古時計 その四

文字数 2,280文字

 考えていると、ガタンと音がした。
 ビクッと龍郎はとびあがる。
 音は棺おけのなかから聞こえた。

(な、なんで棺おけから?)

 棺おけはカラのはずだ。いや、もしも遺体が入っていたとしてもだ。遺体が音を立てることなどない。

 ほんとはイヤだが、確認しないのも気になってしょうがない。
 龍郎は覚悟を決めた。
 柩のふたに手をかける。ちょうど顔のところに小窓がついていて、故人の死に顔をながめることができるのだが、その小窓の留め金を外し、ゆっくりと持ちあげる。

(なかはカラ。なかはカラ。なかはカラ)

 呪文のように唱えながら、小窓をあけていく。その間、無意識に目をとじていた。小窓をあけきったところで、ふうっと深呼吸をつくと、龍郎は思いきって目をあけた。

 そして——

「わあーッ!」

 叫び声をあげて尻もちをついた。
 棺おけのなかに人がよこたわっていたのだ。八十か百か、どのくらいの年齢か見当もつかないほどの老婆だ。頭髪は真っ白で、顔はしわくちゃ。地味な着物を着ている。

 まったく見ず知らずの老婆だ。いや、どこかで見たことがあるような気もするが思いだせない。

 老婆は龍郎の見ている前で、とつじょ、カッと両眼をひらいた。

「わあッ!」

 ふたたび絶叫して、龍郎は畳の上を這うようにあとずさる。

 老婆は半身を起こし、棺おけからぬけだしてくる。
 上から覆いかぶさるようにして龍郎の顔をのぞきこんできたが、「なんだ。龍雄(たつお)かい」と言って、ろうかのほうへ歩いていった。

(龍雄? 龍雄は親父の名前だ)

 首をひねって考えていると、ちょうど視線が上をむいた。鴨居にかけられた数枚の遺影が目に入る。それは亡くなった先祖たちだ。祖父や祖母の顔はすぐに見分けがつくが、それ以前の先祖たちは写真でしか見たことがない。

 なにげなくそれらを見ていた龍郎はギョッとした。

 どこかで見たことがあると思った、さきほどの老婆。

 そうだ。子どものころから、しょっちゅう目にはしていた。ただし生きているところを見たことはない。モノクロの写真としてしか知らないから、実物を見ても、すぐにはわからなかった。

 老婆はかかげられた先祖の遺影の内の一つ。
 曽祖母だ。たしか名前はお鉄と言った。明治生まれ明治育ち。女で“鉄”は当時としても珍しいのではないだろうか。

 とっくに鬼籍の人となったはずの曽祖母が、家のなかを平気な顔して歩いている。

 ぼうぜんとしていると、またもや、どこからか泣き声が聞こえた。母ではない。子どもの声だ。

 障子のむこうが、いやに明るいなと思い、縁側に出てみると、真っ赤な炎が燃えさかっていた。火事だ。離れが燃えている。
 泣き声はそのなかから届いてくるようだ。

 龍郎は離れへと走った。
 中庭をよこぎって家屋の前に立つ。

 そのときすでに、龍郎の知っている離れではないことに気づいていた。本柳家の離れよりはるかに大きな洋館だ。西洋の城のようである。白亜の城が夕日のような鮮やかなオレンジ色の炎に包まれ、黒煙が暗い空に、とぐろをまく大蛇のように伸びている。

 炎のうなり声が轟いた。
 熱風がうずまく。
 パチパチと何かのはぜる音。ガラガラと壁や天井のくずれる音。ときおり爆発するような音が響いて、ガラス窓が破裂した。

 その轟音をぬって、そのとき、かすかな悲鳴が聞こえた。

「助けて! 誰か、助けて! パパ、ママー!」

 もはや個人の手で消火できるような規模ではなかった。まもなく、その広大な屋敷は炎のなかに崩れおちるだろう。とり残された子どもは死んでしまう。

 龍郎は屋敷のまわりを走りまわった。窓を一つ一つ外からのぞく。そのすべての窓からも、金色に輝く炎が火炎放射器のように激しく噴きだしてくる。

 しかし、いくつめかの窓をながめたとき、龍郎は見た。炎のなかをよろめくようにさまよう小さな黒い影を。

「そっちへ行くな! こっちだ!」

 その窓はすでにガラスが粉々にくだけ、室内も黒く炭化していた。火の手がピークをすぎ、弱まったあとのようだ。この周辺だけなら、なんとか入ってみることができる。

 窓の下の花壇には庭木にかけるためか、水がめに水がためられていた。龍郎はそれを頭からかぶると、骨組みだけになった窓をやぶり、内部へ侵入した。

「おーい、どこだ? 返事をしてくれ」

 ろうかへ出ると、すぐに子どもが倒れていた。
 しかし、その姿を見て、龍郎は思わず息を飲んだ。
 ひどい火傷だ。全身のほとんどが焼けただれている。もとの相好もわからない。つれだしても助からないかもしれない。助かったとしても、おそらく一生、傷跡が残るだろう。

「……しっかりしろ。今、外につれてってやるからな」

 龍郎はぬれた喪服の上着をぬいで、少年(あるいは少女?)に着せかけた。ちょくせつ触れるのは感染症にさせる恐れがあるから、さけたほうがいいだろうと思った。

 龍郎が子どもを抱きあげたときだ。
 真っ赤に焼けて血と体液を流す子どもが、パチッと目をあけた。まっすぐに龍郎をながめる。その宇宙の深暗のような漆黒の瞳——漆黒の奥に瑠璃色の炎のゆれているような瞳は、まぎれもなく、ある人物のものだ。

「……青蘭?」

 子どもは何かつぶやいた。
 喉の内側もただれているのか、ほとんど声にならないようなささやきだった。

 しかし、龍郎はハッキリと聞きとった。


 ——契約するよ。


 そう聞こえた。

 そのとき、壁がくずれた。
 龍郎はあわてて、さきほどの部屋までかけこみ、窓から外へとびだした。間一髪で、館は業火に飲まれ、完全に崩壊した。炎のうずまく轟音が、巨大な生き物のあげる断末魔の叫びのようだった。
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登場人物紹介

 本柳龍郎《もとやなぎ たつろう》


 このシリーズの主人公。二十二歳。

 容姿は本編中では一度も明記されていないが、ふつうの黒髪、ノーマルな髪型、色白でもなく黒すぎもしない平均的な日本人の肌色、黒い瞳。身長は百八十センチ以上。足は長い。一般人にしては、かなりのイケメンと思われる。

 正義感の強い爽やか好青年。とにかく頑張る。子どもや弱者に優しい。いちおう、青蘭に雇われた助手。

 二十歳のとき祖母から貰った玉が右手のなかに入ってしまった。それが苦痛の玉と呼ばれる賢者の石の一方で、悪魔に苦痛を与え、滅する力を持つ。なので、右手で霊や悪魔にふれると浄化することができる。

 八重咲青蘭《やえざき せいら》


 龍郎を怪異の世界に呼び入れた張本人。二十歳。純白の肌に前髪長めの黒髪。黒い瞳だが光に透けて瑠璃色に見える。悪魔も虜にする絶世の美貌。

 謎めいた美青年で暗い過去を持つが、じつはその正体は……第三部『天使と悪魔』にて明かされています。

 アスモデウス、アンドロマリウスという二柱の魔王に取り憑かれており、体内に快楽の玉を宿す。快楽の玉は悪魔を惹きつけ快楽を与える。そのため、つねに悪魔を呼びよせる困った体質。龍郎の苦痛の玉と対になっていて共鳴する。二つがそろうと何かが起こるらしい。

 セオドア・フレデリック


 第二部より登場。

 青蘭の父、八重咲星流《やえざき せいる》のかつてのバディ。三十代なかば。銀髪グリーンの瞳のイケメン。職業はエクソシスト専門の神父。第五部『白と黒』にて少年期の思い出が明らかに。

 遊佐清美《ゆさ きよみ》


 第二部より登場。

 青蘭の従姉妹。年齢不詳(たぶんアラサー)。

 メガネをかけたオタク腐女子。龍郎と青蘭を妄想のオカズに。子どものころから予知夢を見るなどの一面も。第二部の『家守』で家族について詳しく語られ、おばあちゃんが何やら不吉な予言めいたことを……。

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