第二話 立珂の異変
文字数 2,294文字
今日も立珂は昼前まで眠り、ようやく起きて歩く練習を始めた。
しかし十分もしないうちに眠気を訴えたので部屋で眠ることにしたのだが、今日は膝枕ではなく座ったまま向き合って抱っこして欲しいとねだられた。
断る理由などあるはずもなく望みのままに抱っこしてやると、何故か立珂は薄珂の首に顔をぐいぐいと押し付けうとうとし始めた。
(久しぶりだなこの寝方。苦しくないのかな)
立珂がこの体制をねだるのは初めてではない。その時もこの寝方のどこが良いのか悩んだ。
しかも熟睡するわけでもないのだ。顔をぐりぐりと動かし続け、ちゃんと抱っこしてるから寝ていいと言っても寝ない。ただぽやぽやしているのだ。
(甘えてるだけかと思ってたけど、何か意味があるのかな……)
前回は二人が獣人の里の小屋に身を寄せていたとき、立珂の怪我が治ったばっかりのころだった。
怪我が治ったことで心に余裕ができ、だからこそ殺されそうになったのを思い出し不安になっているのだろうと思い薄珂はあまり気にしなかった。
(……待てよ。あの時も眠れなくなってたな。二、三日で治ったから忘れてた)
立珂は口をむにゅむにゅと動かして、今度は薄珂の肩に頬をすりすりとこすり付けている。寝たいというよりは懸命に肌を合せようとしているように見える。
「立珂。この寝方って気持ちい良いのか?」
「これが一番薄珂のにおいするの……」
「におい?」
「そう……薄珂はとってもいいにおい……」
「俺のにおい……?」
「とっても落ち着くにおいなの……」
すんすんとにおいを嗅ぎ、すぐにまた首筋にぐりぐりと顔を押し付けてくる。
これはにおいを嗅ごうとしてるのかとようやく合点がいったが、だがそれが何だというのだろうか。薄珂は何の香も付けていないし、風呂は立珂と一緒だから同じ石鹸のにおいのはずだ。部屋も生活も一緒である以上特有のにおいがするとは思えない。
けれど里で眠れなかったときも薄珂のにおいを嗅いで改善されたのならやはり何かがあるのだ。
(子供の頃はこんなことなかった。てことは俺自身じゃなくて里で俺に染み付いたにおいってことじゃないか?)
里と言っても、立珂の怪我が治ったばかりの頃は里の外の小屋だ。小屋は森の中にあり、以前まで住んでいた環境とそう変わらない。だからこそ立珂も落ち着いて休めた。
そこで初めて手にした特別なにおい。薄珂は記憶の糸を手繰り寄せるた。
(森に無くて小屋にあった変わったにおい……)
は、と薄珂は息をのんだ。そうか、と小さく呟くと立珂を抱っこしたまま立ち上がった。
「立珂。寝てていいから孔雀先生のとこ行くぞ」
「……なんでえ?」
「寝れない理由が分かった。あの時と同じなら絶対そうだ」
そうなの、と立珂は相変わらずぽやぽやしたまま薄珂のにおいを嗅いでいる。
よしよしと頭を撫でて廊下へ出ようとしたが、その時庭に面した扉から何かが飛びこんできた。天井でくるくると旋回すると、ばさばさと羽ばたき床に降りて来る。部屋で飼う鳥にしては大きすぎるそれは鷹だった。
ああ、と薄珂が名を呼ぼうとしたが、その前にもう一匹動物が駆け込んできた。それは真っ黒でごわごわした毛並みの狼だった。狼はくるりと部屋を一周すると薄珂の足元にしゃがみ込む。
しかし薄珂はどちらに対しても恐れることもなく眺め、その視線に応えるように二匹は姿を少年へと変えた。
「よ。立珂起きたか?」
「慶都。それに創樹(そうじゅ)も」
鷹は里で仲良くなった慶都だ。立珂を守るのだと宣言し、その言葉通り立珂を守っている。
一方、狼獣人の少年は里で出会った者ではない。宮廷で生活を始めてしばらくした頃、慶都の父慶真が紹介してくれたのだ。
「狼獣人の創樹くんです。殿下がお二人の世話役にと紹介してくれました」
「創樹ってんだ。よろしくな」
「世話役って? 立珂の世話は俺がするからいいよ」
「宮廷の生活は分からないことも多いでしょう。でも私も殿下も付きっきりではいられないので創樹くんに教わって下さい」
「先生ってこと?」
「そんな大層なもんじゃないよ。友達な、友達」
侍女は皆成人した女性だ。薄珂と立珂が友と呼び遊ぶ相手ではない。おそらくそれを見て気にしてくれたのだろう。
それ以来、慶都だけでなく創樹も頻繁に遊びに来てくれている。
薄珂といれば穏やかに日々を過ごしているし侍女も良くしてくれているが、やはり慶都と創樹のような友達と遊ぶのは格別だ。立珂が一番元気なのは二人と遊んでいる時なのだ。
だが今はそれよりも確認しなければならないことがあった。
「来てくれたのにごめん。ちょっと急いでるんだ」
「どっか行くのか?」
「孔雀先生の離宮。立珂を診」
「孔雀先生!?」
何故か創樹はきらきらと目を光らせた。両拳を握りしめぶるぶると震えている。
「何。どうしたんだよ」
「俺も! 俺も行く! 行っていい!?」
「別にいいけど。じゃあその袋持ってもらってもいい?」
「おー。これ?」
「そっちも」
創樹が妙にうきうきしている理由は分からないが、今はそれどころではない。
椅子に置いていた袋を持つよう頼み、薄珂は立珂を抱っこしたまま部屋を出た。
そのまま宮廷内を足早に進み、幾つかの渡り廊下を進んで違う建物へ――そうして五分ほど歩くと宮廷の建物から外に出た。その先には小ぢんまりとした、だが一人で生活するには広すぎる建物が見えてきた。周囲は薫衣草や加密列といった花で埋め尽くされている。
薄珂は建物に目的の人物を見付け、ほっと安心して駆け込んだ。
「孔雀先生! 今いい?」
「おや、どうしたんです。こんなところまで来て」
「ちょっと聞きたいことあるんだ」
しかし十分もしないうちに眠気を訴えたので部屋で眠ることにしたのだが、今日は膝枕ではなく座ったまま向き合って抱っこして欲しいとねだられた。
断る理由などあるはずもなく望みのままに抱っこしてやると、何故か立珂は薄珂の首に顔をぐいぐいと押し付けうとうとし始めた。
(久しぶりだなこの寝方。苦しくないのかな)
立珂がこの体制をねだるのは初めてではない。その時もこの寝方のどこが良いのか悩んだ。
しかも熟睡するわけでもないのだ。顔をぐりぐりと動かし続け、ちゃんと抱っこしてるから寝ていいと言っても寝ない。ただぽやぽやしているのだ。
(甘えてるだけかと思ってたけど、何か意味があるのかな……)
前回は二人が獣人の里の小屋に身を寄せていたとき、立珂の怪我が治ったばっかりのころだった。
怪我が治ったことで心に余裕ができ、だからこそ殺されそうになったのを思い出し不安になっているのだろうと思い薄珂はあまり気にしなかった。
(……待てよ。あの時も眠れなくなってたな。二、三日で治ったから忘れてた)
立珂は口をむにゅむにゅと動かして、今度は薄珂の肩に頬をすりすりとこすり付けている。寝たいというよりは懸命に肌を合せようとしているように見える。
「立珂。この寝方って気持ちい良いのか?」
「これが一番薄珂のにおいするの……」
「におい?」
「そう……薄珂はとってもいいにおい……」
「俺のにおい……?」
「とっても落ち着くにおいなの……」
すんすんとにおいを嗅ぎ、すぐにまた首筋にぐりぐりと顔を押し付けてくる。
これはにおいを嗅ごうとしてるのかとようやく合点がいったが、だがそれが何だというのだろうか。薄珂は何の香も付けていないし、風呂は立珂と一緒だから同じ石鹸のにおいのはずだ。部屋も生活も一緒である以上特有のにおいがするとは思えない。
けれど里で眠れなかったときも薄珂のにおいを嗅いで改善されたのならやはり何かがあるのだ。
(子供の頃はこんなことなかった。てことは俺自身じゃなくて里で俺に染み付いたにおいってことじゃないか?)
里と言っても、立珂の怪我が治ったばかりの頃は里の外の小屋だ。小屋は森の中にあり、以前まで住んでいた環境とそう変わらない。だからこそ立珂も落ち着いて休めた。
そこで初めて手にした特別なにおい。薄珂は記憶の糸を手繰り寄せるた。
(森に無くて小屋にあった変わったにおい……)
は、と薄珂は息をのんだ。そうか、と小さく呟くと立珂を抱っこしたまま立ち上がった。
「立珂。寝てていいから孔雀先生のとこ行くぞ」
「……なんでえ?」
「寝れない理由が分かった。あの時と同じなら絶対そうだ」
そうなの、と立珂は相変わらずぽやぽやしたまま薄珂のにおいを嗅いでいる。
よしよしと頭を撫でて廊下へ出ようとしたが、その時庭に面した扉から何かが飛びこんできた。天井でくるくると旋回すると、ばさばさと羽ばたき床に降りて来る。部屋で飼う鳥にしては大きすぎるそれは鷹だった。
ああ、と薄珂が名を呼ぼうとしたが、その前にもう一匹動物が駆け込んできた。それは真っ黒でごわごわした毛並みの狼だった。狼はくるりと部屋を一周すると薄珂の足元にしゃがみ込む。
しかし薄珂はどちらに対しても恐れることもなく眺め、その視線に応えるように二匹は姿を少年へと変えた。
「よ。立珂起きたか?」
「慶都。それに創樹(そうじゅ)も」
鷹は里で仲良くなった慶都だ。立珂を守るのだと宣言し、その言葉通り立珂を守っている。
一方、狼獣人の少年は里で出会った者ではない。宮廷で生活を始めてしばらくした頃、慶都の父慶真が紹介してくれたのだ。
「狼獣人の創樹くんです。殿下がお二人の世話役にと紹介してくれました」
「創樹ってんだ。よろしくな」
「世話役って? 立珂の世話は俺がするからいいよ」
「宮廷の生活は分からないことも多いでしょう。でも私も殿下も付きっきりではいられないので創樹くんに教わって下さい」
「先生ってこと?」
「そんな大層なもんじゃないよ。友達な、友達」
侍女は皆成人した女性だ。薄珂と立珂が友と呼び遊ぶ相手ではない。おそらくそれを見て気にしてくれたのだろう。
それ以来、慶都だけでなく創樹も頻繁に遊びに来てくれている。
薄珂といれば穏やかに日々を過ごしているし侍女も良くしてくれているが、やはり慶都と創樹のような友達と遊ぶのは格別だ。立珂が一番元気なのは二人と遊んでいる時なのだ。
だが今はそれよりも確認しなければならないことがあった。
「来てくれたのにごめん。ちょっと急いでるんだ」
「どっか行くのか?」
「孔雀先生の離宮。立珂を診」
「孔雀先生!?」
何故か創樹はきらきらと目を光らせた。両拳を握りしめぶるぶると震えている。
「何。どうしたんだよ」
「俺も! 俺も行く! 行っていい!?」
「別にいいけど。じゃあその袋持ってもらってもいい?」
「おー。これ?」
「そっちも」
創樹が妙にうきうきしている理由は分からないが、今はそれどころではない。
椅子に置いていた袋を持つよう頼み、薄珂は立珂を抱っこしたまま部屋を出た。
そのまま宮廷内を足早に進み、幾つかの渡り廊下を進んで違う建物へ――そうして五分ほど歩くと宮廷の建物から外に出た。その先には小ぢんまりとした、だが一人で生活するには広すぎる建物が見えてきた。周囲は薫衣草や加密列といった花で埋め尽くされている。
薄珂は建物に目的の人物を見付け、ほっと安心して駆け込んだ。
「孔雀先生! 今いい?」
「おや、どうしたんです。こんなところまで来て」
「ちょっと聞きたいことあるんだ」