忌魔島奇譚 その十二(挿絵)

文字数 1,819文字

 覇気の顔には、どす黒い憎悪のほむらが浮かんでいた。
 兄弟を殺された恨み。
 それは人間の龍郎にも理解できる感情だ。
 人魚は人ではないが、でも心までモンスターではないのだとわかった。
 彼らにも人と同じ心があると。

「覇気。あんたの弟を殺したことは悪かったよ。でも、殺そうと思って殺したわけじゃないんだ。おれは自分の力でをコントロールできない」
「そんなの言いわけだろ」

 覇気の姿は動いたように見えなかった。だが、覇気の立つあたりから、何かがすごい速さで飛んでくる。
 触手だ。大きな吸盤のついた太い触手が、長い腕のように伸びてきた。

 龍郎は木のかげに入りこみ、かろうじてそれをさけた。
 しかし、触手は一本ではない。次々に前から後ろから襲ってくる。いつのまにか足元に這いよっていた触手に足首をつかまれていた。ズルズルとものすごい力でひきずられていく。
 かたわらの木の幹に頭部を打ちつけそうになって、あわてて体をひねった。それでも触手をふりはらうことはできない。あえなく覇気の前まで引きよせられた。

 冷たい目をして、覇気が見おろしている。

「ほんとはもっと苦しめて、指の一本一本から始めて寸刻みにしてやりたかったんだけどな。まあいいよ。おまえの大事な人が、我らの父に犯されながら喰われるさまをながめて、歯がみしつつ、こときれるがいいさ。ほんのちょっとだけ急所は外しておく」

 黒い陰影に染まる覇気のおもてのなかで、両の目が赤く光った。
 たくさんある触手のなかの一本が、覇気の頭よりさらに上へと、高く高くあがる。蛇がかま首を持ちあげるように、獲物を狙いすましている。
 狙いは、龍郎の心臓だ。

 射すくめられたように、龍郎は動けなかった。いや、動きじたいが他の触手に、がんじがらめに締めつけられ、封じられていた。

「やめろッ! おまえの弟を殺したのは僕だ。やるんなら、僕を殺せ!」
 青蘭が叫ぶ。
 しかし、青蘭も杭に縄を固定され、身動きがとれない。
 覇気はチラリと青蘭をいちべつし、皮肉に口元をゆがめた。
「おまえは自分の心配でもしてろ。今夜も楽しい夜になるだろうよ」

 青蘭が歯がみするのが見えた。
 昨夜の屈辱を思いだしているのか。
 青蘭にそんな思いを味わわせていることが、龍郎は悔しかった。青蘭を守ると言いつつ、こんなにもあっけなく倒れていく自分が不甲斐ない。

(ごめん。青蘭。やっぱり、牢屋での力はたまたまだったんだな)

 あのときは青蘭を助けたい一心で無我夢中だったから。
 ほんとうに龍郎の力だったのかどうかも怪しいものだ。青蘭の体内の玉の力だったのかもしれない。

「すぐにあの世で再会できるさ。安心しな」
 覇気は言って、高く持ちあげた触手をふりおろした——

 その瞬間、何かが龍郎の上に覆いかぶさってきた。龍郎の胸に生ぬるい飛沫(ひまつ)がとびちる。頰に伝いおちるしぶきを感じながら、龍郎は呆然と、それを見つめた。
 自分の体を盾にして、覇気の触手を受ける繭子の姿を。



「義姉さん……」

 繭子は微笑を浮かべ、龍郎を見おろす。その目に、ひとすじの涙が光った。
「さよなら。龍郎さん」

 覇気の触手に腹部をつらぬかれたまま、繭子は覇気もろとも湖に身をなげた。湖面に真っ赤な血の輪がひろがる。ブクブクと泡がたち、やがて消えた。

「義姉さん……」

 人魚も人間も、血の色は同じ。
 義姉は真実、龍郎を想ってくれていたのだろう。

(さよなら。繭子。かつて愛した人)

 悲しんでいるいとまはなかった。
 早く青蘭や生贄の娘を助けて、ここから逃げださなければ。
 龍郎は急いで立ちあがり、青蘭にかけよった。
「青蘭!」
「龍郎さん」
 一瞬、強く抱きあう。
 しかし、すぐに離れて、青蘭の手首を縛るロープをほどく。

「君たちも早く逃げるんだ。海岸にある入り江で救助を待つといい」
 木の杭をけりたおし、とりあえず女たちを自由に移動できるようにした。両手が使えないのは不便だろうが、一人ずつ、ほどいている時間が惜しい。

 一つの杭に三、四人ずつがつながれていた。四つめの杭を倒していたときだ。
 あぶくのおさまっていた湖面が、ふいにまた煮えたつように泡立った。
 何かが近づいてくる。
 深い水底から。
 恐ろしく巨大な何か——

 龍郎も、青蘭も、女たちも、そこにいる全員が湖を見つめた。
 予測もつかない何かが始まることを、本能的に悟った。

 やがて、水面が山よりも高く盛りあがる。湖全体が一つの生物のように膨張し続ける。

 

が、現れた。
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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