第十一話 知識

文字数 3,875文字

「長老様~!」
「おお、来たね立珂。伽耶。立珂が来たぞ」
「用意してあるよ! 二人ともこっちおいで!」
「うん!」
 薄珂は立珂と慶都を連れて長老を訪ねていた。天藍の言うとおり、文字の読み書きを習うためだ。頼んだら快く引き受けてくれて、孫娘の伽耶が着なくなった服を立珂にくれるという。
 伽耶は立珂と慶都を連れて居間へ行くと、床にも壁にもずらりと服が並んでいた。壁に掛けられているのは薄く透き通る生地で、窓から差し込む陽の光できらきらと光の粒子が輝いた。服のようではあるが、薄珂にはどう装着するのか分からなかった。けれどわずかな風でひらひらと揺れる軽やかさは思わず息を呑む美しさだ。
「すすすすすすすてきぃぃぃ! 薄珂薄珂! あれ見たい! 壁の! 桜色のきらきら!」
「ああ!」
 手足をばたつかせる歓喜ぶりに薄珂も嬉しくなり、小走りに立珂が示す生地の目の前に行く。立珂は手触りを確かめて、広げ始めたので床に降ろしてやる。伽耶はいそいそと裁縫道具を取り出し立珂の傍に置いてくれた。
「子供の頃は南にいたんだけど、その頃のよ。でも里は小さい女の子いないし。誰も着ないのよ」
 小さくなった服は他の子供がお下がりとして着るが、引き取り手がいない場合は捨てるしかない。特にこの里は女児が少ないので伽耶のように成人女性が使っていた服は使われず埃をかぶる。けれど立珂にとっては宝の山で、早くも鋏を入れ始めている。色の合わせやお洒落について語る相手がいて嬉しいようだった。
(よかった。立珂は可愛いけどお洒落ってのはよく分からないんだよな俺)
 立珂がお洒落へ夢中になり分かったのだが、薄珂はお洒落というものに全く興味が無かった。説明されても立珂と対等に会話をすることすらできず、できる事と言えば立珂を褒めることくらいだ。お洒落談義は広場で女性陣とする方が楽しいようで、同じ目線で遊んでくれる伽耶のような相手がいるのはとても有難かった。
 笑顔ではしゃぐ立珂を見つめていると、長老もほほっと嬉しそうな笑いをこぼしてからぽんっと薄珂の背を叩いた。
「薄珂は文字の読み書きだったな」
「うん。名前くらいは書けるけど難しいのは全然分からなくて」
「なるほど。なら本を読みながら勉強しよう。ついでに色々な知識も得られる」
 長老は本棚から幾つか本を取り出し立珂達が見える位置に座った。最初に広げてくれたのは両手で持つほど大きな本で、文字よりも絵が多い。枚数も少ないので厚みもあまりなかった。
「絵本?」
「ああ。この辺りの伝承を書いたもので、天女が人間の男と恋に落ち仙力で国を作った話だ」
「……へー」
「ははは。これは伽耶が幼い頃好んでいた絵本だ。持って帰って立珂と読みなさい。服が可愛いから立珂も楽しいだろう」
「ああ、うん。有難う」
「男の子は武勇伝のような話がよいだろう」
 長老はもう一冊の本を薄珂の前に置いた。重厚感ある赤い表紙には金の文字で『極北明恭公吠伝』と書かれているが、とても分厚くて絵は一つも入っていない。
「……いきなり難しいね」
「ははは。これは『きょくほくめいきょうきはいでん』と読む。明恭は知ってるか? 一億人ほどが住む寒い国だ」
「ちょっとだけ聞いた。凍死する人がいるって」
「そう。軍事的成果を残せない貧困層は年間で三千人以上が凍死していたという。でも今はそれも無くなった。どうしてだと思う?」
「夏になったから?」
「いいや。明恭は年中極寒。寒さが納まる日などない。ある物を使うようになったんだ」
「……分かんない」
「はは。正解はあれだ」
 長老は視線を本から居間へ移した。そこでは立珂がたくさんの服を広げている。端切れや紐類が所せましと広がっていて片付けが大変そうだ。
「あ、服を変えたんだ」
「そうだ。それもある特殊な材料を用いた特別な服だ。何を使ったと思う?」
「すごく分厚い生地?」
「いいや。もっと身体の中から温まる最高級の素材だ」
 長老はほんの少しだけ眉を下げて苦笑いをすると、再び立珂に視線を移した。
 相変わらず立珂は服ではしゃいでるが、その横で慶都は団扇で立珂を仰いでいる。何をするにも汗をかく立珂のために自ら持ち歩くようになったのだ。まだ温かいとはいえ、普通であれば汗をかくことはない。汗をかいているのは常に羽を背負っている有翼人の立珂だけだ。
「……まさか、有翼人の羽根?」
「正解だ。有翼人の羽根は綿や動物の毛よりはるかに暖かいそうだ。羽根家財と防寒具のおかげで平均寿命が五十歳前後から八十歳にまで伸びた」
「そんなに!?」
「ああ。だが羽根を得るため違法の人身売買も増え問題も多かった。だが今はそれも規制され犯罪は激減した。これを成したのが現明恭皇の公吠(きはい)様だ。軍事国家でありながら政治力のみで解決した。それでも武力が衰える事はなく世界の重鎮であり続けている。これはその武勇伝だ」
「へえ。じゃあ公吠様は軍事国家を止めたいんだ」
「うん? そうだが、何故そう思う? 武力は衰えていないんだぞ」
「だって、理由はどうあれ流れは蛍宮と同じだよね。先代に問題があるから新しい人が立った。迫害されたのは、蛍宮じゃ有翼人だったけど明恭では『軍事的成果を残せない貧困層』だ。国にいらない人の寿命が延びたって誰も褒めないよ。けどそれが本になるほど凄いことだって認められたのは明恭の歴史を覆したってことだよね。軍事国家は駄目だって思ったんだよ」
「だが止めたいとは限らんぞ。改善して続けるかもしれん」
「続けないよ。だってこの本続きあるから」
 薄珂は長老が本を取り出ってきた本棚を見た。そこには『新極北明恭公吠伝』という続編の三巻まで並んでいるが、表紙の色は白で文字は銀色に変わっている。
「全然違う本みたいだけど続きなんだよね。きっと予想外に書くことが増えたんだ。それも表紙を一新するほど今までとは全く違う内容で。国を救った先にあるのは国民の生活を守ることだよね。続編は政治の話になるんじゃないかな。だから長老様も防寒具の説明にこの本を選んだんじゃないの?」
 薄珂は思った事をぺらぺらと話し、きょとんと首を傾げた。長老は目を見開いて驚愕を顕わにしている。
「あれ? 違う?」
「……正解だ。それをこの一瞬で考えたのか?」
「考えたっていうか、蛍宮がそうだし。先代皇を倒した現皇太子は全種族平等って言ってるけど、国民も従うかといったらそうじゃないって天藍言ってたよ」
「なるほど」
 長老はゆっくりと口角を吊り上げ、本棚から『新極北明恭公吠伝』の三巻全てを取り出し積み上げた。合計四冊、全て読むにはとても一日では足りない。文字を学びながらの薄珂ではいつまでかかるか予想すらできない。
「明日から昼過ぎにおいで。読みながら文字を教えてやろう」
「いいの!?」
「ああ。子供の成長を導くのは大人の役目だ。それに立珂も一日じゃ遊びつくせないだろう」
「有難う! じゃあ明日から来るね!」
 ようやく師を得て薄珂はぱあっと笑顔になった。しかしそれと同時に居間からきゃあという、悲鳴とも思える立珂の大きな声が上がった。
「立珂!?」
 何かあったのかと、薄珂は本を放り捨てて居間へと駆け込んだ。すると立珂は満面の笑みを浮かべ、両手で紫色の何かを抱きしめていた。抱きしめているのは服ではなく、植物のようだった。
「びっくりした。どうしたんだ立珂」
「いいかおりなの!」
「香り?」
 立珂が持っているのは細長い植物で、紫色の小さな花がたくさん付いている。立珂は紫の束にぼふっと顔を突っ込んでその香りを嗅いだ。くんくんと嗅ぐ姿は愛らしくて、伽耶はそれを愛でながら立珂を撫でている。
「気に入ったみたいだね」
「これ何?」
「薫衣草(くんいそう)よ。湖のあたりに咲いてるの。一束あげるから家に飾りなよ」
「有難う。立珂、もらったぞ」
「ありがとう! くんくん!」
 それからしばらく立珂は薫衣草を抱きしめていた。しかし少しすれば心地良い香りのおかげかこと切れるように昼寝をし始めてしまう。数えきれない服と生地に埋もれていて、目覚めるまで薄珂は長老に本を読んでもらった。夕方になるとようやく立珂は目を覚まし、明日もまた来ると約束して帰宅した。
 夜も更けて寝台に入ると、立珂は伽耶に貰った薫衣草の束を抱きしめたままだった。
「立珂。それあっちに置いておこう」
「やだ。持ってねたい」
「そこまで? よっぽど気に入ったんだな。じゃあ何かに包むか。布団汚れちゃうからな」
 薄珂はもう着なくなった森から着て来た袍を引っ張り出し薫衣草を包んだ。立珂は嬉しそうにそれを抱きしめると、ようやくころんと横になった。それでもずっとくんくん嗅いでいる。寝る間も手放すのが惜しいなら明日も一日持っているだろうが、強く抱いているせいか薫衣草はもう元気がない。
「首から下げる袋作るか? 匂い袋にすればいつも持ってられるだろ」
「作る! 作る作る! 袍に合う色がいいな。共布もいいかな!」
「共布ってなんだ?」
「同じ生地! 服と同じ生地で作ればおそろいになるでしょ」
「ああ、なるほど。立珂はどんどん頭良くなるな。凄いな」
「んふふふ。薄珂のも作るね」
「お揃いだな」
「おそろいだよ!」
 立珂はぐりぐりと薄珂に頬ずりをした。二人の身体の間から薫衣草の香りが溢れている。大好きな服と薫衣草、新たなお洒落に思いを馳せて立珂はにまにまと笑いながら眠りについた。
(今度咲いてるとこ見に行ってみるか)
 立珂はぷうぷうと穏やかな寝息を立てている。それは今までと変わらないけれど、未来の可能性は立珂の中でどんどん大きくなっていた。
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