序章

文字数 2,098文字



 山ぎわに沿うように、雑木林に囲まれた日本家屋が見えてきた。
 空き家を二百万で買った我が家だ。帰路の道中で清美に電話をかけたので、リフォームもすっかり完了したと聞いていた。あとは龍郎と青蘭の荷物を移してくるだけだ。

 龍郎はその家の庭に軽自動車を停車させながら、ため息をついた。
 今度ここに帰ってくるときは、必ず青蘭と二人だと決意して出発した。その場所に、けっきょく、龍郎一人で帰ってくることになるとは。

 とは言え、厳密には一人ではない。
 後部座席に、フレデリック神父が乗っている。ただ、それがつれ帰る予定の人とは違うというだけだ。
 助手席には、またもや青蘭の溺愛するユニコーンのぬいぐるみが、さみしげに転がっている。

 龍郎は青蘭を見失った黒川温泉に残って探すと言ったのだが、神父がここにいても青蘭は永遠に見つからないからと、帰宅を勧められた。

 そう。わかっている。
 青蘭がこの瞬間、地球上のどこにも存在していないということは。
 青蘭がつれさられてしまったのは、この世ではない場所。地獄だ。ルリムという女の悪魔にさらわれた。

 青蘭が今、どんな境遇にいるのか、無事なのかと考えると、いてもたってもいられない。
 ほんとうは今すぐに追っていきたい。だが、その方法がないから、しかたなく、神父の意見に従ってきた。なぜ、神父が帰宅を勧めたのかは、玄関の引戸をあけたとたんにわかった。

「おかえりなさい。龍郎さん。あれ? 青蘭さんは? お二人にお客さまが来られてるんですけど」

 玄関まで出迎えてくれた清美を見て、龍郎は不思議にも安堵をおぼえた。少し泣きたいような、甘えたいような、その気分は、まるで姉に対するものだ。清美に、いつのまにか家族のような心安さを感じていたのだろう。

 龍郎は泣きたいのをこらえ、つらい報告をした。

「……ごめん。清美さん。青蘭は、つれて帰ることができなかった。一度はとりもどしたんだけど」
「そうなんですね。あの、お客さまは、どうしますか? 帰ってもらいますか?」
「どんな人?」

 急に清美の目の色が変わった。
「めちゃくちゃ美形です! 青蘭さんと同じくらい! こっそり写真撮ったら怒られますかねぇ……?」

 忘れかけていたが、そうだった。
 清美はただ優しく清らかな女性ではない。腐っているのだった。美青年を勝手に妄想の餌食(えじき)にする腐女子。もちろん、龍郎と青蘭はかっこうの妄想の的だ。

 なんだか、龍郎は悩んでいるのがバカバカしくなった。青蘭を誘拐されてしまったことは悔しいが、いつまでも嘆いているだけではいけない。今こそ心を強くして、青蘭の救出に全力をそそがなければならないと思い立った。
 清美には、こんなところがある。存在じたいに他人を励ます力が備わっている。

「ありがとう。清美さん」
「えっ? 何? 写真、撮ってきましょうか?」
「いや、それは無断でやったら怒られると思う。いいよ。大事な用事かもしれないし、客に会ってみる」
「広間に通してありますよ。お茶運びますねぇ」

 広間というのは、玄関左横にある十畳と十二畳の和室だ。縁側のある表側の十二畳に、客はいた。

 それが、リエル・ガブリエラ・ソフィエレンヌ——フレデリック神父の属する組織、新薔薇十字団のリーダーだった。

 なるほど。清美が小躍りするには充分すぎるほどの美青年だ。たしかに、青蘭に匹敵する。プラチナブロンドとエメラルドグリーンの双眸のフランス人形のような美形。だが、どこか非人間的な淡白さを感じる。
 青蘭のほうが優雅で儚げで、危うい磁力のような魅力がある、と思うのは、恋人の欲目ばかりではないだろう。

「初めまして。リエル・ソフィエレンヌです。留守のあいだに失礼。どうしても急ぎの要件だったもので」と、リエルはキレイな日本語であいさつをした。

 龍郎はいぶかしみながらも、彼の向かいに座った。リエルが正座しているから、しかたなく、こっちも正座する。

「どうも。本柳です。ご要件はなんですか? あなたたちの誘いは断ったはずですが?」
「でも、八重咲青蘭をさらわれたんでしょう? あなたは我々の力を借りたい」
「まあ、そうですね」
「では、情報交換と行きませんか? あなたが我々にとって価値のある情報をくれれば、我々はその対価として協力をする」

 龍郎はリエルの女性のように線の細い美貌を見直した。なぜ、冷たく見えるのかわかった気がする。彼はその見ためからは考えられないほど合理的で、感傷的な感情に判断を左右されることがない。コンピューターといっしょだ。AIと話しているように、人間的な含蓄(がんちく)に乏しいのだ。

(でも、それならそれで取引はしやすい。ビジネスライクに話せる)

 龍郎は承諾した。
「いいですよ。だが、聞いたあとになって、さほどの情報じゃなかったから何もできないとは言わないですよね?」
「そんなことは言わない。我々はそういう、くだらない嘘はつかないよ」
「では、話せば最低でも、青蘭が拉致された場所へ行く方法を教えてください」
「確約しよう」

 ほっとした。
 これで少なくとも、青蘭を助けに行くことはできる。その方法が、たとえ、どんな困難なものであっても……。
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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