第三十話 護栄待望、薄珂のお手入れ

文字数 3,258文字

 薄珂と立珂の家の場所は一目に付かない場所にある。
 木々に隠れ他に家もない。訪ねてくるような客はいないが、今日は違っていた。

「護栄様。そんな目ぎらぎらさせなくても」
「一瞬たりとも見逃しませんよ」

 事の発端は、響玄が薄珂のお手入れに立珂の羽が白い秘密があると言ったことだ。
 あれ以来ことあるごとにあれこれと質問攻めにあい、ならいっそ見に来てはどうだと提案したところお泊り会を実施することになったのだ。
 少し呆れはしたが立珂はとても嬉しそうだったし、何より――

「取って食われるから近付くなよ」
「猛獣じゃないんだから」

 今日は天藍も泊りに来てくれていた。きっと護栄が気を回してくれたのだろう。
 木々に囲まれた小屋でゆっくり過ごすのは、出会ったばかりの里を思い出してなんだか懐かしかった。

「水浴びはいつも川なんですか?」
「別にどこでもいいよ。この前は家の前でやったし」

 護栄はお手入れの謎を解明すべく目を大きく見開いているが、薄珂もそんな方法は知らない。
 期待には添えないと分かっているが、とにかくいつも通り水浴びの支度を始めた。立珂の服を脱がせて川岸に畳むと、自分も上だけ脱いで立珂を抱き上げた。

「よし、立珂行くぞ!」
「はあい!」

 薄珂と立珂は真っ直ぐ川に向かって走り、ばしゃんと飛び込んだ。ぶくぶく沈むとゆっくり浮き上がり、ぷはぁ、と立珂は顔をぷるぷると振る。
 立珂はばしゃばしゃと水を振りまきはしゃぎ出すが、川岸ではじいっと護栄が観察し続けている。

「湯じゃなくて水がいいのですか?」
「立珂の気分だよ。この前はお風呂で済ませたし。よーし立珂。わしゃわしゃするぞ~」
「はあい!」

 立珂は川岸付近の浅いところにうつぶせに寝転がった。水面でゆらゆらと羽が揺れている。
 薄珂は羽の中に手を入れ、わしゃわしゃと掻き回した。すると立珂は声を上げて笑い出す。

「きゃー!」
「わしゃわしゃー!」
「わしゃわしゃー!」

 きゃはは、と立珂は手足をばたつかせて喜び、薄珂はもっとだ、とひたすらわしゃわしゃと掻き回した。 

「石鹸で洗わないんですか?」
「うん。これはにおいを落としてるだけ。立珂の羽根は汚れないんだ」
「けど土に転がったりするだろ」
「でも汚れない。立珂の羽は土とか埃とか、物は付かないんだ」
「滑り落ちてしまうということですか?」
「うん。だからいつも綺麗なんだよ」
「それは有翼人が全員そうなのですか?」
「さあ。でも羽汚れてる有翼人て見たことないよ」
「……確かにな」
「羽は要調査」

 護栄は手元の紙に何やら細かく記録をしている。けれど、当の立珂はわしゃわしゃわしゃわしゃと歌いながら水と戯れている。
 しばらく立珂はきゃあきゃあと遊んで、数分してようやく川岸に座った。薄珂はそこに向かい合って座り、それと同時に立珂がきゅっとしがみ付いてくる。

「その羨ましい体勢はなんだ」
「わしゃわしゃしてもらう準備だよ」
「わしゃわしゃ?」
「よーし。じゃあいくぞ~」
「はあい」

 薄珂はもう一度立珂の羽に手を差し込むと、同じようにわしゃわしゃと掻き回した。すると、羽に含まれていた水がぱらぱらと落ちていく。

「それは何をしてるんですか?」
「水を切ってるだけ」
「抱き合う必要があるんですか?」
「僕が気持いいの。天藍はだめだよ」
「ちょっとだけ」
「お止めなさい。みっともない」

 もっと変わったことが起きると思っていたのだろう。護栄はつまらなそうな顔をして、それでも何か記録を取っていた。
 けれど薄珂としては腹に立珂が頬ずりしてくれているのが可愛くて、愛しいひと時だ。 

「よし! わしゃわしゃ終わり! 立っていいぞ」
「はあい!」
「うんうん。今日も立珂の羽はつやつやで綺麗だ」
「薄珂がわしゃわしゃしてくれるからね」
「じゃあ次は乾かさなきゃな。家戻るぞ!」
「はあい!」

 立珂を抱き上げ家に戻ると、ぴょんと薄珂の腕から降りて大きな団扇を取り出し薄珂に渡した。

「ん!」
「ありがと。じゃあ寝転がって」
「はあい!」

 立珂は布団を引っ張り出すと、羽を上にして寝そべった。まだ少し湿っていたので軽く掻き回すと、立珂の頭がゆらゆらと揺れ始める。

「寝ちゃっていいからな」
「はあい……」

 ほんの少しだけぽやぽやしていたが、数秒すると立珂はすぐにぷうぷうと寝息を立て始めた。
 おお、と護栄は立珂の寝顔を覗き込む。

「即寝ですね」
「可愛いでしょ。体力ないから水中は疲れるんだ。で、寝てる間に乾かして夕飯を作る」
「料理なら手伝いますよ。多少ならできます」
「いいよ。その代わり立珂扇いでてやって。軽く羽掻き回しながらそっとね」
「分かりました!」

 護栄はがしっと手を握って団扇を受け取るとぎらりと目を光らせた。
 まるで食いつきそうな顔つきだが、護栄は恐る恐るそうっと立珂の羽に手を伸ばした。指先が羽に触れると、おお、と感動してる。
 薄珂は毎日触れているが、初めて立珂の羽に触る人は皆感動して息を吐く。護栄は納品でいつも触っているから他の人よりは慣れているだろうが、背に生えている羽と抜いた羽は触り心地が違う。背に生えている方が何倍もふわふわで柔らかく、薄珂はそれ以上に気持ちの良いものは知らない。
 護栄も仰ぎながらその柔らかさに感動し、おお、おお、と言い続けていて、あの護栄も立珂の羽にかかれば子供のようで妙に可愛らしく思えた。
 二人が立珂を見てくれている間に薄珂は食事の用意をしていった。

「よし、できた。立珂、ご飯だぞー」
「んにゃ……」
「りーっか」

 ぷうぷうと眠っている立珂の頬をむにっと突くと、反射的に立珂は薄珂の指にしゃぶりついた。

「あむぅ」
「それは俺の指だそ、立珂。腸詰はあっちだ」
「腸詰!」
「お、起きたな」
「腸詰! 腸詰!」
「よしよし。じゃあ机出してくれ」
「はあい!」

 立珂はぴょんっと飛び起きると、ふんふんと興奮しながら隅に寄せている机を引っ張ってくる。
 狭いわけでは無いが、立珂は服を広げて遊ぶのが好きなのでできるだけ物を置かないようにしている。
 机もさして大きくなくて、二人でちょうどの大きさなので四人で囲むには少し小さい。そのため、今日は大皿に四人分を乗せて各自食べる分だけ取る形式にした。
 しかし、食卓に並んだ物を見て、護栄と天藍は目をぱちくりさせた。

「これが食事ですか?」
「そうだよ」
「腸詰~」

 並んでいるのは立珂の大好物である腸詰が二種類と茹でてある数種類の野菜、白米、そして豆腐のすまし汁だ。
 薄珂と立珂は森育ちということもあり、宮廷で出される高級な食事は口に合わなかった。彩寧に頼んで立珂が食べられる物を用意してもらっていたが、周りからは『そんなものでいいのか』としつこく尋ねられた。

「二人には地味だよね。でも俺も立珂も香辛料はあんまり好きじゃないんだ。そのままが一番良い」
「仕方なくこうしてるのわけじゃないのか? 美味いのか?」
「おいしい。お野菜好き」
「すまし汁の葱は大丈夫なのか? においするだろ」
「そのままはいや。でも薄珂が口移ししてくれれば食べれる」
「口移し?」
「立珂あーん」
「あーん!」

 薄珂はすまし汁を葱ごと口に含むと、ちゅっと立珂に口移しをして食べさせてやる。立珂はあむあむと一生懸命に口を動かし、こくりと飲み込んだ。
 今度は玉葱を口に含み少しだけ噛み砕くと、もう一度立珂に口移しをする。立珂は笑顔でもぐもぐと食べている。

「なんつー羨ましい食べ方だ……」
「何故急に口移しなんです」
「偏食対策。俺食べさせるってこういうものだと思ってたんだ。鳥獣人はこうみたいだよ」
「ちゅってしてもらうの好き。薄珂、人参もちゅってして」
「ん。あーん」
「あー!」

 ねだられるままに人参を軽く噛み砕き、口移しすると立珂は嬉しそうに笑った。この笑顔でもぐもぐと頬を揺らす姿が大好きで、至福の時なのだ。
 食事をしながら、立珂は朝起きてから何をするのか、どんなことが好きなのか、色々な話を聞かれた。
 どれも些細なことだったけれど護栄と天藍には珍しい話もあったようで、護栄は絶えず記録を取っていた。
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