文字数 1,654文字

 人里離れた深い森。人の手が入っていない木々は思うがままに生い茂っている。間もなく夜を迎えようという時だったが、途端に静寂が破られた。数名の男達が銃や弓矢、刀といった武器を持ち駆けまわっている。
「ちくしょう! どこに逃げやがった!」
「崖を張れ! 羽付きの逃げ場は空しかねえ!」
「希少種の公佗児(こんどる)獣人! 絶対に捕まえるんだ!」
 薄珂(はっか)は男達の恐ろしい声と足音が轟く森の中を走っていた。その腕の中には大きな白い羽の塊があり、十八歳になったばかりの少年の腕では抱えきれない。しかし薄珂は落とさないようぎゅっと強く抱きしめ、羽の塊に向けてこそりと呟いた。
「立珂(りっか)。もう少し我慢してくれよ」
「んにゃ……」
 薄珂の声に応え、羽の中からにゅっと小さな手が伸びてきた。その手の先には薄珂の弟、立珂の姿がある。この羽は立珂の背から生えている。立珂は人間でありながら鳥の羽を持つ有翼人だ。
(狙いは立珂じゃなくて公佗児の俺。父さんの言った通りだ)
 薄珂は立珂を落とさないように抱き直すと、懐に収めている小刀が存在を主張してきた。それは父からある教えと共に譲り受けた唯一の武器だった。
「薄珂。人間は鳥獣人を狙ってくる。襲われたら北西の『いんくぉん』という国を目指せ。有翼人を迫害する土地もあるがここは全種族平等。二人とも受け入れてもらえるだろう」
「分かった」
 薄珂はいつになく真剣だった父の顔を思い出したが、あの力強い父はここにはいない。薄珂と立珂を背に庇って逃がしてくれて、その後どうなったかを戻って確認する余裕はない。
 ぐっと強く唇を噛みながら走り続け、ようやく崖まで辿り着くと立珂を降ろす。もぞもぞと蠢きながら、立珂はぷはっと羽から姿を現した。
「薄珂。どうするの?」
「獣化して飛ぶ。立珂も準備してくれ」
「んっ」
 獣人が獣になるには服を脱がなければならないため、薄珂は紐を解けば簡単に脱げる服を着ている。
 薄珂はするりと胸元の紐を解いだが、追手はそれすら待ってくれなかった。がさがさと茂みは大きく揺れ、ぬうっと数名が姿を現した。
「いたぞ! こっちだ!」
「しまった!」
 男の声に振り返ると、そこには銃を持った数名の男がいた。しかも男達の後ろには豹のような動物がいて、明らかに男達を守るように牙を剥いている。
「肉食獣人もいるのか……」
「当然。さあ来い。買い手が待ってるからな」
「そう言われて大人しく捕まってやるわけないだろ」
「はっ! 鳥獣人の羽は腕。抱いて飛ぶこたできねえだろ!」
「それに有翼人の羽は神経がないから飛べねえ。逃げらんねえよ」
 立珂の大きなな羽はずるずると引きずるだけで鳥の様に羽ばたくことはできないのだ。男たちがにじり寄ってくる分だけ崖の縁まで下がっていくが、男達は勝ち誇ったようににやにやと笑っている。
 薄珂はちらりと立珂を見ると、左右から羽をひっぱり身体に巻き付けていた。羽は体を覆うほど大きいため、立珂はすっかり白い塊と化している。
「薄珂。できた」
「よし。父さんの小刀持っててくれ。落とさないでくれよ」
「んっ!」
 薄珂は立珂に小刀を持たせたが、そうしている間にも先頭の男がぬうっと薄珂に手を伸ばした。指が目の前に迫り捕まるのはもう数秒後だろう。
 しかし薄珂は素早くしゃがんで立珂を羽ごと両手で掴んだ。これでは飛べない。落ちるだけだ。それでも薄珂は立珂を抱えて飛び降りた。
「なんだと!?」
「てめぇ!」
 薄珂は落下しながら立珂を手離すと、瞬間で服を脱ぎ捨て獣化した。そしてすかさず立珂を空中で掴んでばさりと飛び上がる。
「飛びやがったぞ!」
「撃て! 撃て!」
 崖の上からはがんがんと銃が火を噴く音がした。薄珂は羽ばたき続けたが、銃に撃たれたたのか身体に激痛が走った。
(立珂だけでも安全な場所に下ろす!)
 薄珂は銃弾を受けながらも飛び続けた。少しすれば銃声は聴こえなくなったが、足元に広がるのは海ばかりだった。傷付いた羽で長距離を飛び続けることはできず、ほどなくして二人は海に叩きつけられた。
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