第二十五話 作戦

文字数 3,654文字

「薄珂君、慶都。立珂君を連れて下がってなさい」
「分かった! 立珂、大丈夫だぞ。俺が守ってやるから」
 薄珂は慶都もまだ子供だと思っていたけれど、こんな時でもいつも通りの決め台詞で微笑んでくれる姿が今は頼もしい。薄珂はぎゅっと立珂を抱きしめた。そして敵として現れた金剛を見つめると、金剛は鬱陶しそうにため息を吐いて来た。
「ったく! お前の親父にはしてやられたよ。公佗児のふりして人間だなんてよ」
「……俺を追って来たんだね」
「そうよ。伝説の獣種が生存するという東の地。ずっとそこを狙ってんだ!」
「じゃあ何で里に入れたんだ。拾ってすぐに誘拐すればよかったじゃないか」
「立珂の買い手が付かないんだよ。羽根単価が高すぎるうえ身内が鳥獣人てのは面倒がられてな。絶対助けに来るだろ? 一般人は鳥にゃ対処できねえんだよ。なら立珂の羽根だけ集めりゃまあいいかってな」
「本当に裏切ってたんだね……」
「信じてくれなんて言ってねえよ! おい! 全員やっちまえ! 薄珂だけは捕まえろよ!」
 金剛は足を象にしてどんっと地面を揺らし、同時に獅子獣人が船員達に飛び掛かった。刀を抜いて応戦するが、獣の力は強い。見るからに押されていて、しかも後方から獣のうめき声が聞こえている。
「数揃えて来やがったか」
「当然」
 玲章は天藍を守るように立ちはだかった。慶真は薄珂達を庇ってくれているが、どうするか迷っているのがすぐに分かった。腕は背に隠した息子を掴んでいる。この状況で薄珂と立珂まで連れて飛ぶことはできない。ならば二人を見捨てて息子を助けるという選択をするしかないが、それを平然とできるほど慶真は非情な男でもない。
 薄珂はぐっと唇を噛み、慶真の腕を引いた。
「……おじさん、いいよ」
「大丈夫だから下がってなさい。大丈夫ですよ」
「うん。大丈夫だから慶都と立珂を守って」
「え?」
 薄珂は慶真の前に出た。慶真が待ちなさいと言っているのは聞こえていたが、薄珂は無視して地面を蹴った。そして右腕だけを羽にして羽ばたいた。
「部分獣化か!」
「地上は脚が必要だからね」
 金剛は風圧に負けてよろめいた。薄珂はすかさず足も獣化し爪を伸ばした。これは薄珂の唯一にして最大の、伝説に語られるほどの武器だ。しかし金剛はそれを見ても恐れはせずにやりと笑った。
「馬鹿が! 公佗児といっても所詮鳥。鳥の爪じゃあ俺の皮膚はかすり傷も付かねえよ!」
「やってみなきゃ分からないさ」
 きらりと爪は宝石のような輝きを見せた。薄珂はぐんっと金剛に向かって飛び込んだがその爪は金剛をかすらない。
「そんなでかい羽で戦おうなんて馬鹿としか言いようがない!」
「風圧に負ける奴に言われたくないな!」
 薄珂がばさりと強く羽ばたくと金剛は踏ん張り切れず吹き飛ばされた。それを追って爪を突き立てようとしたが、金剛の言うとおり爪は象の皮膚を通らなかった。
「くそっ!」
「そうらみろ! 転ばせるしかできない鳥ごとき恐れるに足らず! 陸最強は象獣人だ!」
 金剛は薄珂めがけて拳を振りかぶった。その拳はまっすぐに薄珂の頭へ向かい叩き割ろうとしたが、その拳は届かなかった。拳を振り上げた金剛がべしゃりと地面に這いつくばったのだ。
「ぎゃあああ! 脚、脚があああ!!!」
 金剛の後ろ脚から血しぶきが上がった。切れたのは薄珂の死角だ。それに薄珂の手は羽になり武器など握れはしない。爪しかないのだ。けれど金剛の脚の後ろは大きく切り裂かれている。それを確認すると、薄珂は両手を人間へと変えた。
「俺じゃ勝てないことくらい分かってるよ。でも勝てる人もいる」
「な、なん、だと」
 薄珂がぴっと後ろを指差すと金剛はぐるりと後ろを振り向いた。その場の全員が同じくその先に目をやった。
「お、お前! 孔雀!?」
 金剛の返り血を浴びて立っていたのは孔雀だった。孔雀は刃物を通さないはずの象獣人の皮膚を切り裂き、腱と数か所の筋肉を切ったのだ。
「薄珂君の作戦通りですね」
「っさ、さくせん、だと」
 薄珂はここへ来る移動中、こっそりと孔雀に頼んだことがあった。白那と共に待っている選択もあっただろうに、薄珂を守らなくてはと思っていたのだろう。思いつめていたその表情に薄珂は付け込んだ。
「先生。もし金剛と一対一で戦闘になったら先生に頼みたい事があるんだ」
「わ、私にですか?」
「うん。象を倒すのは難しい。でもこれなら確実に金剛を切れる」
 薄珂は孔雀に小さな箱を渡した。それは診療所で金剛を切った医療器具の小刀が入っている箱だった。
「持って来ていたんですか!」
「うん。だってそのための物なんでしょ? いつも鍵かけてたのに棚壊れてなかったし荒らされても無かった。先生が意図的に取り出したはずだ」
「……よく気付きましたね」
「俺達で金剛を押さえるから足を切って。動けなくなればそれでいいんだけどできる?」
「ええ。立つための筋肉を切ればいいだけです」
 薄珂は孔雀に箱を返し、孔雀には隠れて貰っていたのだ。最初から自分で金剛を倒すつもりなど無かった。
「俺じゃ象獣人には勝てないのは分かってた。でも孔雀先生(にんげん)はあんたを倒せるってことも分かってたよ」
「仰せの通り、立つための筋肉を切りました。もう動けませんよ」
「脆弱な人間ごときが……!」
 金剛は全く立てないようで、腕の力だけで身を起こそうとしていた。肉食獣人達も金剛の傍に駆け寄ったが、その爪と牙で襲い掛かることはできなかった。何しろ崖の上と後方に大量の人影が現れた。中には銃を構える者もいて、その全てが金剛に向けられている。海にも新たな船が姿を見せたが、それは漁船や小舟などとは全く違う。兵が何人も乗っていて、同じく銃を構えていた。現れた全員が同じ服装だった。
 金剛は守られ立っていただけの天藍をぎろりと睨んだ。
「てめぇ! 軍呼びやがったな!」
「象獣人と一対一でやる馬鹿いるかよ」
 両腕を象に変え、金剛は天藍に飛び掛かろうとしたがすぐに背を踏みつけられ地に額をこすり付けた。他にも数名がわらわらと寄って来て、手際よく金剛の手足を縛りあげていく。縛っているのは縄ではなく棘の付いた金属製の鎖だった。金剛は手足を象にしようとするが、太くすればするほど鎖は食いこみ棘が突き刺さる。孔雀の医療用小刀と同じような切れ味だった。
 天藍は平伏す金剛の前に立ち、指名手配書を突き付けた。
「象獣人金剛! 人身売買、及び有翼人誘拐の現行犯で逮捕する!」
「くそ、くそっ! くそおおお!」
 そんな叫びも空しく、立てない金剛はあっさりと軍の兵士に捕縛された。それでも暴れるので麻酔を打とうとしたようだが、肌を獣化されて針が刺さらなかった。けれど孔雀が小刀を眼球の前でちらつかせて脅し、ようやく麻酔を打たれて眠りに落ちた。
 ようやく辺りは静かになり全員が胸を撫でおろした。立珂は固まってぽかんとしているが怪我一つない。きょときょとしてるその仕草は愛らしく、薄珂は穏やかな日常が戻って来た事を実感した。
「皆、宮廷へ戻ろう。休んだら少し話を聞かせてくれ」
「はい。薄珂君、立珂君。立てますか?」
「う――」
 全員がにこやかに笑い合っていた。薄珂は差し伸べられた慶真の手を取ろうとしたが、びきっと頭に激痛が走って倒れ込んだ。
「薄珂!?」
「あ、あっ……!」
「薄珂! どうした!」
「にげ、ろ、全員、にげて、りっか、連れて、逃げて」
「しっかりして! 薄珂!」
「りっか、にげ、て、はやく、にげてえ、あああああ!」
「薄珂! 薄珂!」
 あまりの痛みに脳が揺れ立っていられない。急激に体温が上がったような気もして汗が一気に噴き出した。視界もぐるぐると定まらなくなっていて、薄珂は頭を抱えて叫び声をあげた。けれどその声は人間の叫び声では無かった。前触れもなく獣化を始め、きぃ、と鳥のような声を上げたのだ。薄珂は皆と距離を取らなければと思ったけれど、頭が痛くてそれ以上は考えられず意識はどこかに飛んでいった。
 しかし次の瞬間、ふと生暖かい物が顔を濡らしているのに気が付いた。それは妙にぬるぬるとしているが、口に入ると体が震えるほど美味しい。
(甘い。これは俺の大好きなものだ)
 もっと欲しい。そう思って顔を動かしたが、その時薄珂の目に映ったのは立珂だった。立珂が目を閉じている。眠っているのだろうか。けれど薄珂を濡らす生暖かい物も立珂が抱きしめてくれているところから流れている。これは何だろう。そしてじわじわと意識がはっきりしてくると、薄珂はようやく状況を理解した。血だ。立珂の胸から血が流れている。美味しいと思ったのは立珂の血だった。
「……立、珂?」
「あ、戻った、ね……」
 薄珂はひゅうっと浅い呼吸をすると、ずるりと薄珂の上から落ちて行った。
「立珂……?」
 立珂の胸元は血で真っ赤だ。薄珂の顔も立珂の血で真っ赤だ。そして、獣化した時に嘴だったであろう口元も立珂の血で濡れていた。
「あ、ああ、あああああああ!」
 薄珂は声の限り叫び声をあげて、そこで全てが途絶えて消えた。
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