スーツケースの男 その二

文字数 1,841文字


「あれ? 慧那(けいな)は?」
「え? 知らない」
「どこ行ったの?」
「ほんとだ。どこ行ったんだろ?」

 女の子たちも、とつぜん消えた友人に戸惑いを隠せない。

 電車のなかに人間が一人、隠れていられるような空間はない。小さな子どもでさえもだ。
 特急のような横ならびのシートなら、あるいは座席のあいだに身をふせたとも考えられるが、オープンな各駅停車の車両では、そういうわけにはいかない。

 何かが、おかしい。
 少女が一人、瞬間的に消失した。

 なんとも言えない気味悪さが背筋を這いあがる。
 龍郎はわけがわからず、警戒心だけをつのらせながら、あたりを見まわしていた。

 すると、シュッと黒い紐状のものが伸びた。
 女の子がまた一人、消える。

「やだ。茉莉花(まりか)もいなくなったよ?」
「ええー! なにコレ?」
「ドッキリだよ。二人とも、どっかに隠れて見てるんだよ」

 ドッキリ? 隠れる?
 そんなことが不可能なことは、となりで見ていた龍郎にはよくわかる。

 寒気が強くなる。

 そのとき、龍郎は気づいた。
 あの男が笑っている。
 大きなスーツケースをかかえた男だ。伏し目がちに床を見ながら、薄笑いを浮かべていた。

(なんだ? あの男?)

 まさか、あいつが女の子たちに何かしたのだろうか?

 龍郎は男のようすをじっと観察した。
 しかし、さっきも見たとおり、どこと言って異常なところはない。少しくたびれた感じの普通の中年サラリーマンだ。着ているものも、どこにでもある背広だし、スーツケースがちょっと大きいが……。

 視線をおろしていった龍郎は、ギョッとした。
 わずかにスーツケースがひらいて、そのスキマから何かがのぞいていた。赤い目のように見えた。が、一瞬で、それは消えた。

 目の錯覚か。
 妙なことばかり続いて、神経質になっているのかもしれない。
 いったい、どうやったのか知らないが、女の子たちは、きっとマジシャンの卵なのだ。手品クラブか何かで練習した消失マジックで、友達をからかっているに違いない。

 龍郎は「ふう」っと吐息をついて、深々と座席の背もたれに背中をあずけた。

 両目をとじて、目頭のあたりをかるく、もんだ。
 そのときだ。
 とつぜん、耳元で「キャアアアッ」と悲鳴があがった。

 あわてて目をあけると、女の子が黒い毛むくじゃらの腕につかまれて、中年男のスーツケースのなかに引きこまれるところだった。

 女の子を飲みこんだスーツケースは、バタンと派手な音を立てて閉まり、まるで咀嚼(そしゃく)するかのように蠢動(しゅんどう)した。ザキザキザキ、バリンバリンと、かみくだくような音も聞こえる。

(な——スーツケースが……)

 スーツケースが、女の子を喰った!

 体が硬直して動けない。
 目を離すこともできない。

 つかのま、スーツケースは心臓の鼓動のような動きで縮んだり拡がったりしながら、イヤな音を立てていた。やがて、じわっと、その底から血がにじみだす。

 龍郎は周囲の人間をながめた。
 なぜ、誰もさわがない?
 龍郎と同じように、おどろきすぎて声も出ないのだろうか?

 しかし、みんな落ちついていた。

 電車の振動にあわせて揺れながら、コクリ、コクリと舟をこぐ老人。
 胎児と対話しているかのように半眼でお腹をさする妊婦。
 ゲームに夢中の中学生。

 誰も気づいているようすがない。
 女子高生たちでさえ、いなくなった友人のことをすでに話題にしなくなっていた。

「明日、一時間めから体育だっけ? たりぃ」
「数学、宿題あったよね? 写させてくれる?」
「いいよ。ローソンのロールケーキおごって」

 なんて言っている。

 すると、あのサラリーマンが立ちあがった。
 スーツケースを大きく開く。
 なかに獣でも入っているのかと思ったが、カラだ。
 ひきずりこまれたはずの女子高生も見えない。

 カラッポの大きなスーツケース。
 なぜ、男はそんなものを後生大事に持ち歩いているのだろうか?

 ——と、スーツケースの内側の赤い布が急にふくらんだ。
 長く伸びて、男の向かいにすわる老人をつかんだ。
 ベロンと、舌のような動きでスーツケースのなかへひきこむ。

 バタンと閉じて、また、あの咀嚼の音がした。

 もう、まちがいない。
 スーツケースが人間を食べている。

 龍郎の体がふるえだした。

 ガリガリ。バリバリ、バリン!

 またたくまに、残りの女子高生二人と妊婦が喰われる。
 それでも、誰も叫び声をあげない。
 男やスーツケースを見ようともしない。

 みんな、いったい、どうしてしまったのか。
 誰もこの恐ろしい凶行に気づいていないのか。
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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