第六話 危険の在処

文字数 2,970文字

 孔雀が朝早くから蛍宮へ買い出しに出て、見送った薄珂と立珂は天藍を連れて慶都宅へと戻っていた。正しくは、天藍の持つ様々な商品を見たくて来てもらったのだが。
 天藍は廃棄予定だという商品を譲ってくれて、立珂はそれと里の大人が持ち寄ってくれた端切れや紐を使って服や装飾品を作った。それをお洒落に使いこなす愛らしさを慶都は褒め称えるという、これが最近の二人の遊戯だ。そして昼食を食べ終わると、今度はお昼寝の時間になる。
「んにゃぁ……」
「あ、眠いな。おいで」
「ん……」
 慶都達と暮らし始めてから立珂は昼寝が増えていた。それは病気ではなく遊びすぎによる疲労だ。
 今まで運動らしい運動をしてこなかった立珂は体力がない。最初は心配だったが、食事量も増えふっくらとしていく姿は健康そのものだ。孔雀の作った献立通りに食事を用意してくれているからか肌艶も良い。
 薄珂は膝で眠る立珂の頬を撫でると、立珂は寝ぼけながらその手を掴んでぱくりとしゃぶりついた。
「腸詰ぇ……」
「それは俺の指だぞ立珂」
「腸詰っ!」
「痛い痛い! 放しなさい! 慶都!」
 慶都は立珂と同じ体勢で寝たいと言って父の膝枕で眠っていたが、寝ぼけ方も同じだった。だがその程度は激しくて、がぶりとかぶりつくと慶真の手にはくっきりと歯形がついて薄っすら血が滲んでいる。
「あはは。おじさん大丈夫?」
「ええ。まったく。立珂君くらい穏やかに昼寝してほしいです」
 立珂は羽があるせいもあるが寝相は良い。昼寝は膝枕で夜は二人で抱き合って眠る。いつでも薄珂にぺったりしがみついてぷうぷうと可愛らしい寝息を立てている。だが慶都は寝相が悪く、熟睡すると鷹に戻ってしまうことも多い。
 けれど慶真はくすりと微笑み、息子の頭をそっと撫でた。
「まあでも、平和になったからこそと思えば悪くはないです」
「平和じゃないところにいたの?」
「……そうですね。蛍宮にいたんですが解放戦争――現皇太子殿下が先代を打倒する時に逃げてきたんです」
「ふうん。全種族平等って本当?」
「ええ。今は穏やかな国ですよ。人間と獣人が協力して街中の警備をしてるから安全ですし。行ってみたいですか?」
「少しだけね」
 立珂の喜ぶ物があるというだけで興味はある。だがそれ以上に、父が生き延びて追いかけて来てくれているという希望を捨てたくなかった。
(あの状況で父さんが生きてるとは思えないけど、分からない)
 殺されこと切れた遺体を確認したわけではない。立珂を連れて逃げる薄珂を隠すように立ちはだかり、その背中を見ただけだ。
 それに逃げ場所はいくつも用意してあって、薄珂と立珂が逃げた崖はその一つに過ぎない。襲撃だけじゃなく自然災害や野生動物との衝突も少なからずあり、その避難場所は日常的な倉庫にしていた。食料や薬はある程度揃っている。どれかに逃げ込めば生き延びる事もできるだろう。
 けれど蛍宮が安全かどうかは別の話だ。立珂を連れて行って危険があるなら行くべきではない。迷いぐっと唇を噛んだが、呆れたような大きなため息が聴こえてきた。
「止めておけ」
「天藍」
「今は行かない方が良い。お前何が危険か分かってないだろ」
「人間には注意するよ」
「なら孔雀先生もか? 人間だぞ、あの人は」
「先生は良い人だよ。敵じゃない」
「そうだな。つまり注意すべきは種族ではなく個」
「え?」
 薄珂は天藍の言葉の意味を理解できずきょとんと首を傾げた。
 ここに来た当初は孔雀の事を敵だと思い治療するという手を振り払った。それは人間だったからだ。けれどその人柄を知り共に過ごす時間が増え、今では信頼できる数少ない相手になっている。
「仲良くなれる人もいるってこと? それは分かるけど、それと蛍宮がどう関係するの」
「何がどう危険になるのか理解してないなら味方のいない場所へ行くべきじゃないってことだよ。蛍宮は有翼人狩りをした国だぞ」
「でも今は平和なんでしょ?」
「それは慶真や孔雀先生がそう感じてるだけでお前もそう思うかは別だ」
「平和ですよ。だから皆孔雀先生が買って来てくれる品を使ってるんです。危険が無いと分かってるからです」
「だから、それはあんたの主観だろ。異種族だからとお前達を遠ざけていた里の大人の言葉を真に受けていいのか、薄珂」
「……じゃあどうしろっていうの」
「自分で決めるんだよ。そうだな、まずは蛍宮の歴史の話をしよう」
 天藍はにやりと笑みを浮かべ、両手の人差し指をぴっと立てる。
「宋睿と晧月は親子でも血縁でもないうえ皇族どころか蛍宮生まれですらない。本来蛍宮に無関係な赤の他人だった」
「そうなの? 普通子供が跡を継がない?」
「そうだな。だが宋睿は国を傾けた先々代皇を弑逆し皇の座を手に入れた簒奪者なんだ」
「え? それは今の皇太子じゃないの?」
「宋睿もなんだよ。彼はかつて救世主だった。二代に渡って簒奪者が支配者に立ったんだ。ただ悪政の撤退に繋がったから正義となっただけで実際はただの殺人事件にすぎない。これを平和な国だと思うか?」
 薄珂は何も即答できず、助けを求めるように慶真を見たがぱっと目を逸らされた。それは慶真ですら断言できないことがあるという証拠で、薄珂も眉間にしわを寄せて天藍へ疑いの目を向けた。
 けれど天藍は気にもしていないようで、顔色一つ変えずに立珂の羽を撫でた。
「そして有翼人狩りをしたのが宋睿だが、一体何のためにやったと思う?」
 口にもしたくない話題を出され、薄珂は天藍の手を立珂の羽から押しのけた。ぷうぷう眠る立珂をぎゅっと抱きしめ天藍を睨み付けたが、天藍はくすっと笑うだけだ。
「実は理由らしい理由は無い。敷いていうなら気に入らないかったからだ」
「は!? それだけ!?」
「そ。だが現皇太子は差別を許さない。有翼人狩り犠牲者の国葬を執り行い、毎年慰霊祭が開かれる。けど皇太子がそうだからといって国民全員がそうだと思うか? 獣人は獣人に優しい宋睿が良かったんじゃないか?」
「でも嫌われてたんでしょ?」
「その割合は? 解放に立ち上がったのがたまたま武力の高い者だっただけで、実は宋睿の世を望む人数の方が多かったかもしれない。だとすると国民は有翼人嫌いが多いかもしれないぞ?」
 突きつけられる言葉と勢いに呑まれ、薄珂は思わず身を引いた。天藍はくくっと笑い、再び立珂の羽に手を伸ばす。
「このまま里に籠るのも良いだろう。だが蛍宮に行けばいくらでもお洒落を楽しめる。いずれ服飾店を開くことも夢じゃない」
 立珂の手には作ったばかりの巾着袋が握りしめられている。縫い目は荒く引きつっているが、針と糸で何かを作るなんて今までには無いことだ。服を作るためにはどんな材料が必要か、何が欲しいかと語る言葉は寝言になるほど尽きない。それほど立珂は成長し、目まぐるしく変化している。だから天藍の持つ商品に興味を持ち、一つ一つに説明をねだる。その姿はまるで、この里では物足りないと言っているかのようだった。
 天藍は優しく立珂の頭を撫でると、鞄からまた新しい生地を取り出し傍に置いてくれた。きっと立珂はこれでまた新しい服を作るだろう。
「守ってやれ。弟も弟の未来も」
 それだけ言うと、天藍は部屋を出て行った。慶真はふうとため息を吐いていたが、寝ぼけている立珂はいつの間にか天藍の置いていった新しい生地を掴んでいた。
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