと用意されていた袍を奪うようにして羽織り、走って向かった先は息子の元だった。
「慶都! 家で待ってろと言ったでしょう!」
「嫌だって言った! 助けられるんだから助ける! 俺は立珂を見殺しになんてしない!」
「そういう根性論ではいけない時もあるんです!」
「なんだよ! じゃあ今俺がいなかったら立珂どうなってたんだよ! 海の中だぞ!」
「結果論で物を言うんじゃありません!!」
「あー! 論論論論うるさいなー! 立珂が無事ならなんでもいいんだ!」
 ここに慶都が現れるなんて一体誰が予想しただろうか。慶真の言う通り、危険なことをしたことは理解させないといけないだろう。けれど薄珂の胸は感謝の気持ちでいっぱいだった。立珂も嬉しそうに微笑むときゅうっと慶都を抱きしめた
「助けてくれて有難う。びっくりしたよ」
「立珂! ごめんな。俺がもっとしっかりしてれば誘拐なんてさせなかったのに」
「十分だよ。本当に有難う」
 立珂と慶都はぎゅうぎゅうと抱きしめ合って再会の喜びを伝えあった。けれどそんなほんわかした空気をぶち破る者がいた。
「あーあー。畜生。だから薄珂に絞るべきだったんだ」
「……金剛」
 数名の肉食獣人を連れて現れたのは、ほんの数か月前薄珂と立珂を拾い助けてくれたはずの金剛だった。
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