天使と悪魔 その五

文字数 2,463文字



 あれ? この音、聞いたことがあるなと、龍郎は思った。

 テケリ・リ! テケリ・リ! テケテケテケ……。

(あっ! ショゴスだ。清美さんの持ってるショゴスが、こんなこと、つぶやいてた)

 この室内のどこかにショゴスがいるのだろうか? ショゴスはクトゥルフの邪神たちに仕える奉仕種族だ。それが、なぜ、こんなところに?

 気になって、声のするほうへ歩いていく。棚が並んでいて奥のほうは見通しが悪い。壁ぎわまで歩いていくと、その声はひときわ大きくなった。

 テケリ・リ!

 まるで「こっちだよ」と言われているようだ。

 その声に導かれるように、最奥部にある棚の前に立った。誰かに優しく手をにぎられるような感触があった。そこに、キラキラと輝く鳥の羽が一枚、瓶に入れられていた。星のまたたきのようにきらめく羽だ。たえず銀粉をあたり一帯にまきちらしているように(まばゆ)く輝いている。

 龍郎はその光に惹かれた。
 説明のつかない郷愁を感じた。
 青蘭を初めて見たときの心地にも似ている。

 無意識に手を伸ばしていた。
 龍郎がその瓶にふれた刹那(せつな)、ガラスは粉々にくだけちった。
 青白く光をふりまく羽が龍郎の熱にふれて、あわく雪のように溶けていく。溶けながら、多くの情報を龍郎のなかに流し入れてきた。

 とても短い一瞬だが、その瞬間、龍郎は現実とはまったく異なる映像を見た。それは、言わば“羽”の記憶だった。


 宇宙の景色が透けて見える不思議な宮殿のような場所で、大勢の天使たちが暮らしている。その風景。まぎれもなく天使の国だ。

 純白の肌と純白や白銀の髪、青や(みどり)の瞳の背の高い人々。背中に翼がある。いや、翼に似た器官なのかもしれない。光り輝くことで言葉にしなくても感情を表すことができる。
 とても美しい。

 そのなかで、ひときわ眉目秀麗な天使がいた。プラチナブロンドの巻毛とグリーンの瞳の天使。天使たちはどれも性別がわからないくらい麗美だが、彼の端麗さは群をぬいている。あまりに麗しいので、何か不吉な予兆にさえ思えるほどだ。

 彼には悩みがあった。
 いつも憂いていた。
 なぜなら、彼は——

 とつぜん、映像がとぎれた。
 めまぐるしく乱気流のように渦をまく。映像のスパイラルのなかで、多くの破滅的なものを見た。

 大戦。英雄の死。メシアの卵。ラグナロク。ラグナロク。神々の終焉(しゅうえん)

 そして、堕天した彼は肉体と魂を二つに裂かれ、追放の地にて深き眠りにつく。とこしえの愛をささやきながら……。


「おい? 龍郎くん?」

 肩に手を置かれ、声をかけられて、龍郎は我に返った。それでも、しばらく、自分でも意味不明な言葉の羅列が脳裏にあふれてきたが。

「多くの同胞の血と肉を吸い、やがてそれはメシアの卵となる。我ら原初のひずみを正さんがため。大いなる(けが)れし母を超越せし者をここに召喚する。二つの玉の完全となるとき、そは訪れる……またの名を苦痛の玉、快楽の玉。すなわち、汚穢(おわい)の母の右の目、左の目。過去と未来を映す瞳なり」

「龍郎くん? どうしたんだ? 正気か?」

 強くゆさぶられて、龍郎は心配げな表情のフレデリック神父に気づいた。同時に湯水のごとく流れでてきた言葉が、パタリと止まる。神の啓示はすぎさってしまった。

「……いえ、なんでも……ありません」

 なんでもないわけではなかったが、説明しがたい。まだ体がふるえる。
 誰かの記憶をむりやり詰めこまれて、頭がパンクしそうだ。

 ふらふらしながら、龍郎はフレデリック神父についていった。

「青蘭を助けに行くんだろう? しっかりしたまえ」
「ええ。そうですね……」

 冴子が龍郎の顔をのぞきこんでくる。
「龍郎。気分悪いの?」
 言いながら腕をくんできた。
 しかし、抵抗できない。

 そのまま、診療所を出ていった。
 最上もついてくるが、止める気力もなかった。

「龍郎くん。どこへ行くつもりだ?」とたずねてくる神父に、
「青蘭が火事にあった屋敷に」
 ひとこと返すのが、やっとである。

 それほど大きな島ではないが、中央が山になっている。迂回していくと、一時間ばかりもかかった。ちょうど診療所から対角線上の位置に、屋敷跡はあった。

 屋敷跡……とは言え、ほとんど何も残っていない。黒く(すす)けた壁が、さも瓦礫(がれき)然と荒地につき刺さっている。天井は崩れおちていた。散乱したガラスの破片。その破片も溶けくずれている。火事のすさまじさを語るには充分すぎるほどの景観だ。

「青蘭……」

 まだ頭のなかに誰かが話しかけてくるような圧迫感がある。
 あのブツブツとささやくような声が。
 激しい頭痛とめまいに耐えながら、龍郎は冴子に支えられて歩くのがやっとだ。が、青蘭の姿を必死に探す。

「青蘭。どこにいるんだ? 青蘭?」

 瓦礫のなかへよろめいていく。
 玄関のファサードは少し原形をとどめている。玄関をくぐると、広いホールだ。クラシカルな洋館の形をしていて、花模様のレース編みのような手すりのついた螺旋(らせん)階段が一部だけ溶け残っていた。しかし、二階から上はすべて崩れている。

 廊下は壁が倒れて完全にふさがれていた。今では地面を覆って草が生えている。

「青蘭? 青蘭! 返事をしてくれ」

 ようやく、一階の奥まったあたりで、うずくまる青蘭を見つけた。
 おそらく、そこはかつて子ども部屋だったのだろう。黒くただれた壁紙に星の模様が見える。

「青蘭」

 ほっとして、龍郎は歩みよった。
 だが、青蘭が龍郎を見て安堵したのも、つかのま。すぐに険しい表情になる。

「青蘭?」
「……やっぱり、そうなんだ。龍郎さんもいっしょだ。みんな、嘘つき」

 みるみるうちに涙がこぼれおちてくる。

「青蘭」

 龍郎が手を伸ばそうとすると、あとずさる。どうやら、冴子に腕を組まれた龍郎を見て、勘違いしたらしい。龍郎はあわてて、冴子の手をふりほどいた。

「違う。これは、誤解だ。今ちょっと気分が悪くて——」
「嘘つき!」

 ひきよせようとする龍郎の手と、つきはなそうとする青蘭の手がかさなる。

 その瞬間、何かが起こった。
 二人のあいだから閃光が走り、それは島全体を包みこんだ。



 了
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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