緋色ひとひら 終章

文字数 2,365文字



 次の瞬間、龍郎はどこか地面の上に体をなげだされた。急速に水がひいていく。

 足元に何かが転がっている。血糊(ちのり)のような水を吐きだしながら、見ると、それは小人サイズの生首だ。武者や町人や男や女や、あきらかに鬼っぽいのや、リアルなミニチュアの生首が、あっちにもこっちにも散乱している。

 宿屋の中庭だ。椿の咲き乱れていた中庭に、自分は倒れているのだ。

 くくく——と、どこかで笑い声がした。

 龍郎は声のしたほうをあおぎみる。
 椿の木の枝に、女がすわっていた。どう見ても折れそうな細い枝に、まるで鳥のように足裏をつけて、しゃがみこんでいる。真紅の長襦袢(ながじゅばん)がたれさがり、鳥の翼のようにも見えた。

 宿の案内をした、あの能面のような古くさい顔立ちの女だ。だが、なぜだろうか? 女を見た瞬間、龍郎はそれが冴子だとわかった。

「冴子さん!」

 龍郎が呼びかけると、女は不思議そうな顔で見おろした。

「あんた、それ、さっきも言ってたね?」
「だって、冴子さんだろ? さっきは迷ったけど、今は断言できる。死んだんじゃなかったのか?」
「……変ねぇ。なんで、バレたんだろう? あたしの化身は完璧なのに」

 女の顔が変化する。
 龍郎の見ている前で、くりっと大きな瞳の現代風のおもてに変貌していった。しかし、冴子の姿だったのも一瞬だ。次の瞬間には、また別の姿へと移っていく。冴子に似ているが、さらに彫りの深い目鼻立ちと、褐色の肌、白い髪の美女だ。西洋人のようでもあり、東洋人のようでもある。

「冴子……さん?」
「それ、仮の姿だから。見てわかるでしょ? 別に名のる必要はないんだけどさ。あたし、けっこう、あんたのこと気に入ったのよね。だから、特別に教えてあげる。あたしは、ルリム。ほんとはもっと発音しにくいから、それでいいわ」
「なっ……まさか、あんたも悪魔だったのか?」

 ルリムは肉感的な唇を微笑の形にひきあげる。

「あたしはね。門の番人。だから、この子はもらっていく」

 いつのまにか、ルリムは青蘭を腕に抱いていた。青蘭の肌は死人のように青ざめ、ぐったりとして気を失っているようだ。

「青蘭!」

 龍郎の呼びかけに、ほんのり眉根をよせ、何事かつぶやくように口を動かした。

 生きてはいる。

 しかし、ほっとしたのも、つかのま、ルリムが枝の上につま先立ちになると、緋色の長襦袢が赤い翼に変わっていく。ルリムは青蘭をかかえたまま、翼を広げ、いずことも知れぬ暗闇へ飛びたった。

「青蘭! 青蘭ァーッ!」

 手を伸ばすが、その手は虚しく空をつかむ。

 ルリムは哄笑(こうしょう)をあげながら遠ざかり、やがて闇に溶けるように見えなくなった。

「青蘭……」

 気がつけば、龍郎は一人ぽつんと、温泉街のまんなかに立ちつくしていた。坂道を見つけたあたりだ。そこにあったはずの坂道は、どこにもない。

「青蘭……青蘭! どこにいったんだ? 青蘭!」

 龍郎は必死に温泉街のなかをかけまわり、青蘭の姿を探しもとめた。だが、どこにもいない。わかっている。青蘭はさらわれたのだ。深く暗い闇の底に。悪魔たちの手から奪いとり、ようやく光のなかへつれだしたのに、ふたたび暗闇へとつれさられてしまった。

(おれが……手を離したからだ。あのとき、どんなに苦しくても離すんじゃなかった。たとえ姿形が違って見えても、幻覚だったかもしれない。ルリムがおれをごまかすためにかけた魔法だったのかも。ずっと手をにぎっていれば……)

 悔やんでも悔やみきれない。
 龍郎が後悔と自己嫌悪に苛まれているとき、背後から声がした。

「龍郎くん。探したよ」

 フレデリック神父だ。
 今度こそ、本物のようだ。

「フレデリックさん……」
「まったく、君たちはしょっちゅう、あちこちに移動して困るよ。追いかける身にもなってくれ。ところで、青蘭は?」

 龍郎は弱りはてていたので、素直にさきほどの一件を打ち明けた。
 神父は端正な顔をしかめながら、黙って聞いていた。龍郎が話しおわると、ゆっくり口をひらく。

「地獄の風景。それに、門の番人……おそらく、それは魔界への入口を守る番人のことではないかと思う」
「そう……か。だから、いつもの結界とは違う感じがしたのか。あの世とこの世の境だと、青蘭は言っていた」

 神父は龍郎のおもてを見直し、問いつめる。

「青蘭をさらわれたんだな? 君は敵が逃げていくのを見送った」
「…………」

 しかし、あのとき、ほかにどうしようがあったというのだろう。不可抗力だったと思う。だが、反論はできなかった。青蘭を守りきれなかったのは事実だ。

(どんなことがあっても離さないと誓ったのに。どこにも行かないと……なのに、こんなすぐに青蘭を……)

 歯がみしていると、神父が刺すような語調で告げる。

「では、君には我らの一員になってもらおうか」
「えっ? なぜですか?」
「青蘭を助けに行きたいんだろう? 君には我々の組織の力が必要だ」

 そう言われると、まさしくそのとおりだ。龍郎個人の力では、どうにもできない。魔界へ行けばいいと言ったところで、その方法がわからない。

 しかし、彼らの組織がしつように龍郎や青蘭を誘うのには、おおっぴらには言えない目的があるはずだ。おそらくは賢者の石の所有権に関して。龍郎や青蘭から、それを譲りうけたいのだと考えられる。

「それは、断る。おれは青蘭が『うん』と言わなければ、同意しない」

 フレデリック神父は肩をすくめた。

「しかたない。では、とりあえず、我らのリーダーに会ってくれるね? 君がリーダーを説得できたら、組織の総力をつくして手助けしてやろう」
「わかった」

 そう言うしかなかった。
 とにかく、今、青蘭がいる場所まで行かないと。行って、約束を守らないと。

(青蘭。待っててくれ。必ず、必ず、君を助ける)

 龍郎は叫びだしたい衝動を抑えることができなかった。




 第三部 完
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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