第十八話 立珂誘拐

文字数 4,612文字

 震える立珂を抱き締めながら眠りについて暫くすると、がんがんと外から大きな音がした。それでふと目が覚めたが、意識が覚醒する前に胸ぐらを掴まれ壁に叩きつけられ背に鈍痛が走った。
「ぐっ!」
「薄珂! 薄珂!」
 突然のことに薄珂は体勢を崩して寝台から落ちたが、腕の中にいたはずの立珂がいない。慌てて顔を上げると、男が窓から出て行こうとしていた。目元以外の顔は布で覆い隠され全貌は分からない。だがその手にはがっちりと立珂が抱きかかえられている。
「立珂!」
「薄珂あ!」
「何だお前! 立珂を放せ!」
 男は薄珂が立ち上がるのを待ってはくれず、外へ飛び出すと、人間ではありえない脚力で飛び跳ねた。上半身と腕は人間だが脚は大きく膨れ上がっている。それは見るからに兎獣人だ。顔を隠してはいるけれど、隠されていない部分もある。暗い部屋ではあまり分からなかったが、月明かりに照らされた髪は白く目は赤い。この里にその容姿の兎獣人は一人しかいなかった。
「天藍!?」
 天藍はぴょんぴょんと飛び跳ね一瞬にして姿が見えなくなった。薄珂は追わなくてはと窓へ足を掛けたが、引き留めるように後ろから抱きしめられた。振り返り睨み付けると、険しい顔をしているのは慶真だ。
「どうしたんです!」
「放して! 天藍が立珂を連れてったんだ!」
「何ですって!?」
 薄珂は慶真の手を振りほどくと、止める声も聞かず裸足で走り出した。家々の屋根を飛び跳ねて里を出て行く天藍を追うと診療所を通りかかったが、薄珂は目を丸くした。そこには自警団に押さえつけられ地に伏している孔雀の姿があったが、その前で脚を象に変えた金剛が座り込んでいる。しかし膝あたりに刃物で切られたような傷がありだらだらと血が流れていた。
「金剛!? どうしたの!?」
「天藍にやられた! 孔雀が団長の皮膚を切れる武器を持っていたんだ!」
「武器?」
 争ったのか、壊れた扉から部屋の中を見ると木箱と血に濡れた銀の小刀が一本だけ落ちていた。
「あれは……」
 薄珂は落ちた木箱と小刀を見た。それは一般的に見る小刀ではなく医療器具だった。孔雀は万が一のために様々な道具を用意しているがその一つだ。棚を見れば他にも薬瓶や布やらが並んでいるが、特に持ち出されている様子はなかった。
「使ったのこれだけ?」
「ああ。象用なんて事前に用意しなければ手に入らない希少な品だ。これは計画的かもしれないな」
「そんなことは後でいい! 天藍を追え! 崖に追い込め! 船を使わせるな!」
「はっ!」
 自警団員は金剛と孔雀の傍に一人ずつ残り他は一斉に走り出した。金剛は足を引きずりながらも薄珂の傍に寄り、ぐっと肩を強く抱いてくれる。
「立珂は必ず助ける。お前はここで待て」
「嫌だ! 俺が行く!」
「駄目だ! あの身のこなし、奴は戦闘訓練を積んでる! お前までやられるぞ!」
「大丈夫だ! 放して!」
 薄珂が公佗児である事を知らない金剛は必死に引き留めてくるが、じっとしていることなどできはしない。薄珂は怪我をしている金剛を突き飛ばし、崖へ向かって駆けだした。
「ば、馬鹿! 行くな!」
 しきりに引き留める叫び声が聞こえてくるが、薄珂は止まること無く走った。
(森を探すより船で海に出てくれた方が捕まえやすい! こうなると自警団は邪魔だ。金剛には説明しておくべきだった!)
 後悔をしてももう遅い。薄珂はぎりぎりと奥歯を噛みしめなたら走り続けた。そして崖に辿り着くと、既に自警団員が天藍を際まで追い込んでいた。天藍はがっちりと立珂を抱え、喉元に小刀を宛がっている。
「立珂! 立珂ぁ!」
「んー! んんー!」
 立珂はさるぐつわを噛まされていて薄珂の名を呼ぶことすらできなくなっていた。大きな目からは涙がぼろぼろ流れ落ちるが、天藍はそんなものに心を動かされることはないようだった。立珂の目が涙で揺れる度に薄珂の胸中に激しい嵐が巻き起こる。
「立珂を返せ! 返して!」
「悪いがこいつは大事な餌だ。蛍宮へ連れて行く」
「ふざけるな! 返せ! 返せよ!」
「薄珂君落ち着いて! 立珂君に怪我をさせられたら危ない!」
「それに兎とはいえこの崖を飛び降りることはできない。すぐに取り戻してやる」
 自警団は薄珂を背に隠すと、武器も持たずに天藍と睨み合った。自警団は肉食獣人だ。武器などなくとも自在に爪と牙を出し入れする。兎の様に飛び跳ねる軽やかさはないが、大地の無い空中では脚力など役には立たない。これ以上後ろに下がることのできない天藍が立珂を抱えてはどうにもできはしない。
「こっちへ来い! 逃げ場は無いぞ兎!」
 天藍は後ろに広がる崖と海をちらりと見て、その素ぶりは薄珂に二か月前を思い出させた。崖に追い詰められ逃げ場を無くし、それでも薄珂は生き延びた。今の天藍はまさにその状態だ。ただ薄珂と違い天藍は鳥ではないから飛ぶことはできない。確かに逃げられないだろう。
 けれど天藍は笑った。にやりと笑みを浮かべると、立珂を抱えたまま崖から飛び降りた。
「何だと!?」
「立珂! 立珂ああああ!」
 薄珂は自警団員を押しのけ天藍が飛び降りた場所へと走り崖下を覗き込んだ。けれどその時、ばさっと羽で顔を叩きつけられた。驚き後ろへ尻もちをつくと、それは上空へと飛び上がっていく。
「鳥獣人!?」
「くそっ! 他にも仲間がいたのか!」
「立珂! 立珂ああああ!」
 立珂を抱えた天藍を大きな鳥が掴んでいた。鳥はそのまま蛍宮へ向けて海上を飛んで行き、飛べない獣人では追い付きようもない。けれど飛べれば追い付けるというものでもない。
(速い! 俺より相当速い!)
 薄珂の公佗児は体が大きい分飛行速度はそこまで速くなかった。大きな嘴と爪があるので攻撃力には優れているが、体重が重く動きは鈍い。身体の小さな鳥に比べれば利便性でははるかに劣る。
 だがどんどん小さくなっていく立珂を前にそんな事は考えていられない。立珂を守れなければ正体を隠しておく意味もない。薄珂は袍を脱ごうと釦に手をかけたが、後ろからぽんと肩を叩かれた。
「落ち着け薄珂」
「金剛! 長老様!」
「落ち着きなさい。慶真と白那が追っている」
「え? おばさんも?」
「慶真が立珂を守り白那が根城を確認し戻る。見失うことも丸腰になることも無い。大丈夫だ」
「そ、そんな、何でおばさんまで。だっておばさんは」
「里の決まりだ。有事の際は全員が協力し救出へ向かう。そして立珂は里の子だ」
「長老様……」
 飛び去った天藍を見ると確かに鳥獣人が追っているのが見えた。二人は薄珂よりずっと速いようで、あっという間に天藍へと追い付いた。けれど攻撃するような事はせずただじっと後を付いて行っている。
「立珂の安全が第一。戦闘は避け根城まで付いて行くように言ってある。居場所さえ分かればどうとでもなるからな」
「どうとでもって、そんな、どうするの。金剛は怪我してるし自警団は飛べないよ」
「なに。金剛達が来てくれるまでは儂らだけだった。それなりの策はある」
「策? でも立珂が、羽根が目的なら明恭へ逃げるかもしれない。その策もあるの? 遠すぎるよ」
「……良い分析だ。落ち着いてきたようだな」
 長老は一瞬だけ目を見開くと、くすりと笑みをこぼし薄珂の頭を撫でた。
「その通りだ。有翼人売買なら明恭で間違いない。だが今時期明恭の海は氷河。一般の船では渡れない。国も事前の面会約束が無い限りは船を出さない。侵略になるからな」
「飛んで行くかもしれないよ」
「それは無理だ。鳥獣人自身が凍死するから必ず船だ。つまり明恭の氷河が溶けるまで蛍宮近辺に潜伏せざるを得ないということでもある」
 長老はすうっと目を細め、自警団に組み敷かれたまま連れてこられた孔雀を見下ろした。その突き刺すような目は立珂を可愛がってくれた老人とは思えないほどに厳しい。
「お前達の根城はどこだ」
「私は仲間ではないので知りませんよ! そもそも何の騒ぎなんです、これは! 何の事だか分かりません!」
「よくもぬけぬけと」
「本当ですよ! 早く立珂君を助に行かないと!」
「だから根城はどこなんだ!」
「知らないと言ってるでしょう!」
 長老と金剛に怒鳴りつけられても孔雀はひるまず、けれど表情は真剣そのものだった。まるで本当に立珂を心配しているかのようにも見える。けれど双方叫ぶばかりで話は遅々として進まない。
 無意味なやり取りに見切りをつけ、薄珂はその場に背を向け歩き出した。
「立珂を助けに行ってくる」
「薄珂! 一人では無理だ! 俺も行く!」
「待ちなさい! 許可も無く突撃したらそれこそ犯罪者として捕まります!」
「許可証はこの前もらったよ」
「それでは入れません。それは正式な証明書と引き換えるための物で、引き換えには手続きをした私も立ち会う必要があります」
「え!?」
 孔雀が貰って来てくれた証明書の首飾りを握り、薄珂はぐっと唇を噛んだ。入国できないのでは探すことなど出来はしない。だが天藍は入国ができる。慶都の両親が突き止めて守ってくれれば良いが、失敗していたら地道に探さなくてはいけなくなる。その間にも立珂は売られてしまうかもしれない。
 薄珂は焦り震えたが、その場を締めるように長老がぱんっと手を叩いた。
「薄珂は白那と合流しなさい。入国審査待機所で落ち合うことになっている」
「う、うん」
「金剛は孔雀を連れて刑部へ行きなさい。立珂の捜索を頼み、孔雀に根城や仲間の所在を吐かせるんだ」
「刑部って何?」
「国民を守るための宮廷組織だ。国内を一斉に探してくれる」
「じゃあ俺もそれと一緒に探すよ!」
「いいや。お前は刑部にできないことをするんだ。お前にしかできないことを」
「俺にしか?」
「そうだ。刑部は大規模な人海戦術を取る。捜索範囲は広いが組織行動であるが故に自由が利かない。ならばお前は刑部にできない事をやるんだ。少数精鋭で有効な戦略を練りなさい」
「戦略?」
「戦う手段は殴る蹴るだけではない」
 長老はぽんっと薄珂の背を軽く叩くと金剛の背もぽんと叩いた。
「自警団全員を連れて行け。立珂を見付けるんだ」
「それじゃあ里が心配だ。何人かは残そう」
「いい。お前が来てくれるまでは自分達でどうにかしていたんだ」
「だが」
「金剛! 有事の際は私の判断に従うのが里の規則! 自警団全員で立珂を連れ戻せ。お前にしか頼めない」
「……必ずや!」
 金剛は不安を押し殺すように拳を握ると自警団員に目配せをした。団員はばたばたと出立の用意に走り出した。一緒に行くぞ、と笑いかけてくれる優しさが胸に沁みる。長老とも顔を見合わせると大きく頷き礼をしていた。信頼し合っているそのやりとりはとても心強かった。
 そして長老は薄珂を見るとぎゅっと抱きしめ、背をぽんぽんと軽く叩いた。
「腸詰を茹でて待ってるよ」
「立珂は焼いた方が好きなんだ。一緒に焼いてあげてよ」
「そうか。そうだったな。そうしよう」
 待っていると言われたのは初めてだった。家族三人で暮らしていて、襲われた時に父から言われたのは『逃げろ』という言葉で、それは戻ってくるなという意味だ。薄珂と立珂には帰りを待っていてくれる家族はもういない。
「行っておいで」
「……行って来ます!」
 長老はもう一度強く抱きしめてくれた。しわだらけの手は弱々しいが、とても頼もしく感じた。
(待ってろ立珂。すぐに行く!)
 薄珂は父が残した短刀を握りしめ、立珂の羽根飾りを胸に下げて里を後にした。
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